03
森を抜け、縁ヶ丘の街を歩く。この街に滞在しはや一ヶ月。森からの慣れた道を、道行く住人にあいさつを返しながら進んで行く。
ログハウスのような外観をした旅館『あまねく満月亭』――眼前にあるこの宿泊施設が、縁ヶ丘での僕の拠点だ。
洒落た彫り細工の施された木製の冊がついた石階段をのぼり、白塗りの木製の扉を開く。カラリ、と扉上部に取りつけられているベルが鳴った。
「お帰りなさぁい。お客さまっ」
高い声に間近で不意打ちのように出迎えられた。僕は思わず後ずさった。
「た、ただいま」
僕はあいさつを返しながら、呼吸を整える。
「びっくりさせちゃいました?」
悪びれもせずに笑顔で首を傾げるこの少女は、旅館の看板娘、ミズリノだ。
目鼻立ちがハッキリとしている、小柄で可愛らしい女の子だ。薄いピンク色のブラウスに、デニムのミニスカート。フワフワと波打つ栗毛の腰まで届くロングヘアー。頭のど真ん中にはレースのリボン。こんな箇条書でもイメージは十分伝わるだろうがそれでもあえて例えるなら、『ステレオタイプの女児用の着せ替え人形をそのまま巨大化させたようなかんじ』の甘ったるい容姿をしている。
ミズリノは『瑞里ノ』と書くらしい。胸元の名札にはご丁寧に、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字のそれぞれで表記されている。ハートや星のマークとともに。保守的な僕には、どう見ても名札で、いや、仕事自体で遊んでいるとしか思えない。
外見、行動、発言、どこをとっても、『この子はなにか、あまねく満月亭の弱みを握ることによって気の向くままに呑気に働いているのではないだろうか』と……そんな他愛もない空想遊びを喚起してくれる、なかなか愉快な女の子だ。
「出迎えてくれるなんてめずらしいじゃない。やっぱりまかされた仕事はちゃんと果たさないとね」
兄貴風を吹かせながら、僕はステンドグラスのランプが照らす玄関口で外套を脱ごうとジッパーをさげる。
ミズリノは、僕の背後に回ると肩に腕をかけた。そのまま引き寄せようとしてきたが、僕は身を離す。
距離が近いと落ち着かない。触られるのも苦手だ。……というかミズリノの距離感の取り方も、例のごとく従業員が客に対するそれではない。
「つれないなーお客さまは」
ミズリノはすぐに行動を切り替えると、そのまま僕の背後で外套を受け取ろうとする。気の変わりの早い、フットワークの軽い子である。――けれど外套を手にしたとたん「ナニコレー」と声を上げ、僕の一つしかない大切な外套を汚いもののようにつまんだ。
「クサ、焦げクサいっホコリっぽいっ」
「こら。客の持ち物を」
ミズリノをたしなめながら、僕は腕を鼻先に近づけた。
「ホコリはわかるとして……焦げくさいかな?」
「うん」
自分ではいまいちわからないけれど、花火の火薬の匂いか。
それにしても……。
「はい、だろ。『うん』て、きみ。僕はお客さんだからね、敬語を使おうね。敬い語るっていうか」
「しかもしかもー。ここ何日かで、なんかすごい汚らしくなってますよ」
ミズリノは僕の注意をさらりと流し、さらに無礼を重ねる所業にでた。
僕は大げさにため息をつく。
「汚らしいとか……」
「そういえば。ね。探しもの? 失くしもの? 落としもの? 見つかりましたか?」
