第一話
※今回は真殊サイドのお話です。
星凪市内唯一の公立高校“星凪高校”から南方へ。
大きいとも小さいとも言い難い、なんとも中途半端な規模の川を跨ぐと、星凪のベッドタウン的な町……出笛町に入る。
そのさらに進んだ場所。もう数十メートル進めば隣町“入笛町”になろうかというところにある住宅街、その一角に、三階建てのRC造アパート――“出笛荘”がポツンと佇んでいる。
十一月も半ばを過ぎ、秋の終わりを告げる冷風が町全体を撫でていく夜。
そのアパート二階部分の一室201号室から、ほくほくと温かい香りが漂い出していた。
「お待たせしましたー」
「お、おお……!」
「涼介……! 早く……! 早くいただきますの合図を……じゅるり」
現在この部屋の住人で星凪高校二年生である少年、柳瀬涼介。
そして、ひょんなことから彼にとり憑いている幽霊少女、めいり。
彼らは一瞬にして、目の前の座卓に置かれたオムライスに心奪われた。
香ばしく炒まったガーリックライスをつめ込んで、ぷっくり膨らんだ卵の衣。同じ皿上でレタスやポテトサラダに囲まれ鎮座するその様子は、まさに黄金の宝石である。
ゆらゆらと湯気を立てるその身の上にはケチャップで、マスコットキャラのような猫の顔が描かれていた。
「先輩の分のライス、少し多めに入れちゃったんですけど良かったですか?」
尋ねながら、朽咲真殊はチェック柄のエプロンを外し、涼介とめいりが座る向かい側に腰を下ろした。
こうして涼介と顔を合わせて座っていると、まるで高校生と小学生のような様相である。
「うん、ありがとう。でも……なんかごめんな。いつもご飯作ってもらっちゃって」
「い、いえいえ、私こそいつもお邪魔しちゃってますし、そのお礼ですっ。それに料理を作るのは好きですので……っ」
慌てたように胸の前で両手を振る真殊。
幼い顔に、両耳の後ろで結ったおさげは小犬の尻尾のよう。
だがそのちんまい見た目に反して、彼女もまた涼介と同じ、星凪高校に通う一年生なのである。
「お姉ちゃんっ! いただきますよっ! 速やかにいただきますするのよ……!」
「そ、そうだね。熱いうちにいただきましょう?」
「よし。じゃあ……いただきますっ」
「「いただきまーす」」
今にもヨダレを垂らしそうな顔のめいりに促され、みんなで食事前の挨拶。
そうして三人そろって手を合わせあと、黙々とオムライスを崩しにかかった。
……あの日。
星凪高校文化祭当日、その日の夕暮れ時。
めいりとの間にあった問題がひとつの解決を見せた時、真殊にもめいりの姿が視えるようになっていた。
本来なら、めいりの姿は依り代である涼介にしか視えない。
でも、今ではたしかに真殊にもめいりが視えている。
白い髪を腰まで流した、真っ白なワンピース姿の少女の霊の姿。
それはあの日の邂逅の影響、その残滓か。
それとも涼介とめいりの絆、真殊とめいりの絆……そして涼介と真殊の絆が深まった結果か。
……あるいはその両方か。はたまた全く別の理由か。
本当のところを真殊には知ることはできない。
でも、ひとつ言えるのは、今こうして再びめいりと会えることがとても幸せだ、ということだった。
また、それと同じタイミングで、真殊は涼介に弟子入りを申し込んでいた。
理由はひとつ。
涼介のように一人きりでもクールに生きていける強さを身につけたいから。
そうして念願叶った今では、こうして頻繁に涼介の部屋に通っている。
“めいりは涼介から一定距離以上離れられない”ということもあって、こうして真殊の方から会いにきている……という理由もある。
だが、それ以外にも、“涼介の生き様を盗む”という確固たる目的があってのことだった。
「うお~! 美味い! このオムライス、美味い!」
「ズゾゾ……! ズゾゾゾゾ……!」
目の前でオムライスをかき込む先輩兼師匠と妹を眺め、つい顔が綻んでしまう。
掃除、洗濯、そして食事。
ここに来るようになってから、タダでお邪魔するのは悪いと思って始めたことだが、やっぱりこうして喜んでもらえるのは素直に嬉しい。
こうして三人で過ごす時間が、真殊にとって大切な習慣となるのも、そう時間はかからなかった。
二人と同じようにスプーンを口に運びつつ、しみじみと思う。
――これ、なんか違うぞ……? と。
たしかに、今のこの日常も楽しい。
……楽しいのだが、真殊の本来の目的である“涼介の生き様を盗む”が全然果たせていないのだ。
部屋にお邪魔して、わいわい遊んで、お礼として手料理を振る舞う。身の周りの世話をする。
これって、全然弟子らしくなんじゃ……?
今のこの状態って、むしろただの通い妻……。
「かかかか、通い妻……っ!!」
「おわっ! ビックリしたぁ! ……く、朽咲さん、どうかした?」
「ひ、ひぃ! な、なんでもないですっ、ごめんなさいぃ……」
つい興奮してしまった……。
我ながら阿呆な例えを出してしまったと、真殊はちょっと後悔。
もっと、こう……お節介な後輩とか。あれ、そのまんまかな? ……ともかく、他にも色んな例えがあったはずなのに……。
誤魔化すように再びオムライスをつっつきながら、真殊は再び思考する。
(うん……。でもやっぱり、せっかく弟子にしてもらえたんだ。しっかり弟子の本分を果たさないと)
早く独り立ちしないと、あの日勇気を振り絞って志願した意味がなくなってしまう。
そして自分自身、一人でもクールに生きていける強い大人になりたいのだ。
なら、そうなるためにまず、どうすればいいのか。
スプーンを口に咥えながらちらりと涼介の様子を窺う。
「涼介、ケチャップとって」
「ん? お前の目の前にあるだろ?」
「あ。……ふふ、涼介のくせに謀ったわね」
「いやいや、完全に自滅じゃねーか」
世間一般の男の子の中ではわりと中性的な顔立ち。
反して、その口から出る声は意外に低く男らしい。
長らく独自に調査(※ストーキングともいう)してきて感じた先輩の印象は、静かで、ぶっきらぼうで、一匹狼。
集団の色にはけして染まらず、ひたすら一人我が道を行く。
その姿はまさにクールガイ。
まさに真殊の憧れの具現そのものである。
「おーい……朽咲さーん? どうしたんだー?」
「お姉ちゃん、どうしたの? オムライス冷めるよ?」
真殊は興奮のあまり、咥えたままのスプーンをもむもむと囓り続ける。
すっかりトリップしてしまった彼女の耳には、もはや涼介たちの声は届いていなかった。
そうだ……。
先輩の生き様を習得するためには、まずは先輩の行動を真似てみるのがいいかもしれない。
『学び』という言葉には、見たことや教わったことを真似ぶという意味もあるくらいだし。
まずは先輩の普段の言動を真似て生活を送ってみよう。うん、やってみよう!
そうと決まれば、早速明日から修行開始だ!
頑張るぞ、真殊!
「……完全に聞こえてないな。どうしたんだ一体……」
「わからない。でも、なんだか目がギラギラしてる」
そうして真殊は、涼介の弟子としての一歩を踏み出す決意を決めたのだった。
……その記念すべき第一歩は、冷め切ったオムライスを片付けることから始まった。