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Rock'N'Roll Coffee Machine  作者: 藤原キリヲ
Chapter0 藤野林檎
3/14

藤野林檎 その3




 現代人である私にはネット上で知り合った友達だって少しだけどいるわ。


 自分のホームページで自作の音楽を配信している彼もその一人。同じように音楽をやっている者同士、私にとっては彼もまた良き相談相手の一人ね。

 相談相手に必要なことは適度な距離感。

 ネットで隔絶された私たちの距離感はとても良好だと言えるわ。


 ただ、より的確な言葉を使うなら、彼は好敵手と呼ぶ方がふさわしいのかもしれない。

 彼はその技術や感性において卓越したものを持っているわ。

 ひょっとすると私より優れたそれを持つ彼に、私はしょっちゅう心は穏やかでなくなる時があるんだもの。


 聴き惚れるような素敵な旋律、身震いするみたいに上手な演奏。

 彼と直接会ったことはないけれど、眼前でその演奏を見てしまったら、私は恋に落ちてしまうかもしれない。

 それほどまでに彼の音楽はとても素敵。



 いったいどういうことを考えていたら、こんな素敵な音楽が作れるのかしら?


 私は彼に尋ねたわ。

 その動機。得ることのできる喜びについて。


 そしたら彼はこう言ったの。


「僕は音楽をやってるのが好きだからだよ」


「弾くのも好きだし、作るのも好きだ」


「僕の作った曲を、みんなに聞いてもらいたいって思う」


 ……音声チャットから聞こえてきたその答えを聞いた瞬間、何か違うわと感じたわ。

 彼の音楽に対する真摯さと、真剣さは私のそれとは比べ物にならない。

 彼は心から音楽というものを愛していて、演奏も作曲も好きでたまらないのね。

 だから良い物を作るためにいつも思考を繰り返しているし、ずっと努力を続けていた。


 素敵な音楽でできるはずだわ。

 こんなにまでひたむきに音楽に身も心も捧げて出来上がったものが、つまらないなんて嘘よ。

 駆り立てられるみたいに楽器に向かっている彼の姿を想像して、私は寒気がしたわ。


 ……だから彼はライバル。

 とにかく真剣で、並び立てば私が霞んでしまいかねない。

 妬ましくも尊敬に値する、敵。



 そんな風に、毎日必死で、それでも楽しく音楽を続けているような彼に、悩みなんてあるのかしら?


 その疑問を私は看過しかねた。彼自身にそれとなく聞いてしまったわ。

 自分でも悪い子だって思う。だってこれじゃあ、自分より優れているような気がした彼の、弱点のようなものを探っているみたいだもの。


 そして、彼は答えたの。


「本当はね、音楽だけをやっていたいんだ。でも、そうもいかないだろ」


「僕が音楽やれてるのは周りのみんなのおかげもあるんだし、今まで続いてきた関係を捨ててまで音楽に没頭しちゃったりしたら、いけないと思うんだ」


「でもそうやって、何が必要で何が必要じゃないのかとか、考えてると、つらくなるよ」


 音楽を続けていく意志も希望もあるけれど、彼の周囲には余計なものが多すぎる。

 家族、友人、恋人、評価、聴衆、人生、将来、金銭……エトセトラエトセトラ……。


 彼がとても純朴で素直な性格の男性であることはモニター越しにも想像がついたわ。

 けれども、そんな彼だからこそ、そうした色々な物事を「余計だ」と言い捨てながらも、決して無視することができない。そうして浪費される時間を、惜しめない。


 音楽が好き。人を感動させることを喜びに感じる。

 それはつまり、それだけ他人の感情の機微に敏感で、色んな人の色んな気持ちを無視できない。

 本当は音楽だけをやっていたいのに、音楽で人に感動を与えることを愛するが故に、それ以外の場面でも人に優しく接し、深く関わり、余計な時間を浪費することを拒絶できない……。


 まぁまぁ、なんて、優しい人かしら。

 強くあるのに、彼は人間的すぎたのね。それは、強く美しくひたむきな彼だからこそ抱える、甘やかな苦境。


 それも私とは全然違うわ。私は自分の望みを叶えるためなら、いくらだって堕落できるもの。

 彼のように自分のポリシーを曲げてまで助けたい他人だって、私にはほんの少ししかいない。


 それが良いことなのか、悪いことなのかはまた別の話よ。




 私の尊敬に値する好敵手である、優しすぎた彼の話はこれでおしまい。

 次は誰の話をしようかしら?




