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恋人形劇の閉幕  作者: ささ
第六幕  生者へ手向けて わすれな草を摘み殺す
18/18

下書き

PDFの清書が壊れてしまっているので、とりあえず元テキストを修正前提で上げておきます。

   4


 人間のような人形、人形のような人間。

 より人間らしいのはどちらだろう。

 縁ヶ丘の街の大通り。

 僕にかけられる穏やかな声。

 だれもかれもが綺麗な笑顔。

 僕にはこの街の住人の生活を茶番劇に例える資格はなかった。

 人間の欠陥品の僕には。

 今となっては、一人芝居のさなか糸を切られ、目的を失ったがらくた人形のようでもある。

 初恋は実らない、か。陳腐ながらも、今となってはなかなか身につまされる言葉だ。

 ――僕はこの先、どうするのだろう?


第七幕  ゼニスブルー

       ――紗幕ごしの天頂色


   1


 家の書架の片隅にうず高くつまれた段ボールにある荷物のうち、曾祖父の遺品にまぎれてとある人物の日記を見つけた。

 天才人形師『ミハネ キミカゲ』――そのうちの一人、ミハネの日記だ。

 『ミハネ キミカゲ』は二人組、二人で一つの人形師ユニットだった。


   2


 僕の家系の者は、その多くが短命だ。

 生まれたときから身体が弱く衰弱死する者、特徴的な医者にも手の施しようがない病を患い死んでしまう者がほとんどの割合を占める。

 けれど生をまっとうできる者が稀に現れる。だから僕の一族はかろうじて自然の淘汰から逃れられ、僕の代までやってこられたのだ。

 曾祖父はその極めて稀な、死の鎖から解放された例外のひとりだ。

 それでも心は死に囚われ続け、人形に魂を移すことを生涯で試みた――人形師だった僕の曾祖父は、名を君影草キミカゲソウといった。

 『ミハネ キミカゲ』のうちのひとり、キミカゲだ。

 魂の器として造られた人形はどれも君影草の亡くなった妻――僕の曾祖母・葉月に似ていた。

 ひまわりのように明るく美しい葉月は、君影草にとって生の象徴、希望そのものだった。

 葉月は産後の立ち上がりが悪く、息子(僕の祖父にあたる)を生んですぐに死んでしまった。君影草は、葉月を蘇らせたい一心で魂の移動を試みていたのだ。

 君影草は息子を縁者にあずけきり、ミハネと共に人形づくりに明け暮れた。

 ミハネは君影草を、キミカゲという人形をつくる上でのパートナーとしてではなく、君影草というひとりの男性として愛していた。

 ミハネは葉月を憎んだ。愛する人の心を死んでなお独占し、死の鎖から解放された彼をまたしても死に縛り続けたのだから。

 僕には曾祖父・君影草でも曾祖母・葉月でもなく、血のつながりのない赤の他人であるミハネの気持ちが痛いほどにわかる。わかってしまう。

 ミハネは君影草のためにひまわりを花壇で咲かせ続け、葉月に生き写しの人形を共につくり続けた。そしてそれは自分のための行動でもあった。

 君影草の喜びはミハネの喜びでもあった、と。その動機の一面だけを見て「献身的な愛」と美談にすることはたやすい。

 けれど人の心は多面。

 確かにその行為には、献身的な愛が多分に含まれていた。

 けれど同時に、そんな美しい一言では片付けられない、複雑な想いもそこにはあった。

 ミハネはいちるの望みに賭けていたのだ。

 人形への魂の移動と反魂が完成しても葉月の魂を呼ばずにその人形に自分の魂を移し葉月になりすませば、祖父の愛は自分だけが享受することができるかもしれない、という悲しい望みに。

「恋は盲目とはよくいったものだな。僕には理解できない偏狭だ」

 当時、僕は他人事にそう思っただけで、文章を読み込む頭も、文字を追う目も、ページをめくる手も、そのくだりを淀みなく流した。

 だが、ミハネの利己的な愛の在り方が、今の僕には痛いほどにわかる。わかってしまう。

 歌手と親しくなってしまった今の僕には。

 結果からいってしまえば、『ミハネ キミカゲ』に魂の移動は成しえなかった。

 当たり前だ、できるはずがない、と誰もが思うだろう。寂しい大人の人形遊戯、あるいは狂人の妄執である、と。

 僕は思った。あまりにも馬鹿げている。

 だが、その無謀な偏執的挑戦の副産物としてあるのが『生きる人形』だ。

 実際には生きているのではなく、あくまでもそう振る舞うことができる仕組みを内包しているだけ、らしい。

 けれど天才人形師の本意でなく生み出されたその仕組みが、どれほど画期的だったか。僕がそうと気づかず住んでいた豪奢な家、贅沢な暮らしを考えれば、それは日記の先を読まずともすぐに導き出せた。

 事実、『ミハネ キミカゲ』にしかつくることのできない希少な人形達――『ミハネ キミカゲ』にとってはまったくの失敗作――は、富豪に高値で買い取られていったという。

 それでも君影草とミハネは使いきれないほどの富を得ても、地方の小さな田舎街である縁ヶ丘に住み続けた。物質的な豊かさには、なんの興味も希望も持てなかったのだろう。

 そうして月日は流れ、ある日ミハネは事故で急逝した。豪雨の森で足をすべらせ転倒し、打ち所が悪く即死だったという。

 君影草はミハネのノウハウも引き継ぎ、ひとりで人形をつくり続けた。

 けれど君影草はミハネが亡くなって以降、葉月の生き写しをつくらなくなった。

 街の知り合いからのみ注文を受け、望まれたとおりの人形をつくり無償で贈った。

 だからこの街には、今でも残像のように人の活気めいた雰囲気があるのだ。

 祖父がつくった人形達が暮らしている。

 もちろんミズリノもそのうちの一人だ。


   3


 ――これは、ミハネの事実のみ箇条書きで記された味気ない日記や、曾祖父・君影草についての記録や、人形師『ミハネ キミカゲ』の記事を、僕がつなぎ合わせて作り上げた過去だ。細かい齟齬はあるかもしれないけれど、およそ正しいだろう。

