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恋人形劇の閉幕  作者: ささ
第四幕  ウォーターブルー――氷晶と水色
11/18

01

読んでくれる人、ありがとうございます。


佳境ですかね。書き始めたのはこのあたりからでした。

――歌手が歌っている。

 


愛のための小さな世界

 

愛のため

 

誰のため――

 


 空を見上げる。

 雲間の薄い部分にわずかに太陽の光が透けている、木々から開けた庭に浮かんでいる曇り空。……こんなに雲があれば、天の王子様にも歌は届くまい。

 僕は庭に入るとすぐに目の合った歌手に拍手をした。

「やあ」

「いらっしゃいまし」

 風が強い。縁側に立つ歌手が着ている白くて長いワンピースのすそがはためいている。

「今の歌、よく歌ってるね」

「人形師のかたが歌っていたものですわ」

「短い歌だ」

「本当はもっと長いのでしょうけれど。この部分だけを繰り返し口ずさんでいらしたから、全体はぞんじませんの」

「せっかく上手なんだ、きみが作詞作曲して全体を創ってしまえば?」

「そうですわね……」

 歌手は雲の層が早く流れる空を見上げた。

「考えてみましょう。女の子の言葉を教えていただいたら、さっそく取り入れますわ」

「敬語、やめるだけでいいんじゃない」

 僕は素知らぬふりをして軽く言うと、庭を歩いた。

「教えてくださる、お約束でした」

「だって、歌手らしさがなくなってしまうじゃない。変にいじることないよ」

「私らしさ? このお話の仕方だって、昔ここにいらっしゃった旅のご婦人の真似なのですよ。私は個性なんて持ち合わせておりません」

「僕にとっては、今ので十分に個性的、きみらしい話し方なんだ」

「『僕にとって』は、私になんの関わりもありませんわ」

 歌手は、ふい、とそっぽを向いてしまった。

「変えてほしくない」

 ぼくは正直な想いを口に出した。

「本当言うとね、きみの王子様が妬ましいんだよ」

「嫉妬……彼に?

 ナツルさんはそんなに私のことを好いてらっしゃるの?」

 ……すごい台詞だ。けれど歌手の瑠璃色の瞳に驕りなどはなく、ただ興味だけが浮かんでいる。不思議への純粋な好奇心。

 僕はぎこちなく「うん」と頷いた。それがやっとだった。

「私とナツルさんは、前世でお会いしていましたかしら」

「一目惚れは、おかしいかな」

「……いいえ……そうね、素敵ですわね。とても人間的で」

「そうかな。どちらかというと動物的じゃない」

「人間も動物でしょう。本能、生命、息吹。そういった血のかよっている様子を相手に見

つけるのは楽しい。私にはないんですもの」

 歌手は微笑んだ。

「それに、私に向けられる好意は単純にありがたいわ」

「僕のものでも?」

「ナツルの好意は価値が薄いの?」

「いや、まあ。僕が決めるものではないね。自己の評価は常に他者によって行われる」

 僕は縁側に立つ歌手のそばで壁にもたれた。

「きみが喜ぶのなら、それなりに価値があるんだろう」

「ええ。私は嬉しいのよ。例えば好意でなくても、私は喜ぶわ。悪意でも興味でもなんでも。私に向けられる感情自体がとても珍しいのよ。なにせここを人が訪れることは、めったにないのだもの。相手が存在しなければ、私への嫌悪感はおろか、無関心さえ存在しない……」

「あれ」

 歌手の言葉を聞いて、僕は奇妙な感覚に首を傾げた。すぐに違和感の正体に思いあたる。

「敬語……」

「早速やめてみたわ。どうかしら」

「話すのに夢中で気づかなかった、いいじゃない」

 意外におかしな感じはなかった。すぐに慣れそうだ。僕を呼ぶのに「さん」がなくなったのもいい。

「唯一先生になってくれそうなナツルが拒むのだもの。私が妥協するしかないわ」

「もしかしたら、敬語しか知らないのかな、とも考えてたんだよ」

「この家の本はすべて読んだ、と言ったでしょう。小説の女性のお話の仕方を参考にしてみたの。これで、お姫様ではなくなったかしら」

「うん。女の子みたい」

 女の子、というよりも女の人、といった印象だが、大人びた雰囲気の歌手にはちょうどいいので、僕はおとなしく同調した。

「今日は風が強いわね」

 突然、歌手が話題を変えた。

「家の中へ入りましょうか」

「えっ」

 意外な事実に驚き、僕は素っ頓狂な声を上げた。

「中に、入れるの?」

 歌手は僕におかしそうに笑いかける。

「当然よ。私、夜はいつも家の中で眠る真似をして朝を待つのよ。夜目はきかず、暗闇の中では歌うことしかできないのだもの」

 言われてみれば当然のことだ。歌手が、雨ざらしにもなる庭だけを行動範囲にしているはずがない。いつも清潔な白いワンピースを着ているのだ。汚れてしまっても、着替えられる服が屋内にあるということではないか。家にいれば、あまり汚れることもない。

