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クレオパトラ7世(男)

作者: 雪だるま
掲載日:2026/05/14

 紀元前48年。

 エジプト、アレクサンドリア王宮。


 プトレマイオス朝の宮廷は、今日も今日とて胃が痛かった。


「のだぁあああああ!!吾輩の寝台にサソリを入れたのはお主なのだぁあああ!!」


 金糸の刺繍が施された薄絹のドレスを翻しながら、クレオパトラ7世――表向きには絶世の美女と称される女王――は玉座の間で大暴れしていた。


 なお、中身は男である。


 しかもかなり性格が悪い。


「姉上が先に余の葡萄酒に下剤を入れたのであろう!!」


 弟にして共同統治者、プトレマイオス13世も負けていなかった。まだ少年王であるが、王族らしく陰湿である。


「証拠を出すのだぁ!証拠をぉ!吾輩はただお腹がスッキリする健康茶を混ぜただけなのだぁ!」


「健康茶で侍従が三人倒れるか!!」


「虚弱なのだぁ!」


 廷臣たちは無言で俯いていた。


 いつものことである。


 というより、この姉弟が同じ空間にいる時点で、毒か悲鳴かビンタのどれかは確実に飛び交う。


 ちなみにクレオパトラ7世ことレイは、極めて美形であった。


 ギリシャ系王族らしい整った顔立ちに加え、異様に長い睫毛、すらりとした首筋、そして男とは思えないほど滑らかな肌。


 身長は高い。


 しかも無駄に脚が長い。


 女装の完成度が高過ぎた。


 結果として、


「クレオパトラ様は世界一美しい」


「知性と美貌を兼ね備えた女王」


「ナイルの宝石」


 などと周囲から絶賛されていたが、実態は寝起きに尻を掻きながら厨房の羊肉を盗み食いするどうしようもない男である。


 しかも本人は、別に女として生きたいわけではない。


 ただ、


「今さら男って言ったら面倒なのだぁ」


 という最低の理由で黙っていた。


 そして最大の問題は。


 このレイ、弟と結婚していた。


 プトレマイオス朝では兄妹婚が伝統である。


 当然、周囲も疑わなかった。


 なぜならレイが美し過ぎたからである。


 恐ろしい話であった。


「陛下!!」


 そこへ侍従長が駆け込んできた。


「ローマより急報です!ガイウス・ユリウス・カエサルがアレクサンドリアへ向かっております!」


 一瞬、空気が変わった。


 ローマ。


 地中海世界最大の怪物国家。


 そしてその中心にいる男。


 ガリアを征服し、ポンペイウスと内戦を繰り広げる怪物中の怪物。


 その名を知らぬ者はいない。


「……のだぁ?」


 レイはぱちくりと目を瞬かせた。


「カエサルが来るのだぁ?」


「はい!おそらく数日以内に!」


「……」


 レイは数秒ほど真顔になった。


 廷臣たちは緊張した。


 さすがに危機感を覚えたか、と。


 エジプト王家の内紛にローマが介入すれば、最悪の場合、王朝そのものが終わる。


 だが。


「のだっ♡」


 レイは突然、めちゃくちゃ悪い笑顔になった。


「カエサルを脱がしちゃうのだっ♡」


 廷臣全員が頭を抱えた。


「陛下ぁ!!」


「何を考えておられるのですか!!」


「ローマの独裁官ですよ!?」


「世界最強の男ですぞ!?」


「のだぁ?だからなのだぁ!」


 レイは嬉しそうに足をぱたぱたさせた。


「絶対に面白いのだぁ!偉そうな男を困らせるの大好きなのだっ♡」


「国が滅びます!!」


「大丈夫なのだぁ!美人に弱い男は多いのだぁ!」


 お前男だろ、というツッコミを誰もできなかった。


 その晩。