 そして補足。

 君影草がミハネとつくり上げた最後の作品、それが歌手だ。

 歌手は「自分は『ミハネ キミカゲ』が最初につくり出した生きる人形である」と、「『ミハネ キミカゲ』は君影草ただ一人である」と誤認していた。けれど実際には、歌手は君影草とミハネの最後の共作なのだ。

 曾祖父・君影草の遺品の中にミハネの日記があったということは、君影草はミハネの日記を手にして読んだということだろうか。

 君影草はミハネの一面ではない愛をどう受け止めたのだろう。

 なにか思うところがあり、葉月の生き写しをつくらなくなったのだろうか。

 君影草は葉月の生き写しは一体のみを手元に残し、他はすべて手放した。

 なぜ歌手は手元におき続けたのか。森の危険を教え、そこへ出ることを許さなかったのか。

 それはやはり葉月への想いからだけだったのだろうか?

 ……そうなのだ、きっと。

 君影草とミハネは似ている。

 視界をふさぎ、一途に閉じたまぶたの内側に愛を映し続けるようなところが。

 光に対する影のようなところが。朝に対する夜のようなところが。太陽に対する流星のようなところが。

 かげ同士では、居心地よくとも欠けたままでしかいられない。

 日記に直接は書かれていなかったけれど、ミハネも頭のどこかでそれをわかっていたふしがある。葉月を失い魂の移動にのめり込んでいく君影草に、思い知らされたようだ。自分では傷を舐めてやることしかできない、意識を新しい希望に向かわせてやることができない、と。

 君影草にとって葉月は、ほの暗い死から解き放たれようやく寄りそうことを許されたまばゆい生そのもの。渇望していた光であり、朝であり、太陽だったのだ。

 それでも、君影草が歌手をそばにおいた理由……僕には知りえないその心に、僕は多面を願わずにはいられない。

 君影草は葉月に生き写しの美しい羽を持つ天使人形を、ミハネの形見としてもそばにおいておきたかったのだ、と。

 ミハネの日記の裏表紙には、美しい羽、と書いて美羽ミワとサインされていた。



幕間・ 残光と幻影の螺旋


   1


 互いが呼応するように鳴り響く蝉時雨、濃密な深緑の薫り、木々の合間から差し込む強い陽射し――夏が森を満たしています。

 わたくしは、森の奥深くにある君影草さんと葉月さんの住んでいるお家のドアの前に立っています。首元に浮き上がった汗をハンカチーフでふき取ってえり元を整えると、ドアをノックしました。

「どうぞ」と葉月さんの華やいだ声が聴こえました。

 わたくしがいつものように居間に上がると、お二人は午後のお茶をたしなんでいました。

「おじゃまいたします」

「いらっしゃい」

 わたくしが会釈すると、葉月さんは微笑みテーブルですくりと立ち上がりました。心なしかお腹を守るようにして。肩口で切り揃えられた赤みがかった茶髪がさらさらと揺れ、女性らしい仕草で耳にかけます。新聞を読みながらお茶を口に運ぶ君影草さんに向き直り、

「ミワちゃんが来てさっそくなんだけど……わたし、大輪のひまわりの群れの中でかくれんぼしてみたいわ。これから街のひまわり畑に行きません?」

 君影草さんはお茶の入ったグラスをコースターに置きました。

「これから? ふざけたことを言うな」

 新聞をめくりながら眉をひそめます。

「ミワちゃんも。いいでしょ?」

 君影草さんの言葉がなかったかのように、葉月さんがわたくしににっこりと微笑みました。

 煩わしげに君影草さんが「おい」と声を上げました。

「わたくしはご遠慮いたします。せっかくですので、夫婦水入らずで行ってらしたらいかがですか」

 わたくしが提案をすると、君影草さんが間髪入れずに、

「行かないと言ってるだろう」

 一蹴しました。

「どうして? 行きましょうよ」

 葉月さんが唇をとがらせます。

「ミワちゃんも。ねっ? わたし三人で楽しく遊びたいわ。この人とだけじゃ張り合いがないもの。せっかくのひまわりが台なしだわ」

「おまえ」

 君影草さんは剣呑に目を細め、語調を強めました。

「身重の体だ。控えろ」

「心配屋さんね。まだ五ヶ月目なのよ。……大丈夫よねー」

 葉月さんがお腹に向かって朗らかに笑いかけます。

「わたしが」

「ねぇ、ミワちゃんからも言ってやって。もう一押しよ」

 葉月さんがわたくしに言いました。共犯者に取っておきの計画を打ち明けるような笑みをして。

 わたくしに来てほしい、というのは彼女の本心で、優しさでもあります。

 彼女に裏表はありません。

 内にこもりがちなわたくしのためを思い、言ってくださるのです。

 裏のない、つるりとした硬質な表のみの心を持つ彼女には、表につくりあげた何層もの膜の奥に、粘液性の裏を持つわたくしの心のありようなどは想像さえできないでしょう。

 太陽には、雪が日射しを望んでいないということを、光に当てられると焼けただれ消えてしまうということを理解できない。

 だからよかれと無遠慮に光り輝く。

「お二人で行ってらしてください」

 咲き誇る大輪のひまわりのような彼女に、わたくしは曖昧な微笑を浮かべました。


   2


 ……結局まずはわたくしが説得され、次に君影草さんが折れ、ひまわり畑へのお出かけは翌日に敢行されました。

 陽の光がきらめくひまわり畑で無邪気に笑う彼女は、まるでひまわりの妖精のようでした。

 内面の美しさが外見をさらに引き立てている、そんな完璧な美――同性のわたくしでも見とれてしまうほどの美貌なのです。君影草さんの中で、彼女がどれほど素晴らしい存在として君臨していたか。

