新人研修
松原総合警備株式会社の、新年度の第一日目。
と言っても、この会社の年度は不定期だ。
明日が新年度だといえばいつでも年度末が訪れる。
この会社への就職が内定した芝原勝義のもとには、内定受諾の翌日には、大学からの学位授与証が届いていた。
一体世の中のどんな権力が絡めば一私大の期中卒業なんていう無理が通るのかと首を傾げるしかなかったが、しかし、松原総合警備の真の姿がその無理を通していることは間違いなかった。
松原総合警備は、地球防衛隊だったのだ!
……この一フレーズを入社前日に何度も反芻したが、やはり腑に落ちない。
悪の組織が世界征服をたくらんでるので、それを阻止するのが目的です。
あっさりとそう言われても。
何かの罰ゲームとしか思えない。
こうして出社した今になっても。
そして、芝原が強引に内定受諾させられた午後には、同じく無茶を通された被害者がいたようで、それは、彼の隣にちょこんと座っている。
集合してすぐにお互いに自己紹介した。
彼女の名前は、都留教子。
トンチ問題のような面接ですっかり乗せられて、地球を守ることを宣言させられたという経緯まで全く同じだった。
水泳をやっていたという引き締まった肉体、上背はそれでも160に満たないだろう。胸もちょっとかわいそうな感じだ。
そんなことを考えていると、その小さな会議室に、一人の男が入ってきた。
見たことがある。
「こんにちは、先日の今日であわただしかったね、まずはリラックスして。今日から新人教育の教官を務める、前田です」
そう、確か、採用面接のときに黙って座っていた男だ。
あごに無精ひげを蓄えているところがいかにも社会人に向かなさそうな風貌だと思っていたが、秘密結社の一員だと言われれば何でも許せそうになってしまう。
そんなことを思っていると、都留が黙って右手を上げた。
「都留さん、なんでしょう?」
「早速質問で申し訳ありませんが、悪の組織とか世界征服とか、どこまでが本当なんですか?」
さっきの雑談でもキツめの女の子だな、とは思っていたが、いきなり厳しい一手を放つ。
「すべて本当です。ただ、まずは最初から講義を聴いて欲しい。そのあたりのことは、順を追ってと明らかにします」
「順を追わなければならない理由は?」
「ええ、特にありません。ただ、しっかりと真実と使命を飲み込んでいただくためには、順番は重要なのです」
前田はにこにこと笑いながら、都留の先手を封じた。
「では、まず――地球防衛隊。我々のことです。どのような組織かと言うと――」
彼はそこから、いくつかの投影資料を駆使して、地球防衛隊のあらましを伝える。
花形は、もちろん、ヒーローだ。
最前線で悪を討つ。
ただ、彼らの活躍の裏には、たくさんの人々の苦労が隠れている。
基地や車両や航空機や武器を整備する整備員が最大の人数を持っている。
整備本部の本部長の上に、警備隊長。先日の迫谷のことだろう。
一方、警備員という職種も存在する。
警備員と言えば聞こえはいいが、要は兵隊だ。
ヒーローの乗る乗り物の操縦だとか、とるに足らぬ敵兵の足止めだとか、変身中の周囲の警備だとか。
それから、購買部門、人事部門、システム部門などが名を連ねる。
いずれも、一つでもかければ組織が崩壊する重要な部門だ。
たった五人のヒーローは、総勢数千名に及ぶこの大組織のバックアップで動いている。
芝原と都留は、まさにそのヒーローに抜擢されたのである。
「――というのが、地球防衛隊のあらましです。では続けて、我々の対向組織の紹介をしましょう」
「それは、悪の組織、というやつですね」
芝原が確認すると、前田はこくりとうなずいた。
「さて、彼らは、世界を征服しようとしています」
「待ってください、なぜ、『世界征服』なんですか」
「さあ、なぜでしょう。彼らの心理まで分析できているわけではありませんから」
相変わらずにこにこと笑顔を崩さない前田。
「どんな手段で?」
「それもその時々によって異なるので一概には。たとえば、小学校の給食に洗脳薬物を混入して小学生を悪に染めようとしたり」
「しょぼっ」
芝原と都留は声をそろえて突っ込む。
「彼らの目的は本当に世界征服なのですか?」
「ええ、それは間違いではありません」
「なぜそう言いきれるのですか?」
「彼らが、世界征服するとたびたびおっしゃっているので」
敵相手に敬語はどうよ、と芝原は心の中で突っ込む。
「――では、世界征服は、悪、なのですか?」
都留の核心を突く質問、それでも前田は笑顔を崩さない。
芝原も思わず乗り出す。
「彼らがもし平和的に世界を統べようとしているのなら、下手に刺激せず放っておくという手もあるのではないですか」
「さて、それはいかがなものでしょう。何しろ、彼らは悪の組織なのです」
「そこです、彼らが本当に悪とは言えないのではないですか? 善悪なんて相対的なものでしょう?」
さてもしや、都留の専攻はディベート論か何かだったのかな、と芝原は思う。
「では、先ほど申し上げた、小学生を洗脳しようとした件は? こちらはきちんと証拠もあります」
前田は笑顔を崩さずに逆質問する。
「洗脳の結果、規則正しく規範的な生活を送る善い社会人となる可能性もあるでしょう。とすれば、それは、社会善ではありませんか」
「なるほど。でも、それを確認することはできませんね。なぜなら、彼らの作戦は失敗したのです」
「確認もせずに、彼らを悪と決め付けてよいのでしょうか」
「彼らが悪であると断じる、決定的な理由があります」
前田は、きっぱりと言い切る。
「そ、それは」
思わず芝原が訊き返す。
「それは」
言葉を切る前田。
そして、口を開く。
「我々が善だからです」
芝原と都留の口は、あごが外れたように閉じなくなってしまった。
「善である我々が敵と認定したから、彼らは悪なのです」
あんまりだ。
……とは思うけれど。
さっき、都留自身が指摘した。
善悪なんて相対的なものだ、と。
自分が善であると信ずれば、相手は悪なのだ。
他に証明する方法はないし、証明は必要さえない。
「我々は平和的に誰も傷つけず今の世界の秩序を守る。そのために、我々もどんどん世界中に拠点を広げています。世界中の街を影から支えています。市長や議員にも有意義な助言をして、悪の組織を駆逐し我々の勢力を拡大し、そこに住む市民は安心して平和に規範的な生活を送っています。だから、我々は善です」
「あ、あのぅ、お伺いしますが」
芝原はおずおずと口を開く。
「はい、なんでしょう」
「も、もしかして、世界征服をしようとしているのは、我々なのでは……?」
その質問に、前田は初めて笑顔から真顔に戻り、何かを思案した。
「……なるほど、面白い視点です。世界の平和を守るために、我々こそが世界征服する。ふむ、確かにそれは面白い。隊長に上奏しましょう。ただの研修だと思っていましたが、貴重な意見が聞けてとても有意義でした。本日の講義は以上としましょう。他に質問は?」
もちろん、芝原も都留も、それ以上の質問など、しようが無かったのは言うまでもない。
***
その晩。
「どうだね教育は」
「完璧です」
「では彼らは、我々の善性を」
「ええ、一ミリも信じていません、我々こそが征服者ではないかとさえ口にしました」
「よろしい。自分こそが善だと勘違いされることほど面倒なことは無いからな」
「ええ、彼らは、せいぜい給料分は働いてやろうと考えているでしょう」
「毎度ながら、君の教育手腕には舌を巻くよ」
「恐縮です」