追い打ち
金助が目を覚ました時には、森ではなく自分の部屋だった。金助は、自分の部屋から出て明かりの付いた部屋の方へ向かった。そこでは、朱美と青太郎の話す声が聞こえてきた。やがて、その話し声は激しさを増し、口喧嘩に発展した。
「そうやって、甘やかすからあの子が『失敗作』だ何だと言われるんです!!破岩流の血を受け継いだ由緒正しい子があんなポッと出の農家の息子より劣るなんて考えられない!!それもこれもあなたと森の動物たちのせいです!!」
「厳しくする時には厳しく、甘やかす時には甘やかす。それが正しい子供の育て方だと思っている。ただ単に厳しくすればいいってものでもないし、『適材適所』って言葉があるように剣術が向いてないなら他の事で頑張ってほしいと私は思っている。それに今の世の中、大切なのは人としての心だ。心の無い人間は、いくら剣術が優れていても将来ろくな大人になれないからだ。」
「またそうやって・・・破岩流は破岩の血を受け継いだ人間が継ぐものなんです!!結婚するまでブラブラ国中を旅してた人には分からないでしょうねぇ!!」
「ああ、分からねえよ!!勝手に破岩流道場のお金を持ち出して、猟師・・・それもよりにもよって命の重みも分からねえクソみたいな奴等に動物たちを皆殺しにさせるような人間の気持ちなんざな!!どうしたんだよお前・・・金助が生まれる前はこんなんじゃあなかっただろ。」
青太郎と朱美の口論を隠れて聞いていた金助は、何とも言えない気持ちになった。そして、聞いていく内に自分が気を失っている間、あの森に棲む動物たちは皆殺しにされたんだと理解した。大切な物を失った金助は、泣きそうになりながらその場に腰を下ろし、体育座りの姿勢になった。ここで、朱美が何かを言い出した。
「そうそう、あなたが与えたんでしょ?あの図鑑。」
「動物とか、植物、魚の図鑑の事か?ああ、買ってあげたよ。」
「金助の邪魔だから、全部燃やしました。あの子が書いた下らないレポートと一緒に。」
「何ッ!?」
青太郎は立ち上がって怒った。
「お前、何て事してくれたんだ!!あれは、金助が大事にしていた物だぞ!!それを許可なく捨てるなんて・・・」
しかし、朱美はいつもの口調で言った。
「だって、破岩流には必要ないんですもの。」
「お前・・・ッ!!」
その時、青太郎はちょっとした恐怖を覚えた。朱美の瞳に自分や金助の事が全く映っていない事に気付いたのだ。要するに『破岩流』の事しか頭に無いのである。
「貴方も破岩流には必要ないわ。」
朱美はどこから取り出したのか、ナイフを青太郎に向けた。
「おい、やめろ!!危ないだろ!!」
ブンブン振り回しながら近寄って来る朱美に青太郎は両腕でガードしながら、何とかして朱美の手からナイフを取り外そうとした。やがて、青太郎と朱美の取っ組み合いとなり、青太郎はナイフを朱美の手から奪い取る事が出来た。青太郎はそのままナイフを台所に戻した。振り返ると、朱美は右頬から血を出していた。どうやら、さっきの取っ組み合いになった時にナイフの刃で傷がついてしまったらしい。
「すまん。大丈夫か?今、手当てを・・・」
朱美は青太郎が差し伸べた手を振り払って、涙を流しながら言った。
「どうして・・・どうして私を傷つけるの?何で私の思い通りにならないの?」
自分からナイフを出しておきながら何を言っているんだという感じだが、間の悪い事に口論を聞きつけて様子を見に近所の奥さんが訪ねて来た。近所の奥さんは、入り口で何回か『破岩さん』と呼ぶと、誰の許可も得ずにずかずかと家の中に入って来て、その光景を見てしまった。近所の奥さんは朱美の顔を見た途端、腰を抜かして言った。
「あ・・・あんた、自分の妻になんて事を・・・」
「いや、違いますよ・・・」
