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恋人形劇の閉幕  作者: ささ
第一幕  スカイブルー――開幕の空色
2/18

01

 彼女と親しくなったのは、一週間ほど前のことだ。

 この廃屋のある森は、首都から遠く離れた地方都市『縁ヶ丘(えにしがおか)』に隣接している。縁ヶ丘は、都市というよりも小都市といった方がしっくりとくるだろう。地図で見るぶんにも、小山をいくつか内包する森のほうがずっと広い。

 けれどその規模のわりに縁ヶ丘の名は知れ渡っていた。

 『神技の担い手』と呼ばれ人間国宝にも指定された、今は亡き人形職人『ミハネ キミカゲ』がつくった『生きる人形』……その人形とあちらこちらで会えるということで名をはせ、観光地としてささやかな発展をみせた時期があるためだ。もっともその繁栄も長くは続かず、観光客の途絶えた今ではすっかり――むしろより一層、のどかな田舎まちの風合いを取り戻しているようだ。

 ……と、それくらいしか文化的特徴のない、その特異点を含めてなお類型で安定感のある、ありふれた地方都市……それが縁ヶ丘だった。

 そんな片田舎の街で伝えられている、天使の噂話。

『迷いの森の奥深くにあるミハネ キミカゲの荘厳なお屋敷には、美しい声で唄う神秘的な天使が囚われているという。聞くところによると、ミハネ キミカゲは天使に命じて人形へ魂を宿させていたらしい――』

 地に足のつかない、「とりあえず美しいとか神秘的とか形容しておけばそれっぽいだろう」という作り手の投げやりささえ感じられるその噂話を頼りに、僕は神秘的な天使がいるという荘厳なお屋敷を探した。

 若さゆえの希望に満ちた無謀である。

 早朝、森に踏み込んではなんの手がかりも得られず、日が暮れる前に引き上げる。僕はこれを繰り返した。

 そしてある日、ふいに耳に届いたかすかな歌声。

 歪みの一切ない澄んだ声だった。耳にすうっと入り込み、脳にすんなり染み込むような。

 歌を頼りに鬱蒼とした森を歩き、声を手繰りよせるようにして進む。

 突如、その建物は姿を現した。

 なかば木々に埋もれた、森に吸収されかかっているような建物。

 その建物に対しては、僕は意外となんの感慨もわかなかった。

 『お屋敷』というにはいささか、というか大分、スケールの小さな建物だ。なにせ、よくあるタイプの木造の二階建ての民家なのだ。森の奥という辺鄙な場所には不釣り合いで、縁ヶ丘の街なかにあった方がよほど違和感がない。

 けれど歌声は至近距離から聴こえている。歌詞はまだ聴きとれないが、音程はもはやはっきりとわかる。やはりこのごくありふれた民家に『天使』はいるようだ。

 曖昧なおとぎ話や都市伝説なんて、ふたをあけてみればこんな微妙さで満ち満ちているのだろう。不思議な物語達は、架空だからこそ愛でられる。唄う天使の正体にも拍子抜けしてしまうかもしれない。

 それでも、僕は目的に少し近づいたのだ。

 僕は鉄製の門扉を開けた。

 ギイィ、と錆ついた摩擦音がした。

 流麗に続いていた歌声が、空気に溶けるように途切れる。

 外から見てすぐに把握できた距離感のままに、石畳をたった数歩進めば頭上にひさしのあるドアに着いてしまった。

 ありがちな形状のドアノブを引いてみる。鍵がかかっているのだろう。つっかえる感覚と、金属がかちあう鈍い音。

 ドアは開かなかった。

 ドアノブから手を離すと、ざらりとした感触がひっついてきた。見ると、手の平に赤茶けた粉が付いていた。サビだ。僕は着ている外套で手を払った。

 玄関の横には裏手に続く小道が伸びている。

 垣根と家の間にある狭い道。たどるとこれまたすぐに着いた裏側の庭に、僕は足を踏み入れた。

 ひんやりとした湿っぽい森特有の空気がわずかに質を変えた。陽の匂いと、視界が急に開けたようなイメージ。

 庭の土地の分だけ森がぽっかりとくり抜かれ、空が広い。庭の片隅のあちらこちらで木漏れ日が揺れている。

 庭は、家の外観とバランスのとれた造り、つまりいかにも民家の庭然とした造りだった。ぐるりと取り囲む垣根のつる草はすでに敷地外の木々と一体となり、庭と森との境界は失われている。なし崩し的に森の一部と化した芝生にも花壇にも、等しく雑草が生い茂っているようだ。池だったらしい窪地に水はなく砂利がむきだしになっており、踏み石も苔むしていた。

 ずいぶん長いあいだ人の手が加えられていないことが、素人目にもすぐにわかる荒れた庭……もっともそれは、この敷地内全体にいえることだった。今は森の支配下におかれる、打ち捨てられて久しいかつては人の営みのあった住居。

