第三話
※今回は段落ごと『真殊→都→真殊』の順で視点が変わります。
――その日の午後。
次の授業は体育。
真殊や都の属する一年Aクラスの生徒は、グラウンド横の更衣室に集まっていた。
きゃいきゃいと談笑するクラスメイトたち。その陰……更衣室の片隅で、真殊は盛大にため息を漏らしていた。
「あれは、ちょっとないよね……」
ロッカーに片手をつき、俯きながらさっきの自分を思い返す。
涼介のクールでぶっきらぼうな部分を真似しようと、さっそく真殊は実践してみたのだった。
――これで自分も、少しはクールになれる。
そう踏んでいたのだが、今の真殊に残っているのはものすごい違和感と羞恥の念だけ……。クールどころか、逆に恥ずかしさで顔がほてって仕方なかった。
「みっちゃん……絶対変に思ってるよ……」
ちょっとやり過ぎたのかな。たしかにいきなりあんな態度取ったらビックリするに決まってる。それに、いきなり呼び捨てもなかっただろうし。
(それとも……逆に、なにかが足りなかったのかな……)
クールでぶっきらぼう、男らしさ。それだけじゃなく、なにかが決定的に欠落しているように真殊には思えた。
そのまま真殊は、昨夜の涼介の様子を思い返してみる。
そしてすぐ、一つ重大なことを見落としていたことに気づく。
……そういえば昨日。
オムライスを食べている時だ。
がつがつとガーリックライスと卵をかき込むめいりがふと、ごはん粒を零してしまった。
『おいおい、そんなに慌てなくても……』
呆れたようにそう言いつつ、涼介はめいりのワンピースに零れたごはん粒を丁寧に拭き取ってあげていたのだ。
そのうえ……。
『ほら、ほっぺたにもついてんぞ』
『うむむ~』
そのまま別のハンカチで、めいりの口元も拭ってあげていた。
微笑ましい光景だった。いつも無表情なめいりも、どこか甘えたように目元を緩めていたっけ……。
(そうだ……、これだっ!)
涼介には備わっていて今朝の真殊に足りなかったもの。
それは……さりげない優しさ。
他人に興味ないような素振りを見せつつも、隣の相手を常に思いやる温かさ。それが、真殊には足りていなかったのだ。
そうに違いない。
(うん……そうと決まれば今度から意識してみよう)
こうして、真殊の闘志に再び火が灯った。
* * *
今日の体育は100メートル走のタイムを測るらしい。
運動が大の苦手な柴咲都は、少し緊張の面持ちで順番を待っていた。さっきから心臓の音がドキドキとうるさい。
次の走者は、朽咲真殊。
朝のことがあったせいか、スタート位置で構える彼女がどこか別人のように感じられた。
けして大きくない背中だけど、いつもより大きく……そして恰好良く見えた。
そんなことを考えていると、胸のドキドキが一層増してきた。
(いやいや、私はなにを考えてるの……!)
ブンブンと頭を振って、今の授業に意識を切り替える。
いつのまにか真殊は走り終えていたようで、今はヤサコがスタート位置で直立していた。
「みっちゃん……あたしが無事走り終えたら……一緒にこっくりさんしようね……」
フラグのようで意味不明な言葉を残して、ヤサコは走り出した。
右手右足、左手左足が一緒に前に出ていた。
そして、その両手足ともピンと伸びたままだった。
それでも、ヤサコはクラス一のタイムを叩きだしていた。
彼女が向かってくるのが怖かったのか、ゴール付近で待機していたクラスメイトたちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。なかには腰を抜かして泣きだす女の子も。
「……」
「おおい、柴咲ぃー。次はお前だぞー?」
「あ……はいっ。すみませんっ」
変わらず緊張はしているけど、ヤサコの現実離れした走りのおかげで少し和らいだ気がする。
(そうだ……)
都はふと、閃いた。
もしかすると、自分もヤサコと同じように手足同時に出したら、いつもより速く走れるかもしれない。
正確には……閃いてしまった。
「じゃあいくぞ……よぉーい…………ピッ!」
スタートの合図とともに出した手足が絡まり、
「ぎゃっ!」
都は見事、その場で転倒してしまったのだった。
「だ、大丈夫か柴咲っ?」
「うぅぅ……痛いよぉ……」
どうやら膝を擦りむいたようで、じくじくと鈍い痛みが走る。
傷自体は軽傷。
だが、この転倒をキッカケに、今朝から抱え込んでいたモヤモヤが都の心いっぱいに広がってしまった。
クラスメイトたちが近寄ってくる気配。
それでもなお、都はメソメソとグラウンドで丸まったまま立ち上がれない。
……今日の私はなんだか変だ。