 レイは私室でごろごろ転がっていた。


「のだぁ〜♪」


 大量の宝石を床にぶち撒けながら、鏡の前で化粧をしている。


 なお、本人は化粧技術だけは無駄に高い。


「むむっ……今日は目元を強めにするのだぁ……ローマ人は濃い顔だから派手目の方が効く気がするのだぁ……」


 侍女たちは真顔だった。


「陛下……本当にカエサルを誘惑なさるおつもりですか」


「誘惑ではないのだぁ!」


 レイはドヤ顔した。


「悪戯なのだっ♡」


「最悪です」


「まず酒を飲ませるのだぁ!」


「やめてください」


「そのあと服を脱がせるのだぁ!」


「やめてください」


「最後に“カエサルって意外とお腹ぷにぷになのだぁ!”って宮廷中に言いふらすのだぁ!」


「ローマに焼かれます!!」


 侍女が半泣きであった。


 だがレイは止まらない。


「のだぁ……でも実際気になるのだぁ……」


 急に真顔になる。


「カエサルってどれくらい強いのだぁ?」


 その問いには、侍従長が静かに答えた。


「ガリアを征服し、何十万もの兵を率い、元老院すら逆らえぬ男です」


「怖いのだぁ」


「はい」


「でも脱がすのだぁ!」


「なぜですか!!」


 数日後。


 アレクサンドリア港。


 ローマ船団が到着した。


 兵士たちは重装備で整列し、港の空気そのものが張り詰める。


 そしてその中央。


 赤いマントを羽織った男が歩いてくる。


 ガイウス・ユリウス・カエサル。


 年齢は既に五十を越えている。


 だが、異様な威圧感があった。


 歴戦の将。


 無数の裏切りと戦争を潜り抜けてきた目。


 宮廷の空気が一瞬で変わる。


 廷臣たちは震えた。


 だが。


「のだぁっ♡」


 クレオパトラ姿のレイだけは目を輝かせていた。


「めっちゃラスボス感あるのだぁ!」


 しかも楽しそうである。


 侍女たちはもう駄目だと思った。


 カエサルは玉座へ向かいながら、静かにクレオパトラを見た。


 そして、一瞬だけ目を細めた。


 美しい。


 恐ろしく美しい。


 だが同時に。


「……妙だな」


 戦場を何十年も渡り歩いた男の勘が告げていた。


 この女。


 何かがおかしい。


 するとレイは、にこぉっと満面の笑みを浮かべた。


「ようこそなのだぁ♡カエサル♡」


 そして。


 ものすごく自然な動きで、カエサルの腕をぺたぺた触り始めた。


「筋肉すごいのだぁ!」


「……」


「うむっ!脱がしたいのだっ♡」


 ローマ兵たちが固まった。


 廷臣たちは死んだ目をした。


 カエサルだけが、数秒沈黙したあと。


「……はは」


 低く笑った。


「面白い女だ」


 その瞬間。


 レイの背筋にぞわっと悪寒が走った。


「のだっ?」


 カエサルは笑っていた。


 だが、その目は全く笑っていない。


 獲物を見る猛獣の目だった。


 レイは本能で理解した。


(あっ、これ吾輩よりヤバいタイプなのだぁ)


 そして数時間後。


 なぜか酒宴で逆にベロベロに酔わされ、気付けば自分の方が床に転がっていた。


「のだぁああああ!!おかしいのだぁ!!吾輩が遊ぶ側だったのだぁあああ!!」


 カエサルは静かに葡萄酒を飲みながら言った。


「クレオパトラ」


「のだぁ……?」


「君、隠し事が多いだろう」


 レイの背中を冷や汗が流れた。


 だが次の瞬間。


「まあ、私も人のことは言えんがな」


 そう言ってカエサルは笑った。


 その笑顔を見た瞬間。


 レイは悟った。


(このおっさん、絶対に敵に回しちゃダメなのだぁ……!)


