席を譲られる覚悟
私はよく電車で席を譲られる。
ご高齢の方でも、妊婦さんでもない。単なる中年女性である。
サラリーマンで言えば働き盛り。サラリーマンじゃなくても働き盛り。なぜ譲られるのかさっぱりわからなかった。顔に走る、ゴル〇線のせいだろうか。(注:ゴ〇ゴ線とは、スナイパーでもないのに目の下に走る深い渓谷のようなしわのことである。疲れると渓谷は一層深くなる)
最初は断っていた。しかし、しょっちゅう譲られるうちに、次第にあきらめがつくようになっていった。
見るからに70代の紳士。ありがとう。紳士たるもの、中年のおばさんでも年若いレディなのですね、ありがとう、あ、よろけてますけど、それを指摘したりしませんよ。なぜなら達成感に満ちあふれたお顔をしていらっしゃる。感謝して座るのみです。年寄りに席譲られてやがるという周りの視線が痛くても気にしません。私は紳士のプライドを守ったのです。
50代後半のおばさま方。譲る理由がわかりません。いや、アレですね、私たちまだまだ若いのよっていうアピールですね、わかりました。存分に私を利用してくださいませ。この人より私は体力も気遣いもあるのよってことですね。ドヤ顔、チッ、いえ、ありがとうございます。
小学生、中学生。あ、おばさんだ、親切にしなきゃ、はい、どうぞ!ですね。くっ、キラキラしておる。おばさんね、まだそんな年じゃないんだ、けどね、わかるよ、ここでもし断ったら、君たちのガラスのハートが壊れちゃうって。親切にしたのに、断られたことがトラウマになって、声をかけられなくなっていくかもしれないんだよね。ここは大人の責任で!ありがとう、助かるわ。
だけどね、なんで同世代に譲られなきゃならないのでしょうか。疲れた顔に〇ルゴ線、おまけに隠しきれないほうれい線だって同じだよね。
中学生、高校生の諸君、自分は疲れていないのに、同世代が譲ってくれたらどう思いますか。あ、恋が芽生えるのか、それ以外では?働き盛りのみなさん、知らない同世代に譲られたらどうですか?高齢者のみなさん、どうですか?私はこんなでした。
「どうぞ」
「いえ、大丈夫ですから」
「でも……」
なぜ私の腹を見る?は?妊婦さんじゃないよ。確かに産めない年ではないですが、違うよ?
「大丈夫です」
「え、でも……」
「妊婦さんじゃないので、大丈夫です」
「ええ?」
なぜそれでも腹を凝視するのですか。ポッコリしてるからですか。そこは指摘しないのが情ではないのですか。引いてはくれないのですか。しかたない。
「太ってるだけですから!」
電車内がしん、とした。彼女は席にすとんと座り直した。私はさり気なく席二つ分横に移動した。
大人しく譲られてあげるのが大人なんだろう。できる限り、そうしてはいる。けど、好意に答えるのも楽じゃない。
席を譲られる方にも、覚悟がいるのである。