9・「世界を滅ぼす結果が待っていたとしても」
次話、投稿します。
良い月夜の晩だった。
リオーマンの首都ネジェイデスの城に招かれてその初日。
この先の色々と想定される最悪な出来事とそうでない出来事を並べて整理しつつ、俺は部屋の窓から月をみていた。
この世界の月は大変に大きい。
二つあったり、青かったり赤かったりするわけじゃないが、なんか波が出ているなら大変な数値を出しているだろう。
それで、大猿になるような種族ではないが、エルフとは。
などと感傷気味に思いを馳せていると、アーテがお茶を入れ終わり、茶器がテーブルに置かれる音がした。
「すまんな。
これまで武技一辺倒しか学んできたことが無かったから私には美味しいお茶を入れる知識が無い」
そっと差し出したティーカップは銀製なのか、陶器にはない金属の光を宿す。
陶器って無いのかな?
取り合えずそれを受け取り、にかっと笑う。
「俺もミーニャもそんな上等なものじゃねぇよ」
「……ヴァレビナンは本来、交易を含めてこの国である程度の自治が認められていたんだ。
だが、私の解任劇を含めてここまで強権を発動できるのは、ケイが、貴方がエルフだからに他ならない」
「まー、そうなんだろうなぁ」
「だから……
その、白鳥騎士団で保護していたミーニャやマギーという女性も」
「ああ、良いよ。
アーテはさ。
隊長になるために、すごく努力したんだろ?」
アーテは顔を上げない。
しかし、いつだったか軽く触ったアーテの手も肩も腕も全て女性のそれとは思えない鍛え上げられたものだった。
「俺も、人をほいほい信じちゃうほうだけどさ。
だからって、自分や大切にしたい人たちを守るのに、自分で選択した手段に対して恨み言だけを吐けるほど、温い責任感で生きてきたわけじゃないよ」
そう言って、アーテが入れてくれたお茶を啜る。
ちょっと苦いよな。
葉っぱがきっと多いんだ。
「だから、さ。
アーテには約束して欲しい。
今後。
どうなってもどう進んでも、俺とミーニャとマギーと、後アーテ自身をさ。
守って欲しいんだ。
時に、俺の代わりになっても」
ミーニャが得意にしていた、失敗しちゃったなぁを誤魔化す時のたはは、という笑みを真似てみた。
これは契約魔法じゃない。
けれど、このタイミングではアーテにとって、呪いと言って差し支えの無い、けれどそれと分からないような場面で俺はアーテを引き入れることにした。
「そう、だな……
ならば約束しよう。
知っているか?
この国では約束を交わすときにお互いの頬に口付けを落とすんだ。
も、もちろん、男女問わず、同性同士でも行う、そんな約束の儀式だぞ!」
そうして。
俺とアーテはお互いの片方の頬に口付けを交わし、約束を取り付けたのだった。
ケイが立っていた。
俺だ。
随分と久しぶりにみる夢だ。
前回は幽体離脱かよっ!と言わんばかりに俯瞰で自分を見ていたが、今回は肩が触れ合うか否かの距離で隣り合っている。
ケイが喋る。
その顔は安心しきっていて。
そして嬉しそうでもあったが、少しだけ寂しそうでもあった。
何故そう思ったかは分からない。
でもきっと彼女はそう思っていたのだと確信できた。
ケイの隣には一人の男が立っていた。
ケイを挟んで俺の反対側に居た。
顔は見えない、が相当に色男だということは分かる。
恐らく同じエルフ。
二人を認識すると、途端にその周りが認識されて、そこがお城のバルコニーだということを瞬く間に理解した。
もう一人の男はバルコニー下に居る民衆に対して手を挙げ応えている。
それは、彼の名を告げるコールに、なのか。
分からないながらも、にこやかに応えている男を誇らしげに見つめ、ケイ……俺は、こう言った。
お兄様、と。
ばっと、纏っていた布を跳ね上げるくらいの勢いで俺は起きた。
ちなみに、この世界に来てから、寝るときは大抵裸だ。
え、どうでも良い?
だって、起きるときに身体を起こすとぷるんと揺れる双丘が目の保養になるんだもの!