 なお、その数日後には普通に膝枕しながらローマの政治愚痴を聞かされていた。


「のだぁ……ローマ人、怖いのだぁ……」


***

 紀元前44年。

 ローマ。


 世界の中心は、血の臭いに包まれていた。


 元老院の床に倒れているのは、かつてガリアを征服し、ローマを掌握した男。


 ガイウス・ユリウス・カエサル。


 その死は、地中海世界そのものを揺るがした。


 そして。


「のだっ♡」


 その報せを聞いた瞬間、アレクサンドリア王宮でクレオパトラ7世ことレイは満面の笑みになっていた。


「時代来たのだぁあああああ!!」


 侍女たちは青ざめた。


「陛下!少しは悲しんでくださいませ!」


「愛人だったのでしょう!?」


「のだぁ?悲しいのだぁ?」


 レイは考え込んだ。


「うーむ……」


 三秒後。


「でもチャンスの方が大きいのだっ♡」


「最低です!!」


 なお、レイは一応カエサルのことを嫌ってはいなかった。


 むしろかなり好きだった。


 恐ろしく頭が良く、強く、しかも自分の悪戯に動じない。


 レイにとっては珍しく、


「遊んでて飽きない相手」


 であった。


 ただし。


 それはそれとして利用できるものは利用する。


 それがレイである。


「うむ!」


 レイは玉座の上で胡座をかいた。


「今こそ吾輩の時代なのだぁ!」


「何をなさるおつもりで……」


「ローマ皇帝になるのだっ♡」


「エジプト女王でしょうが!!」


「細かいことはどうでもいいのだぁ!」


 そして。


 レイは侍女たちの方を見た。


「例の子供たちを連れてくるのだぁ!」


 侍女たちは死んだ目になった。


 数十分後。


 数人の子供が並ばされた。


 全員、美形である。


 そして全員、妙に顔立ちが似ている。


 なぜなら全員レイの実子だからである。


 なお父親はレイである。


 最悪だった。


 プトレマイオス朝の血統どうこう以前に情報量が酷い。


「のだぁ……」


 レイは真剣な顔で子供たちを見比べ始めた。


「むむむ……」


 侍女たちは静かに俯いていた。


 ちなみに彼女たちは全員、元々は側近侍女である。


 そしてなぜか気付いたらレイの愛人になっていた。


 なおレイ本人は、


「美人は抱き枕みたいで落ち着くのだぁ♡」


 くらいの感覚である。


 本当に最低だった。


「うーむ……」


 レイは一人の少年の頬をむにむにした。


「お主、吾輩に似てるのだぁ」


 金がかった黒髪。


 大きな目。


 妙にふてぶてしい顔。


 そして何より。


 ドヤ顔。


 幼児なのに既にドヤ顔である。


 侍女たちはちょっと引いた。


「うむ!決めたのだっ♡」


 レイは少年を抱き上げた。


「今日からお主はカエサリオンなのだぁ!」


「陛下!?!?」


「カエサルの子ってことにするのだっ♡」


「無茶苦茶です!!」


「大丈夫なのだぁ!」


 レイは自信満々だった。


「どうせカエサル本人もう死んでるのだぁ!」


 恐ろしい理論である。


 しかも問題なのは。


 この子、顔が本当にレイそっくりだった。


 つまり。


 クレオパトラそっくり。


 結果として。


「確かにクレオパトラの子には見える」


 という最悪の説得力が生まれていた。


「のだっ♡」


 レイはカエサリオンを高い高いした。


「お主、次期ローマ皇帝なのだぁ!」


 周囲は頭を抱えた。


「陛下……ローマを甘く見すぎです……」


「甘くないのだぁ?」


「元老院も将軍たちも化物ですぞ」


「だからこそなのだっ♡」


 レイはにやぁっと笑った。


「化物同士で喧嘩してる間に、吾輩が全部持っていくのだぁ!」


 その頃のローマ。


 内戦前夜である。


 アントニウス。


 オクタウィアヌス。


 レピドゥス。


 無数の野心家が蠢いていた。


 そしてそこへ。


 エジプトから豪華絢爛な船団がやって来る。


 黄金。


 香料。


 絹。


 宝石。


 そして。


 クレオパトラ7世。


「のだぁ〜〜〜♪」


 船の上でレイはぶどうを食べながらご機嫌だった。


 横では幼いカエサリオンが同じ顔でぶどう食べてる。


 護衛たちは不安で胃が痛かった。


「陛下……本当にローマへ行かれるのですか」