 歌手は胸元から鍵を取り出した。

「この鍵で、私の動く時間を調整できるのよ。だから私は夜に動きを止め、朝に動き出すの。人間のように」

「そうだったの。なんか楽しい話」

「楽しんでいただけてよかったわ」

 歌手は縁側に面したガラス製の引き戸の、取っ手になっているくぼみに手をかけた。引き戸には無地のカーテンが引いてあり、家の中は見えない。

「中で教えていただきたいの。外での作法を。無礼な縁側でのご挨拶のようなことをしてしまわないように」

 『外』とはもちろん森の外、人の街のことだろう。そういえば歌手に縁側で出迎えられたとき、僕は失礼だ、という態度をとった。

 あのときすでに歌手は、僕から外に関することを聞き出すことを考えていたのだろうか。

 ……王子様のために。

「お茶もなにも、出せないけれど。どうぞお上がりになって」

 引き戸が開かれる。カラカラと音が。庭からの風を受け、カーテンが重たげに揺れる。

「勉強なんてしても無駄だよ。王子様は、もう死んでる」

 僕はあまり働かない頭で思考を巡らせながら、部屋に入るために縁側に乗った。

 歌手が僕との時間を楽しんでいるのは事実だろう。歌手は穢れない天使人形だ。利用するつもりなんて、ないのだ。わかっている。わかっている、けれど。

 歌手にとって僕は、いつまでも来客のひとりでしかない――

「――?」

 歌手がなにかを言った。戸を引く動きを止め、僕を見ている。様子をうかがうように。

 僕は思考を引き戻す。

 しまった。僕はさっき、なにを口走った――?

「もう死んでいる、って……?」

「なんでもないよ。ちょっと疲れてて」

「ナツル」

 僕のこわばった態度でのごまかしは逆効果だった。冗談の可能性を考慮していただろう歌手はその可能性の薄さを僕の様子から読みとり、緊張したように息を飲んだ――ような仕草をした。人形は息をしない。

「彼のことを知っていたの? 知り合いだったの?」

「知らないよ。きみの王子様のことなんて、なにも知らない」

 これは事実だ。

「ねえナツル。それなら貴方、なにを知っているの」

 歌手は怪訝そうに眉をひそめ、僕の顔をのぞき込む。

 風にあおられて外に出てきたカーテンが、僕と歌手の間で揺れる。

 僕は応えない。

「……どうして今まで、黙っていたの?」

 歌手は唇を震わせた。そこに形作られる歪んだ悲しみの笑み。

 心が凍っていくのが自分でわかる。

 こんな微細な仕草もできるのか、と、僕は歌手を冷淡に観察した。この心の冷え込みは、逃避の一種だろう。まったく人間というものは人形と較べると不安定に危うく、ちぐはぐにできている。波立つ感情に思考を奪われている方が、かえって雑味が抜けて冷静になれる場合もあるのだ。

「私に気を使ってくださったの? 余計なお世話だわ。私は真実しか望んでいない。……貴方からしたってそうよ。彼の死を知らせてしまえば、すぐに私をここから連れ出すことができたでしょうに。……すぐに……貴方のものにできたでしょうに」

「馬鹿な、できるもんか」

 僕は癇癪のように腕を振るった。右手が屋内の戸口すぐにあるランプをかすめ、その存在を初めて認識する。僕はランプをつかむと庭に放り投げた。体の内にたまる破壊衝動の解消――ただの八つ当たりだ。

 ランプは、がしゃり、と音を立てて割れひしゃげた。ガラス製の傘をしていたようだ。

 だが僕の内部で鎌首をもたげた憤りは、これっぽっちも鎮まらない。僕の感情はさっきあんなに凍てついていたのに。……前言撤回。僕は今、大いに冷静さを欠いている。

 深く息を吸い、吐く。軽く目眩がする。苛立ちに本来なら脳を巡るべき酸素を奪われているようだ。頭の中では黒を帯びた熱が早鐘のように脈打っている。

 視線を感じた。歌手の蒼い瞳が僕を捉えている。僕が物に当たり散らしていた間、歌手は視線を僕に据え続け、一瞬さえも離さなかったようだった。

「……どうして黙っていたのか、気を使ってくれてたのか、だって?  人形ってのはどいつもこいつも呑気なもんだな。人間の本質なんて、きみにはどんなに掴もうとしても形さえ見極められるはずがないんだ」

