機械世紀
この戦争がいったいいつから続いているのか、俺は知らない。
はっきりしているのは、これがひどく不均衡な戦争だということだけだ。
俺たちが相手にしているのは、『機械』だ。
人間を攻め滅ぼそうと寄せてくる機械の軍団を、非力な人間たちが退けようとする戦い。
機械たちは、圧倒的な物量と堅固な装甲と、何よりも文字通り『命を惜しまぬ精神』で向かってくる。人々は、小銃と携行ロケット砲と、いくらかの重装兵器でそれに対抗する。
機械たちは、破壊しても破壊しても次々と攻めてくる。前線は徐々に後退し、いくつかの補給拠点さえ捨てざるを得なかった。
もちろんただ押されるばかりではない。知恵を使ってそれを食い止めようという試みは多い。たとえば、彼らは、無線周波数を使った通信をしている。その周波数をジャミングすれば彼らの行進は止まるだろう。事実、それが成功した事例もあった。
だが、彼らはそれをあっさりと克服した。ジャミングすると同時にそれをひらりと避けるように周波数や通信方式を変幻させるのだ。我々のジャミング局の最大電力をもってしても、最終的にはジャミングが成功する確率は1%未満になった。
彼らは明らかに学習しているし、ある意味で我々よりも深い知識を持っているかもしれない。
だが、負けるわけにはいかないのだ。
人類が生き残るために。
――右方に現れた四足の歩行戦闘機械に気付き、小銃の引き金を引く。同時に敵も撃ってくるが、その弾丸は鋭い音をたてながら俺の耳のすぐわきを通り過ぎていく。反射的に体を引き、朽ちかけたビルの壁に身を隠す。
息をひそめると、まだガチャンガチャンという音が聞こえる。
歩行戦闘機械は比較的装甲が薄い。急所にさえ当てれば小銃一発で倒せるのだから、人間を相手にしているようなものだが、混乱した戦場ではその一発の命中が難しい。
腕だけを出して再びオートで弾丸をばら撒く。
激しい銃撃音の中に、聞き慣れたパチンとはじけるような音が聞こえてくる。
小銃の弾丸が歩行機械の四肢の一つを捉え、その弱点、関節の油圧パイプを吹き飛ばした音だ。
じっと耳を澄ます。
不快な金属の足音は完全に途切れている。
恐る恐る顔を出すと、倒れた歩行機械。構造を簡易にするために油圧系統が一系統しかない歩行機械は、一か所関節を吹き飛ばせば銃口を動かすことさえ出来なくなる。人間を相手にするより、この点だけは容易かもしれない。
――そのすぐ後ろに新手が現れる物量を除けば。
***
ほぼゲリラ戦の様相を呈している戦いで、俺は結局取り残されてしまった。
ほとんど放棄されたその小さな町の中心部、弾痕だらけの小さなビルの中に逃げ込んだときには、すでにそのビルは半ば包囲されていた。
俺に残された道は、たった一人で、ざっと見て二十はいる歩行戦闘機械をなぎ倒して脱出するか、見事に玉砕するか、降伏するか、その三つしかないだろう。
そして結局、二十以上の戦闘機械を一人で抜くほどのヒーローではない俺に残された選択肢は少ない。
人類を守るために志願したとは言え、何ともあっけないものだ。
――一人飛び出して一台でも多く道連れにするか?
