第三話
「……で。次はなんだい? 花の図鑑なんて取り出して……」
トシが本棚から取り出した、一冊の本。
ハードカバーの分厚いそれは、花の図鑑だった。
ページをめくるごとに色とりどりの花が出迎えてくれ、それぞれの特徴や分布など、写真を交えて細かく説明が記されている。
「この本にはな、説明の他に『花言葉』も書いてあるんだ」
「花言葉? なんだか、メルヘンチックなニオイがするぞぅ」
「まぁ、俺の存在自体、いわばメルヘンチックだからな!」
「……」
「……うん、冗談だからよ、そんなゴミ虫を見るような目で見るな……。ごほん……ともかくだ。元来人間ってのは、花にそれぞれの想いを込めてきた。その中でも、愛だの恋だのに関する言葉はダントツに多いんだ。それに、花が嫌いな女性ってのはあんまりいねぇだろ?」
「んん、そうなのかな。よくわからないけど……たしかに、あまり聞かないなぁ」
「おうよ。なら今回、これを利用しない手はねぇってわけだ」
「ふむふむ。なんとなく察しはついた。ようは、タツさんの想いを花に込めて贈ったり……そんな感じか?」
「その通りだ。俺の愛を花に込めて天使さまに届けるのさ。……へへ、花を見た陽菜先生がまだ見ぬ紳士に思い馳せるのは間違いなしだぜ!」
どどんと剥き出しの心臓を叩くトシ。
「ううん……また旗が立った気がするが、わかった。ボクも最期まで見届けるよ」
「おう、てか最後じゃなくて始まりだけどな! ダハハハハッ」
トシの高笑いにどうしても明るい未来を感じられず、笑海は苦い表情で思った。
……今日は無性に天丼が食べたいな、と。
* * *
――翌日早朝。保健室にて。
「ひ……ひぃぃぃぃ~っ!!」
「なっ!?」
最近すっかり見慣れてしまった保健室の入口。
笑海がそのドアを開いたのは、部屋にいた陽菜先生が奇声をあげたのとほぼ同時だった。
今のは、もしかしなくとも悲鳴だ。
当の陽菜は尻餅をついたような状態で床に座り込んでいる。
「な、なんなの……これ……」
大きな目をさらに大きく見開きながら、わなわなと震える陽菜。
「日向先生……? いったいなにが…………あ」
尋ねる前に、笑海の視界は事の原因を認めた。
ちょうど彼女の視線の先。保健室内唯一あるデスクの上に、ある意味予想していた光景が広がっていたのだった。
そこにあったのは……花。
一輪の花をつけた、バラだった。
「タツさん……貴方のチョイス、たしかに間違ってはない。だがこれは……」
笑海はどこか呆れ顔でそのバラを見やる。
たしかにバラは『愛情』『熱烈な恋』などの花言葉を冠しており、思い人へ贈る花としては鉄板だ。
だが、今目前にあるそれは、いささかアウトの模様……。
愛の象徴、その代表であるはずのそのバラは、花から根っこにかけて土まみれだったのだ。
それはもう、辛うじてそれが赤色のバラだとわかるくらいにボロボロ。
おまけに、デスクだけでなく、床やベッドの手すりなど保健室のいたるところが見事に汚れてしまっていた。
(これは、誰がどう見ても嫌がらせにしか見えないぞぅ、タツさん……)
……そこでふと、なんとなくの違和感を覚える。
部屋のあちこちにある土汚れ……。よく見れば、そこにはトシの足跡らしい跡もある。
だが、その跡……どころか一切の汚れが、笑海が今立っている入口付近には付着していないのだ。
(むむ? それに、窓の方にもそれらしき跡はないな。と、いうことは……)
たらりと、頬に冷や汗が伝うのを感知しつつ、笑海は視線をある場所へと移す。
ちょうど座り込む陽菜が背もたれがわりにしているベッドの脇。
デスクから続く土跡は、ちょうどその方向へと進んでいた。
(ま、まさか……)
笑海の中の嫌な予感が現実へとすりかわる、ちょうどその刹那。
――ボテっ。
そんな鈍い音がして、なにかが陽菜の肩に乗った。
「……えぇ?」
その弾みで変な声を出した陽菜。
おそるおそる肩の上にあるものの正体を確かめ――
「に、にに…………にぎゃあぁぁぁぁぁぁあああ――――!!」
