第二話
「……ということでね。ぜひ柳瀬くんに調査をお願いしたいの」
職員室。
授業時間のせいか、今は教師陣の姿はまばらで閑散としていた。
その一つのスペースで、今年度から赴任してきた保健の先生……日向陽菜が、ヒソヒソ声で涼介に話す。
少ないとはいえ他の先生方もいるにはいるので、今の陽菜先生は“保健室の天使ver.”……つまりは猫かぶり状態である。
そしてちょうど、涼介をここに呼び出したことについての説明の最中だった。
その内容はずばり……病欠を理由に学校を休んでいる数学教師について――。
陽菜先生曰く、彼が休んでいる本当の理由は病欠ではなく、あるトラブルに巻き込まれたことに起因するらしい。
「前の日曜日の夕方頃らしいんだけど……。一階の渡り廊下で彼が倒れているのを、通りがかった用務員に発見・保護されたそうなのよ。それにその時の彼、どこか様子が変だったらしくてね……」
発見当時……その教師はなぜか、ズボンとパンツをずり下ろされ、まるで生気を吸い取られたかのようにゲッソリとやつれた状態だったらしい。
幸い外傷らしきものはなかったようだが、意識は少し朦朧としていたらしく。
虚ろな瞳でうわごとのように、こう呟いていたそうだ……。
――ババア……ババアに、吸い取られた……、と。
「その先生が言うには、その……お婆さん? に遭遇したのは『三階の男子トイレ』らしいんだけど……」
「なぜか、倒れていたのは『一階の渡り廊下』だった……と」
コーヒーの入ったマグカップを片手に、陽菜先生はコクリと頷く。
「三階のトイレと一階の渡り廊下って、校舎内では対称的な場所ですよね?」
「そうなのよね。先生を襲った人が、たまたま彼をそこまで運んだのか……。でも、そうする意味はわからないよねぇ……」
教師の言葉どおりなら、犯人は“ババア”ということがわかる。
それにしても、彼がババアと遭遇した『三階トイレ』、発見された『一階渡り廊下』……。この二箇所がどう繋がるのか、よくわからない。
「この学校にそこまでお歳を召した先生はいないし……あたしも他の先生方も、一度もそんな人を見たことがないのよねぇ。だから、あたしが思うに……これは柳瀬くん、あなたの専門だと踏んでるのよ」
「そういうことですか……」
たしかに、話を聞く限りでは不思議な事件だ。
もしかすると、『たまたまこの学校に侵入してきた婆さんに、たまたま数学教師が襲われた』ということも考えられるが……それにしては、引っかかりを覚えるのだ。
……いや、ほぼ確信ともいえる。
言うなれば、さっきの然木笑海の話……それが今回の事件とガッツリ関連性を持っている、というところが特に。
(めいりはどう思う? 今回のこと、なにか絡んでると思うか? その、人外的ななにか……)
とはいえ、決めつけるのはまだ早いと判断し、背後の相棒に尋ねてみる。
もしなんらかの怪異が関係しているとなれば、今頼るべきはまさに怪異の勘……。
(確実に、人間の業じゃないわ。とってもババ臭い……さらにきな臭いわ)
(うん。最初からババ臭くはあったわな)
まぁ、ともかく。これで“ほぼ確信”は“確信”へと進化を遂げた。
「そこで、職員を代表してあたしからお願い。今後同じような被害がないためにも、柳瀬くんの力を貸してほしいの!」
ガバッとお辞儀する陽菜先生。その真摯な姿に涼介は少し戸惑ってしまう。
ひと月前の宿直の日……めいりの姿を目の当たりにし、涼介の嘘(陰陽師であるとかなんとか……)を信じ込んで以来、彼女はなにかと涼介を頼りにしている面があった。
今回の件も、人間の仕業じゃないとなると、涼介を頼ってくるのはごく自然のことかもしれない。
ただ……めいりが憑きさえすれど、涼介自身には霊能力などない。
ただ単に、ほんのちょっと、人外のお友達と接することができるだけ……。ただ、それだけ。
なので実際、今回の件は涼介単独でどうにかできる問題ではないのである。
(う~ん……。どうしたもんか)
(引き受けましょう、涼介)
すると、隣のめいりさんからの提案があった。
(わたしなら幽霊かどうかすぐわかるし、保健の先生も他に頼めるところなさそうだしね。それに、そのババアが悪霊なら、わたしのレーザービームで燃やしてしまえばいいのよ)
(婆さんを燃やすのはさすがに見たくないけど、まぁなぁ……。気は進まないけど)
ということで、結論。
「わかりました。引き受けます」
「ほんとっ!? ありがとう!」
ぱっと人懐っこい小犬のような笑顔を浮かべ、陽菜は涼介の手を自分の両手で握った。
本性を知ってるとはいえ、これほど露骨に手を包まれると涼介もつい照れてしまう。
「……ん。でも、どうして陽菜先生がここまで必死なんです?」
これはいわば……教師全員で検討すべき件だと思う。
でも今は、陽菜先生が一人で必死になってるような気がする。
いくら席が隣同士だからって、ここまで真剣に向き合うなんて……。
……あ。
もしかして。
「先生って……もしかして数学教師のこと……」
そう言いかけた途端、陽菜は突然立ち上がり近づいてきた。
息が顔にかかりそうなほど……いや、実際耳に息がかかっている。
『素ver.』でのヒソヒソ声とともに……。
(いいか、柳瀬? ここで学校の問題を華麗に解決しとくとな……今後あたしの株が上がるっしょ? ついでに給料も上がるかもしれん。だから、どうしても一番乗りで手柄が欲しいんだよ……)
(やっぱそんなこったろうと思いましたよっ!)
く……この人にしても然木にしても相変わらずだ。
安心安定のお知り合いたちに、涼介は安堵とも呆れともつかないため息を吐いた。
「じゃ、そういうことで……現場検証は今度の日曜日だから。くれぐれもお願いね、柳瀬くん」
再びぶりっ子な声でお願いされ、涼介は深々と頭を垂れた。