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恋人形劇の閉幕  作者: ささ
第三幕  セレストブルー――悠久の天空色
8/18

02

「……あー……あー……」

 歌手とあんな約束なんてしなければよかった。

 胸のうちでじわじわとせり上がるミステイク感に、僕はベッドで枕に顔をうずめて後悔していた。

 教えるっていってもな、と、僕が歌手に女の子口調を教える様子を想像してみた。……意外と楽しそうで頬がゆるんでしまった。あれ、なんだ。悪くないじゃないか。

 思ってから、また気が重くなる。問題は愉快なイベントになりそうな行為そのものにではなく、歌手の不愉快な行動原理にあるのだ。

「あー……気が乗らない……」

「どうかしたんですか?」

 突然、間延びした声がした。この部屋には僕しかいない。僕は驚いて枕から顔を上げ体を起こす。

 声のした方を向くと、ミズリノがドアから顔をのぞかせていた。

 僕はため息をついてベッドに仰向けになる。脱力感がすごい。

「いくら なれなれしいって いっても げんど が あります。 のぞき は あうと。 みずりのさん は ぼく が きがえたり してたら どうする つもり でしたか」

「なんで棒読み? 暗号かと思っちゃった。……って、ちっがいますよぅ!」

 ミズリノはドアを勢いよく開けた。

「あたし、のぞきじゃないです。部屋はのぞいてたけど」

「人それをのぞきと言う」

「だってドア開いてたもん。お客さまの部屋の前を通ったらなんかひとりで言ってるな〜って気になって、見たらドアがちょこっと開いてたからー」

 ミズリノは言いながら無遠慮に、かつ自然体で僕の部屋に入ってきた。

「言い訳しながらさりげなく入ってくるのやめてくれませんか」

「えーなんかやだ、その話しかた。まずその他人行儀やめてくださぁい」

「それなら、まずきみがその常になれなれしい態度をやめるといいよ」

「お客さま、そっけないのをご所望ですか?

 何かご希望があれば、どんなニーズにも特別にお応えしますよ」

 ミズリノは部屋に備えつけの机とセットの椅子を引き出して座る。

 ベッドに座りに来なかったことだけは評価しよう。ただしもう評価軸がおかしなことになっているから、無意味な加点ではある。例えるなら、懲役二百五十年が二百三十五年になるようなものだ。

「お客が僕しかいないとサービスが行き届くね」

「き、企業ヒミツなんだからっ。あたしのお客さまはあなただけじゃなきゃイヤだなんて、全然思ってないんだからねっ」

 ミズリノは腕を組み、ふんっ、とあごを上げた。

「それ、そっけないと違うんじゃない。ツンツルテン……? 違うな、まぁいいか。ツンツルテンとかいうやつじゃないの。とにかく、やめてよ」

「OKやめます! もう、さっきからやめてほしいことばっかり。めんどうなお客さま」

「きみ、なにしに来たの? 僕に従業員らしからぬ言動の規制をされに来たの?」

 僕は仰向けに寝転がったまま頭を動かしてミズリノを見た。頭の向こう側にある椅子に座るミズリノが、部屋の景色ごと逆さまになって視野に入る。

「そうですね」

 ミズリノは指先を頭に当てて少し考え、

「のぞきあつかいの腹いせ、腹ごなしってことで。あたしと遊んでもらいます」

「開き直るのぞきに対して立腹しない僕の懐の広さは、褒めたたえられるべきだ」

「どうせまだ寝ないでしょ?」

 ミズリノはエプロンのポケットに手を突っ込んだ。カラフルな包装の小さいものをいくつか取り出す。

「どーぞ」

 ミズリノは僕にそれら――数個のキャンディを一気に、ぽいっ、と放った。

 色とりどりのキャンディが僕の体に当たってベッドで散らばる。まるでエサやりだ。

「ありがとうミズリノ。これ、おいしいやつなの?」

「あたしは食べないからわかんないけど、おいしいんじゃないですかねー」

 今に始まったことじゃないけれど、客に出すのにえらい適当だな。

 ……これくらいラフなのがいいのだろうか。僕はひとり、歌手の話しかたについて思案した。けれどミズリノ口調の歌手は想像もつかない。口調だって要・適材適所だろう。

「おーい」

 ミズリノが僕にまたひとつキャンディを投げる。頭に当たる。

 この子はもしかして僕のことを客として見ていないのか?