――その愛くるしい表情をめいっぱいに歪め、発情期の野良猫のような悲鳴をあげた。
陽菜の肩に突如垂れ落ちてきたもの……。
それは、手だった。
正確には、模型の腕部分。
すっかり土で汚れてしまったその手の元を辿ると、ベッドの上には案の定……人体模型トシが横たわっていた。
「ままままさか……こないだの悪戯のことをまだ根に持って……ひ、ひぇぇぇ……!」
(なにをやってるんだ……タツさん……)
陽菜は恐怖におののく。
笑海は片手で目元を覆い、すっかり阿鼻叫喚の絵となった保健室の天井を仰いだ――
* * *
――翌日の放課後。生物準備室。
「いやぁ、昨日は参ったぜ!」
ここ、星凪高校に新たな怪談『花壇を掘り起こす人体模型』を生み出した本人(?)、トシが上機嫌に笑う。
そしてなぜか、昨日の大失態を武勇伝の如くしゃべくっていた。
その横では笑海がいつものように腕を組みながら、呆れきった表情で椅子に腰かける。
「花を探しに外に出たはいいけどよー。なんせ周りが暗いもんだから、どこがどこやらわからなかったんだよなぁ。んで結局、朝方になってから大急ぎで花壇の花を頂戴したんだ」
「なるほど。それで保健室で用事を済ませたと同時に朝になり、その場で眠りについてしまったと……そういうわけだな?」
「おうよ! そりゃもう夜通し動いてたもんだから、もうグッスリだ!」
ガハハと笑うトシ。
「ううん……でも、なぜそんなに上機嫌なのだ? 作戦は失敗、ボクとの賭けにも負けたというのに……」
愛しの天使さまを恐怖のどん底に陥れてしまい、トシはすっかり凹んでしまっている……そう笑海は予想を立てていたのだが、現実は全く真逆だった。
いったいなにがトシをそうさせているのだろうか。
まさか、ショックのあまり自我を失ってしまったとか……?
「いんや? たしかに作戦は失敗した。でも、賭けは俺の勝ちだぜ?」
「ん? ……んん?」
「お、そろそろ時間だ。然木の嬢ちゃん、ここからは私語は慎め?」
壁にかかる時計をトシが確認するとほぼ同時、ガラリと生物準備室の扉が開いた。
そこから入ってきたのは、茶色がかった髪に白衣姿の小柄な姿……今ちょうど話題にあがっていた養護教諭、日向陽菜先生だった。
(おや? 日向先生……なぜこんな時間に?)
笑海は、準備室の隅のロッカーの陰から(なぜか咄嗟に身を隠してしまった)その様子をうかがう。
陽菜先生のその手には、数本の花。それと、いつも彼女が保健室でこっそり召し上がっている和菓子が乗っていた。
普段は愛くるしい幼顔を、この日は少し強ばらせ、おずおずとトシの元まで歩み寄ってきた。そして……。
「人体模型さま……お供えに参りました。どうかこれで怒りをお鎮めくださいましぃ……」
トシの足元に“お供えもの”を置いた陽菜はうやうやしく頭を下げた。
床に膝をつき、三つ指をついて。
(あ、ああ……なるほど)
そういえば以前、彼女はトシの悪戯に荷担していたと聞いたことがある。
昨日の“花事件”で、その時の怒りがまだ収まっていないと思ったのか……。そして今日、こうしてお詫びに来たのか。
笑海もようやく納得がいった。
……が、とすれば、トシのこの上機嫌の理由はというと。
「うぅ……これって、もうしばらくは毎日通った方がよさそうだな~。またあんなことになったら怖いしなぁ~……」
俗に言う土下座の状態で、陽菜がぼやく。
その体勢の意味を知らないのであろうトシは、ますます機嫌を良くし、
(ああ~、天使さまは美しいぜ~。だはは! 見たか嬢ちゃん! これで毎日、天使さまの御顔を拝めるんだぜ? 俺のアプローチは成功、賭けも俺の勝ちだ! ガハハハ!)
(う、う~ん……。結果的にはそうだが……タツ……ごほん、トシさんはこれでいいのかなぁ……)
こうして、(理由はどうあれ)陽菜先生と毎日会える権利を得たトシ。
まるで納得いかない様子の笑海をよそに、彼の恋路は一つ、その形を変えたのだった――。
おわり。




