後編 紫髪のルシフェル
一部の方が不快に思われる表現・描写、グロテスクな描写が含まれている可能性があります。ご理解の上でお読みください。
セルフィナは話し終わると息をつき、虚ろな紫の眼で私を見た。
「すごく悲しいし、痛いし、悔しいけど……でも今の私じゃ何もできないし、しょうがないよね。せめてお母さんのネックレスだけでもあれば──おじさん?」
少女が不思議そうに私の顔をのぞき込む。
「……泣いてるの?」
気づくと、話をする彼女を見る私の目からは、涙が静かに流れ落ちていた。
私はハンカチで目を押さえるとすまない、とだけどうにか口にした。
この年端もいかない少女の受けた運命は、なんと悲しいのだろう。しかも、こんな境遇にある子供はおそらく彼女だけではない。
トホルーエでは自分の娘ほどの子供がこんな生活を送っているというのに、私はこの半年間そのことについてほとんど何も考えず、何もしようとしなかった。
目の前の国がこんな状態なのに、何が眠れる千刃球だ。何が無敵の兵器だ。何が次の戦いだ。
私の体の中を駆け巡った激しい自責と悲しみの念は、二つの目から熱い涙となって零れ続けた。
セルフィナは、生気の無い紫の目で私をじっと見つめていた。
―――――――
セルフィナと別れた私は、今はとにかく兵器に関する情報を集めることにした。
上司のように嗜虐的な好奇心を満たすためでは決してない。それが三国間──というか、もう二国間──での平和のために今の私にできる唯一のことだと思ったからだ。
今の私がもっとも憎むべきなのは、国同士の不毛な争いだ。だがそのためには外交上の問題が机上で解決されなければならない。そのためには、無敵とも言える例の兵器の情報を皇国に持ち帰って帝国を牽制できるようにしなくてはならないのだ。
そうすれば皇国も帝国も、争うデメリットが格段に大きくなる。無駄な諍いを起こす気は無くなるはずだ。
──しかしそんな私の思惑をあざ笑うかのように、兵器の情報は一向に集まらなかった。まったく情報がなかったわけではないが、どれも雲を掴むような話ばかりだ。
やはりもう、呪砲に破壊されて失われてしまったのだろうか。それとも帝国軍に回収されてしまったのだろうか。そうだとすれば状況は最悪だ。
明日には帰国しろと言われていた私は、肩を落としてセルフィナの暮らす町に戻ってきた。
彼方に沈もうとする夕陽も、美しいとは思えなかった。
この町に戻ってきた理由は四つある。
一つ目はセルフィナの家にまた泊めてもらおうと思ったからだ。
しかし、宿代を払うつもりは無い。残りの理由はそのことに関係している。
紫色の髪の少女は、昨日と同じように道端に座り込んで薄汚い靴磨きの道具を虚ろな目で眺めていた。
私は探知機のスイッチを切ってポケットに入れると、彼女に声を掛けた。
「セルフィナ」
少女が私を見上げる。
「おじさん」
「また家に泊めてほしいんだ。いいかな」
「いいよ。でも十五ロル。いいでしょ?」
「ああ。だが、支払いはこれでいいかな」
赤い宝石がついたネックレスを目の前に下げると、少女の目が見開かれた。
「──これ、お母さんの! おじさん、ほ、ほんとにいいの、これ……?」
「あっちの町で売られてたんだが、これじゃ足りないかな。まあネックレスじゃ腹は膨れないし」
「そんな、そんなこと……!」
必死に首を振るセルフィナの前に、今度は紙袋を下げた。
「向こうじゃ嗜好品も充実していてな。美味しそうなパンがあったからたくさん買ってきた。二人で食べよう」
少女は尻もちをついた。
―――――――
私が買い与えた新しい毛布にくるまれて眠りについたセルフィナの表情は、昨日の生気の無い顔とは比べるべくも無い、年相応の少女の顔だった。
