第一話
※今回は涼介視点です。
――この高校の女子トイレには、花子さんがいると思うか?
そんな質問をされたのは、公立星凪高校の制服に袖を通すようになった、その初日。入学式式場を背に生徒たちの流れに沿って教室へ進む、その途中のことだった。
渡り廊下からふと目にした中庭には、ささやかな春の気配があった。
木漏れ日の隙間をかいくぐって、桜の花びらがちらちら、春風にその身を遊ばせている。
ヒヨドリが二羽ほど、隅にかくれんぼするかのように生えるこぶしの木、その花をつついている。
始まりの高揚感、これからの不安をじわりと胸に染みこませながら、涼介はそんな小さな春を眺めていた。
「なぁ、君」
「……ん?」
ふいに、肩を叩かれる。
振り返ると、そこには一人の少年……いや、少女が立っていた。
その黒い髪は少年のように短く切られているが、包まれる怜悧な顔、制服のスカート、特有の体のメリハリ……なるほど、その人物は紛れもなく少女だった。
内心で戸惑う涼介にかまわず、その少女は話しかけてくる。その無の表情はこの季節に似合わず、冬の氷のように冷たくさえ感じられた。
「君、一年Cクラスの人だな?」
「あ……ああ、そうだけど?」
「ボクは同じくCクラスの、然木笑海だ。よろしく」
そして、手を差し出してきた。
同じクラスの生徒。そして意外とノンビリした男口調に、涼介の緊張は少し解けた。
良かった。
この子、思ったより難しい人ではなさそうだ。
涼介は差し出された手を握った。
「僕は柳瀬涼介。よろしくな、然木さん」
「ふむ。ところで、柳瀬」
「ん?」
黒髪少女こと然木笑海は、握った手を執拗に上下に揺さぶりながら、続けて尋ねてきた。
「君……。この高校の女子トイレには、花子さんがいると思うか?」
「……」
「……」
「……………………………………………………は?」
前言撤回。
この子、思ったよりも難儀な人のようだ。
春風に揺れるキレイな黒髪。
さきほどまで冷たく思えた彼女の無表情がむしろ滑稽に見えてしまった、入学式の渡り廊下の出来事――。
* * *
「……ん、んあ」
目を開くと、隣席の生徒の学生鞄が目に入った。
……というより、それを枕にいびきをかく白髪の少女の姿が。
おぼろげな意識が晴れてくると、睡魔の元凶、国語教師の念仏も少しずつハッキリと聞こえてくるようになる。
どうやら眠ってしまっていたらしい。
涼介はボンヤリと自覚した。
今は一限目の途中。
廊下や反対の窓からは柔らかな日差しが入り込んでいて、十一月にしては暖かく、まるで春の陽気だった。その心地よさにアテられて、初っ端の授業から居眠りを漕いでしまったらしい。
(……それにしても、変な夢見たなぁ)
ちょうどあの時と同じような気候だからだろうか。
涼介が入学したての頃、そしてすぐ前の席の級友……然木笑海と出会った頃の夢。
それだけならごく普遍的な夢だろうが、なにせ笑海が放った最初の質問が、その夢を“変”たらしめるには十分だった。
チョークを置いた教師が教壇の上を片付けはじめ、それからまもなくチャイムの音が教室に木霊した。
軽く背中を伸ばしたと同時に、涼介のお腹が奇怪な音を奏でた。
(う……、ちょっと冷やしちまったかな)
変わり目の気候に、不安定な睡眠。おかげで、涼介はお腹の調子を少し崩してしまっていた。
(休憩のあいだに行っとくか……)
立ち上がる。
すると、ついさっきまで夢に出てきた少女……然木笑海がきょとんとした顔で話しかけてきた。
「ん、柳瀬。どこか行くのか?」
「ああ、トイレにな……」
「ふむ。それは失礼したな。頑張ってキバってこい」
「最後の台詞が一番失礼だけどもなっ!?」
そうして、涼介は隣で大いびきをかくめいりを起こし、教室を離れた。
「涼介。わたしをトイレに連れ込むのにも随分慣れてきたわね?」
「ことごとく誤解を招きそうな言い方だなオイっ!?」
めいりと笑海、双方ひどいボケ体質のおかげで、最近の涼介のツッコミは休まるところを失っていた。
もはや恒例となっためいりとのやりとりを繰り広げつつ、目的の場所に辿り着く。
めいりには入口付近で待っていてもらう。いつもの通りだ。
休み時間であるにもかかわらず、トイレの中はしんと静まり返っていた。さっきまで耳朶に響いていた廊下の喧騒も届かない。
いつもなら一人二人はいるのだけど、こんな時もあるのか。軽く思いつつ、一番奥の個室を目指す。
(……でも、然木の話も、ただの変な話では片付けられないんだよなぁ)
さっき見た夢。過去の然木の質問。
当時は笑海のことを“噂好きのおかしなやつ”としか思えなかった涼介。
だが、自身が幽霊少女めいりにとり憑かれ、人体模型トシや銅像三宮銀三郎といった人外のものと接し、そういう存在がいると知った今では、笑海の話も以前のように他人事で流せることではなくなっていた。
(……この学校に花子さんが実際にいても、ぜんぜん不思議じゃないんだよなぁ……)
最奥の個室、鍵部分を手にドアを引きながらひとりごち――
「……あ」
「……あ」
――その中に、真っ白な月を見た。