とそんなことを考える余裕も無い目覚めだ。
本来であれば目の前に展開されたスペクタクルを前に僅か0.1秒でさえも凌駕するプロセスで俺はエロと認識できる景色を目に焼き付けることが出来るのだが。
さておき。
あそこまで鮮明な夢など、たかが夢だよねと高を括ってはいられないだろう。
エリオースが複製した肉体と言ったこのエルフの身体には、ひょっとしたらその元となったかもしれない少女の記憶でも残っているのだろうか。
今となっては誰にも分からないが、これは心のどこかに留め置いて検証が必要だろう。
そう考えながら、枕元に置かれた水差しから一杯の水を汲んで飲む。
このくらいの挙動でも反応していたアーテだが、今は深い眠りに入ったところなのだろう。
隣の控室のようなところで寝ているはずだが起きてくる気配がない。
深夜と早朝の間にあるこの時間に出来るだけ音を立てないよう水差しとコップを枕元に戻すと、俺は二度寝を決め込むことにして毛布代わりの布を手に取った。
その時。
部屋に感じる人の気配。
アーテではない、別の気配。
元の世界で古武術を学んでいた経験は特段無い。
だから気配や殺気なんて感じたりは、元の世界の俺では出来ない。
これはエルフの肌勘とでもいうのだろうか。
アーテであれば尖った一振りの剣のような雰囲気を感じるのだが、もっと柔らかいものだ。
それが、夜這いなのかは判別がつかないまでも。
「アンジェロ様?」
俺は、思い当たる気配に半ば当てずっぽで思い当たる人物の名を呼んだ。
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「……よく、分かったね?」
アンジェロ様確定です。
アンジェロの特徴の一つでもあるボーイソプラノが悪戯がばれたからなのか少しだけ不機嫌そうな響きを持って奏でられた。
「アンジェロ様、夜這いとは随分と大胆なのですね」
ワンサイドゲームであれば探り合いなんて何の意味も持たないのだけれど。
取り合えず、潰しておきたい可能性はこちらからさっさと口にしておくに限る。
「やだなぁ、余はそんなつもりではないよ?」
「お茶を飲みに来るのであればずっと遅いお時間ですよ」
「あいにくと美味しいお茶を淹れてくれるばあやはもう就寝しているんだ」
「あら。
アンジェロ様の御年でももう就寝のお時間かと思いますが」
そう言ってニコリと笑う。
アンジェロは少しだけ困ったような微笑を浮かべていた。
この子は聡い。
王宮という政争が日常行われている世界で聡さが必要だったのだろうが、彼自身ははたしてそれを望んでいるのだろうか?
「ふわあ。
これは失礼。
アンジェロ様。
珍しいお話などはまた別の機会に幾らでもお話できます。
今日はもうお休みになられてはいかがですか?」
わざとらしくあくびをする。
こちらから落としどころを与えてやるのも一つの手だ。
「それとも。
亜人の身なれど、私が一緒に添い寝して差し上げましょうか?」
と、胸元を隠すようにしていた布をめくろうとする。
「あ、ああ、余は……」
あれ、夜這いの線が本当だった?
「余がこちらに参ったのはそのような用事ではないんだ。
すまない、思わず見とれてしまって……
その、何か身に着けてもらったら、余に着いてきてもらえないだろうか?」
ぽーっと頬を染めるも何とか思いとどまってなのだろう、気力を振り絞るようにしてアンジェロがそっぽを向いた。
やれやれと思いつつも、俺は定番のスク水を纏うとベッドから起き上がり、その手を取った。
「それでは、星空の散歩にお連れください」
というか、アンジェロの前では素を出していないのだが、この言葉遣い、ちょっと癖になるよな。
女性は、女性を演じると聞くが、それもまた面白いものだと感じる。
わっち、とか、わし、とか色々とロールプレイングしてみても面白いかなと思いつつ、引かれるアンジェロの手を優しく握り返した。
さて。
星空の散歩と言ったものの。
なんてことは無い、俺が滞在していた白亜の塔を外にも出ずにそのまま上がってきただけだった。
ちょっと恥ずかしい。
星空なんて一つも無かったよ!