私は思わず薄く笑うと、自分も眠った。
その夜は、悪夢など見ずにぐっすりと眠れた。
翌朝、目が覚めるとセルフィナの姿が無い。
私は心配になったが、数分すると彼女は家の前の砂山の上を越えて戻ってきた。
もはや虚ろな目では無い。朝日に照らされたその目はきらきらと輝き、その顔には可憐な笑顔を浮かべていた。
「おはよう、おじさん!」
「ああ、おはよう……。どこに行ってたんだ?」
「帝国軍の砦。ちょっと用事があって」
「おいおい、なんでそんな危ない所……怪我は無いか」
「ううん、大丈夫」
昨日までと一転しておしゃべりになったセルフィナは、私に向かい合って座った。
「……本当にありがとう、おじさん。私、もうこのまま死んじゃうのかと思ってたのに……本当はもっとお礼したいけど、でも私お金が無いから……」
「ああ、そのことなんだが、セルフィナ──」
三つ目までの目的を果たした私は、四つ目の目的に取りかかることにした。
セルフィナの紫の目が揺れる。
首をかしげる彼女に見つめられると、私は何だか気恥ずかしくなって目を逸らした。
だが、言わなくては。もう決心したことだ。
私は深呼吸をすると、できるだけ柔らかい顔で口を開いた。
「その──私と、私の妻と一緒に住まないか?」
セルフィナの目が丸くなる。
「おじさん……」
「実は私にも、君と同じくらいの年の娘がいたんだ。だが、小さい頃に死んでしまって……仕事で訪れたこの国で、偶然君に出会った」
私は呆気にとられているセルフィナが怯えてしまったりしないか心配で、矢継ぎ早に言葉を継いだ。
「決して、君を娘の代用品として扱おうと思ってるわけじゃない。でも、どうしても君を放っておけない。これは運命だと思ったんだ」
セルフィナは、依然動きが無い。紫の目で私を見つめている。
「それにもちろん、セルフィナだけを連れて帰って終わりじゃない。君と同じような他の子供も、できるだけ早く助けられるように国に打診するつもりだ。でもそれまで、せめて君だけでも私の家で暖かく暮らしてもらえないか? 皇国になら瘴気の病気を治す技術だってきっと──」
言いかけた時、唐突に私の体は後ろによろけた。
話すことに集中していた私は、セルフィナが抱きついてきたのだとわかるまで少しかかった。
「おじさん、ありがとう……! ありがとう……」
私の胸に顔を埋めたセルフィナが、嗚咽を漏らす。
私はぼさぼさの紫色の髪を撫でた。
「……いいんだ」
──しかし、セルフィナの小さなすすり泣きは割り込んできた乱暴な声にすぐかき消された。
「セルフィナ・ルーヴィア! セルフィナ・ルーヴィアの家はここか!?」
驚いた私は、はっとして思わずセルフィナを抱き寄せた。
誰だ、この声は。セルフィナに何の用だろうか。
しかしセルフィナはというと、私から離れると涙を拭って鼻をすすると家の入り口の布をめくって外へ出た。
「セルフィナ──」
「やっと来てくれた。私がセルフィナだよ」
私も続いて外に這い出る。
外に立っていたのは、二人組の軍人風の男だった。
テンブルク帝国軍の兵士だ。それぞれ軍用の魔銃を持っている。
一体彼女に何の用だろう。今、彼女が砦に行っていたことと関係があるのだろうか。
私は二人を睨みつけた。
「何だ、お前達は」
「ルードルフの役人? お前こそこんな所で何してるんだ。まあいい、俺達が用があるのはこのガキだ」
私が不安に駆られて見上げると、セルフィナは百メートルほど向こうにある砂山を指さした。
「ほら、あれ。あの砂山。何か、ところどころから飛び出してるでしょ? あれが魔導刃の一部なんだよ」
「魔導刃……!?」
私が思わず呟くが、三人は構わず話を続ける。
