閑話・聖騎士、二人
閑話、投稿します。
遅れまして大変申し訳ありません。
或いはそれは初恋と呼ぶべきもので在ったのかもしれぬ。
ひたすらに剣を振り、ディオネーズは雑念を振り払うことに専念した。
ディオネーズ・グリンファリオン、12歳。
この国のみならずこの世界一般では人族の成人は15歳とされている。
例に漏れずディオネーズは3年後には成人の儀を受けて、正式にグリンファリオン家次期跡継ぎとして公表される予定であった。
あまりに若い跡継ぎの発表にグリンファリオン家と政争関係にある他の貴族から横槍が入らないよう、事前の名声稼ぎとしてディオネーズが教会の守り手として騎士団に入団したのが2年前。
まだまだ成長期で未熟であるのにも関わらず、ディオネーズは異例であった。
貴族の中には勘違いをしている者が多いのだが、教会の守り手となる聖騎士には相応の実力が求められる。
それは貴族の格だとか、或いは教会への貢献という名の寄付だとかそういったものは一切考慮されない。
そうして、実力のみで任命される聖騎士の中で、一つの隊を任されたのが3ヶ月前。
隊を任されて最初の任務は、教会の中でも賄賂や不正、また、亜人と通じている等の噂がある何人かの司祭、司教の調査と捕縛であった。
調査対象であった司教の一人、第5教区代表司教エリオースを捕縛した際に見つけた銀髪の女エルフ。
扉を破砕した時に巻き上がった埃と煙の中で、身体にぴったりとくっ付いた見たことのない白い衣装に身を包んだ彼女を見つけた時、彼はその全てに心を奪われてしまった。
輝くような銀髪、白く透き通るような肌、そこにその素材すら見当のつかない見たことの無い衣。
ただ一つ、そのシルエットが裸身もかくやと言わんばかりにぴったりと張り付いていることを除けば、彼女は幼い頃に憧れた騎士物語に登場する妖精のようだと思った。
彼女がエルフであることは見た目ですぐに分かったのだが、この少々手荒な侵入方法でかの司教を庇ったのだろう。
かの者の襟首を掴んだ彼女の瞳に見つめられたその時。
その身体が自分に向き直り、そのぴったりとした衣装に包まれた大きすぎず小さすぎでもない胸がふるりと揺れたその時。
彼は思わず叫んでいた。
「なんて、なんて破廉恥な格好なんだっ!」
思わず最初の句の後に美しいと続けそうになったのをなんとか別の句で誤魔化しきるとエリオースは部下たちが仕込んだ睡眠法術で崩れ落ちた彼女の身体を抱き上げたのだった。
それは剣の道に入り、教義を力によって守る聖騎士になった自分にとって。
それは初恋と呼ぶべきもので在ったのだ。
ディオネーズは一心不乱に剣を振った。
今や憎き怨敵となったエルフの影を切り捨てる為、ただひたすら剣を振る。
それしか今のディオネーズには出来ることが無かったのだ。
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侍女エルマは戦々恐々としていた。
断頭者の丘にそびえたつ城砦には、聖騎士と呼ばれる教会騎士の中でも特別に力を持った特権階級が滞在するための部屋がいくつかある。
そのうちの一つ、今現在はカレンドロ聖騎士が滞在する部屋には悪い噂しか無かった。
夜な夜な聞こえてくる女の嬌声、時に悲鳴。
酒や肉などが食い散らかされ掃除が大変であること。
運悪く部屋の主が居るところに遭遇しようものなら例え侍女であろうと乱暴されるという侍女にとっては全くありがたくない噂である。
侍女と言えども、この聖王国ではさほど低い身分ではない。
貴族階級や裕福な商家の次女、三女などが花嫁修業の為に侍女働きに出ることが一般的であったからだ。
"運悪く"有力な貴族のお手付きになれば、実家にとっても家を繁栄させる足掛かりができる。
そんな事情もあり、実際にお手付きを狙って仕える主人を誘惑するような手管を学ぶ家庭教師なども世に職業として存在する。
もっともそれらはあまり公にできるものではないのだが。
さておき、このエルマである。
平々凡々な人生を送ってきたエルマは商家の生まれであり、例に漏れず三女として商家の更なる発展を期待されて侍女働きをしていた。
今年15歳、妙齢のエルマはしかし幼い頃から引っ込み思案であったために、男との浮かれた話一つなく侍女働きも堅実謙虚にしっかりと行う働き者であったのだ。