 そしてこの世のどこにも存在しない今でも、わたくしと君影草さんを照らし、影をつくり続けている――

 わたくしは庭の花壇に咲くひまわりを見るたびに、彼女を思い出します。

 冬を覆う静寂の雪間がわたくしで、

 夏を彩る脈動の息吹が彼女でした。

 自分が手塩にかけ育てているこの太陽花を忌ま忌ましく思い、何度根元から切ってしまおう、と思ったことか。

 その欲求に理性がまさった理由は、ひとえに君影草さんがひまわりが咲くことを毎年の秘やかな楽しみにしていたからに他なりません。

 彼女の光がわたくしを苛みます。

 ……いいえ。すべてはわたくし自身の闇が招いた種。わたくしは自らの心を断ち切りばさみの切っ先できざみながら、毎夏ひまわりを咲かせ続けました。

 日記には、なかなか彼女のことを書けません。


「今年もひまわりが咲きました。

 君影草さんが少し表情を和らがせました。

 彼のその表情を、わたくしは複雑な心境で盗み見るようにして見つめました。」


 様々な感情や思考が渦巻いているのに、日記には今日も最低限を記したのみです。

 彼女の残光とわたくしの暗がりを見つめ、書き留め、反芻しようとすると、わたくしの中のなにか――傷をつけたら後戻りできなそうな、最後まで守り通さねばいけないようななにかが、音を立ててきしみ始めるのです。

 以前、『忘れな草の蒼が落ち着く』と、『暖色が苦手だ』と、そう君影草さんに伝えたことがあります。

 わたくしは嘘つきです。

 忘れな草の蒼を見ていると落ち着くのは真実です。暖色自体も確かに苦手としています。けれど、苦手とわざわざ口にするほどではありません。なによりも、あのとき思わず本心を吐露しかけてしまったほど苦手なのは……嫌いなのは、暖色全般ではなくその内のただひとつ――黄色です。ひまわりのまばゆい黄色など大嫌い。

 君影草さんが彼女の光に縛られる限り、わたくしも彼女の光に縛られ続けるのでしょう。

 わたくしはたまに考えるのです。もし君影草さんが、葉月さんとの間にもうけた子供――葉月さんの忘れ形見である、忌避して親類にあずけてしまった息子さん――を、ご自分で育てていたら、今どうなっていたのだろうか、と。君影草さんの内の、葉月さんの占めていた部分に空いてしまった虚空……わたくしには決して癒すことのできない虚空は、息子さんの存在をもってすれば、あるいは埋め得たのかもしれません。

 けれど君影草さんは、それをよしとしませんでした。

 葉月さんの光を純粋に求め続けることへの障害にもなりえる癒やしの可能性を予期してか否かはわたくしには測りかねますが、とにかく君影草さんは拒絶したのです。

 ――そして人形実験は繰り返されます。

 わたくしは苦手な暖色を使わないという名目のもと、魂を移動させるための人形の製作には黄系統の色――例えば瞳や頭髪に金など――を使いません。

 つくった人形のいずれかが、いつかわたくしの体になるかもしれないのだから。

 わたくしと君影草さんは、手を取りながらも別々の光を夢見て闇へと足を踏み入れました。


   4


 『あまねく満月亭』の石階段の先にある玄関ポーチに、ミズリノが立っている。

 花束を抱える僕を階段に確認してもいつものはしゃぐようなリアクションはなく、表情も変えない。

 僕は今朝ここを出たときは、花束ではなく歌手を連れて戻るつもりだった。笑ってしまう。現実の見えていない子供の、自分に都合のいい楽観そのものじゃないか。

 石階段を上りきった僕が「ただいま」と声をかけると、ミズリノは珍しく心配そうな顔をした。

 これまたらしくない探るような声音で、

「ちょっとだけ腹割って話しません?」

 僕と目を合わせたまま小首をかしげた。

「そんな気分じゃないんだ」

 僕はミズリノに花束を押しつけ渡した。扉を開く。

「天使をさらいそこねたお客さま、元気出して。北風と太陽がケンカしなかったのがいけないんです」

「脱がせたって意味ないだろ」

 ミズリノに構わず部屋へ戻って、とりあえずさっさと逃避の惰眠をむさぼろうとしていた僕は、ぎくりと足を止める。

「なんで知って……」

 歌手をあの廃屋から連れ出す決意を、僕はミズリノに話していない。

「女のカンです」

 ミズリノは言いながらするりと僕の横をすり抜けて、僕が開けている旅館の扉を行ってしまった。

「いやいや」

 僕も後を追い旅館に入り、扉を閉める。

 ミズリノはソファテーブルに花束を置いて、軽快に振り向いた。

「恋する乙女は好きな人のためなら賢くもなれるんですよ? なぁんてねっ」

 ミズリノがようやく浮かべた見慣れた笑顔は、けれどすぐに真顔に変わる。

「……昨日、言ってたじゃないですか、お客さま。今日、大事な用があるって。来たときからいつも天使のこと気にしてたし、ピンときちゃいました。これはついに勝負にでるのね……! って」

 僕はミズリノの洞察力を甘く見ていたようだ。ふざけた就労態度ではあるものの、接客業務なだけあって人を見る目はなかなか鋭い。……単に僕がわかりやすいだけなのかもしれないけれど。

 眠気が飛んでしまった。僕はソファに座り足を伸ばした。ソファテーブルに乗る花束を眺める。

「きみには恋の仕組みがあるの?」

 僕の質問にミズリノは不思議そうに目を大きく開く。

「ありゃ? 暗黙の了解は気のせいだったのかな?」

「暗黙の了解?」

 僕には身に覚えがなかった。

「人形を人形として見ないで人間と同じように接しようとしてくるお客さんがたまにいたんですよ。お客さま、あたしのこと本物の女の子あつかいしてくるから、てっきりそういうタイプの人なのかと。だからあたしも本物の女の子らしくするように気を配ってたんだけど、そうでもない人だったんですね」

「人形の本物の女の子だろ、人形だから偽物ってことはない」

 ミズリノはきょとん、と目をまたたかせた。勢いよく僕の隣に腰かける。ソファがしなり、内側でバネがきしむ音がする。縦に揺れながら、同じく縦揺れする僕に「ありがとっ」と笑いかけた。

 僕にはなぜお礼を言われたのかわからなかった。ミズリノは欠陥だらけの人間である僕よりよっぽど生き生きしている。人形あつかいなんてむしろ、しようと意識しないとできない。

