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以来、僕は毎日その天使――歌手の元を訪れている。
縁側に腰をかけ、風流さのかけらもない野生味あふれる庭を眺めながら話す内容は、他愛もないものばかりだった。
例えば、僕の身の上話――年齢が十七歳であること。中学を卒業してから着の身着のまま自転車での旅をはじめ、未だ根無し草の風来人であること。およそ二年間の旅での体験談――などを話したが、頷く歌手がどれほど内容を理解しているのかは、僕にはわからなかった。なにせ歌手は、この民家のある敷地を取り囲む垣根の外には出たことがない、というのだから。
ただし本人いわく、『私は旧式ではありますが、字の読み書きは難なくこなせますの。お家にある書物は、図鑑、辞書、実用書、小説……絵本にいたるまで、すべてに目を通しましたので、そこまで外の方と乖離した思考、知識量ではないはずですわ。私をつくられたかたやお客人から、外のお話を聞く機会も幾度もございました。見くびらないでくださいまし』……らしい。話しているうちにわかってきたのだが、歌手は見た目と立ち振る舞いの優雅さに反して、頑固で気位の高い一面も持ち合わせている。
もっとも僕としても自分の旅の軌跡などは聞いてもらいたくて自己満足で話しているだけなので、たとえ歌手が内心では要領を得ない他人事として捉えていたとしても、いっこうに構わなかった。(未知のおもしろい話、とか思われていたら、それはもちろん嬉しいけれど……)
一方の歌手はといえば、終始僕の話の聞き手に回ることが多く、自分の話はほとんどしなかった。それどころか、僕からの歌手に対する質問をさらりとかわすこともままある。
たまに歌手から聞ける歌手の話は、この廃屋の敷地がすっかり森の一部になった以降におこった出来事の話だった。天使の噂話を真に受けこの場所を訪れる奇特な人物が僕の他にも過去に何人かいたようで、そんなお客との思い出話。
歌手の過去の断片に触れるのは楽しかった。……おおよそは。その思い出話には、歌手にとって特別な思い入れのあるらしい登場人物がでてくるときがある。
そのたびに僕は密かに動揺し、その動揺を隠した。
『愛するかた』と表現されるその人物について訊くには、まだ僕の心の準備はできていない。