誤解している近所の奥さんに青太郎は、弁解をする為に事情を話そうとした。すると、朱美が急に子供の様に泣きじゃくりながら言い出した。
「この人が・・・この人が刃物を持ち出して・・・『俺の思い通りにならないなら殺してやる』って言ってきたんです!!」
「な・・・ッ!!」
それは、あのナイフのくだりを見ている人間からすると嘘だと分かる証言だが、さっきの出来事を一秒たりとも見ていない近所の奥さんは、朱美の証言だけで青太郎がやったのだと思い込んだ。
「やっぱりそうね!!全く、妻を痛めつける夫なんか最低のクズよ!!恥を知りなさい、恥をッ!!」
「ちょっと待って下さいよ。持ち出してきたのは、朱美の方なんです。」
「何?この後に及んでまだ言い逃れする気?」
青太郎がやったのだと思い込んでいる近所の奥さんは、それから青太郎の言い分を聞こうとしなかった。このままでは、自分の父親が近所からクズ呼ばわりされてしまうと思った金助は、三人の前に出て行った。
「違うよ、おばさん!!ナイフを出してきたのは母さんの方で、父さんと取っ組み合いになった時にナイフの刃で傷を負ったんだ!!」
「え?」
金助の登場に近所の奥さんどころか、青太郎と朱美も驚いた。金助は、これで青太郎が近所からクズ呼ばわりされる事は無いと思い一安心した。しかし、そう思った矢先、
「・・・その子は、この人に洗脳されているの!!『何で俺の味方をしないんだ』って暴力を振るわれたくないから、そういう証言をしているだけなんです!!」
あまりにも滅茶苦茶すぎる発言だった。しかし、近所の奥さんは、何故か朱美の言う事を信じてしまった。金助のとこまで来て、ぎゅっと抱きしめると、
「辛かったね、もうそんな事言わなくていいのよ。」
と、言った。金助は、何でこの人が朱美の味方をするのか訳が分からなかったが、そんな事よりも父親を護らなければという思いで一杯だった。
「だから、父さんは何も悪くない・・・」
「大丈夫、大丈夫だから・・・」
近所の奥さんは、金助の頭を撫でながら優しく『大丈夫』と言い続けた。金助は、抱きしめられながら初めて他人の優しさというものに腹を立てていた。何で誰も父親の言い分を聞いてやらないのか、何故父親は悪くないのにどんどん悪者になっていくのか。金助はふと、青太郎の方を見た。そこには、涙こそ流してはいなかったが寂しそうな表情でずっと朱美と金助を優しく見つめている青太郎の姿があった。
「(父さん・・・)」
やがて、近所に住む人たちが大勢やって来て、青太郎を罵倒し始めた。罵倒した連中の中には、ろくに旦那としての務めを果たしていない、酒を飲む事にしか能が無いクズもいた。
「奥さんを切りつけたんだってぇ!?破岩流も地に堕ちたものだな。」
「先代・・・お義父さんもあの世で泣いてるだろうよ・・・いや、呆れているかな?」
「信じられない!!息子は失敗作で、夫がクズだったなんて・・・朱美さん可哀相。」
「奥さん、あんたは一人じゃない。何かあったら俺達に言ってくれよ。」
金助は、正義の名のもとに青太郎を罵倒している連中を軽蔑した。
「(何が正義だ・・・みんなただ父さんで日頃のストレスを発散したいだけじゃないかッ!!)」
その中にはわざわざ金助のところまで来て、
「寂しかったら、おっちゃんが父ちゃんの代わりになってやるからな。」
等と言ってくる人間もいた。この世に青太郎の代わりなんかいるわけがない。金助にとって、父親である青太郎の存在はとてつもなく大きかった。そんな父親が周りから罵倒され、泣きたい状況でも泣かずにただ言われるがまま、抵抗せずにじっとしていた姿を見た金助は、いつしか世の中が憎いとさえ思った。
そして次の日、破岩青太郎は破岩家から出て行った。
金助に巻物を一つ残して・・・