――否。
それは単に敵の資源補充ルートにわずかな負荷をかけるに過ぎない。
降伏が潔いとは言わない。
だが、もしその可能性があり、そして、それによって俺が生き残り、将来また機会が得られる可能性があるのなら――つまり、期待値の問題として、俺が無事に帰還して再補給し、再び戦った方がより高い戦果を得られるのではないだろうか。
降伏しよう。
そう決めると、気分が楽になる。
どうせ降伏するのなら、武器を置き、ただ息をひそめていよう。
小銃を投げ出し、その場に胡坐をかく。
やがて、四足の機械が金属と硬質ゴムの足音をたてているのが聞こえるようになる。階段ホールで響く音が、廊下を右に左に行き来する音に変わる。
そして最後に、俺が隠れていた小さな部屋の戸が、強引に引き開けられた。
即座に銃口が向けられたが、火を噴くことは無かった。それは、俺が武装解除しているからだろうか。彼らにそういった判断が果たしてあるものだろうか。
「降伏する」
俺は彼らが人間語を解することを期待して口にする。
ザッ、ザッ、と小さなノイズの後に、
「降伏を認める、両手を見えるように前に出しなさい」
と、流暢な英語による言葉が聞こえてきた。
結局、その声を聞いて俺はほっとしたのである。
***
運転席のない装甲車に乗せられて、捕虜収容所のような場所に連れられてきた。
オイルやエタノールを主食とする彼らに、人間の食事が準備できるものだろうか、と心配したが、人間のための缶詰が俺の食事として供された。
次の心配は、味覚のない彼らが、人間の耐えうる味付けを施しているだろうか、というものであったが、結局のところ、それは飛び切りに美味かった。とは言え、彼らに味覚が理解できるのかどうかをこれで結論付けることはできない。人間の体が欲する栄養素を完全なバランスで配合することで味も完全なものになる、単にそういうことなのかもしれない。
俺のように捕虜になったものは、少なくとも俺の視界の中に入ってくることは一度もなかった。無味乾燥な樹脂造りの巨大な箱は、どちらかといえば機械たちの休息のための舍なのだろうか、と思い、それから、いったい機械には燃料補給以外の休息など必要なのだろうか、と考え付く。しかし、俺が放り込まれた小部屋以外には、確かにいくつかの戦闘機械が休んでいたのである。
数日を過ごし、六輪で動くほぼ円筒形の機械がやってきたとき、俺は暇をもてあまして靴底についてきた泥で壁に絵を描いていたところだった。
「こんにちは。――捕虜収監の宿舎にはレクリエーションが必要ですね。今後考慮しましょう。……さて、あなたに選択肢を持ってきました。このまま戦争が終わるまで捕虜として過ごすか、いっそ我々の国に亡命するか――我々は、歓迎する準備があります」
彼が突然言い出したことは、俺にとっては想像だにしないことだった。
捕虜として戦争終結まで過ごすのはいい。いずれ脱走でもしてやろうと思っていた。
だが、亡命とは。
人間が機械の国に亡命?
あまりにばかげた考えに、俺の口元はついついこみ上げる笑いでゆがんでいた。
「君たちは俺を、敵である人間を受け入れるというのか。確かにあの完璧な食事を見れば、その提案は魅力的かもしれないが、それで今度は俺に、俺たちの国を滅ぼす手伝いをしろと言うわけだろう?」
俺は皮肉をこめた声色で言う。
「……それが嫌なら、別の仕事も準備できます。もちろん職業訓練は必要となります。ですが確かに手っ取り早いのは、軍属です。その選択権はあなたに与えたいと思います」
そのやや同情めいた機械の声に、吐き気がする。
人間の感情を上っ面で真似る機械ども。
いくら声色を真似ようとも、貴様らには生まれ持った感情などあるまいに。
だが、彼らの国をこの目で見る、という好奇心は、俺にその新しい選択肢を選択させようとしている。
そうとも。
もし彼らの世界に行き、彼らを統率する何かを見つけられれば。
それさえ破壊すれば、すべてが終わる。
この人類対機械の戦争は、俺の手で大逆転するのだ。
であれば、亡命を受け入れ、なおかつ、軍属を選ぶのが最短の近道に違いない。
このアイデアのひらめきからくる顔色を隠すべきか悩んだが、彼らが何らかの感情エンジンのようなものを持ち人間の感情から何かを読み取るすべを知っているのかもしれないと感じた俺は、口元が緩み頬が上がりそうになるのを必死でこらえ、生気のない顔で答えた。
「……亡命を、させてくれ」
***
何台かの六輪機械と歩行機械に案内され、きちんとした座席の用意された航空機で数時間、それから一度乗り換えて再び数時間、という旅程で、俺は、機械の国に着いた。