「本当か……? ただの枯れ草に見えるが」
「うーん、ただの枯れ草も混ざってると思うけど、でもいくつかは本当に魔導刃なんだよ。昨日だってちゃんと見て確認してきたんだもん。あの砂山の下にあるのが千刃球なんだよ」
「……まあ、近くで確かめればすぐにわかる。おいガキ、もし嘘だったらどうなるかわかってるんだろうな。害虫みたいなトホルーエ人なんか、この魔銃の試し撃ちで殺してやっても上は何も言わないんだからな」
「おい、何だその言い草」
私はセルフィナを庇うように兵士の前に出たが、二人は鼻を鳴らすと並んで例の砂山の方へと歩いていった。
私はすぐにセルフィナの肩を掴んだ。
「千刃球って何だ? あの砂の下には何が埋まってるんだ?」
「戦争中におじいさんが整備してた武器が埋まってるって言ったの。ふふ、でも嘘。何にも無いよ」
セルフィナはあっけらかんとして微笑んだ。
私はよりによって彼女の知り合いが千刃球を保持していたことに困惑しながらも、困って彼女を問いただした。
「どうしてそんな嘘ついたんだ。あの二人、本当に君を殺そうとしないとも限らないぞ」
「おじさん──」
セルフィナは再び私に抱きつくと、笑顔のまま涙を零した。
「全然知らないトホルーエ人の私にすごく優しくしてくれて、本当に、本当にありがとう……!」
「いや、いいんだ。そんなことよりどうしてそんな嘘ついたんだ?」
「──でも、ごめんね。おじさんのお家に行けるようになるのはもうちょっとだけ先になっちゃうの。私には仕事があるから」
セルフィナはここで見てて、と私に言うと家の前の砂山に駆け登った。
私はいよいよ困惑して彼女を見上げた。
「セルフィナ、訳がわからない……。仕事って何だ? 何をしようとしてる」
セルフィナは紫色の髪を揺らして振り返ると、私を見下ろして微笑んだ。
「こんなことしたテンブルク人を、みんな殺してやるの!」
少女が母の形見のネックレスを高く掲げると、はめられた魔石と砂山が眩く輝いた。
「セル──」
私が言いかけると同時に、砂山全体から爆発するように突風が吹き出し、周りの物を全て吹き飛ばした。
家の残骸と枯れ木にのしかかられて身動きが取れなくなった私の前を、衝撃でポケットから飛び出して起動したのか、セルフィナの家の近くに来てからスイッチを切っていた魔導探知機がけたたましい音を立てながら光り、転がっていった。
吹き荒れる砂の中に目を凝らすと、覆っていた砂を魔導刃の回転で吹き飛ばした兵器がその姿を現し、おぞましい触手のような魔導線の束を伸ばして少女の体を自分の中へと取り込んでいた。
「セル、フィナ……」
遠くの砂山を見に行っていた兵士が、何か叫んで発砲する。
だが、光る魔弾は回転する無数の赤い光に弾き飛ばされた。
千刃球は意外なほど素早く走り出すと、魔銃を捨てて悲鳴を上げ、逃げまどう二人の男をいとも容易く喰い殺した。
私は瞬きすることも呼吸することも忘れ、凄惨な断末魔の叫びと共に切り刻まれ吹き飛ばされた血と肉と骨の破片が、破裂した水風船のようにはじける様をただ見ていることしかできなかった。
吹き飛んできた骨の露出した兵士の腕がぐちゃり、と音を立てて私の前に落ちた。
しばらくしてようやく家の残骸の下から這い出した私は、ふらふらと数歩進んだ後に力無く膝をついた。
「満腹」になるとすぐにテンブルクに向けて走り出した赤く光る球体は、もう地平線に消えて見えなくなっていた。
乾いた砂を濡らした血の水たまりが、朝日に照らされてヌラヌラと光っている。私はそれがすべて地面に吸い込まれていくまで、その様をただ眺めていた。
完
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