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猫又変化

 ある日、私は、人になれることを知った。


 猫としてのんびりと暮らして、世の中すべてに霞がかかったようにしか見えない低い認知力のまま、自分の死さえ意識せずに世を去るのだろうと、今にして見ればそう思っていたのだが、ひょんなことから、人に変化へんげしてしまった。


 その理由が何だったのか、いまだにさっぱり分からない。


 ただ、人になってからその有り余る頭脳の処理能力を活用して調べてみたところ、老いた猫は猫又になることがあるのだという。


 それは伝承以下の妄想に類する荒唐無稽な作り話としか思えない妖怪伝説なのであるが、ともかく、私自身は、猫の身から人の身へと変化することができたのだから、間違いなく猫又とは実在するものなのだと、ここに記しておく。


 と言って、これを読んでいる諸君がこの手記を信じるかどうかは、諸君の常識に任せたいと思う。信じたくなければ信じなければよい。


 私がそう言うのには、一つ、理由がある。


 もし私が猫で、それが人に化けたのだとすれば、この世から猫が一匹消え、人が一人増えているはずである。


 ところが、どうやらそうでは無いようなのだ。


 私の元の姿である猫は、どうやら最初からいなかったことになっているらしい。


 そして、私の今の姿である人は、どうやら最初からいたことになっているらしいのだ。


 こういうファンタジーはよく聞く。


 ある人物が最初から存在しなかったかのように消してしまう魔法、のように。


 まさか自分がそのようになっているとは思わなかった。


 だが、そうは言っても、私自身は、人になったその日以降の記憶しか無い。正確には、その日以前の猫であった日々の記憶は、ひどくぼんやりとしている。


 猫は、脳の容量が小さいから、複雑な思考をし、込み入った記憶を蓄えるようにできていないらしい。そこからそのまま人間に変化したのだから、当然、ぼんやりとした記憶しか持っていないのもうなずける。


 私の猫としての記憶は、確かにこの家から始まっている。


 最初の記憶は、暖かいベッドの上だった。それから、ベッドから机に飛び乗り、今思えば机の上のものにいろいろといたずらをして、それから飛び降りたことを覚えている。なぜかその辺りの記憶は妙に鮮やかだ。


 それから、のんびりした猫の日々を過ごした。


 ねだればご飯が出てくるし、甘えれば全身を撫でてくれる。


 人間とは便利なものだ、というような確信の記憶がある。もちろん、ご飯やマッサージをしてくれているものを、概念上他のものと分離して『人間』と認識できていたわけではない。何度も言うが、猫は頭が悪いのだ。こんな形でこんな動きをするものに対してひと鳴きすればご飯が出てくる、心地よい、そんな、感情的なぼんやりとした確信。


 人になってみると、猫ながらにそのような確信をしていたことに驚く。


 そういえば、常に誰かの後ろをついて歩いていたような気もする。今思えばあれは『飼い主』だとはっきり分かるのだが、猫のときは、『特に便利な何か』だと思っていたように感じる。私が持ち歩ければそれに越したことは無いのだが、なにぶん相手が大きいものだから、相手の動きに自分を合わせてやっていただけだ。


 猫とは身勝手なものだ。人になって改めて思う。


 さて、そしてもう一度、猫又伝説を思い返す。


 どうやら、猫又は人の姿を取るとき、その人を食うのだという。


 食った人に変化できるのだという。


 とすれば、私も、この手鏡に映った男を食ったのだろう。


 悪いことをした。


 しかし、『飼い主』では無かったように思う。人の顔をはっきりとは記憶していないが、なんとなく雰囲気が違う。


 せめて、この男の代わりに、人の世を暮らし、この男の家族を落胆させぬよう、気を使うとしよう。


 さて、ではどうしようか。


 この男になりきるには、この男のことを知らねばならぬ。


 あまり気にせずに机の前に座り、使っていない日記帳にこのようなことを書き始めてしまったが、このような日記帳が準備してあるということは、もしかすると、この男も同じように手記をつけていたやも知れぬ。それを探してみるのがまず第一歩であろう。


 机の引き出しを漁ってみると、それらしきものを見つけた。


 しかし残念ながら、去年の年号が書いてある。おや、私は年号というものも理解しているようだ。


 一年前であろうと、ともかく、この男のことは多少は分かるだろう。


 日記帳を開くと、このように書いてある。


***


一月一日

 今日から日記をつける。なんの役に立つか分からないが、ともかく、私に何かあったときに役に立つかもしれない。


***


 ずいぶん後ろ向きな動機の日記だ。何ページかめくる。


***


三月十二日

 十日ほど飛ばしてしまった。特に何も無い。いつものように仕事に行き、同居している弟と時々、飲みに出かけたくらいだ。


***


 弟と同居しているのか。もし今もそうなのだとしたら、話を合わせるのが大変だ。


***


五月三日

 帰省中は日記帳を忘れた。実家で久しぶりに飼い猫に会った。弟が、うちでも飼いたいと言い出している。出張の多い仕事のくせに。その間面倒を見るのは誰だと思っているのやら。


***


 おやおや、これはもしや、この私の由来が記されているのではないか? 興味深い。


***


五月四日

 弟とペットショップに行く。だが、人工的に繁殖された猫はやはり生気に欠ける、そこらで拾った猫の方がマシだ、などと言う。つくづく、猫マニアの弟だ。


***


 どうやら、この弟が、『飼い主』に間違いなかろう。ずいぶんとかわいがってもらった。その恩返しが、兄貴を食うことなのだから、大変申し訳ない。ここ数日帰宅していないようだが、帰ってきたら、せめて、兄を失ったと気付かれないよう、精一杯演技せねばならぬな。


 そのページの続きは真っ白。どうやらここで日記に飽きてしまったか。


 そう思ったが、その次のページに何か書いてあるような気配がある。


 ページをめくる。


***


 今日、わたしはねこになれることをしった。ねことはメんどなもので、ペン一つもつにもくろうする。しかもすこしズつしこうガニブる。しこうカノコっているうちにしるしておコうとおもう。とうやらねコハさいしょからいタコとにナっていてわたしダったひとガいナくナっているヨうだ。ダガコレでオとうとノキボうヲかナエてやレル。しバらクネコでいてやろう。いチネンホど。


***


 ふむ。実に単純な事実だった。最初からそうだった。私は馬鹿か。


 そのとき、階下から私を呼ぶ声が聞こえた。


「兄貴ー、今帰ったぞー、いやー出張疲れたー。いるかー」


 ああ、と答えながら降りる。


「それよりさー、友達のところでもうすぐ子猫が産まれるんだってさ、なあ、いい加減に猫飼ってもいいよな、ちゃんと世話するからさ」


 まあ、いいか。あんまり甘やかすなよ?


「まじかー! やったー、ついにうちにも猫が!」


 ま、こいつならうまくやれるだろう。『特に便利な何か』になれる素質はありそうだ。

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