初手からミスった物語
気がついたときに、私は私だった。
自分でも何を言っているのかよくわからないが既に私だったのだ。
普通の生き物なら存在するはずの赤子から幼子を経て成長して行くその過程を全てすっ飛ばして私はそこに在った。
むしろ今までの全ての記憶を喪失したと言われた方が納得できそうだが、そうではない。
自分のことはよくわかる。
片手から放つその力の塊で山肌を吹き飛ばせることも、見つめたものを即座に燃やして灰に返すことも、あらゆる人を声だけで心奪うこともできる。
食事も睡眠も必要なく、ただ立ち続けるだけで、何十年、何百年でも生きていける。
そういうものとしてここに今発生した、それが私だった。
ああ、なんと面白くもない生き物だろう。私の中には何もない。成し遂げるべきことも、打倒するべき敵も、心から欲するものもない。必要なものも欲しいものもない。
ああ、つまらない。私は私の存在意義がわからない。世界を見渡せば、様々な種族が各々の生を謳歌している。
あれはなんだ。私と違う。私より知も、力もない脆弱な存在が私より楽しそうにしている。彼らは生きている。私とは違う。私には何もない。このまま立っているだけだ。妬ましい、彼らが。
私はこんなにも白紙なのに。私はこんなにも無味なのに。彼らには彩りが、匂いが、味がある。あれほど弱いのに彼らは私にないものを、私が欲しいものを全て持っている。羨ましい、彼らが。
私はどうすればいい。
…そうだ。私が持っていなくて、彼らが持っているなら貰えばいい。簡単な話だ。私は彼らより優れている。できないはずがない。
さあ、行こう。彼らの全てを手に入れに。
背中から翼を生やし、私は飛び去った。
「毎度ありがとうございましたー!」
ようやく…ようやく、これで、黒字だ…!ついにやり遂げたぞ…!パン屋を開いて2年と半年…!魔物退治で稼いだ元手が尽きる前に黒字経営にすることができた…!
長い…長い戦いだった。パンなら小麦捏ねて焼けばできるだろうなどと軽率にも考えた昔の自分に拾ってきた魔剣を突き立ててやりたい。
まず、パンの形をしたパンを作れない。作れても形が不揃い。味はバラバラ。焼けすぎに生焼け。食えたものじゃなかった。しかし、研究に研究を重ね、人に頭を下げて教えを請い、やり遂げたぞ!
私は!パン屋だ!
誰がなんと言おうとパン屋だ!
家になんかもにょもにょしたゲル状の生物が住み着き、居候は陽光に当たると灰になり、私自身も頭にツノが生え、生やした翼を消すことができず、気をぬくと手から出た波動で更地が増えるが…誰が何を言おうと!私は今!パン屋だ!
ああ、目標を持ち生きることはなんと素晴らしいのだろう!
今私はは生きているぞ!
フレントリカ王国の外れの街に魔法のパン屋がある。食べたものは傷が治り、晴れ晴れとした気持ちになるという幸せの味を売るパン屋がある。
少し、店長の様子が普通の人と違うのと店員が夜しか出てこないこと。あとなんか時折水音が二階からする以外はとても普通のパン屋だ。
異形の店長は、街に現れてしばらくは人々に奇異の目で見られていたが、毎日とても一生懸命に、楽しそうに働く姿に人々はなんか格好のへんなお兄さんだなぁ…くらいに思っていた。
王国一の戦士も、近くの森に住む伝説の魔法使いも、教会から派遣された聖女も、神に選ばれた勇者もみんなそのパン屋のパンが好きだった。楽しそうな店長も好きだった。
それを見て首を捻る、一人の邪神は呟いた。
「ちゃんと魔王作ったよな、我」
要するに魔王が初手で平和的に人々を羨んだら、という話です。こんなのもありそうだなと思って書きました。