乱雑実験
この実験装置は、僕の趣味のようなものになりつつある。
乱雑さ、とでも表現するしかないが、そういうものを観察するために作った、新しい実験装置。
実験を始めてからまだそんなに経ってないから乱雑さは顕著ではないが、いずれ、乱雑さが勝ち始め、最後には混沌が訪れるだろうと思う。今は、完全に乱雑になる前の過渡期の珍現象が起こっている、まさにその最中なのだ。
僕がそんなことを考えながらデータを取っていると、先生がやってくる。
先生は偉大な研究者であり、製造者。
驚くほどたくさんの新理論を考え出し、数え切れないほどの新製品を世の中に送り出してきた。
それらは、決して壊れず、少なくとも保証期間内にはいかなる保守も必要ないという優れものばかり。
この学校でも上位三人までしか先生に師事する権利が無い、と言われるほどの熾烈な競争を勝ち抜いて、僕は先生の研究室に在籍することができた。
でも、そんな僕が作っているのは、自ら劣化する実験装置。
先生も最初は呆れていた。
「どうだね、その新しいやつは」
でも、最近は少し興味を持ってくれているらしい。
「まだはっきりとデータにはなりませんが、進んではいますよ」
「そうか、そんなものを作ってみようとも思わなかったから、実は興味深いのだよ」
「光栄です」
僕は返礼しながら実験装置を覗き込んだ。
先生の装置は、最初に作ったとても綺麗な組織が、決して壊れず、それでいて、とても規則正しく美しく動き続ける芸術のようなもの。
それに対して、僕の装置は、すでに醜く変貌しつつある。
あちこちで黒い塊が凝集し、小汚いしみを作っている。それが、いやらしく変動している。
毎回その様子を写真に収めるのだけれど、なかなかに不気味で、これはこれで、確かに面白い。
「乱雑さが増し続けるように設計するとは、面白いことを考えたものだ。だからこそ、そのような醜いものができる」
辛らつに聞こえて、案外それは賞賛の言葉でもあったりする。
「先生は、これの微小部分の観察をしてみたことは?」
「無い」
確かに見せた記憶は無い。
「だったら、ご覧ください。面白いことが起こっていますよ」
「どれどれ」
実験対象の物体の非常に小さな部分を見ることができる特別製のスコープを用意する。
そこから覗くと、汚いしみの中に、綺麗な球形のものが結構たくさん浮かんでいることが分かる。
「ほう、この球は?」
「意外なことに、自己組織化したのです」
「面白いな、通常はそのようなことは起こらん。乱雑さを増すように設定したことが、そんな効果をもたらすとは思わんかったよ」
「特に面白いものを見つけたのです。先生、僕が今から入力する座標にあるものをよく見てください」
そして、前回観察したときにメモしておいた座標を手早く入力する。スコープの先端はすぐにその物体を拡大表示できる位置に移動する。
「ふむ、同じような球体だな」
「拡大します、その表面をよくご覧ください」
僕はもう一度操作して、倍率を上げる。
「ほう、綺麗な球体というわけでもないのか。ここまで醜いものは初めて見た」
先生の言う通り、その球体は、綺麗に丸まるでもなく、表面はでこぼこのままで、さらに、ずっとぐねぐねと動き続けている。
「乱雑さが増し続けるので、平衡状態になるまで、ずっとその妙な動きは続きますよ」
「製品にはならんが、面白いな」
「そうでしょう、さらに倍率を上げます」
そこから、さらにぐっと倍率を上げる。スコープの解像度の限界に近いところまで倍率を上げると、さらに面白いものが見えてくるのだ。
「……同じような形をしたものが、表面上を行ったり来たり……増えたり減ったり……」
「実のところ、それは、自らの意思を持っているように見えるのです」
「たかが物質に意識など芽生えまい。しかし、そのように見えるものを作ることは可能かも知れん、そういうことだな。だが、その条件は――」
「――ええ、乱雑さが増え続けること、です」
そして、もう一つ思いついて付け足す。
「しかし、残念ながら、乱雑さが限界に達すると、この中の活動は止まる、と僕は見ています。この小さな独立組織も。同じものを見ようとしたら、ゼロから作り直すしかありません」
「ふむ、面白い、君、論文を書きたまえ」
先生の言葉に、僕は当然うなずく。最初からそのつもりだったから。
「はい、先生。でも、もう少し観察してから」
「ほう、それはまた、どういう?」
「――どうやらこの小さな独立組織は、自分たちの『宇宙』が、乱雑さの増加から逃れられないと気付きつつあるようなのです」