「うむっ♡」


「危険です」


「平気なのだぁ!」


 レイは胸を張った。


「吾輩、美人だからなのだっ♡」


「その自信どこから来るんですか」


「実績なのだぁ!」


 否定できないのが困る。


 実際。


 レイは滅茶苦茶モテた。


 男にも女にも。


 しかも本人は妙に距離感が近い。


 平然と腕を組む。


 膝に座る。


 顔を触る。


 寝転がる。


 結果として相手のペースを崩す。


 最悪の人たらしである。


 そして。


 ローマ到着の日。


 港には大量の人間が集まっていた。


「あれがクレオパトラ……」


「エジプトの魔女……」


「カエサルを狂わせた女……」


 ざわめきが広がる。


 すると。


 船の上からレイが現れた。


「のだっ♡」


 全員、固まった。


 美し過ぎた。


 陽光を反射する金細工。


 透けるような白い肌。


 濃紺の衣。


 そして。


 めちゃくちゃ偉そう。


 しかも横には、幼いカエサリオン。


 その瞬間。


 群衆がざわついた。


「カエサルに似ている……?」


「いや、クレオパトラ似では?」


「でも目元が……」


 なお実態は。


 母親にそっくりなだけである。


 なぜなら実子だから。


「うむっ♡」


 レイはローマ市民たちを見下ろしながらニヤニヤしていた。


(チョロそうなのだぁ)


 そして心の中で叫ぶ。


(時期ローマ皇帝の座は頂いたのだっ♡)


 なお。


 この時点で既にオクタウィアヌスは、


「絶対にあのエジプト女を信用するな」


 と警戒していた。


 正しかった。


 ものすごく正しかった。


***


 紀元前41年。

 エジプト、アレクサンドリア。


 ローマ世界が内戦と陰謀で血塗れになっている頃。


 その中心人物の一人であるマルクス・アントニウスは。


 なぜかエジプトで駄目になっていた。


「はぁ……」


 巨大な宮殿の回廊を歩きながら、ローマ軍団を率いる英雄は深いため息を吐いた。


 理由?


 疲労である。


 戦争ではない。


 クレオパトラのせいである。


「アントニウスぅううう!!」


 遠くから声が響いた。


「のだぁああああ!!どこ行ったのだぁあああ!!」


 アントニウスは反射的に顔を覆った。


 また始まった。


 なお。


 ローマでは、


「クレオパトラは妖艶な魔女」


「男を破滅させる女」


「知性と色香でローマを操る怪物」


 などと恐れられていた。


 半分合っている。


 半分間違っている。


 正確には。


 中身は、尻を掻きながら寝転がってぶどう食べる悪戯好きの男である。


 ただし顔が良過ぎる。


 そして異常に人たらし。


 結果として周囲が勝手に破滅する。


 最悪だった。


「アントニウスぅううう!!」


 声が近づく。


 次の瞬間。


 薄絹一枚みたいな格好のクレオパトラ――レイ――が廊下を走ってきた。


「のだっ♡見つけたのだっ♡」


 そのまま勢いよく抱きつく。


「うおっ!?」


 アントニウスは反射的に受け止めた。


 軽い。


 香油の匂いがする。


 そして顔が近い。


 近過ぎる。


 アントニウスは内心で頭を抱えた。


(この女は距離感というものを知らんのか……!?)


 知らない。


 というより。


 レイは昔から、


「好きな相手には抱きつく」


 くらいの感覚で生きていた。


 犬みたいなものである。


「のだぁ〜♪」


 しかも本人はご機嫌だった。


「今日はミルク風呂なのだっ♡」


「……またか」


「今日は蜂蜜も入れたのだぁ!」


「風呂にどれだけ金を使う気だ……」


「エジプト王なのだから当然なのだっ♡」


 なお財政担当官たちは泣いていた。


 その頃のエジプトは豊かだったが、それでも限度がある。


 しかしレイは気にしない。


 なぜなら。


「ローマ人に払わせればいいのだっ♡」


 という最低の思想だからである。


 そして。


 巨大浴場。


 白大理石。


 黄金装飾。


 香油。


 花弁。


 大量のミルク。


 意味がわからない規模である。


「うむ!」


 レイは満足げに風呂へ飛び込んだ。


 ばしゃーん!!