言いながらミズリノはいそいそとエプロンをつける。水玉模様の、当然のように旅館の備品らしからぬ可愛らしいエプロンだ。腰元でリボンを結び、仕上げに角度を整える。褐色の――ミズリノにいわせれば『焦げくさくて汚らしい』――僕の外套を玄関ホールの壁にあるハンガーにかけ、ブラシをかけ始めた。ずいぶん雑な手つきだ。慣れているからこその手際のよさである……と、思うことにする。
「ね、ね、見つかったんですか?」
「え? なにが?」
仕事に精を出すミズリノの背中に、僕はつい質問で返してしまった。ミズリノといると気を抜いてしまっていけない。
「だからぁ、探し物っ」
ミズリノが振り向いて拗ねたような声を出す。
「見つけたよ」
お屋敷とは程遠い印象の廃屋に、探していた天使は確かにいたのだ。
「きゃあ! よかったですねぇ」
ミズリノは大げさに高い声を上げた。
「あたしも我がことのように嬉しいな」
「そうなの? ありがとう」
「どういたしまして」と言うと、ミズリノはブラシを僕に突きつけた。
「お客さまのヒミツの探し物、当ててみせましょうか?」
ミズリノは僕がなにも言わないうちから、思わせぶりにタメをつくる。
「…………錆びたもの! あったり〜」
屈託のない得意げな笑顔だ。
「うーん……?」
僕は返答に困った。
「はっずれ〜?」
ミズリノは肩を落とし、気落ちしたようなポーズをつくる。
「当たり外れ以前に、抽象的すぎるよ」
「そうかにゃん」
「そうだにゃん、ってうわ」
つられてふざけた言葉使いをしてしまった。僕はせき払いをする。
「……天使だよ」
「てんしー?」
ミズリノはおかしそうに訊き返した。
「ってー、縁ヶ丘都市伝説のやつですか?」
道化と書いてピエロを見るような目をして僕を見ている。
「うん」
「ふーん、意外。お客さまってロマンチスト気質なんですね」
言いながらミズリノは興味なさそうに指先に髪の毛をクルクル巻きつける。
「あれ。僕こそ意外だよ。きみはサンタクロースとか妖精とか信じてるタイプだと思ってたけど」
ミズリノは「うん?」と首をひねり、思案するようにあごに手を当てた。やがてパッと顔を輝かせ、
「信じてますよぅ! もちろん天使も! そんなあたしカワイイっ」
両手を合わせ、顔の横に置いた。
「ちょっと遅いかな」
僕は苦笑した。
「ぷうっ。……ホントに天使なんか探してたんですか? お客さま」
「うん」
「って、見つけたってことは、いたの?」
「うん」
「え〜! ウソ!?」
ミズリノは飛び上がるように驚いた。
「あたしも会いたい! お客さまだけズルい」
予想外の食いつきようだ。
さっきの話半分の様子では、都市伝説に便乗したつくり話と受け取られると思ったけれど、ミズリノは本気で会いたがっているようだ。変わり身の早い、よくいえば順応性が高い子である。
「連れていってあげようか?」
歌手は「街には知り合いはいない、ごく稀に自分のもとを訪れるのも旅人ばかりだ」と寂しげに言っていた。きっとこの賑やかな少女の来訪を歓迎するだろう。
うん。自画自賛する。これは名案だ。
当のミズリノも乗り気なようで目を輝かせた――が、すぐにしょんぼりとうなだれてしまった。
「ダメです。あたしは『あまんてい』を守らなきゃ」
あまんてい?