「他のオンナのこと考えてたでしょ。この浮気者っ。天使? 泥棒猫は天使なの?」

「あれ、わかるの」

 歌手のことを考えてしまっていた自分に苦笑し、ごまかすようにそのままミズリノに笑いかけた。浮気者とか泥棒猫とか言うボケは完全に黙殺する。

「だってお客さま、そんなかんじだったもん今」

「え、やだな。顔に出てたのか」

「出てなかったけどー、なんとなく」

「それを出てるっていうんじゃない」

「あたしの女のカンってやつです」

「へえ……」

 またずいぶんと眉唾な能力で当てられたものだ。

「あっ、このお花!」

 ミズリノは机に乗る花瓶に活けてある黄色い花を指差した。大振りながらも、いかにも花らしい形をした夏の花だ。

「気づくの遅くない?

 ひまわり、縁ヶ丘の町花なんだってね」

 僕が応えると、ミズリノは指を花から僕に向け、

「マリンのでしょ?」

「マリン?」

 初めて聞く響きに、僕は訊き返した。

「真実の真に輪投げの輪で真輪、だから音読みでマリン。みんなマリンて読んでますよ。そのほうがカワイイから」

「そうなんだ」

 真輪、というのは、この旅館の近くにある花屋のことだ。ミズリノとは違って控えめなタイプの看板娘がいる。

 にしても花屋なのに『マリン』……まあいいや。

「そのマリンの女の子がくれたんだよ」

「お客さま、クルミネちゃんに気に入られちゃったんですかぁ」

 クルミネ、というのが花屋「真輪」で働く女の子の名前らしい。

 ミズリノの意味ありげな笑みに、僕は興味をひかれて起き上がる。

「なに? なにかあるの?」

 尋ねながら、ベッドの上であぐらをかいた。

「……知りたいですか?」

「ためるなって。ほら吐いて」

「待って! 今ハードル上げてるの! もうすぐです! このあとすぐ!」

「いいから」

「しょうがないなー」

 ミズリノは、自分が飽きただけだろう、ころっとテンションを戻す。

 脳内ハードルを上げられてしまったので、つまらなくてもがっかりしないように、もらったキャンディをベッドの上で並べながら気を抜いて話しを聞くことにする。

「クルミネちゃん惚れっぽくて、ちょっと気に入った人いるとすっごいお花攻撃するんです。繁盛期はここも、お花だらけになったんだから。しかも今、どこもヒマでしょ? たぶんマリンの前通るたびに、たくさんお花くれちゃいますよ。前にもね、えーと五年くらい前のお客さんが……」

 おもしろさハードル以前に、いまいち僕にはついていけない話題だった。

「その話長いの?」

「んー普通」とミズリノは僕に応えて話を再開させる。普通に長そうだ。

「また聞くよ」

「そうですか? お客さまの好きな花はなぁに?」

 ミズリノは話題を変えた。

「好きな花? なにかな……ないかな」

 軽く流す僕を、ミズリノはじっと見つめた。

「ない、は駄目なのか? うーん……わらび、とか? あれ、おもしろいよね、クルクルしてて」

「わらび……っ! って花じゃなくない? 山菜ですよね、森にたくさん生えてるって猟師の子が言ってました」

「へえ。気にして見てみるよ」

「採ってきてくれたら、天ぷらとか煮物にして出しますよ」

「きみ調理の幅が豊かだね」

 僕が滞在したこの一ヶ月ではすでに和食、洋食、中華、カレー、その他創作料理などが食卓に並んでおり、未だにネタは尽きそうにない。ぼくには実地経験も知識もないからよくわからないけれど、ミズリノの料理レベルはたぶんかなり高い。

「いいお嫁さんになりますよっ?」

 ミズリノは僕の考えを読みとったように期待のこもった視線をよこしてくる。

 僕は完璧に無視した。むしろまったく見えない。最初からなかった。

「そういやきみに好きな花なんてあるの?」

「ったりまえです。女の子ですから好きな花の一つや二つ、ありますよぅ」

「なに?」

「ひまわり! この街の女の子は、なぜかひまわり好きばっかりなんですよ。ふっしぎ〜。町花だからかな? あっあとチューリップも好きですよ。あとあと……」

 これからどうでもいい花トークが繰り出されるようだ。戯れに訊いてみてしまったのは僕だけれど、これっぽっちも興味はない。それでもキャピキャピとした恋愛トークよりはマシな気がするので、右から左へ流しつつ相槌を打つ。

 僕は話半分に、整列させたキャンディのうち黄緑色をした紙の包みを開いた。まん丸い、包装紙と同じ黄緑色の砂糖のかたまりを取り出して口に運ぶ。単純な甘みと香料の匂い、なにかの果物を模された味は懐かしい。けれど少し記憶を探ってみても、これが何味だったかは思い出せなかった。

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