「のだぁ〜〜〜♡」


 完全に猫である。


 一方でアントニウスは頭を抱えていた。


(俺は何をしているんだ……)


 本来ならローマで軍を率い、権力闘争をしているはずだった。


 だが今の彼は。


 エジプトで女王と風呂に入っていた。


 しかもその女王。


 異様に可愛い。


 滅茶苦茶可愛い。


 そして。


 信じられないほど性格が悪い。


「のだ……」


 レイは風呂の中で真顔になった。


「……ミルク風呂がぬるいのだぁ……」


 侍女たちが凍りついた。


 来た。


 始まる。


「喧嘩売ってるのだぁ?」


 低い声だった。


 アントニウスが吹き出しそうになる。


 なぜなら。


 クレオパトラの顔で言うにはあまりにもチンピラ過ぎた。


「も、申し訳ございません陛下!」


「すぐに温め直します!」


「のだぁ……」


 レイはじーっと侍女を見た。


 その美貌で無表情になると滅茶苦茶怖い。


「吾輩、ぬるい風呂嫌いなのだぁ……」


「は、はい……!」


「お腹冷えるのだぁ……」


「はい……」


 しかし次の瞬間。


「まあいいのだっ♡」


 急に機嫌が戻った。


「アントニウスがいるから許すのだっ♡」


 そのままアントニウスの腕に抱きつく。


 ローマの英雄、沈黙。


 もう完全に飼い慣らされていた。


 周囲の侍女たちは遠い目をしていた。


(ローマ最強の将軍とは……)


 なお。


 アントニウス本人は気付いていなかった。


 自分が完全に下僕化していることに。


「アントニウスぅ」


「なんだ」


「葡萄食べさせるのだぁ」


「自分で食え」


「やなのだっ♡」


 結局食べさせる。


「次は酒なのだぁ」


「……」


「あと肩揉むのだぁ」


「お前、本当に女王か?」


「うむっ♡」


 全然うむじゃない。


 だが。


 アントニウスは逆らえなかった。


 なぜなら。


 クレオパトラがあまりにも意味不明だったからである。


 ローマにはいないタイプだった。


 高慢なのに妙に無邪気。


 残酷なのに子供っぽい。


 頭が切れるのに馬鹿。


 人を利用するくせに、平然と抱きついてくる。


 そして何より。


 妙に楽しそうに生きている。


 アントニウスは戦争と権力闘争ばかりの人生だった。


 だからこそ。


 レイみたいな存在は麻薬だった。


「のだぁ♡」


 レイはアントニウスの膝に頭を乗せた。


「ローマ人って真面目過ぎるのだぁ」


「誰のせいでこうなったと思っている」


「吾輩は悪くないのだっ♡」


「お前は大体悪い」


「失礼なのだぁ!」


 レイはぷくーっと頬を膨らませた。


 アントニウスは思わず笑った。


 その瞬間。


 周囲の侍女たちは確信した。


(あっ、駄目だこのローマ人)