「――ようこそ。素敵な素敵な天使の住む庭園へ」

 歌を奏でる響きのままの、鈴よりもなお澄みきった声がした。

 僕は声の主を仰ぎ見る。

 庭に面する縁側にその『天使』は立っていた。

「うん……」

 僕は眩しさに思わず目を細める。

「素敵な素敵な……天使がいるね」

 そう、まさに『天使』がいるのだ。

 肩口で切り揃えられた銀の髪。長い睫毛に縁取られた青く澄んだ瞳。抜けるように透明感のある肌。体を包むのはロングの白いワンピースだ。

 見た目の年齢は十代の中ほど。国籍を推しはかれない容姿と、生の感じられないたたずまい。

 そして彼女を形作るどの要素よりも際立って特異な、背の右側だけにある白い翼。

 僕は呆然と立ち尽くした。

 まるで白という性質を実体化させた存在のようだな、と頭の隅で思う。

 『生きる人形』

 天使をモチーフにつくられたらしい目の前の少女人形はとても美しい。この天使に一目惚れしない男が、この世にいるだろうか。

 僕の内側で崩れかけていたおとぎ話への希望を、瞬時によみがえらせるほどの存在感。幻想は実在するのだ。

「まちぶせ、されてたのかな」

 僕は非難する風にも呆けた風にもならないように、意識して端的に尋ねた。

 木製の縁側の上で、天使があでやかに微笑む。

「いいえ」

 澄んだ声は風に乗り僕に届く。

「待ち伏せではなく、持て成しですわ。持て成すのは家人の義務ですもの」

「縁側に立ったままで?」

「私、人のマナーには明るくありませんの。ご覧のとおりここには注意してくださるかたもいないので。縁側でのご挨拶が礼儀知らずな振る舞いなのでしたら、ごめんなさいね」

 天使は縁側から品のある所作で庭に降り立った。悪びれる様子はまったくない。

「改めまして。ようこそ」

 と、優雅に会釈をする。

「きみは……ずっとここに?」

 どこか夢の中にいるような心地のままで僕は訊いた。不覚なことに、彼女の美しい笑みにつられて顔の筋肉を弛緩させながら。「過去、未来、どちらのことをお訊きですか?」

 天使は微笑みのまま、静かに首を傾げた。あわせて肩で銀の髪の毛先がさらさらと流れる。

 僕は少し考えた。

 これまでここに居続けたのか。

 これからここに居続けるのか。

「どちらかによって、返事は変わるのかな」

 僕の疑問に、くすり、と彼女は吐息をもらすようにして、背後にそびえるかつての家屋を振り返った。すぐに体の向きを戻す。

「いいえ。……そうですわね。私はいつでもここにあるのです。過去も、今も、未来も」

「そっか」

 僕は天使の背中の微動だにしない右だけの翼を見る。

「もしかして、出られないの?」

 天使は屈みこむと、地面に雑多に生える草花のうち、薄青色の小さな花の輪郭を指でなぞった。

「私のことを、籠の中の手負いの天使だとお思いですか。片方の翼しか持たない、飛ぶことのできない地を這うまがいもの、と」

「いや。僕はそんな詩歌めいた感想は。ただ……」

 僕は押し黙った。続きは、こんなことを言ったらきっと笑われるだろう、という内容なのだ。……やっぱり言わない方がいいかもしれない。

「……ただ?」

 僕がつまった言葉の先を少女人形は静かにうながす。

 僕は観念して言ってみることにした。

「きみが外に出たいのなら、出してあげたい、と思うよ」

 ……様子をうかがうような目をしたかもしれない。僕の気のせいだといいが、告白めいた言葉だ。僕は恥ずかしさを紛らわせるために、用があるわけでもないのに頭に両手を乗せた。

 彼女は花から手を離し、立ち上がると口元で、ふ、と笑った。

 その表情は僕には、人形らしくない種類の笑み――冷笑のように見えた。

 だとしたら何に対してだろう?

 子供じみたことを言った僕にだろうか。

 ここから出られない自分の境遇にだろうか。

 僕は天使ごしに廃屋を見上げる。

 人形は持ち主の土地に懐く――縛られる。そういう風にできている。すでに主のないこの天使も例外ではないのだろう。

「カシュ」

「え?」

 ふいの呟きに、僕は思わず訊き返した。彼女の顔を見ると、すでに謎めいた微笑はない。

「私の名前です。歌手といいますの」

「ああ……そうなんだ」

 彼女の名前を聞けたことは、僕にとって喜ばしいことだった。けれどその感情をどう表面に出すかに迷い、結局僕はただ彼女の二つの澄んだ蒼いガラス玉を見つめて頷いただけだった。

「貴方のお名前をお聞きしてもよろしいですかしら」

 気が利かない、というように少女は首を傾けた。

「僕はナツルグサ」

 夏に流れる草、で夏流草と書くのだけれど、天使に漢字のことなんて話しても伝わらないかもしれないので言わない。

「なんだか愉快な響きのお名前をしてらっしゃるのね」

 天使は歌を口ずさむように手を揺らしながら、僕の名前を物珍しげに二度つぶやいた。

「きみだって、なかなか変な名前じゃないか」

「失礼ですわ」

「きみ……歌手だって」

 僕はさりげなく名前を呼ぶのに成功した。

「まあ」

 歌手は楽しそうに眉を上げ目を開いた。立ち上がると、踊るようにくるりと回る。

 銀色の髪の毛と白いワンピース、それと片方だけの翼が、風に乗るように光をはらむように揺れる。

「ナツルさん。そう、お呼びしても?」

「いいよ。数少ない親しい人は僕をそう呼んでいたから」

「あら。私とナツルさんは会ったばかりなのに、親しい間柄なのですね」

 歌手は微笑みのまま小首を傾けた。

 僕は一度ゆっくり呼吸をした。

「……屁理屈、だね」

「理屈遊びはお嫌い?」

「いいや」

 僕は笑った。ぎこちなくならないように気をつけて。

「楽しいね、うん。楽しいよ。きみと親しくなれるし。親しくて光栄だよ。歌手」

「嬉しいですわ。私と親しいナツルさん、よろしくお願いいたしますね」

 歌手は長いスカートを両手でつまみ上げ、丁寧に礼をした。

「さっそくですけれど、お時間はありまして?  なんのお構いもできませんけれど、ゆっくりしてらして」


 こうして僕は、歌手という名の、歌の得意な天使と親しくなったのだった。

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