02
縁ヶ丘の街の大通り。
僕にかけられる穏やかな声。
だれもかれもが綺麗な笑顔。
「ハロー夏流草さん、元気?」
「ねえ寄ってってよ。お兄さん」
「おかえり、なっちゃん。今日も天使と逢い引き? ニクいねー」
「あの、お花もらってください……!」
茶番だ。すべてがかりそめの茶番劇。
この街は巨大な劇場だ。
もう終わりにしよう。
両手がふさがっているので、ひじを使って『あまねく満月亭』の扉を開いた。
扉上部のベルが鳴る。ミズリノが僕を出迎える。
「おかえりなさい! お客さま」
「ただいま」
「きゃっ、今日のは大きいですね〜」
僕が抱える花束を見て、ミズリノは飛び上がった。花屋の女の子がくれる花束は日に日に大きくなる。
「見てください。クルミネちゃん、今日は『あまんてい』にもお花届けにきたの」
ミズリノは玄関ホールにあるソファテーブルを指差した。ピンク色の花が花瓶にある。
「ああ……」
僕はため息ともなんともいいがたい声をもらした。花瓶のそばにもらった花束を置く。
「はいっ。なんとお手紙さんも。ヒューヒュー、ラブレターですよ。知ってます?」
「まったく失礼だな、きみは。知ってるよ」
「もらったことは?」
「これが初めてだけど。……なんだ、その顔は」
「なーんでもっ」
ミズリノは顔に含み笑いを浮かべたまま口笛を吹く仕草をした。吹けないのだ。ヒュー、と声に出す。
僕はレース模様の封筒を開けた。同じくレース模様の便せんに書かれている丸文字を、黙読する。
『夏流草さまへ
突然のお手紙すみません
花屋「真輪」の胡桃ネです
あなたさまのお名前は瑞里ノちゃんから聞きました
さっそくですけど、胡桃ネは夏流草さまのことが好きです
はずかしいからお手紙に書きました
いつでも真輪に来てください
待ってます 胡桃ネより』
「あああ……」
僕はさっきよりも深く、ため息ともなんともいいがたい声をもらした。ハートマークの散りばめられた文面から顔を上げる。
「すごい子だね……きみのなれなれしさに気を取られている間に、こんな濃い子に懐かれてたなんて。とんだ伏兵だよ」
「敵みたく言わないでくださぁい。あたしもクルミネちゃんもかわいいんだからいいじゃない。ね?」
ミズリノは僕の腕に、組むように両腕をまわした。
「だからやめてってば」
僕はミズリノの腕をそっと払う。
「いつも避けるんだからぁ。もうそれ、いいんじゃないですか?」
ミズリノはむくれるように、ぷうっと頬を膨らました。
僕はミズリノに触れられた腕をつかむ。
「……その肌の冷たさには未だに心が痛むんだ。慣れること、できそうにない」
ミズリノはきょとん、と首を傾げた。すぐに上目使いで笑みを浮かべる。
「冷たいのはしょうがないですよぅ。お客さまって冷え症なの?」
「……ごめん。もう寝るよ」
「まだ夕方ですけど?」
ミズリノは不思議そうに言った。
この子はふて寝などしない。規則正しい安定した生活をし、悩みや揺らぎとは無縁なのだ。いや。ミズリノはそれとは無関係に、そもそも眠らない。
「明日、大事な用があるんだ。……おやすみ。ミズリノ」
僕は部屋に入ると扉を閉めた。
外から「おやすみなさぁい。あっ、お花は玄関に飾っちゃいますね〜」と、呑気な声がした。
「旅館『あまねく満月亭』の、能天気な看板娘」
これが、生きる人形『瑞里ノ』に与えられた役割だ。
フリーダムなようで、その役割から逸脱する行為――例えば、客と一緒に街の外へ天使に会いに出かけたり
――は、できない。
そういうつくりなのだ。
持ち主の土地に懐き、飲食せず、睡眠せず、呼吸もしない。
ミズリノだけではない。この街の住人は皆、時を持たない人形だ。
旧式の歌手とは違い関節も人間のようで、他のどのパーツも人と比べて違和感がない。人間を模してつくられた人形は、精巧であればあるほど人間と区別がつかない。もはや人間そのものだ。
どの人形も人間のように振る舞い、無粋な言葉は口にしない。明るく、穏やかに、正しく、楽しく……人間よりも人間的な人形の暮らす街――それが現在の縁ヶ丘の姿だ。
僕はこの歪みのない美しい街にいると、まるで自分の方がポンコツのデク人形であるかのような錯覚に捕われかける。
……けれど僕は決めたのだ。
明日、僕の人形劇に幕を降ろすと。