 夕方頃になると、私はアルバイトに出かけるわ。


 私は愛すべき同居人のために、尊い労働に身も心も時間も捧げるの。

 一応言っておくと、音楽以外に割いている時間だからといって、これは浪費ではないわ。

 私自身が費やすに値すると認めた時間なのだから。


 仕事は大変だわ。けれど、無駄なことばかりではないとも思う。

 私のバイト先には仲の良い同僚がいて、彼女と会うのはとても楽しみ。


 つい最近知ったことだけれど、彼女も実は音楽をやっていたの。しかも私と同じベーシストよ。

 共通点を見つけた私たちの絆は今後更に深まっていくでしょうね。



 そんな彼女にも、私は他の知り合いたちと同じように疑問をぶつけてみたわ。

 あなたは音楽をやっていて、どういう時に喜びを感じているの?


 彼女は一瞬うろたえるような素振りを見せてから、何故かひきつった愛想笑いを浮かべて、彼女が持つ生来的な気怠さは隠し切れないまま答えたわ。


「うーん……音楽やってると、毎日がちょっと刺激的になる気がするよね」


「うまく弾けたら楽しいし、何もしてないよりは生産的だし、トモダチもできるし……」


「あー、ジムに通うみたいな感覚って言えばいいのかな。あはは……」


 苦笑いを浮かべている彼女自身も気づいているんじゃないかしら?


 それって別に、音楽である必要がないわ。

 彼女の音楽は単なる娯楽で暇潰しでコミュニケーションツール。何もやらないよりはマシ程度のものでしかないのね。


 でも、それでも良いと思うわ。別に軽蔑なんてしない。

 音楽の姿なんて人それぞれだし。自分磨きの一環である私も考え方としては大差ないもの。


 今が楽しければとりあえずそれでいいなんて、それだけ聞けばとてもロック。

 音楽って根本的にはきっとそういう退廃的な匂いをさせていたものに違いないもの。素敵だわ。



 私が彼女の回答についてひとしきり思考を終えた時、彼女はまだ気まずそうにそっぽを向いていたわ。

 やはりわかっているのね。自分が本当に音楽が好きな人間と比べて、どうしようもなく熱意が薄くて、冷めてしまっていることに。


「あたし、時々ついていけなくなるんだ。同じバンドのボーカルとか、すげーヤル気バリバリでさ。あたしにももっと練習しろって言うの」


「確かにあたしヘタだし不真面目だけどさ、ちょっと完璧主義すぎない? こんなの大学生の遊びだよ?なんでそこまで必死になれんの……?」


「あたし……、間違ってんのかな」


 たぶん間違ってはいないわ。ただ、そういう「遊び」に絶対的な尊さを感じてしまって人生を賭けてしまっている哀れな人間もたまにはいるということね。


 彼女は言動は今時の若者らしく退廃的で、なおかつ享楽的な性質をしているわ。

 彼女には音楽以外にも楽しいと思えることがたくさんあるのね。一心不乱に音楽に打ち込むような、例えば私がネットで知り合った優しい彼のようになるには、彼女は周りの娯楽に目が行き過ぎている。

 困ったことに、創作の世界にはそういう風に熱意に溢れすぎた人間と、彼女みたいに普通なままでいる人間が同居してしまっているわ。

 そのうえ、本来的にはどちらが良いも悪いもないはずなのに、彼女のような人間の方が軽んじられ、当人たちは気まずい思いをしてしまうみたい。


 だから彼女の苦しみはそんな感じ。

 音楽自体は嫌いではないけど、周りの高すぎる熱意との差を感じてしまう。自分が一途でない自覚もあるから劣等感も覚えてしまう。これも音楽に限った話ではなく、他に置き換えてみればありふれた心理かもしれないわね。


 くだらないなんて思わない。そういう音楽もある、むしろ彼女ぐらいが一般的なレベルということなのよ。

 没頭しすぎて周りが見えなくなってしまってはいけないわ。そっちの方が狂信者みたいで、怖いもの。




 私の話していて気楽な同僚である、愛すべき凡庸な彼女の話はこれでおしまい。

 次は誰の話をしようかしら?





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