 ……きっと、欠けていない人間はこうじゃなかったのだ。

 人間は人間で、人形は人形。両者の間には明確に境界線が引かれ、そこに曖昧なイメージはない。

「あたしには恋の仕組みはありませんよ」

 ふいにミズリノが言った。

「え? どうしたの急に」

「なっ、なにそれ自分が訊いたんじゃないですかー!」

「あ。そうだった、ごめん。考え事してた」

 頭をかく僕に、もうっ、とミズリノはむくれるそぶりをした。

「各人形の特性は、パターン性のある名前である程度わかるようになってるんですよ。人形師『ミハネ キミカゲ』は人形に名前をつけなかったから、人形をもらった街の人達が効率的でいいかんじのを考えたんです。縁ヶえにしがおか豆知識。あたしは瑞里ノ(ミズリノ)って名前でしょ、『ノ』で終わる名前の子には恋の仕組みはありません。『ネ』の胡桃ネ(クルミネ)ちゃんにはありますよ。最後が『ネ』の子しか恋はしません。でもそれだって本物じゃない、ただの仕掛け。人間の恋愛感情には及びません」

「きみ、説明モードだと頭よさそうに見えるよ」

「えへへそうでしょ」

 ミズリノは照れたように舌を出した。

「これも観光地の旅館従業員の業務の一貫だから。暗記暗記」

 と、ピースをつくる。

「人間がいなくなったのに、この街はそれを感じさせないね」

 住民が全員少女なので街としてはもちろん違和感がすごいんだけれど、持ち主を失った人形の街、といったかんじの、いかにもなうら悲しさや寂れた印象はまったくない。

「みんな働き者だもん。みんなが自分の役割を続けてたら、ついでに縁ヶ丘も縁ヶ丘のままキープできたの。街を綺麗にする仕事は、昔からたいてい人形がしてたんですよ。」

 ミズリノは視線を僕から外してさ迷わせる。

「…………んー……ちょっと、これ言ったら引かれちゃうかもしれないけどぉ……」

 歯切れ悪く言って、ちらっと僕を見てから目の前の花束を見つめた。

「あたしね、人間がみんな死んでも全然平気だったの。あたしの興味範囲は基本的に、『あまねく満月亭に滞在するお客さま』に関する事柄までだから。……そりゃね、悲しくなんてなかった、って言ったらウソになります。心はあるから、一応。家族同然だった持ち主一家が死んで、粉になって、消えて。街からはあっという間に人間がいなくなった。悲しくないはず、ない。でも、悲しいのはすぐに終わった。そしてまた役割のとおり、あたしはお客さんを待ち続けた。……これが、あたしだけじゃなくて、この街のみんなの当時の様子です。みんなこんなかんじ。人形は薄情にできてるの。悲しみを引きずってたら、役割を果たせないもん。人間みたいに、記憶するのを放棄したり、記憶してから消去したりはできないんだし……って話、したら引きます?」

 ミズリノは僕に上半身を乗り出した。

「もう遅いし。……引かないよ。引くはずない。ミズリノもそう信じたから、僕に話してくれたんだろう」

「さっすがぁ。男の子」

 ミズリノは安堵したように両手を上げて「ん~っ」と、けのびをした。やがて苦笑し、

「こんな人形らしくないこと言うの、ホントはダメなの。オフレコにしてください。……誰にってかんじですけど」

 罪悪感で言動に制限をかけた者も、持ち主兼雇い主も、お客も、もういない。

「あんな大事件があったのに、この街では誰もその話題を口に出さないから。……あたし女の子だから誰かに話したかったの、吐き出したかったの。って、みんな女の子だから、もしかしてみんなもそうなのかな」

 ……どの人形も人間のように振る舞い、無粋な言葉は口にしない。明るく、穏やかに、正しく、楽しく……人間よりも人間的な人形の暮らす街――それが現在の縁ヶ丘。

 綺麗な笑顔の人形達の、巨大な劇場――

「話は変わるんですけどぉ」

 ミズリノが上目使いで間延びした声を出した。

「お客さま、小っちゃいころ一泊してますよね? ここに」

「え?」

 予期しえなかった質問に僕は固まった。念のために記憶を探るが、やはりそんな過去は出てこない。

「ヒドイ、やっぱり覚えてない……!」

 ミズリノが大げさに驚愕したふりをして目を見開く。

「だってここに泊まった覚えなんてないし。きみの気のせいじゃないの」

「人形に気のせいなんてありえない。記憶力には自信があります」

「えー、じゃあなんだろう。気持ち悪い」

 僕は腕を組み首をひねった。

 僕の悩む様子を見ながら、ミズリノはヒントを出すように、

「まっくろ黒服だったから、お葬式だったんじゃないですかぁ」

 曾祖父の葬式に出たとき……だったんだろうな。覚えてないけれど。

「記憶にはないけど、思い当たるふしはあるよ。このあたりに住んでた親戚が、僕が幼いころに亡くなってるから」

「そんな風に、あたしも忘れられちゃうんですね、いつかまた」

「ごめん」

 僕はすまなそうに頭をかいた。反省はしない。

「まあ幼児のしたことだしさ」

「いいですよ、気にしてません。ぷいっ」

「今回は絶対に忘れないよ」

「いいのいいの。人の軽薄さには慣れてるから。人形と違って、忘れていかないと心がパンクしちゃうんだからしょうがないですよ。その分あたしが覚えてますから。だから安心して忘れてくださいねぇ」

 ミズリノはにっこりと微笑んだ。

 ああ、本当に……この街の住人は、僕よりもよっぽど人間くさい。

「ミズリノっていい子だよね。繁盛期はお客から引っぱりだこだったんだろう?」

「あたし、誰にでも懐くわけじゃないんですよ? お客さまは特別のお気に入りです。……なんでか聞きたい?」

「教えてよ」

「当ててみて」

 前フリなのだろうか。ここはおとなしく乗っておこう。

「……恋?」

 ミズリノは楽しげに人差し指をクロスさせて僕に腕を伸ばした。僕の目の前にバツ印がある。

「ブー! 答え。すっごく久しぶりのお客さんだから。希少価値って大事ですねっ」

 僕はソファにだらりと背中を預けた。

「そこは恋って言ってよ。オチつけなきゃ駄目なのか?」

「あたし、ウソつかないの。恋もしない。知ってるでしょ? 嘘と恋はあたしにはないものだから、正直なのはしょうがないの。上手くかわしてウソにならない冗談で返事するのも、結構アタマ使うんだから。……でもね。憧れてるもののごっこ遊びするのも、なかなか楽しいんだなこれが」

 ミズリノの普段のハイテンションな言動は、恋の真似と嘘を真似た冗談が大部分を占めていた。あれは、「人間の女の子ごっこ遊び」であり、憧れの表れだったのか。

 久しぶりの来客である僕がミズリノを人形として見たから、こうして、今だけ役を降りて人形のままでいる。

 これから僕は――どうするのだろう?