それがそもそも予め決めていた手引きなのか、幾つかの階層に設置された扉の前に見張りは無くただひたすら螺旋階段と踊り場を登っていくばかりだった。
幾つかの扉を過ぎた後。
ここがあの塔の天辺だろうという部屋にたどり着く。
部屋の扉をアンジェロが開く。
扉を開くとすぐに、鉄格子が見え。
その向こうに、この世界に来て初めて出会う同族の姿を認めた。
すなわち、エルフ、だ。
申し訳ない程度に開かれた窓から月光が差し込むその部屋で。
緑の髪……だったのだろうか、今となっては随分と色素の落ちた髪の毛と、その中に包まれた、痩せこけた身体。
痩せこけた等の表現はまだ生ぬるいだろうか。
拒食症のような、骨と皮だけの姿に血管が浮き出るようなエルフの耳だけがぴんと立っていた。
この国の。
恐らくは三代目の聖女、とやらなんだろう。
その瞳に既に光は無く。
夜だというのに、ベッドではなく椅子に腰掛けまるで置物のような風体で彼女はそこに居た。
「アン……ジェロ……様?」
呆然と呟く。
この光景を目の前にして俺はただその姿を見つめることしか出来なかった。
同時に深い悲しみの記憶、とでもいうのだろうか。
聖女と呼ばれていたそのエルフの見つめる先にそんなものが投影されているような気がして、俺は無意識に後ずさる。
「この方は、リオーマン三代目の聖女様にて、余が生まれる遥か前からこの国に捕らえられていたエルフ様、なのです」
アンジェロが瞳を伏せて、ようやくと口を開いた。
「余が生まれて、何年かはまだお話も出来て、歌も歌っていただけました。
しかし、この一年。
食事をお取りにならなくなり、言葉も失せ、表情も消えました。
余は一日に僅か半刻も一緒に居られませんでしたが、それでも余は、聖女様のお話が好きだったのです。
エルフ様。
同じエルフ様であれば」
思いの丈をぶちまけようとアンジェロが口早に語りだす。
その思いの全てを、そうして、願いを告げようとするそれを俺は手で制した。
「無理です。
アンジェロ様。
大変、申し訳御座いません。
エルフは、このような石造りの牢獄に閉じ込められては、生きていけませぬ。
エルフは、森や木や水や風、自然の中に居なくては生きていけない種族です」
仮初にこの肉体に封ぜられただけの俺が種族を語るな、とも自戒しつつ。
俺は彼の願いを断らなければいけない、直感が告げていた。
「エルフ様。
お願いです。
聖女様をお救い下さい」
止めたのにも関わらず、真っ直ぐにアンジェロは俺を見てそう懇願した。
その両目が今にも零れ落ちそうな涙を湛えているのにも関わらず、彼の瞳は力を失っていない。
「その為ならば、このアンジェロ・フィンロ・リオーマン、エルフ様に身命を賭すことを、真名に誓います」
クエスト発生の瞬間だった。
茶化して考えてみるが、どう考えてもそんな場合じゃないことも同時に理解していた。
「アンジェロ様。
私の名は、ケイ。
エルフにも名はあるのです。
アンジェロ様。
アンジェロ様が望む願いの先に世界を滅ぼす結果が待っていたとしても、今の言葉を誓えますか?」
これは脅しでもなんでもなかった。
俺のチートでどこまで出来るかなんて今更思い浮かべる必要も無い。
今まで小出しに試してきたことを、ちょっと派手にやってみるだけだ。
仕込みに時間はかかるけれど、きっとそれは可能なのだろう、と思う。
「……はい、誓います」
喉を鳴らし、アンジェロが辛うじて絞り出した返答ににこりと笑みを返す。
だが、相手が分かっていてほしいと望みつつも、俺には意図的に言わなかった言葉があった。
……それが、親兄弟を失う結果となっても……
彼にこの先待ち受けているのは、呪いだ。
それを理解した上で俺は心の中で彼に謝りつつ、受諾の言葉を告げた。
「それでは、私、ケイの名に誓い貴方の望みをかなえましょう」
そう言って、俺は覚悟を決めた、男の顔になったアンジェロの頬に口付けをした。
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