……ああ、『あまねく満月亭』の略か。
「意外と責任感あるんだ」
「あたしは『あまんてい』の看板娘ですから。それに、さすがに誰もいなくなっちゃうと、ねぇ。マズいでしょ」
『あまんてい』には今、ミズリノしか従業員がいない。けれどそれを差し引いても……
「どうせお客なんてこないだろ。今日だって僕しかいないし」
僕は玄関ホールをこれみよがしに見回した。
「えへへ。企業ヒミツです」
ミズリノは上目使いをつくり人差し指を立てた。
ちなみに素人の僕にも客の入りようは靴箱を見ればすぐにわかる。『あまねく満月亭』は旅館といっても、部屋数も一桁台の、小さくまとまった……よくいえば家庭的な宿泊施設なのだ。(けれど誤解してはいけない。お客がいないというのは、イコールあまねく満月亭が三流旅館である、ということではない。きっと生きる人形ブームの繁盛期には、常に観光客で満員御礼だっただろう。今はここに限らず街のどこも閑散期だ。……と、僕はひとりフォローを入れる。お世話になっている身であるのだから)
閑話休題、「お客がいないのだから、少しの間くらいならミズリノを誘い出しても不都合はないはずだ」これが僕の判断、主張である。僕はミズリノに食い下がってみることにした。
「早朝からフロントを開くまでの間だけなら非番にしてもいいんじゃない」
「んー、でもー」
ミズリノは腕を後ろにやると、体を左右に揺らした。どう断ればいいのかわからない、といった風に。
僕はハッとした。ミズリノに「ごめん」と謝る。
「そうだよね。きみ、あんまり気安いから、ちょっと勘違いしてたみたいだ。なんでもかんでもフリーダムなんだろうって。そんなはずないか。なんていってもきみは『あまんていの看板娘』だもんね」
「うん。そうなの。それがあたしのアイデンティティなのです」
ミズリノが安心したように笑う。
僕も乗っかって苦笑した。僕のミズリノイメージは、間違いだらけだったのだ。ミズリノはその役目を放棄しない。
「どうかしました?」
ミズリノはきょとん、と僕の顔を見た。
「あ、いや……見直したよ」
僕は素直に応えた。
「ん? なんでしょう?」
ミズリノは首を傾げた。
「これって告白?」
「まさか。これが告白に聴こえるなんて、きみの耳はどうなってるんだ」
「あたしの耳は悪くない、無関係です」
「あー頭か。頭が悪いのか。なら仕方がないか」
「あっイジワル、ひどい誘導です。あたしの頭も悪くない。……じゃなくて」
ミズリノはひとり首を振った。
「告白してくださいよぅ。いつまで待たせる気なんですか?」
「え、待ってたの? ……僕がここに泊まり始めてから、まだ一月くらいしか経ってないよね」
「ですねぇ」
ミズリノは気のなさそうな返事をすると、髪の毛を指先でクルクルやる。
「だから? なにが言いたいのかな、お客さまは。あたしわかんなぁい」
「これくらいなんだ。もっと待てるだろ」
「もっと待ったらしてくれるの? イロイロ」
「馬鹿な」
僕の口から軽いため息がもれた。
「しないよ。するはずがない。イロイロなんて」
「それって、あたしの待ち損、ないしお客さまの思うつぼじゃないですか。やだやだ、今してくださぁい」
ミズリノは両手を広げた。
「というかちょっと、僕の意志は」
「いるの?」
「いるだろ」
ミズリノは満面の笑顔で、
「いらない!」
「ああ、そう」
……少し疲れてきた。若いつもりだけれど、さすがにこの子のテンションにはなかなか勝てない。今回も負けでいいや、もう。僕は「ここでの滞在中、一度はミズリノの方に『こいつと会話するのしんどい』と思わせる」という不毛な目標を掲げているのだ。目には目を、歯には歯を、ハンムラビ……。
僕はミズリノとの意味なし会話を切り上げ、自分にとって有益な話題を持ち出すことにした。
「今日の晩ごはんはなに?」
ミズリノはエプロンのポケットから折りたたみ式のステッキを取り出した。慣れた手つきで、玄関ホールの壁に備え付けてある黒板をびしっ、と指し示す。
「ライ麦パンと和風豆乳カレー、クリームチーズと水菜のサラダ、焼きプリン、飲み物はラッシーです!」
黒板では同じ文面が、チョークでの踊るような文字でつづられている。
「なんていうか……ナチュラル? オーガニック? で、女の子らしいメニューだね」
正直言って、味のイメージが湧かない品目ばかりだ。
「キャベツもりもりカツカレーとかもできますよ? 男気レパートリー。お客様には、かえって似合わないけど」
「そんなことないよ」
「ええ〜」
「ちょっと、」
「お客さま今日遅かったから、すっかり冷めちゃいました。温めるから食堂で待っててくーださいっ」
僕の抗議を聞くことなく、ミズリノはさっさとキッチンへ消えた。