01
ポエムまじりの回の更新は内心瀕死である。
自分で思ってるほど恥ずかしく…ない…!
――歌手が歌っている。
……そのいつもどおりさに、僕は心の底から安堵した。
あなたの目が眼鏡の先にある
自分と似てると大目に見てしまう
自分と似てないと焦点が掴めない
好きだと目が曇る
嫌いだと目に余る
興味がないと視界から消える
せめて色眼鏡はかけずにいたいベター
興味があって好意も嫌悪もないのがベスト?
そんな机上の空論で報告書をしたためる
眠気に目を閉じてしまいそう
「ええと……。ごめん……なさい……!」
僕は歌手の元を訪れた開口一番、謝った。
あの日からは二日が経っていた。
「いらっしゃい。少しだけお久しぶりね」
「ああ、うん……あの、……」
「私ならなにも気にしていないわ。だからナツルも気にしないで」
歌手は穏やかに微笑んだ。
「……ありがとう」
僕は歌手の座る縁側に歩いた。歌手は気にしていないという言葉どおりに僕を避けなかったけれど、僕はいたたまれなさに少し距離を空けて座った。
木漏れ日がちらちらと揺れている。まだら模様の光と影が踊る縁側で、僕は歌手へのなにげない話題を探した。戸惑いと緊張に、いつも以上に頭の働きが鈍くなっているようだ。
なにも出てこない。
銀色の髪の毛を指でとかしていた歌手が、膝に両手を乗せる。
「愛のようには気高くは在れないものらしいわね」
「なにが?」
僕は訊いた。
歌手は、ふ、と微笑み、
「恋」
と、ささやくように言った。
僕は思わず手に持っていた水筒を落とした。
僕の手から滑り落ちたスチール製の水筒は、さくり、と、草の緩衝材に落っこちて、転がることなく足元にとどまった。
僕は無駄なこととわかりつつも平然を装いながら水筒を拾った。縁側に置く。
「……人の心に、ずいぶん直接切り込んでくるなあ」
「首を絞めた、絞められた間柄ですもの。もはや並の親しさではないと思わない?」
「……本当は怒ってる?」
「いいえ、まったく。萎縮するナツルを楽しんでいるのよ」
「このっ……」
「被害者の特権ね。……あら。なんの話だったかしら」
「忘れればいいよ」
なにかと想いを伝えてしまった想い人と広げたい話題ではない。
「思い出したわ。恋の話ね」
歌手は嬉しそうに両手を合わせた。
……こいつ、わざとやってるんじゃないか。
「恋をすると人は皆、大なり小なり我を失ってしまうものなのでしょう。ああなってしまうのも、仕方がないことなのだと思うわ」
「いや……あれは、やりすぎだよ。病気の域だ」
むしろ狂気じみてさえいた。
あんな醜態をさらし、僕自身、二度とここに来ることはないと思っていた。
……結局こうして来てしまったけれど。
今日来たのは、あやまりたい、という思いからだった。そしてもう訪れない、と、決めたのだ――昨日は。
決意はすでに揺らぎはじめている。
僕は馬鹿だ。
確信さえしている。決意なんてあっという間に立ち消え、また来てしまうのだろう。
会いたい、という……想いや願いなどと形容するにはずいぶんと原始的な、心の欲求に引きずられるままに。
僕の内心、自分の諦めの悪さへの憂いを知ってか知らずか、歌手がかすかに笑った。
「恋の病、ともいうものね。『愛憎』、と対にして語られることもあるようだし。あのときナツルに私が向けられたのは、愛の側面としての憎しみね」
「ごめん」
「違うの。責めていない、怒っていないと言っているでしょう。私に向けられる感情はどんなものでも嬉しい、と言ったわね」
僕は黙って頷いた。
「憎しみだって、例外ではないのよ。さすがに殺意だったらご遠慮願いたいけれど、あれはただの憎しみ、それも私への好意からのものだったのだから。拒む理由はないわ。珍しい感情に触れることもできたのだし。……とにかくこれだけは伝えたいの。私はまったく嫌ではなかったわ」
「……ありがとう……。きみが感情に理解のない、好奇心旺盛な人形でよかったよ」
「どういたしまして。……ナツルは自由なのね。私、ナツルが羨ましいわ。自由で、感情と言動がまっすぐにつながっていて」
「自由……どうかな。僕は自分の弱さを肯定するために、嘘ばかりついているんだ。……自分にも、きみにも」
王子様の死を歌手に伝えられなかったのは、その最たる例だ。
歌手としても本当は訊きたいはずだ。王子様について。訊きどきを量っているのは、僕の弱さに配慮しているからに他ならないのだろう。
「人の心は、苦しいものでもあるのね。けれど……それでも羨ましい。私は恋も嘘も知らないわ」
「言動の選べる範囲の広さが、逆に自分を追い込んでいるようだよ。無駄に複雑で、そのぶん脆弱だ」
言ってから、僕は直前の歌手の発言に違和感を覚えた。
「……恋を知らない? きみが?」
「明確にしておいたほうがよかったのかしら。私の王子様への想いは、恋ではなく愛なのよ」
腑に落ちない。異性への愛なら、それは恋と同義ではないか――
返事しあぐねている僕に、歌手は「それと」と言葉をつないだ。
「私は天使ではないわ。ただの人形よ。ナツルはたまに私を買いかぶる、本物の天使と存在を混同するようなときがあるから言うのだけれど。人形には命はないし、宿せない。だから恋をする必要がない。いらない仕組みを存在させる道理はないわ。恋をしているように振る舞う人形もあるようだけれど、扱う人間の需要に応えてそう見えるような仕様を与えられたにすぎないのよ」
「僕にとって、きみは天使だよ。はじめて見た瞬間から。今さら修正なんてきかない」
顔が熱い。自分でも赤くなっているのがわかる。
歌手はうつむき、ゆっくりと首を振った。
「もう終わったことだけれど。やっぱり私にも謝らせてちょうだい」
僕に顔を上げ一瞬表情をくもらせる。けれど、すぐに迷いを断ち切るように透明感のある笑みを浮かべた。
「私、あなたの好意を測り誤っていたの。人形の私よりも、ナツルはずっと深い愛を抱えられるのね。私の言動はずっと無神経だったわ。ごめんなさい」
ああ。だから自分が人形だ、と僕に改めて話したのか。
さっきはじめて聴いた歌は、愛や恋を題材にしていなかった。いつも歌手は愛を歌っていたのに。歌手はもう僕には王子様の話をしないだろう、愛や恋を歌わないだろう。僕が知っていることを明かしてしまった『王子様の死』についても、きっと僕に訊くつもりはないのだ。
僕は歌手から愛する人への希望を奪い首を絞め、こうして穏やかな時間をすごしている。