どうして、下ノ怪さんの真似なんてしようとしたんだろう。あんな走り方、変だってわかってたはずなのに……。
それに、どうして……。
どうして、朽咲さんのことを考えると、こんなに胸が締めつけられるんだろう。
相手は女の子なのに。
なのに、ちょっといつもと様子が違ったからって。
ちょっと冷たい態度をとられたからって……どうしてこんなにドキドキするんだろう。
「みっちゃん、保健室いこっ! ……立てるっ? おぶってこうか?」
「……ほぇ?」
ふいに聞こえた声に顔を上げると、そこにはつい今まで思っていた女の子がいた。
必死な顔で自分に呼び掛けている。
「朽咲……さん……」
ぽかんとしてる間に、都はクラスメイト数人がかりで彼女の背中に乗せられる。
都をおぶった真殊はそのままクラスの輪から離れ、保健室の方向へ進んでいく。
「く、朽咲さん……重くない?」
「平気だよみっちゃん。それより、足以外に痛いところとかない?」
「うん……大丈夫、みたい」
真殊の小さな背中におぶさり、都の心臓が再びドキドキと弾む。
体育の授業中……それに真殊はさっき走り終えたばかりだ。彼女の背中は少ししっとりと湿り気を帯びている。
汗ばんだ首筋に一つ、雫が伝っていくのが見てとれた。そのまま雫は体操服の隙間へ消えていく。
都の鼓動はより速くリズムを刻みはじめる。
視覚嗅覚触覚を刺激され、モヤモヤな感情で頭がぐにゃぐにゃで、もうどうにかなりそうな都。
そんな緊張を真殊に悟られぬよう、目をつぶり、熱い頬を目前の小さな背中にうずめた――。
* * *
――保健室について数分後。
「うん。これでよし……と」
消毒液と絆創膏で都の膝をケアし、真殊はホッと一安心。
「あ……ありがと……朽咲さん」
「ううん、気にしないで」
都がこける瞬間から今まで。
ただ必死で、“涼介の生き様習得”とか、そんなことを考える余裕はなかった。
真殊自身、気づけば都をおぶっていつのまにかここに来たような……そんな感覚だった。
「朽咲さんって、優しいね……」
「えっ? い、いやいや、だって……友達が怪我したんだもん。当然だよ」
都の言葉に無性に照れてしまう。
――さりげない優しさ。
真殊は自分でも無意識のうちに、それに似た行動をとった……そのことに気づかされる一言だった。
……思えば、涼介と出会って、憧れて、半年弱。
ずっと彼を追いかけ続けていたからか。もしかすると自分は、自分でも知らない間に、心のどこかで涼介の優しさを認めていたのかもしれない。
……それで今回、自然とそれを行動に移せた。
自分はすでに、ずっと前から涼介の生き様を学んで、そして真似んできたのかもしれない。
そう思うと、真殊の頬は自然と綻んでいった。
(そうだね。うん……無理しなくてもいいんだ……)
明日からは、いつもの自分でいこう。真殊は心の中で納得する。
無理に涼介の真似事をすることはない。自分は、今の自分のままでいるのがいいし、それが涼介の生き方に近づく一番の方法なのかもしれない。
――別に無理をしなくたって、私は勝手に先輩の後を追ってしまうんだから。
「よし……っと」
真殊はグラウンドに戻ろうと立ち上がる。
都はしばらく保健室で休むということになり、今もベッドに腰かけたままだ。
「じゃ、みっちゃんはもう少しゆっくりしててね」
「あ……うん……」
そして、意気揚々と踵を返し、引き戸を開けようとしたところで、
「あ……朽咲さん!」
「ん?」
都の声に、手を止められる。
「? どうしたの?」
「あの、えと……その……」
もじもじとシーツを弄りながら、都はどんどん声をしぼめていく。
しばらく彼女の反応を待っていた真殊だったが、真殊はふと思い至った。
「あ、着替えと鞄のこと? 更衣室に置いたままだもんね……。それなら、またあとで――」
「わ、私も……!」
「え?」
再び言葉を遮られる。
そして……。
「私も……下の名前で呼んでいい?」
「え……? 下の……名前?」
「朽咲さんのこと……ま、真殊、って……」
「ま、まっ――!?」
そっと丸縁の眼鏡を外し、都が上目遣いでこちらを見上げている。
その潤いを含んだ瞳、赤い頬、まさに恋する乙女のそれだった。
「私のこと、都って呼んでくれて……ドキドキしたから……。だから、私もあなたのこと……真殊……って」
「あ……あば……」
「? ま……真殊……?」
「あばばばばばばばば……!」
十一月も半ばを迎えたある日の午後。
涼やかな風が吹く中、公立星凪高校保健室その片隅で、新たな百合の花が芽を吹いた――。
おわり。
お読みいただきありがとうございました。
本文末尾に『おわり。』とありますが、作品はまだまだ続きますので、どうぞよろしくお願いします!