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恋人形劇の閉幕  作者: ささ
幕間
10/18

願わくば陽の光が永遠であることを

 真夏、真昼、太陽、ひまわり……ここにはわたしの好きなものばかりある。

 気持ちのいい風が吹き、ひまわりが楽しそうに揺れる。

 空の頂きの太陽が、足下に小さく影を作っている。

 わたしは帽子が吹き飛ばされないように押さえ、そろりと木陰に忍び寄る。一夏の空を謳歌する蝉の鳴き声が間近で聴こえる。

「わ!……あら?」

 驚かせようと思って日陰にハンカチを引き休む少女に声をかけたはずだったのに、木の向こう側に当の目的の少女はいなかった。

「あなた」

 わたしはそこにいる夫に声をかけた。

「俺で悪かったな」

 木にもたれかかることでわずかなスペースの木陰の涼しさを得ている夫が、口元を片側だけつり上げて皮肉めいた笑みをわたしによこす。

「ミワちゃんは?」

 わたしは振り返ってひまわり畑を見回し、ぐるりと木を回った。

「見つからないわ。かくれんぼの再開?」

「あいつならもう帰ったぞ」

「まあ」

 わたしは両手を腰に当てた。

「どうして引き止めてくれなかったんです」

「本人が帰りたいと言うんだ。とめる必要も理由もないだろう」

 わたしの抗議を夫は軽く受け流した。

「だって、わたしたちに気を使ったんですよ、きっと」

「いらぬ気使いだ。だが、あいつがそうしたいんならすればいい。したいようにさせればいいんだ」

 夫はこともなげに言った。

「わたしは気なんか使ってほしくないの。ミワちゃんはわたしたちの妹みたいなものじゃないですか」

「あいつは俺たちのこと兄や姉のように思っちゃいないかもしれないぞ」

 表情を変えずにわたしをやりこめようとする夫に、わたしは舌を出した。

「もうっ、ヘンクツ!」

「なんだと」

 夫が目を細め不愉快であるという意を示す。

 わたしは帽子を脱ぐと夫の手に押しつけた。

「わたしを捕まえられたら撤回してあげます。競歩おにごっこですよ。十秒数えてから追いかけてください。よーい……」

 歩き出そうとしたわたしの腕を、夫が素早く引いた。

「捕まえたぞ」

 仏頂面でわたしをにらむ。「スタート前じゃありませんか。フェアじゃないわ」

「走らないからと言って許すわけにはいかん。おまえはすぐ調子に乗るからな」

「はい。放っておけば空まで飛んじゃいますよ」

 わたしは笑顔で応えた。

「空まで、か……」

 ふいに夫が顔をわずかに伏せた。

「俺はたまに心配になる」

 夫はわたしの髪の毛を手で整えると、頭に帽子をかぶせた。

 わたしはおとなしく続く言葉を待った。夫か心境を言葉にして告げてくれることはめったにない。

「……眠る前などとくにそうだ。おまえが、朝起きたら消えてしまっているんじゃないかと。……それこそ、空でも飛んで」

「あなた……」

 わたしは頭に乗せられている夫の手に自分の手を重ねた。夫の手は、その不器用な性格のとおり無骨でごつごつとしている。素晴らしい人形を生み出す、本当は優しくて傷つきやすい職人の手。

「わたしはどこへも行きません。ずっとあなたのそばにいますよ。あなたがこうしてわたしを捕まえてくれているかぎり。この子と一緒にずっと……」

 わたしは夫のあいているほうの手を取り、お腹に持っていく。

 恐る恐る、といったように夫はわたしのお腹をなでる。人形は難なく生み出すのに、人の新しい生命にはどこか気後れしているような、未知のものに接するような様子を見せる夫がおかしくて、わたしは小さく笑み浮かべた。

「俺にはまともな父親像というものが頭に思い描けない。子どもが産まれてから……父親として、夫として、おまえたちを守っていけるだろうか」

 夫は複雑な家庭で育った。そのことが、家庭を持つことに常にためらいを持たせているようだった。

「わたしをバカにしてるのかしら?

 わたしはあなたに守られるほど弱くなんかありません。わたしとあなたでこの子を守るんですよ」

 わたしは胸をはった。

 夫はふっと息を吐くと視線を頭上に移す。「バカにしてる、か」

 木の葉が太陽の光を透かし輝いている。いつの間にか小休止を挟んでいた蝉たちが、再び合唱し始めた。

「俺の弱気なんざ、おまえにとっては未来への影にさえならないんだな」

 わたしは首を傾げた。どういう意味なのかわからなかった。だけどそこから続く言葉はないらしかった。

「まだ話したことがありませんでしたね」

 わたしは蝉に負けないように高く明るい声を上げた。

「どっちがいいですか?」

「主語はなんだ」

 わたしの問いかけに、夫が煩わしそうに訊いた。

「決まってます。赤ちゃんの性別です。男の子と女の子、どっち?」

「決まり文句だな」

 夫は鼻で笑い、

「どちらでもいい、どうせ育てるのはおまえなんだ」

 思ったとおりそっけない言葉をわたしに返した。

「あら。どうして? わたしが母親、あなたが父親ですよ。わたしたちの子供だもの、二人で守って、二人で育てるんですよ」

「三人で一つの家族なんだから、か」

 夫が目配せをする。わたしが言いそうなことだ、と思ったのだろう。わたしと会ったばかりの頃の夫は頑で、こんなことをわたしが言えば得意の嘲笑を返してきたものだった。

「そうです」

 夫の視線にわたしも満面の笑みを返す。わたしが今どれほど幸福か、この鈍い人にちゃんと伝わるように。

「わかってるんじゃありませんか」

 真夏、真昼、太陽、ひまわり、蝉、空、入道雲、

 この子、あなた。

 ねえあなた。わたしは今、とても幸せなのよ。

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