 今日この街を発つことは決めている。

 傷心旅行でもしようか。……なんだ、それじゃいつもの生活と変わらない。僕はひとり苦笑した。

「ありがとう、ミズリノ。世話になったね」

 僕はソファから立ち上がり玄関ポーチに出た。ミズリノもついてくる。

「行っちゃうの? もっといればいいのに。ていうか、ここに住んじゃえばいいのに」

 ミズリノは腕を後ろにまわし、体を左右に揺らした。

「これから傷心旅行に行くんだ」

「そっか。人は失恋の傷を癒さなきゃだもんね。それでまた、新しい恋をするの。ね」

「相手がいないよ」

「ソレ、シャレにならないですね。お客さまが言うと」

 期せずしてブラックジョークになってしまった。

「でも大丈夫! あたしに恋すればいいんですよぅ」

 ミズリノはいつもの調子で軽く言った。

「新しい恋なんてしないよ。これが最初で最後だ」

 僕の言葉にミズリノは「そうなんだ」と寂しそうに微笑んだ。

「……体に気をつけて、元気でいてください」

「ミズリノも」

「うん。あたしはいつでも元気だから。またいつか、気が向いたら、人恋しくなったら……どんな理由でも、理由がなくても、いつでも来てくださいね」

「また来るよ。必ず。……あとね、きみ。うん、じゃなくて、はい、ね」

 ミズリノは顔満面の笑みを浮かべた。

「うん! またのお越しをお待ちしてまぁす!」

 言って大きく両手を振る。

 僕はその様子を網膜に焼きつけるつもりで見つめながら手を振りかえした。

 いつか記憶が薄れるようなことがあっても、せめてこの笑顔は忘れないように。


第八幕  秘色のボックス&コックス


   1


 彼女との最初の記憶。

 僕には彼女との思い出は、おぼろげにしか残っていない。

 断片的な、パズルのピースのような記憶。

 微笑み。歌。対の翼。――対の? 歌手に翼はひとつしかない。

 こんな、曖昧すぎる記憶のかけら達。



 僕が物心ついたころ、すでに両親はなかった。母はあの病で死に、父はすぐに母の後を追い自殺した。

 死の鎖に縛られている僕の家系の者は、生涯を独身でいる場合がほとんどだ。家庭を持つことに躊躇してしまったり、そもそも選択肢から除外した生き方をしてしまう。

 自分がいつ死んでしまうかわからないから。自分の子供も同じようにつらい思いをするとわかっているから。

 それでも夫婦になることを決めた父と母の間には、それ相応の覚悟があり、愛があり、心中の算段があり――そこには僕の存在を考慮するだけの余地は残っていなかった。

 父は母と結婚したときには身よりのない、施設で育った天涯孤独の身だった。

 僕は母方の祖母の家で暮らした。

 祖母の夫――つまり僕の祖父で、この人が君影草と葉月の息子――は例の病で亡くなっており、祖母は広い家にひとりで住んでいた。

 体が弱かった僕はいつも自分の部屋ですごした。

 祖母は表面にこそ出さないけれど、僕の体の弱さ、死の予感に、やはり戸惑っているようだった。夫をあの病でなくしているのだ。距離は常に遠かった。

 僕は大手の人形製作会社に量産されたハウスキーパー人形に、ときに腫れ物のように、おおよそは甘やかされて育てられた。

 僕は人間の温もりなんて知らない。けれどその家政人形の安定した体温の冷たさは、僕をひどく不安定に、憂鬱にさせた。

 あるとき僕は曾祖父の家にあずけられた。高熱をだし咳の止まらなくなった僕をきれいな空気の場所で療養させよう、と考えて実行されたらしい。

 ……ここからのことは僕の記憶だけが頼りなのだけれど、あいにくとその記憶はあちらこちらに抜けがあり、残る部分も霞がかったように不明瞭だ。

 意識がはっきりしたとき、僕は小さな部屋のベッドに寝ていた。

 きれいな空気のおかげだったのか、せきは引いていた。相変わらず熱は高く体がふらついたが、僕は子供のころは常にどこかを悪くしていたので、体調はそんなには悪くないといえた。

 部屋を見回す。室内の様子から、建物も家具も相当年期が入っていることは容易にうかがえた。

 木枠に囲まれた窓からは黄色く西日が射していた。

 うすい壁の向こうに透明な歌声が聴こえる。

 僕はバネのきしむベッドから体を起こした。軽く立ちくらむ。声に招かれるように窓を開けると、つま先立ちになり顔を出した。

 まぶしい太陽の光に手でひさしを作る。

 正面は、深緑がびっしりと敷きつめられていた。木の葉だ。一面に広がる樹木の葉の緑。上には緑にぽっかりと開いた穴のような晴れ渡る空がある。

 呼吸をすると樹木の青い匂いがした。

 汗まみれのだるい体に涼やかな風が心地いい。

 下をのぞきこむ。

 ミニチュアのような、垣根に囲われた小さな庭があった。……今思えばあの家や庭は、特別小さいというわけではなかった。僕が住んでいた家が広すぎたのだ。老女と幼児が住むには、人形を持ってなお広すぎた。

