第1話 忘れ物と欠落(記憶の穴)~欠落は編集の痕跡~ [3/3]
教室の空気は、夕日の赤みが薄れていくにつれて静かになっていった。
A君は前を向いたまま、何かを探すように瞬きを繰り返していた。
A君『……なんか、頭の中がスカスカしてる感じがする』
B君「スカスカって……お前、今日どうしたんだよ」
O君《A君の言ってる“欠落”って、普通の忘れ物とは違うんだよね》
O君はA君の横顔をじっと見つめていた。
その視線は心配というより、観察に近い。
A君『忘れたっていうより……“抜けてる”って言った方が近いんだよな。
さっきまであったはずの記憶が、気づいたら無いっていうか……』
B君「でもさ、記憶ってそんな簡単に抜けるか?」
O君《普通は抜けないよ。少なくとも、自然には》
黒板の前で静かに聞いていたAB君が、白いチョークを手に取った。
黒板の中央に、白で大きく一文字。
――「事実」。
AB君【まず、A君が“感じていること”は事実だよ】
B君「事実って……Aの主観じゃなくて?」
AB君【主観も事実の一部だよ】
AB君は白い「事実」の横に、黄緑のチョークで線を引いた。
――「欠落 → 編集」。
A君『……編集って、さっきも言ってたよな』
AB君【うん。欠落は“編集の痕跡”なんだ】
B君「痕跡って……誰が編集してんだよ」
AB君【それは、まだ“情報”の段階だね】
黄緑のチョークで「情報」と小さく書き足す。
O君《でも、A君の記憶が“薄くなる”って現象は説明できるよ》
B君「できんの?」
O君《うん。“後から整えられた記憶”って、質感が違うんだ》
A君『質感……?』
O君《本物の記憶は、細部が自然に繋がってる。
でも、編集された記憶は“繋ぎ目”が曖昧なんだよ》
A君『……ああ。なんか分かる気がする。
昨日の図書室の記憶、繋がりが変なんだよ』
B君「変って?」
A君『図書室に“いた”って感覚はあるのに……
何をしてたのか、誰がいたのか、空気の感じとか……
そういう細かい部分が全部ぼやけてる』
O君《それは……やっぱり普通じゃないね》
AB君は黒板の端に、黄緑で小さく数字を書いた。
――「02」。
B君「またその“02”かよ。何なんだよそれ」
AB君【分類番号だよ。気にしなくていい】
そう言いながらも、AB君の声はどこか硬かった。
A君『……俺、本当にどうなってるんだろう』
O君《A君のせいじゃないよ。これは“現象”だと思う》
B君「現象って……なんか怖いんだけど」
AB君【怖がる必要はないよ。
ただ、A君の記憶に“編集の痕跡”があるのは確かだ】
A君『痕跡って……じゃあ、誰かが俺の記憶を……?』
AB君【“誰か”とは限らない】
B君「は? どういう意味だよ」
AB君【記憶はね、外側からだけじゃなく、
内側からも編集されることがある】
A君『内側……?』
O君《自分自身ってこと?》
AB君【可能性の一つとしてね】
A君は息を呑んだ。
その表情は、恐怖というより“理解が追いつかない”という色だった。
A君『……俺、自分で自分の記憶を削ってるってこと?』
AB君【断定はできないよ。
でも、“欠落”は自然現象じゃない】
AB君は白いチョークで、黒板にもう一度「欠落」と書き直した。
その横に、黄緑で小さく補足を書く。
――「整合性」。
O君《整合性……世界の?》
AB君【うん。世界は矛盾を嫌うからね】
B君「世界が……嫌う……?」
A君『なんか、話が大きくなってきてないか……?』
教室の空気が、夕日の消えかけた光とともに静かに沈んでいく。
AB君【A君の“欠落”は、まだ小さい。
でも、放っておくと……】
A君『……放っておくと?』
AB君【“別の形”で現れるかもしれない】
その言葉は、黒板の白と黄緑の文字よりも重く響いた。
A君は自分の胸の奥に、説明できないざわつきを感じていた。
それは恐怖ではなく――“予感”に近かった。
A君『……俺、本当にどうなるんだろうな』
O君《大丈夫。僕たちがいるよ》
B君「そうそう。Aが壊れたら、俺らが拾ってやるって」
A君は少しだけ笑った。
でも、その笑顔の奥には、まだ埋まらない穴が残っていた。
――欠落は、静かに広がり続けていた。




