第8話 A君の空白が広がる(記憶の侵食)~現在の崩壊~ [4/4]
A君の視界が白く揺れた直後、教室の空気は不自然な静けさに包まれていた。
さっきまで二重にぶれていた黒板の文字は、なぜか“どちらでもない配置”に落ち着いている。
机の影も、揺れたまま固まったように見えた。
A君は机に手をつき、呼吸を整えようとしていた。
A君「……俺……
今……何してた……?」
その声は、もう“自分の声”に聞こえなかった。
B君「A……
さっきも同じこと言ってたよ……
いや……“さっき”って言っていいのかも分からないけど……」
A君「同じ……?」
A君は自分の手を見つめた。
手の震えが止まらない。
AB君【A君……
君の“現在”が……
もう保ててない】
A君「保ててない……?」
AB君【“本来の今”と“補完された今”が……
同じ場所を奪い合ってる】
A君「奪い合う……?」
その瞬間、教室の“輪郭”が揺れた。
黒板でも机でも窓でもない。
教室という空間そのものの境界線が、
水面に落ちたインクのように滲んでいく。
天井のラインが一瞬だけ“消え”、
床のタイルが“別の並び”に切り替わり、
影だけが逆方向に流れた。
音が半拍遅れて返ってくる。
A君の呼吸音が、A君より先に響く。
〈!-- 現在領域:干渉率 五二%。 -->
A君「……っ……!」
A君は頭を押さえた。
脳の奥で、何かが“剥がれる音”がした。
A君「やめろ……
俺の“今”を……
勝手に……!」
しかし、世界は止まらなかった。
〈!-- 現在領域:再計算。 -->
A君の視界が白く揺れ、
“今の教室”と“別の教室”が重なって見える。
A君「……っ……
俺……
どっちにいる……?」
B君「A!!」
A君「俺……
“今の俺”が……
分からない……!」
その時、O君が口を開いた。
O君《A君の“今”は……》
そこで音が途切れた。
O君の口は動いているのに、声だけが消えている。
A君「O……? 何が……」
O君は喉を押さえ、苦しそうに息を吸った。
O君《……説明しようとすると……
“言葉の方が”消される……》
O君は自分の喉元を押さえた。
語れないのではなく、**語ろうとした瞬間に“世界が言葉を削る”**という異常。
O君《A君の“今”は……
……だめだ……
言葉が……持っていかれる……》
その声は、かすれ、途切れ、
まるで“存在ごと薄くなっていく”ようだった。
AB君【O君……
君まで……】
O君《……大丈夫……
僕は……まだ……》
しかし、その声は途中でまた消えた。
〈!-- 現在領域:干渉率 六一%。 -->
教室の空気がさらに強く揺れた。
A君「……っ……!」
A君の視界が白く染まり、
“今のA君”がまた一つ、静かに消えていく。
A君「俺……
本当に……
“今”が分からない……」
B君「A……
お前……
さっき俺に“帰り道どうする?”って聞いたんだよ」
A君「……聞いた……?」
B君「でも……
今のAは……
その会話を“してないA”なんだよ」
A君は息を呑んだ。
――“会話をしたA”と“していないA”が同時に存在している。
A君「……俺……
どっちなんだ……?」
AB君【どちらも“正しい”】
A君「正しい……?」
AB君【世界が……
A君の“今”を揺らしてる】
その時――
A君の耳元で、かすかな声が落ちた。
〈!-- 現在領域:確定処理。 -->
A君「……っ……!」
A君の視界が一瞬だけ真っ白になった。
そして――
次の瞬間、すべてが静かになった。
揺れも、ノイズも、二重化も、
すべてが止まった。
B君「A……?」
A君はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、どこか“別の何か”を映しているようだった。
A君「……ああ。
大丈夫だよ」
B君「本当に……?」
A君「うん。
俺の“今”は……
ちゃんとここにある」
その声は穏やかだった。
しかし――
A君の言葉には、微妙な“ズレ”があった。
A君「今日の授業……
面白かったよな」
B君「……今日の授業?
A……
お前、今日……
その授業、受けてないだろ……?」
A君「え……?」
A君は自分のノートを見た。
そこには“今日の授業内容”が書かれている。
しかし――
その授業は、A君が“受けていない授業”だった。
A君「……俺……
この授業……
受けたよ……?」
B君「受けてないよ……
A……
お前……
“別の今日”を覚えてる……」
A君は息を呑んだ。
A君「別の……今日……?」
AB君【A君……
君の“現在”は……
もう一つじゃない】
O君《A君の“今”は……
世界の揺れに合わせて……
“複数の今”が混ざってる》
A君「俺の……今が……?」
その時、unknown-node-02 の無機質な声が落ちた。
〈!-- 現在領域:安定化。 -->
教室の空気が静かに震えた。
――世界は、
A君の“今”を確定させた。
しかしその“今”が、
本当にA君のものなのかは――
もう誰にも分からなかった。