 芝生の敷かれた庭の左右に置かれた花壇に花はない。

 石畳の小道が家屋から伸び、水のない池に続いている。池の砂利を歩く影。白、銀。

 ――天使がいた。

 僕に気がつかずに歌う。

 僕は彼女に見とれ、彼女の歌に聴きほれた。

 どれくらいそうしていただろう。天使はふっ、と歌うのをやめた。僕の気配を感じとったのか顔を上げる。

 僕は慌てて頭を引っこめた。隠れる必要はなかったけれど、つい隠れてしまったのだ。

 ……目が合ってしまった。吸い込まれそうな、空より青くてとても綺麗な瞳だった。

 顔を出さないように手を伸ばして窓を閉めると、自分の寝汗で湿っぽいベッドにもぐった。さらに天使から隠れるように。

 胸の鼓動が早い。ドキドキする。

 それまで僕はたいていの時間を眠ってすごしていた。けれどそれ以降、歌手が庭で歌いはじめると目を覚まし、窓を開けて、歌を聴きながら歌手を眺めるようになった。

 目が合ってから何日か後。体調が整っている日に僕は天使に話しかけた。天使のお姉ちゃん、と呼んで。あのころの小さな僕にとって、歌手は『お姉ちゃん』だった。

 とても緊張していたので、肝心の話した内容は頭の中から消えている。……子供のころからもう、僕の情けなさはしっかりと身についていたのだ。

 ただ、初めて感じた満たされたような気持ちだけは、なんとなくまだ胸の内にある。

 僕と歌手はたまに言葉を交わすようになった。話した内容は覚えていない。僕は幼子だった。きっと、自転車旅の軌跡以上に他愛もない話だっに違いないのだ。

 いつ名前をきいたのか、僕は天使を歌手、と呼んでいた。……天使の王子様がつけた名前。

 歌手との時間は楽しかった。好きな人とすごす時間は楽しくて短い、ということを僕は身を持って覚えた。

 人形だった僕は、歌手と出会ってだんだん人間になっていく。

 けれど体調は悪化し僕はベッドから動けなくなった。

 ――冷たい……朦朧とした意識を覚醒させ重いまぶたを上げる。間近に歌手がいた。僕はびっくりした。僕のひたいに手をあてている。歌手が優しく僕になにかを言う。歌手が僕を抱き、僕の体が冷たさに包まれる。

 安寧、そして暗転。僕の記憶は抜け落ちる。

 気がついたら僕は元の広すぎる家に戻っていた。使い慣れた大きくてふかふかなベッドにいる。

 僕は危篤状態に陥り、つい先日まで集中治療室に入院していたらしい。

 僕の胸にある喪失感。僕は泣いた。ひたすら悲しかった。

 あれが、僕が初めて知った、そして唯一触れた愛だったんだ。

 僕は早く大人になりたかった。あの天使のお姉ちゃんに見合うだけの大人の男に。

 僕は彼女について知りたくて、だから家にある曾祖父の遺品を探しあさったのだ。

 そして歳を重ねた僕は、満を持して天使に会いに行った。自分はもう充分成長し大人になったと。

 人形はすべてを記憶する――歌手は昔の僕のことも覚えているだろう。

 訊いてみようとも思ったけれど、あの弱々しくて小さかった子供と今の僕を結びつけてほしくなかった。今の僕だけで接したかった。男のちっぽけな見栄だ。

 これが、どうしても伝えられなかった僕の最後の秘密。


 そして、最後。本当に最後だ。

 歌手に会いに行こう。


   2


 それが、後付けながらも最後の工程のようだった。

「お前に美しい羽をつけよう」

 人形師が私に翼をつける。

 私は天使を模した人形。

 ただここにあるだけの存在。

 魂移動の試作品、それどころか明確に失敗作である私を、この家の主である人形師はなぜか最期まで手放さなかった。

「もうすぐ逝く。……ミワ。すまなかったな。一言あやまらせてくれ」

 それが大往生する際の人形師の言葉。

 枯れた頬を一筋の涙がつたった。

 ミワというのは愛する女性の名前だろうか。私はその女性に似せてつくられたのだろうか。そう、ぼんやり思った。

 私は一人ぼっちになった。

 なにもない日々を無為にやりすごしていると、ある日子供が家を訪れた。

 その子供は黒い無垢な瞳でいつも窓から私を見つめていた。

 世話係の家政人形いわく、この家の家主であった人形師の曾孫だという。体調が悪く療養に来ているということだ。人間は頻繁に体を壊す。なるほど、人形師が人間の魂を人形に移そうとした理由もわずかながら理解できようというものだった。

 そのとき私は人形師が遺した歌を歌っていた。

「天使のお姉ちゃん」

 子供が私にそう声をかけた。屈託のない笑顔だった。

「こんにちは。歌うまいね!」

 療養、という言葉が頭をよぎる。体調は大丈夫なのだろうか。家政人形がついているといっても油断はできない。人形と違い人間は複雑にできている。私を引き取る可能性はなくとも、私のかつての持ち主の曾孫なのだ。私にも体調を慮る義務は生じると思われた。