 僕は黒い衝動ごと言葉を吐きだし続ける。

「黙ってた理由? はっ、勝てないからさ。『王子様』の亡霊に。想い出なんかとやり合いたくない。死に別れた花は、遺される人の中でより美しく根付くものだよ。生身の僕では勝ち目なんてないんだ」

 自らの負けを認めなくては話を進ませることのできない屈辱に、僕の視界は暗く霞がかかっていく。

 暗がりで、歌手が泣いている。

 いや、人形は泣かない。今歌手は、笑っているのだ。

 ――ああ。歌手のこの冷笑が泣いているように見えるようになったのは、いつからだろう。

 そしてこの錯覚はたぶん、遠からず近からず、だ。

 少なくとも、まったく愉しいわけではないときに限って、歌手は嘲笑うのだ。きっと。この世の絶望やら欲望やらを自分から隠すために。穢れをなるべく遠ざけるために。自分の中にある一番人形らしくない、人間じみた仕草を使って。泣く代わりに。涙の出せない乾いた体では、泣くことで洗い流すことができないから。

 ……それならばせめて、僕を殴ればいいのに。僕が猛る感情のままランプを投げて壊したように。

 僕のように、醜くなってしまえばいいんだ。

 けれど歌手はいつだって汚れなく笑う。悲しみに満ちた冷たい笑みでさえ美しいのだ。

 なぜなら歌手は僕の手なんて届くことのない――

「天使……」

 僕の喉で待機し、腐れかけていた声はかすれ出た。仕切り直すよう喉を鳴らす。

「天使にこんな汚さを見せつけるのは酷だったかな。ははっ。こんな……血の滲むような、反吐まみれの感情は」

 一度笑い声を上げると、つられるようにふつふつと笑いの衝動が込み上げてくる。

 そのまま笑う。耳の至近距離でひび割れた笑い声。

 僕はなんて惨めなんだ。

 王子様の亡霊には勝てない?

 我ながら都合のいい逃げ口上だな。それ以前に、生きている王子様にも勝てるはずがないだろう。

 こんな薄汚い僕を愛する人なんて、この世のどこにもいやしない。

 歌手は僕を見つめ続ける。綺麗な瑠璃色の双眸で。やがてまばたきを一度して「天使なら」と口を開いた。落ち着き払った声音だった。

「まだ救いがあったのでしょうね。けれど私は、神に導かれることのない人形だから」

 歌手は僕から視線を外すと、胸元から鍵を取り出した。

「自ら動きを止めるつもり?」

「あなた少し気が立ちすぎているもの。会話になりそうにないわ。落ち着いたら、起こしてちょうだい」

「……逃げるのか? ……いや……それもいいね。僕のせいで終わられるなら、王子様のために永らえられるよりはまだマシさ」

「なに?」

 歌手は訝しむように頭を傾けた。

「貸して」

 僕は素早く歌手から鍵を奪う。追って伸ばされたしなやかな腕をつかみ捕り、体を吊るし上げる。

 双球に怯えるような揺らぎ。

「そんな目をしないでくれ」

 心が罪悪感にざわつき、同時に支配欲がつのる。

 僕は歌手の体を壁に圧しつけた。壊れやすい細工のようなほっそりとした首に手をかける。永遠を感じさせる冷たい質感。躊躇なく力を込める。

「ナツル、駄目よ。首を絞めても私は死なないわ。息をしていない、生きていないのだもの」

「きみの息の根を止めたくてしてるわけじゃない。ただ、声の音を消してみたいんだ」

 僕は手に込めた力を強めていく。

 本能に雑念の入り乱れる本音、

 理性で構築し整えられた建前。

 どちらも必要ない。

 言葉なんていらない。

 そう……歌だっていらない。

 僕のためでは在りえないものだから。

「助けて」

 歌手のその願いが僕に向けられていないのはすぐにわかった。来るはずのない人物への願い――

「たすけて……たすけ……」

 いらない。紡ぐな。

「意地でも、僕じゃなく……、っ……」

 絞り出すように発した声。

 声の主は僕だ。

 まるで、僕が首を絞められている、喉を潰されているようだ。

 僕が殺されようとしているようだ。

 ……確かに、歌手がいなくなれば、僕も生きてはいけないだろう。

 ――違う。

 僕は歌手を殺そうとしてるんじゃない。ただ声を……ただ?

 『ただ』だって?

 僕が歌手の声を殺してしまったら、歌手はもう歌手ではいられないのに……

 急激に視界がぼやけだす。

 ああ、なんなんだ、この執着は。

 こうじゃないはずだ。

 こうじゃないんだろう?

「くそ……っ」

 うなり、僕は壁に頭を打ちつけた。

 愛する、ってのは、こうじゃないだろ。

 僕はまともに人を愛することすらできないのか。

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