エルマはそっとカレンドロの居室の扉を開ける。
部屋の主、カレンドロは運良く不在であるようだ。
部屋内はむせ返るようなアルコールの匂いに、食べ物のそれも刺激の強いスパイスばかりを使ったようなものの匂い、かすかに汗や体液の匂いが残るのみである。
噂の主が居ないことを確認すると、エルマはほっと胸を撫で下ろし、掃除の作業に入ることにした。
どこまで酔ったらこのような惨状になるのか。
砕けた杯と一緒に落ちた食べ物を拾い集め、水染みをふき取る。
一通りの掃除を終えて、一番後に回していたベッドメイクに入ろうとエルマが振り向く。
意図的に目に入らないようにしてきたが、何とも淫靡な匂いと乱れ具合が初心なエルマにとっては鬼門であったらしい。
あまり刺激の強い光景がありませんように。
そう願ってシーツをめくったエルマは声にならない叫び声をあげた。
思わず腰を抜かしたエルマが掃除したばかりの床板に新たな染みを作るその前で。
シーツには大量の血と女性のものと思われる腕の一部が落ちていて。
そのシーツの向こう……ベッドの奥には落ちた腕の持ち主のものであろう長い髪がベッドの上に在ったからだ。
その髪の先には何が在るのか、もはや確かめるべくもないだろう。
エルマは、もう一度、あらんかぎりの声を出して、悲鳴を上げた。
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療養と銘打って与えられた寝室のベッドの上、ただ虚空を見つめるディゲネオス。
彼、いや、彼女は全身を今も襲う断続的な快感の波と、鋭敏となった感覚に身を震わせ身体を震わせた。
ディゲネオスはグリンファリオン家の『長男』として、育てられた。
それは、ようやく、と望まれて生まれた武の名門グリンファリオン家にとって『当たり前』のことであった。
ディゲネオスに長男として生きることを望んだ父も、そして涙ながらにその生き方に謝罪をした母もけして両親としての愛情自体を放棄したわけはなかった。
時に厳しく、時に優しく、武の名門として望まれる実力と戦果を望まれるままに体現してきたディゲネオスだった。
『彼』にとって、14も年の離れた弟、ディオネーズは希望の存在であった。
『彼女』自身は既に女として生きるのにこの世界では適齢を過ぎており、もはや女性としての幸せを掴むことは不可能であると常々感じていた。
ディオネーズを生んだ直後に高齢出産がたたり、命を落とした母親の代わりとして。彼女は自らの母性を満足させていた。
時に厳しい兄として、聖騎士の先輩として。
時に世間を知らない無垢な弟を見守る姉として。
ディゲネオスにとってディオネーズはもはや取り返しのつかない失われた28年の年月とこの先訪れることの無いだろう女としての人生を満たしてくれる希望だったのだ。
それがヴァレネーシアスの教義でも異教徒、異端、穢れた末の一族としての亜人に心を奪われるなど、もっての外であった。
それが純粋な心配であるのか、それとも嫉妬であるのか、分からぬまま彼女は自らの肩を抱いた。
鋭敏化してしまった感覚がその行為すら快感に変換してしまう。
彼女はもはや武を振るうことの出来ぬ身体となっており、その精神も堕落寸前であった。
絶えず襲う波は同時にあのエルフの、目が合った時のあの女の底知れぬ色に染められて、彼女に対する憎しみも弟に対する愛情もすべてぐちゃぐちゃに快感となって彼女を責めたてるのだ。
もはや、私は人の前にディゲネオスとして立つことは出来ない。
であるならば、このまま療養を理由に領地へ帰るしか無い。
気を抜けば嬌声を、代償行為を行ってしまいそうになる千々に乱れた心の中で、それだけを考えこの身に起きた不幸から目を背けるほか、彼女の心を慰めるものは無かったのである。
もうそこにはカレンドロと並び稀代の聖騎士として出世を望まれたディゲネオスは存在しなかった。
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聖騎士、カレンドロ。
まさしく彼に課されたものは呪いであった。
命のやり取りで感じていた高揚感や、弱い者の命を奪う瞬間の絶頂感、そういったものが感じられなくなった。