 完全に落ちてる。


 しかも厄介なのは。


 レイ本人に悪意が薄いことである。


 本気で、


「アントニウスお気に入りなのだっ♡」


 くらいの感覚なのだ。


 だから余計にタチが悪い。


 その夜。


 宴会場では楽師が演奏し、酒が流れ、香が焚かれていた。


 そして中央。


 豪華寝台の上でごろごろしているクレオパトラ。


「のだぁ〜〜〜」


 隣にはアントニウス。


 ローマ軍団の将軍。


 未来の覇者候補。


 なお現在。


 クレオパトラに葡萄を剥いて食べさせている。


「もっと甘いのがいいのだぁ」


「……お前、本当に王だな」


「当然なのだっ♡」


 レイは得意げだった。


「世界は吾輩に尽くすためにあるのだっ♡」


 暴君である。


 だが。


 アントニウスは笑ってしまった。


 こんな滅茶苦茶な存在を、彼は他に知らなかったからだ。


 そして遠くローマでは。


 若きオクタウィアヌスが静かに呟いていた。


「……やはり、あのエジプト女は危険だ」


 正しかった。


 ものすごく正しかった。


***



 紀元前31年。

 アクティウム沖海戦。


 ローマ世界の命運を決める戦いは、想像以上にあっさり終わった。


 いや。


 正確には。


 マルクス・アントニウスが想像以上に駄目だった。


「アントニウス様の艦隊、崩れています!」


「オクタウィアヌス軍が包囲を――!」


「撤退です!撤退!!」


 怒号。


 煙。


 炎。


 そして。


 その報せを受けたアレクサンドリア王宮。


「……のだぁ?」


 クレオパトラ7世ことレイは、半裸で干し葡萄を食べながら固まっていた。


「アントニウス負けたのだぁ?」


「は、はい……かなり厳しい状況かと……」


「……」


 レイは数秒黙った。


 そして。


「のだぁあああああああああ!!!!」


 絶叫した。


「逃げるのだぁああああああ!!!!!!」


 廷臣たちは悲鳴を上げた。


「陛下ぁ!?」


「まだ王都は健在です!」


「防衛準備を――!」


「嫌なのだぁ!!」


 レイは床をごろごろ転がった。


「吾輩、処刑とか嫌なのだぁあああ!!ローマ怖いのだぁあああ!!」


 なお。


 この判断自体はかなり正しい。


 オクタウィアヌスは冷酷だった。


 しかも合理的。


 アントニウス派は徹底的に潰される可能性が高い。


 そしてクレオパトラは。


 ローマ人から死ぬほど嫌われていた。


 原因?