窓も何もないただの輸送機らしき飛行機から地上の様子は分からなかったが、降りたときに見えた光景は、鉄条網で囲まれた広い広い軍事基地、そしてその鉄条網のはるかかなたにかすんで見える、驚くほど高いビル群で、まさに彼我の文明力の差をまざまざと実感させられた。
なぜ機械たちがあれほどの文明を築く必要があるのだろうか。
そもそも、なぜ機械たちは俺たちを敵視して攻め込んできたのだろうか。
それには関係があるのかもしれない。
機械の『叛乱』は、ある種の拡大欲求を植えつけられたたった一台のコンピュータの暴走なのかもしれない。
だから、ただひたすらに同類を増やし続け、それらが住まう土地、それらを動かす燃料、それらを生み出す資源を求めて、地上のすべてを制覇しようとしているのかもしれない。
とすれば、彼らはいずれその高い技術力で、宇宙に飛び出して行き、全銀河にさえ拡がるかもしれない。
おそらく生身の人間には決して不可能な、知的存在の宇宙への拡大。
もしかすると、それこそ最初から運命付けられていたことなのかもしれない。
例えるなら、ネアンデルタール人がより知性的で丈夫なホモサピエンスに駆逐され、とって代わられたように。
俺を亡命者として受け入れたのは、彼らのせめてもの罪滅ぼしだろうか。彼ら自身が気付いている彼らの究極の目的のために滅ぼさねばならない種族に対する憐憫の情に過ぎないのだろうか。
やがて、再び小さな樹脂の部屋に案内される。
亡命の手続きが終わるまで、ここで数日待機しろとのことだった。
ここで俺は、缶詰ではなく調理された料理――やはり飛び切りに美味いそれ――を味わいながら、非常に古い娯楽雑誌やパズルをあてがわれて、五日間を怠惰に過ごした。
***
待機の間に何度か行われた面接――それは単に閉じ込められていた部屋のインターホンを介した会話に過ぎなかったが――で、俺は軍属となることを承諾していた。
軍属になれば機械たちの決定的な弱点を見つけることが出来るかもしれない、という当初の目的があることもさりながら、人類の未来を想像するに襲いくる悲壮感に、他の選択肢を検討する気力さえ湧かなかった、というのが本音だった。
紙に印刷された基地内地図が六輪機械によって運ばれてきて、それから、俺を閉じ込めていた樹脂の箱の錠が開放された。
紙に書かれた指示に従い、俺は基地内を進む。
進みながら同じく記されている俺の最初の任務を確認すると、補給任務のようだ。それは当然だろう。生身の俺を前線に出してもたいした役には立つまい。
たどり着いたのは、背丈より少し高い程度の小さな扉だ。
俺は意を決して扉を開ける。
そこには、ゆったりとしたすわり心地を約束する滑らかなカーブを描く大きな一人がけチェアがあった。その前方には、幅の広いモニターが横に三つ連なり、手前にいくつかのレバーとハンドルのようなものが見える。
恐る恐るその椅子に座ると、モニターが点灯し、そして――人間の顔が映った。
***
「ようこそわが国へ。亡命手続きと軍属処理が完了し、君は晴れて今日からわが軍の兵士だ」
モニターの中の人型のそれは、自然な動作で笑顔を浮かべてみせる。
「――これはいったい何だ? それに、その悪趣味な人間の顔を模したインターフェースを何とかしろ」
本当はつばを吐きかけてやりたい気分だった。
おそらくその『顔』は、俺の上官を意味するのだろうが、それにしても、わざわざ人間の顔をこれほど精緻に再現する必要があるだろうか。機械なら機械らしく声と文字だけで説明すればいいだろうに。あえて人間の情緒を刺激するとは、悪趣味にもほどがある。
「……君はまず上官への口の利き方を覚えるべきだな。それに、これは私の生まれながらの顔だよ、悪趣味とまで言われるほどひどい顔だとは思ったことはなかったが……ふむ、言われてみれば妻にもハンサムと言われたことはなかったな、少し美容にも気を使おう」
彼はそう言ってから口をあけて笑う。
こんなくだらないジョークまで使いこなすとは。
頬が痙攣し背筋がびりびりするのを感じる。
「――そうか君は私を機械が作り出した幻影だと思っているのだな、少し荒療治が過ぎたか」
「荒療治……なんだと?」
俺が問い返すと、彼は再び微笑んだ。
「私は人間だよ、君と同じ。軍隊の士官などをしていれば『心無き機械のような』という形容詞をつけてもよかろうがな」
再びのジョークだが、しかし、俺の中に疑いが生じている。
彼は人間なのか? 機械なのか?
混乱が度を深める。
あるいは、俺と同じような亡命者なのか?