正確に言えば、高揚感はあるものの一向に心を満たさないのだ。
そしてそれは、日常全てに及んだ。
敗北もその悔しさも、この命さえ奪わなければ酒や女で誤魔化せる。
そう思い、砦に帰還してから浴びるほどの酒を飲み、女を部屋に連れ込んだ。
しかし、ある種の予感と共にやはり『呪い』はまさしく『呪い』であったのだと確信する。
気に入っていた銘柄のワインのはずが前に飲んだ時の方が旨く感じた。
酔っても酔っても酩酊感はなく、ただただ肉体を蝕むアルコールによる倦怠感だけが残る。
なじみの女を抱いても、性奴隷を何人侍らせようと、一向に絶頂しない。
女を悦ばせてもただ不快感だけが募る一方。
全てに満足が出来ない。
これでは彼が力を望んで聖騎士になった意味がまるで無くなっていた。
あの捕り物から3ヶ月、溜まりに溜まった鬱憤に性奴隷の一人を切り殺した次の日。
アルコールくさい息を吐き散らかしてカレンドロは訓練所に居た。
目の前には生意気にも若干14歳という若さで聖騎士に上り詰めたディオネーズ。
一心不乱に剣を振るディオネーズにいつもの軽口と共に絡んでいったのはある意味いつもの風景とも言えた。
「よぉ。
大切なお兄様が療養で寝ている代わりに、弟君は剣の訓練かい?
かぁー、泣かせるねぇ。
俺が見てやろうかぁ?」
そう言って訓練用の木剣を持つカレンドロはしかし、真っ直ぐと立てないくらいにふらついている。
「結構です」
短く断りを入れると素振りを再開するディオネーズ。
「お高く止まってんなぁ。
今更あのエルフが惜しくなったのかい?」
カレンドロにとって、ディオネーズは消して憎い存在では無かった。
むしろ、命の危機すらあった場面で同じく倒れ伏せたディゲネオス共々、ディオネーズが駆けつけなければ死すら覚悟をしていたのだ。
この成り立ての若い聖騎士はカレンドロやディゲネオスが修めている、聖騎士としての基本の法術、肉体強化法術すらまだ会得していない。
その故に、それを会得すれば今よりもっと上の位置に行けるであろうディオネーズに少し焚きつけて訓練をつけてやろう。
そのくらいの気持ちで放った軽口の一つであった。
殺意にも似た気迫。
射殺さんとするほどの視線を込めてディオネーズがその手の木剣を静かにカレンドロに向けた。
カレンドロはこれだと確信をした。
「へっ、良い表情できるじゃねぇか」
「訓練ですよね」
ディオネーズとカレンドロ、生き様も信条も全く違う二人の聖騎士が初めてここに対峙をした。
今度こそ、自身の中で荒れ狂う欲望を解消させてくれるだろうと希望を。
たった一言で鳴りを静めていたエルフの影が浮かび上がった自身の未熟さを。
お互いの思惑を抱え、今、二人の聖騎士が剣を向け合った。
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それは確かに初恋だったのだ。
ディオネーズは地面に大の字になって寝転びながらそう確信した。
兄を自分から奪い、教会に多大な損害をもたらし、聖騎士に恥辱の泥を塗った女エルフ。
模擬戦の後、小さく舌打ちをして訓練所を去ったカレンドロの、力で全てを手に入れようとする姿勢は好きではなかった。
しかし、偶然にも、女エルフとの戦いで目覚め、今、この模擬戦で確かに手ごたえを感じた力。
聖王とその側近しか未だ至っていないといわれる法術の極致、魔を打倒するという『放たれる光の一閃』、この力さえあれば。
ならばこの力で兄も、女エルフも、教会の誇りすら、取り戻せば良い。
あれが初恋だった、そう認めてしまえば、手段など問わない。
全てを手に入れてやる、若いディオネーズはそう結論付けたのだ。
そうとなれば、自分が為すべきことは自ずと見えよう、そう思ったその時だった。
訓練所に駆け込んできた一人の騎士が他の騎士に告げるべく大声を上げた。
「隣国リオーマンが新たなエルフを聖女に迎え、我らヴァレネイに宣戦布告をしてきたぞ!」
あちこちで上がる様々な歓声、会話の大きなうなりに身を委ねながら、ディオネーズは静かにその口角を吊り上げ静かな闘志を燃やすのであった。
明日には第二章をはじめられると思います。
誤字誤用ご指摘お待ちしております。