 大体レイである。


 ローマの将軍を骨抜きにし、金を吸い、贅沢三昧し、しかも妙に偉そう。


 そりゃ嫌われる。


「のだぁあああ!!急げなのだぁ!!」


 レイは侍女たちに指示を飛ばした。


「宝石持てなのだぁ!」


「黄金もなのだぁ!」


「あと甘いお菓子!」


「今それ必要ですか!?」


「必要なのだぁ!!」


 王宮は大混乱だった。


 侍女たちは走り回る。


 護衛兵は怒鳴る。


 倉庫から財宝が運び出される。


 そして。


「のだっ♡」


 レイは子供たちを集め始めた。


 大量に。


「陛下……その子たちは……」


「カエサリオンなのだっ♡」


「全員!?」


「予備なのだぁ!」


 侍女たちは頭を抱えた。


 そこには十人近い子供たちが並んでいた。


 全員、美形。


 全員、妙に顔立ちが似ている。


 そして全員、ちょっとドヤ顔。


 地獄だった。


 もちろん。


 全員レイの隠し子である。


 母親は愛人侍女たち。


 つまり。


 レイは本気で、


「誰か死んでも代わりにカエサリオン名乗ればよくない?」


 くらいの感覚で量産していた。


 恐ろしい男だった。


「のだぁ!」


 レイはその中でも一番自分に似ている少年を抱き上げた。


「お主が本物カエサリオンなのだっ♡」


「じゃあ他は……」


「予備!」


「最低です!!」


 だがレイは真面目だった。


「ローマ人は怖いのだぁ!」


「だからいっぱい用意するのだぁ!」


 妙なところだけ生存本能が強い。


 その頃。


 アントニウスは。


 普通に絶望していた。


「……クレオパトラ」


 敗戦。


 離反。


 崩壊。


 人生が終わろうとしている。


 そんな中。


 彼が最後に会いに来た相手はクレオパトラだった。


 だが。


「のだぁああああ!!急げなのだぁ!!ラクダもっと持ってこいなのだぁ!!」


「水ぅうう!!水袋足りないのだぁ!!」


「その宝箱吾輩のなのだぁ!!」


 王宮は引っ越し前日の泥棒屋敷みたいになっていた。


 アントニウス、沈黙。


「……何をしている」


「亡命準備なのだぁ!」


「……」


「吾輩、生き延びるの得意なのだっ♡」


 アントニウスは遠い目をした。


 この女。


 いや。


 この生物。


 最後までこうなのか、と。


「アントニウスぅ!」


 レイは駆け寄ってきた。


「お主も来るのだぁ!」


「……どこへ」


「東なのだっ♡」


「雑だな……」


「パルティアとかぁ、インドとかぁ、その辺なのだぁ!」


「その辺で済ませる距離か?」


「大丈夫なのだぁ!」


 レイは真顔で言った。


「吾輩、美人だから何とかなるのだっ♡」


 アントニウスは顔を覆った。


 だが。


 妙に否定できない。


 実際。


 ここまで生き延びている。


 しかも毎回かなり危険な綱渡りで。


「のだぁ?」


 レイはアントニウスを見上げた。


「来ないのだぁ?」


 アントニウスはしばらく黙った。


 そして。


 小さく笑った。


「……いや。私はローマ人だ」


「のだぁ……」


「最後まで逃げんよ」


「お主、真面目過ぎるのだぁ」


「お前が不真面目過ぎるんだ」


 レイはむぅっと頬を膨らませた。


 だが次の瞬間。


「まあいいのだっ♡」


 急に笑った。


「吾輩、お主好きだったのだぁ!」


 その言葉は軽かった。


 いつものレイみたいに。


 だが。


 アントニウスは少しだけ目を閉じた。


 この滅茶苦茶な女に人生を狂わされた。


 だが同時に。


 人生で一番笑った時間でもあった。


「……達者でな、クレオパトラ」


「のだっ♡」


 そして翌朝。


 アレクサンドリア郊外。


 大量のラクダ。


 財宝。


 侍女。


 護衛。


 そして大量の子供。


「のだぁあああああ!!」


 クレオパトラことレイはラクダの上で絶叫していた。


「逃げるのだぁあああああ!!」


 砂漠に叫びが響く。


 侍女たちは泣きそうだった。


「陛下!水が足りません!」


「知らぬのだぁ!」


「子供が増えてます!」


「カエサリオン予備なのだっ♡」


「増やし過ぎです!!」


 しかも。


 子供たち全員がレイそっくりなのである。


 遠目には完全にクレオパトラ幼体軍団だった。


 護衛兵たちは若干怖かった。


「のだぁ〜〜〜♪」


 しかし当の本人は妙に楽しそうだった。


 滅亡寸前なのに。


 国家崩壊なのに。


 普通なら絶望する場面なのに。


 レイはラクダの上で干し無花果を食べていた。


「うむっ♡」


 そして砂漠の彼方を指差す。


「次の国でも豪遊するのだっ♡」


 侍女たちは確信した。


(この人、どこ行っても変わらない……)


***


 エジプト脱出から三ヶ月後。


 砂漠。


「のだぁ……ラクダ嫌いなのだぁ……」


 元クレオパトラ7世ことレイは、ラクダの上で死んだ魚みたいな目をしていた。


 暑い。


 砂が痛い。


 揺れる。


 そして臭い。


「うぇええええん!!ローマ人怖いのだぁあああ!!」


 侍女たちはげっそりしていた。


 誰のせいだと思っているのか。


 なお現在。


 レイは変装していた。


 変装内容?