「ありがとうございます」

 私は微笑んて形式的なお辞儀をした。さっさとベッドで眠りについてくれることを期待して。

 けれど子供はさらに言葉を続ける。

「きみは天使のお人形さんなの?」

「そうなのでしょうね。貴方にそう見えるのでしたら」

 私のそっけない言葉に子供はきょとんとした。

「? 僕に見えないと天使じゃないの? ……まあいいや。じゃあきみの名前は?」

 私には返す言葉がなかった。黙り込む。

「名前もわかんないの? 自分のことじゃん」

「私には、自分のことがわからないのです。ただここに在ることしかできませんの。名前もございません。私を呼ぶ方がいないので、必要ありませんから」

「でもこれから僕が呼ぶからさぁ、名前つけてあげるよ。えーと……よく歌ってるから『歌手』!」

 なんてひねりのない名前、と思った。けれど、相手は子供なのだから仕方がない。人形師の曾孫からの命名なのだし、ありがたくいただくことにする。

 つくられてから幾年、私はようやく名前を手に入れた。

「他にはなにがない? ほしい? 僕が考えてあげる」

「……では、私がここにある理由をくださいまし」

 私は期待せずに言った。そんなものは誰にもつくれない。たとえ人形師の子孫であっても。

 けれど子供はさらりと言ってのける。

「僕に歌を聴かせるためにここにある、でいいじゃん」

 あっという間に、私には『人形師の曾孫のために歌う』という存在理由ができてしまった。

 こうして私は、その子供に名前と存在理由――『自分』をもらった。

 意外なことにその子供とすごす時間はとても楽しく、私はたくさんの感情が自分に施されていることに気がついた。

「歌手。僕、花火がしたいよ。しようよ」

 子供が部屋で花火を見つけたらしく私にねだる。

「いけませんわ。外に出ては。安静になさってくださいまし」

「僕もうすぐ死ぬんだ。生きてるうちに一回だけでいいからしたいよ。はーなーびー!」

 子供は駄々をこねた。よく「もうすぐ死ぬ」と、この子は言う。まだ子供なのに。

「死にませんから、お家に帰って体調が万全なときにゆっくりとなさってくださいまし」

 私は軽くあしらった。余計な手出しをして、この子供の体調を崩したくない。

「なに言ってんの、歌手としたいんじゃん! もういいよバカ!」

 子供はすねて部屋に顔を引っこめてしまった。乱暴に窓を閉める。

 その日を境に子供は窓から顔をのぞかせなくなった。

 数日が経ち、私は家政人形が買い出しに出て留守にしているころを見計らい、その子供のいる部屋に入った。

 まだ怒っているのだろうと思っていたがそうではなかった。

 熱にうなされる子供がベッドにいた。

 意識は混濁し、朦朧としているようだった。

 部屋に熱がこもっている。私は窓を開け換気をした。

 私は子供の赤い頬をなでた。熱いひたいに手をあてる。

 開け放たれた窓から風が入りこむ。

 かたわらの机の上の童話のページがおしまいのシーンまでめくられる。

 王子様は天使を助けだし、二人は楽園でいつまでも幸せに暮らしました――

「……か、……しゅ……?」

 子供が薄く目を開けた。

「花火をいたしましょう?」

 私は微笑み子供を背負った。人間のおんぶを真似て。私の飾りものの翼は負荷に耐えられず、左の翼がすぐに根元から折れた。

子供がずるりとベッドに降りる。

「もういいよ。僕は死んじゃうからさ、意味ないよ。花火、歌手としたかったなぁ」

「諦めないでくださいまし」

 私は子供を抱え上げ、抱っこをした。

 ――私はなにをしているのだろう。この子の体調を考えるなら、絶対に外に連れて行ってはいけない。けれど私はこの子の望みを叶えてあげたい。……どうして。私は人形、私の中に矛盾は存在しないというのに。

 私は葛藤を頭から追いやる。子供を庭に運び縁側に横たわらせた。部屋に戻り花火と折れた翼を持ち出す。

「羽根……」

 すまなそうにして子供が私の折れた翼を見る。

「必要ありませんわ。こんなのただの飾りですもの」

 これは本音だ。あってもなくても私が飛べないことに変わりはない。私は折れた翼を地面に置いた。花火に火をつけ子供の手に握らせる。

「きれい。きれいだね」

 子供はクルクルと花火をまわした。

 私も子供を気にかけながら花火を楽しんでいるように振る舞う。

 締めには線香花火をするらしい。私達は小さな灯火を見つめた。

「お母さんとお父さんは僕を忘れて死んじゃったの」

 熱に浮かされた子供の言うことはよくわからない。けれど死という言葉の不穏さに、一応私は慎重にうなずいた。そしてそこにこの子がよく死を気にしている理由の片鱗を感じてしまい、少し悲しくなった。