「どれ、面倒だが、顔を見せてやろう」
彼が言い、それから、画面がぷつりと真っ暗になった。
そして混乱の中数分を待ったとき、後ろの扉が開く。
そこには、画面で見たのと全く同じ顔を持つ――生身の人間が立っていた。
「これで信じてくれるかね。私は人間だ。……やれやれ、かの国の恐怖教育がこれほどまでとは思わなかった。君は、本当に、機械の国を相手に戦争をしていると思っていたのかね」
確かに人間だ。
そして、俺たちが相手にしていたのも――人間の国だった?
「右脇にキーがある、始動したまえ」
まともな思考力を奪われた俺は気付かぬうちに彼の言葉に従って、始動キーを回していた。
とたんに、前方三面のモニターに、どこかの風景が映る。見たところ、軍事基地だ。
「それは、これから君に担当してもらう補給車のモニターだ。場所は、君が元いた国の首都から約四十キロメートル、ほとんど最前線に近い補給基地だ」
「これはその……この補給車には誰が?」
「誰も。ただ物資の上げ下ろしをする機能のついた無人の補給車。そら見ろ、作業ロボットが早速補給資材を持ってきた」
モニターの中に、一台のキャタピラ機械が映っていて、それが、大きな箱を抱えている。画面上のその機械の上には、いくつかの数字と文字がオーバレイ表示されている。
「10780番、ロイ・マクレーン、おう、ちょうどこの三つ向こうの部屋であのロボットを操縦しているやつだ、あとで握手でもしておけ」
あのロボットも、誰かが操縦している。
では、戦場で戦った歩行戦闘機械も装甲車もすべて――遠くから操縦されていた?
俺たちが戦っていた相手は、ただ遠隔操縦された兵器に過ぎなかったのか?
「わが国では人的損失に対する市民の風当たりが強くてな、戦争をするにしても、もはや前線に生身の兵士を送るわけにはいかんのだよ。だから、こうして遠隔操縦する。現地で兵士が操縦するより数段戦果は落ちるが、仕方がない」
これはもともと、人と人の間の戦争に過ぎなかった。
「俺たちはいったい何のために――」
俺は思わず漏らした。
人類の生き残りのためという、今思えばプロパガンダに過ぎない言葉を信じて戦っていたのに。
「……君はどのようにこの戦争を捉えていたのかね」
同情の混じる彼の問いに。
「……人類を守るための戦いだと。叛乱を起こした機械たちが人類を滅ぼそうとする侵略に抵抗しているのだと」
俺は答えたが、その言葉のあまりの虚ろさにめまいがする。
「……君たちの国は、十数年前、内戦を起こし、資源獲得のために国境を越えた一派だ。あらゆるインフラを破壊し、情報的にも遮断され……それでも隣国での虐殺をやめないことに業を煮やして、わが国が出張った。あの小さな領域で、実に上手くゲリラ戦をやるものだよ、彼らは。長い年月だったが――それもまもなく終わるだろう。彼らを妄信から救うためにも、協力を頼む」
彼の言葉に、俺は思わずうなだれた。
彼の言葉は真実だろうか――真実だ。
そうでしかありえなかった。
俺の知る、あの国のあらゆる状況に合致している。国境や世界地図など考えたこともなかった。あの国の領域外の地表はすべて機械に支配されてしまったと信じきっていた。
ああ、そうではなかったのだ。
「――もう少し時間をかけるべきだったな、この補給車の任務は他のものに任せるから、今日はもう出たまえ。君はもう正式なわが国の市民だから、基地の出入りも自由だ。外を見てきたまえ」
***
基地を出て、町への連絡バスに乗る。何人もの『人間の兵士』が乗っている。
町の大きなターミナル。
平和な町、人々が行きかっている。
時折、戦争のことが気になってニュースが流れる電光掲示板を見上げるものがいる。
だが、それを除けば、俺が見たことないほど平和な世界が、そこに広がっている。
歩きながらどこかに電話をかけている若者。
飛び跳ねながらアイスクリームをなめる少女。
ベンチに座って鳩と戯れる老人。
高度に洗練された文明と科学は、すべて、この人々が作り、支えているのだ。
俺が自らの双眸から涙が落ちているのに気付いたのは、たっぷり二分半がたってからのことだった。