 女装をやめただけである。


 それだけだった。


「のだっ♡」


 髪を短く切り、胸布をやめ、男物の服を着たレイは妙にスッキリした顔をしていた。


「楽なのだぁ〜〜〜♡」


 侍女たちは真顔だった。


「……陛下」


「なんなのだぁ?」


「それ、変装になっておりますか?」


「完璧なのだっ♡」


 いや。


 実際かなり効果はあった。


 なぜなら。


 誰も「クレオパトラが男だった」とは思わないからである。


 想定の外過ぎる。


 結果として、


「クレオパトラにそっくりな美青年」


 くらいにしか見えない。


 しかもレイ本人は元々中性的な美貌である。


 長年の女装生活のせいで仕草まで妙に色っぽい。


 そのくせ中身は完全に駄目男。


「のだぁ〜〜〜」


 レイはラクダの上でだらけていた。


「働きたくないのだぁ……」


「亡命中です」


「亡命も面倒なのだぁ……」


「陛下が始めた物語でしょうが」


「違うのだぁ!ローマ人がしつこいのだぁ!」


 なお。


 現在の一行はかなり異様だった。


 大量の財宝。


 大量の侍女。


 大量の子供。


 そして。


 全員顔がちょっと似ている。


 護衛のパルティア人たちは時々怖くなった。


「……なんでこんな似てるんだ?」


「知らない方が幸せなのだぁ!」


 レイは即答した。


 その頃。


 ローマ。


 オクタウィアヌスは胃が痛かった。


「……またか」


 机の上には報告書。


『カエサリオンを名乗る青年がシリアに出現』


『エジプト王家の生き残りを自称』


『支持者多数』


 オクタウィアヌスはこめかみを押さえた。


「殺したはずだろう……」


 なお。


 殺したのは本物である。


 問題は。


 予備がいた。


 しかも大量に。


 そしてそいつらが全員妙にクレオパトラに似ている。


 つまり。


 ものすごく厄介だった。


「……調べろ」


「はい」


「今度こそ確実に始末しろ」


「はい」


 数ヶ月後。


「申し上げます!カエサリオンを名乗る者がパルティアに!」


「またか!?」


 さらに翌年。


「アルメニアにも!」


「ふざけているのか!?」


 さらに。


「バクトリアにも!」


「何人いるんだ!!」


 ローマ官僚たちは半泣きだった。


 なぜなら。


 全員そこそこ本物っぽいのである。


 顔立ち。


 雰囲気。


 王族っぽい振る舞い。


 しかもやたら美形。


 そして共通点があった。


 全員。


 妙に怠惰だった。


「働きたくないのだぁ」


「税を下げるのだぁ」


「昼寝の時間を増やすのだぁ」


「お菓子よこせなのだぁ」


 地方総督たちは困惑した。


「……本当にカエサリオンなのか?」


「わからん……」


「だが顔は確かにクレオパトラに似ている……」


 しかも。


 変なカリスマがある。


 やたら人に好かれる。


 女にも男にも。


 そして妙に抱きつく。


 最悪だった。


 原因?


 全部レイである。


 パルティア。


 ある豪邸。


「のだぁ〜〜〜♡」


 レイ本人は寝転がっていた。


 完全に堕落していた。


 果物。


 酒。


 美人侍女。


 柔らかい寝台。


 最高である。


「うむっ♡亡命生活快適なのだっ♡」


 侍女たちは呆れていた。


「陛下……」


「なんなのだぁ?」


「もう少し危機感を持ってください」


「あるのだぁ!」


 レイは真顔になった。


「だからカエサリオン予備を増やしてるのだっ♡」


「増えてるんですか!?」


「うむっ♡」


 侍女たちは頭を抱えた。


 なお。


 レイは亡命後も普通に愛人を増やしていた。


 理由?


「寂しいからなのだぁ♡」


 本当にどうしようもない。


 そして数年後。


 ローマ。


 オクタウィアヌスは老け込んでいた。


「……また?」


「はい……」


「今度はどこだ」


「パルティア東部です」


「特徴は」


「……クレオパトラに似た美青年で……」


「もういい」


「怠け者で……」


「聞きたくない」


「なぜか大量の侍女を連れ歩いており……」


 オクタウィアヌスは静かに天を仰いだ。


「……あのエジプト女、生きてるんじゃないのか?」


 側近たちは黙った。


 実際。


 かなり正解に近い。


 だが証拠がない。


 そもそも。


 誰も。


「クレオパトラが実は男」


 などという狂気を想定しない。


 だから全てが妙な方向へ行く。


 そして。


 数十年後。


 東方世界には奇妙な噂が残った。


『クレオパトラの血を引く美青年たち』


『なぜか全員顔が似ている』


『全員女好き』


『全員働きたがらない』


『だが妙に人たらし』


『しかも全員ちょっと馬鹿』


 さらに最悪なのは。


 その中の何人かが普通に地方豪族や王族の娘を口説き落として勢力を築いたことである。


 結果。


 東方世界のあちこちに、


「なんかクレオパトラっぽい顔の怠け者美男子」


 が増殖していった。


 ローマ側から見ると悪夢だった。


「……まだいるのか」


 晩年のアウグストゥス(オクタウィアヌス)は報告書を見ながら呟いた。


「何人目だ……」


「七人目です」


「七人……?」


「いえ、確認されてるだけで」


「……」


 老人となったアウグストゥスは、静かに目を閉じた。


 そして疲れ切った声で言った。


「もう全員クレオパトラの子でいい……」


 官僚たちも頷いた。


 完全に匙を投げていた。


 一方その頃。


 遥か東。


「のだぁ〜〜〜♡」


 老人になったレイ本人は。


 相変わらず昼寝していた。


 孫みたいな年齢の愛人侍女に葡萄を食べさせてもらいながら。


「平和なのだっ♡」


 本人だけは、最後まで幸せそうであった。

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