「歌手も僕を忘ちゃう?」

「いいえ」

 人形は忘れることを知らない。

「私は貴方を忘れませんわ」

 満足げに子供は微笑んだ。

「僕、大人になったらきみを迎えにくるよ。絶対にきみを迎えにくる」

 小指を差し出し、

「約束。指切りしよう」

 私はつい微笑を浮かべてしまった。

「まだ私は了承していませんのに。勝手な方」

 私と子供は小指を結び指切りをした。

「ウソついたら針千本だって。こわっ」

「私は嘘をつきませんから安心ですわね。お気をつけくださいまし」

「約束は絶対守るよ! 歌手、待っててね」

「ええ。お待ちしております。いつまでも。」

「僕は歌手が大好きだよ」

「私もですわ」

 いずれにせよ私はこの家屋にあり続けるのだ。約束に関わらず。――そう頭では考えているのに心が弾む。またこの矛盾。

「ねえ、僕の名前きいてよ」

 子供が私のそでを引く。

 私は長い間名前がなく人の作法もしらない。どうやら名前はお互いに知っていてしかるべきもののようだ。

「貴方のお名前はなんというのですか?」

 私は尋ねた――けれど知ることはできなかった。

 私のそでを握りしめたまま、子供は気を失ってしまっていた。

 私は子供を部屋へ運びベッドに寝かせた。

 帰ってきた家政人形は子供の容態を重く見て子供の保護者へ連絡をとり、子供は設備の整った病院へ移って行った。 

 私と花火をして気を高ぶらせてしまったこと、花火の煙が体に障ってしまったことが体調悪化の原因だろう。

 家人に経緯を知られたら私は廃棄処分、もしくは売り払われてしまうのだろうか。

 ――私はここを離れるわけにはいかない。あの子のために歌う、あの子の迎えを待つ、という役目――存在理由をもらったのだから。

 立てこんでいたため、私の翼が片側だけになってしまったことにはまだ誰も注目していない。

 庭の木に傷をつける。

 あの子の保護者が、私が木にぶつかり翼を折ってしまった、と考えてくれることを期待して。

 その後、保護者は無事そのように解釈してくれ、私は意味ありげな『片翼の天使の人形』になった。

 あの子供が私を覚えている保証はない。子供の記憶力に期待してはいけない。

 ましてや高熱で意識は混濁していたのだ。この家でのことはすべて記憶に残らないかもしれない。記憶に残ったとしても、熱に浮かされて見た夢だと思うかもしれない。

 かもしれない、という曖昧な言葉とともに、傷つく前に用意する保険のような架空ばかりがいくつも胸のうちを通りすぎる。

 私はあの子を待ち続ける。揺るぎない確定事項はこれだけ。

 私は彼を愛おしいと思った。恋心は――ましてや母性などは私の中には在りえない。けれど、確かに思ったのだ。

 私がひたすらに彼を待ちながら抱く想いには、愛だけではなく罪悪感も含まれているのかもしれない。

 ……かもしれない……? また『かもしれない』か。あの子と出会ってから、私はおかしい。私は人形なのに自身の考えを把握しきれない。これではまるで――

 そうして、私は迎えを待って永遠のように長い時を過ごすことになった。

 ――これがすべて。

 天使と王子様の、小さな愛の物語。

 そして物語はようやく終わる。

 私は空を仰ぐ。蒼く澄み渡る空が、地を這う私を見下ろしている。

 王子様、今も貴方はあの出会いの日のように、私を見下ろしていらっしゃいますか――

「許しは望みません、最後に聞いてくださいまし。……あのとき指切りをいたしましたわね。貴方を待ち続けると。けれど貴方は逝ってしまった。私は人形。貴方のいる天へ導かれることはなく、貴方に針を千本飲まされることもない。……だから、卑怯な私は約束を破ります」

 貴方が教えてくれた愛が私の中にある。

 王子様――あの子のいた部屋の窓から、私は庭を見下ろした。

 庭は荒れ果て、あの子の見ていた景色はもうないけれど。



 エピローグ・ダイアローグ・マチネ



 庭に歌手はいなかった。

 まさかもう消滅して――

 そんな。こんなに早くなくなるなんて。

 僕は力無くへたりこんだ。

 空を仰ぐ。蒼く澄み渡る空が、地を這う僕を見下ろしている。

『貴方は自由なのね』

 彼女の言葉だ。

「僕をまだ自由だと思う? 好きな女の子の心一つ奪えないのに」

 歌手はきっと、王子様を探しに天に経ったのだ。

「ありがとう。天使のお姉ちゃん」

 僕は瞑目してつぶやいた。

「貴方が……?」

 頭上で聞き慣れた声がした。鈴よりもなお澄んだ声が。

 僕は振り向き上を見た。

「……歌手……」

 歌手が家の二階の窓から庭を見下ろしている。なぜか驚いたように目を見開き口元に手をそえて。

 そうか。夜は家の中にいる、と言っていた。年がら年中縁側でひなたぼっこしているわけでもあるまいし、昼に家の中にいることもあるだろう。

 僕はとんだ勘違いを……

「きみ、なにしてるんだ」

 ひとり顔が赤くなるのをごまかしたくて、僕は立ち上がりながら語調を強めた。

「準備をしていたの。最後に見ておしまいにしよう、と。王子様との思い出は、思い出としてここに置いて行こう、と思って……」

 歌手が手元に持つ童話を閉じた。

 僕も子供のころに読んだことがある、王子様と天使の童話だ。王子様は天使を助けだし、二人は楽園でいつまでも幸せに暮らしました――だったか。

「貴方が次に来たときに私を必要としてくれたら、一緒にここを経とうと決めたから……」

 歌手は窓枠に両手を置いた。腕に力を込めると体を持ち上げ窓枠に乗り、立ち上がる。

 なんだ……?

「ナツル。よろしいかしら。これ、一度してみたかったの」

 言うやいなや、歌手が僕に飛び込んできた。

「……っ……!?」

 僕は慌てて腕を広げ歌手を受け止める。

「っ、なんてこと、するんだ……! 危ないじゃないか!」

 僕は思わず叫んだ。

「ああ。ナツル。貴方はもう大人の男の人なのね。まったく気がつかなかったわ」

 僕の腕の中で、歌手は僕の言葉を聞かずに楽しそうに笑い声を上げた。

「なにがしたいんだ、きみは」

「私はもうすぐ消えてしまうわ。貴方を深く悲しませてしまうでしょう。それでもいいのよね? 変わらず私を愛してくださる?」

 歌手が僕の顔をのぞきこむ。言葉とは裏腹に、僕の想いを信じきった眼差しで。

「僕と来て……くれるの?」

「貴方のためではないわ。私が貴方といたいから行くのよ」

 歌手は僕の目を見つめた。蒼い空の下、その瑠璃色の双球はいっそう美しく輝いている。

 歌手は歌を口ずさみはじめる。



愛のための小さな世界

愛のため

誰のため


貴方のため

それは私のため


私と貴方のための世界

二人で行こう 二人で生きよう

愛のための大きな世界



 歌い終えると歌手は、すう、と息を吸って、吐いた――仕草をした。人形は息をしない。生きていない。

 ……けれど、心には愛がある。そのことを僕は知っている。歌手の愛が僕だけのものでなくても構いやしない。隣に歌手がいればいい。

 僕は王子様ではない。

 醜いけれど幸せな、最後の人間だ。

「どうだったかしら」

 歌の感想を知りたいらしく、歌手が首を傾げる。

「歌手にしてはずいぶんストレートな……わかりやすい恋の歌だね。王子様を無理に吹っ切ろうとしてない?」

 僕は意外な歌詞に、自意識過剰かと思いながらも尋ねてみた。

 歌手は僕の言葉には応えず微笑んだ。

「ねえナツル。私、貴方とお話ししたいことがあるの」

 歌手は僕の腕の中から降り立ち、踊るようにくるりと回った。

 どんな話をするつもりなのだろう、歌手はとても楽しそうだ。とても――幸せそうだ。

「おとぎ話について……いいえ、私達の思い出話についてよ。私達、秘密だらけの似た者同士なんだわ」

 歌手がはじめて見せる、いたずらっぽい微笑み。

「覚悟していてね」

「うん? なんだろう。なんだか不安だなあ」

 僕は微笑みを返すと歌手の冷たい手に自分の手を重ねる。

 永遠ではなくほんのひと時、この今の僕の体温を寄せるように。


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