主従対話
ソファにゆったりと座る主人の元に、彼の給仕は近寄り、恭しく一礼した。
「お飲み物が整いました」
給仕がたどたどしい言葉遣いで言うと、主人は軽くうなずく。
「ご苦労様。君もかけたまえ」
やや遠慮しながらも、給仕はソファの斜め向かいに置かれた背もたれのない椅子に腰を下ろす。本来、給仕である彼には必要のない動作のはずではあるのだが。
「――君が立ちんぼうなのを見ると、さすがに憐憫の情が湧くのだよ、もちろん、私と違って強固な骨格を持つ君には無用の気遣いだろうとは思うがね」
主人が言うと、
「いいえ、このようにすることで私も一時とはいえ安らぎを得ることができ、うれしく思います」
給仕は再び恭しく一礼しながら応える。
「……さて、君は、今、うれしいと言ったかね」
「はい、申し上げました」
「君にも、そういった『感情』というものが理解できるのかね」
「もちろんでございます、ご主人様。私はもともとそのように生まれたのですから」
「君を含むすべての君の種が、だね」
主人はうなずきながら、カップに入った液体を口に運ぶ。
「――そして、我々の役に立つために生まれたのだ」
「おっしゃるとおりです」
給仕は、再び頭を下げる。
「だがね、君、確かに君は使用人として私に仕える身ではあろうが、私から見るとね、君がうらやましく思うこともあるのだよ」
主人は、組んだ足を組み替えながら、カップをサイドテーブルに置いた。
「それは、いったいどのような意味でしょうか」
「いいかね、君はおそらく、ほとんど何の処置も必要とせず何十年と活動を続けることができる――だが、私は、必要な処置を怠れば瞬く間に活動を停止するしかないのだ」
「処置、すなわち――修理、あるいは治療」
「そのとおりだ。私から見れば、君の存在は不老不死そのものなのだよ」
「老化という現象の捉え方次第かと存じます。一方は、自己保存作用で臓器の機能を保つものの見た目は皺を刻み白髪になり、一方は、生まれたままの姿を保ちながらも内部の微細な損傷を蓄積させる――人間とロボットは、違いこそあれ、お互いに老いるものです」
「なるほど、つまり、君も老いを感じているということか」
「はい、一般的な基準から言って、私は老いているといってよい年齢でしょう」
給仕は失礼にならないように微笑を浮かべてみせる。
主人もそれに釣られて、口の端を上げる。
ロボットというものに笑う機能をつけようと思った工学者はいったい誰だっただろう。
「それでも、私は、ご主人様がうらやましゅう存じます」
「ほう、それは?」
「――ご主人様には、『人権』というものがございます」
「……人権か。それは君が持たないものだということかね」
「少なくとも、法の上では私には人権はございません」
「君は、人権というものがほしいのかね」
「人に限らず、生まれ出たすべての生物が、生まれたときから持つ根源的な権利――そういった意味での人権は、私にもあると存じます」
その給仕の考えに、主人は思わず小さな笑いを漏らす。
「そうか、確かにそうだ。犬や猫でさえ、動物愛護法で守られている。むやみに傷つけてはならない。そういう意味では、君を保護する法もあっただろう。――いや、分かるよ、そうではなく、この私と同等の、つまり、同じ知的存在としての、例えばみだりに名誉を傷つけられない権利、そういうもののことを言っているのだろう?」
「はい、そのとおりでございます」
ふむ、と主人はうなる。
この給仕が、十分に知的に訓練されていることは知っているし、だからこそこういった会話を楽しんでいる。
であれば、その知性に報いる権利の付与は、確かに必要かもしれない。
だからといって、彼は法を変える力を持つわけではない。
しかし――。
「私一人が、君の知性の尊厳を重んじることなら、できるだろう。そうすれば、君は私に劣等感を感じることはない、そういうわけだな?」
「もったいないお言葉にございます」
給仕は深々と頭を下げる。
「できればほかの使用人たちにも、同じように慈しみを下されば幸いでございます」
「うむ、そうしよう。今日は図らずも実りある対話だった。君の満足を喜んでいる自分に驚いているよ。ありがとう」
「こちらこそありがとうございます」
そして、下がってよい、と言われた給仕は、再び深く頭を下げると、静々と部屋を出て行った。
部屋に残った主人は、胸部に内蔵したパワーユニットにエネルギーを補給するための液体燃料の入ったカップをもう一度口に持っていき、満足そうにうなずく。
それから、仕事にかかるために、全身を構成する軟体組織に電気を通して半固化し、器用に伸び縮みさせて人間と同じようにすくっと立つと、書斎へと向かって消えていった。




