【怒られる】
まじウケるよあいつ。本気でバカなんじゃないの?
そりゃあみんな怒るよ。誰もお前の相手してる暇はないんだよ。
何焦ってんの?状況とか、お前に何が分かるんだよ。
まあ確かにヤバイけど。
気合の問題じゃねぇよ。気合いで契約なんか取れるわけねぇだろ。
ビビっても突っ込め!て、何にビビってんだよな。ただの営業だろ?ただの小心者だろあいつ。
「みんな忙しいからな」社長がわざわざMの席へやってきて、一言だけ添えて去っていく。
「Mさん、これあげるから、もっと気楽にやりましょう」駄菓子を渡して制作課の女子が去っていく。それらの言葉や対応を、不思議そうな顔で見つめるM。Mは薄気味の悪さを感じていた。それは得体の知れない気味の悪さだった。自分で世間に公開し、自分で社長に話したホームページだ。誰が見ても不思議はない。でも、社長に話すまでは匿名だった。自分が書いているなんて事は誰も知らなかった。それが気楽だった。安心だった。でも今は違う。このホームページの書き手がMだという事を、知っている人たちがいる。そしてどうやら会社のみんなが自分のホームページを見ているらしい。本来ならば望むところだ。自分でそう仕向けたのだから。それなのに、なぜか嫌な予感がする、Mは直感的にそう感じた。何か取り返しのつかない事態に発展するのでは、そんな予感がMを包んだ。嫌な予感はいつも当たる。いい予感なんて、した事ないけど。Mは孤独を感じて生きてきた。それはMにとって絶望的な孤独だった。どうしたら抜け出せるのかが分からない、先の見えない暗闇だった。Mの周りにも、親切な人はいる。愛情の念を持って接してくれる人もいた。しかし、Mの心に安らぎを与えてくれる人間は皆無だった。それは自分の受け取り方の問題なのかも知れないとも思ったが、Mは誰にも心を開けずに人生を生きてきた。そんなMにとってホームページは唯一の心の拠り所だった。自分の感情を、自分の想いを、自分の考えを、誰に遠慮する事なくぶち撒けられる唯一の場所。それをみんなに見られる事は恥ずかしくもあったし、怖くもあった。侵犯されたくない自分の領域を、みんなに明け渡してしまったような、そんな奇妙な感覚もあった。しかし、それは自分で決めた事だ。Mは思った。ここから先は、全て自分で選ぶ道。誰に何を言われようが、どう思われようが、前途を自分で切り開く、そう覚悟を決めたはず。恐れる事などない。今の俺には、疚しい事など何もない、後ろめたい事など、何もない。だったら、堂々としていればいい、毅然としていればいい。Mはそう自分に言い聞かせた。
オフィスの電話が鳴る。受話器を取るM。
「お…お電話ありがとうございます。W教育通信社です」
「広告出したいんだけど、社長いる?」
親し気な口調で相手が訊ねる。
「はい?」キョロキョロと辺りを見回し、ぎこちなく返答するM。
「いや、今、出かけてます」
「あ、そう。じゃあ君でいいや。広告出せる?」
少し考え、「はい、大丈夫だと思います」
「じゃあ今からうちに来てよ。△△学習塾にいるからさ」
「はい、それは…どこにあるのでしょう」
「お前、新人か?」
「はい」
「じゃあ周りの社員に聞けよ。俺はお前んとこの社長の大学の先輩だからさ。これまでも広告出してるから、聞けば分かるよ」
「分かりました」軽い気持ちで返事をするM。すると、「あ?今なんつった?」と受話器の向こうで声が尖る。
「はい?」
「分かりましたじゃねぇよ!!バカ野郎!!!!!」突然大声でキレだす電話口の相手。突然の出来事にビックリしながら受話器に目を向けるM。
「勝手に分かってろバカ野郎!!!テメェ客に対しての口の利き方も知らねぇのか!テメェんとこの社長は社員にどういう教育してやがんだ!#$%(‘&%$#&%$!)」
相手の怒りが徐々に増していく。そしていつまでも収まらない。もはや何を言われているのかも分からないまま怒鳴られ続け、どうしたらいいのかすら分からないまま、Mはただただ受話器に耳を傾ける。
「分かったか!!!」
ようやく聞き取れる単語が耳を突く。焦って答えるM。
「分かりました!」
「分かりましたじゃねぇ!バカ野郎!テメェ何が分かってんだ!%$#“%!‘(#)(’&#%”$&$‘#)」
ワケが分からず必死に頭を巡らせるM。確かに俺は何も分かってない。まったく聞き取れない怒鳴り声を聞きながら、一体何が起きているのかを必死に考える。口の利き方がどうとか言っていた。一体俺が何を言ったのか。
「分かったか!!!!」と再び言われ、「分かりました!」と反射的に答えるM。
「分かりましたじゃねぇ!つってんだろぉがバカ野郎!!!!!*‘&%$#“!&’‘(+*&%#)」
思いもよらない展開に焦りを感じながらも、Mの中で閃いた言葉がある。何を言われているのかまったく聞き取れないが、この人が怒っている原因は恐らくこれではないか。そう考えながら、汗の滲んできた掌でしっかりと受話器を握りしめる。相手の怒鳴り声は延々と続く。相手が怒鳴り終わるタイミングを待ち構えながら、「分かったか!」と言われ、しかし、反射的に、「分かりました!」と答えてしまうM。
「分かりましたじゃねぇ!テメェはバカなのか!?勝手に分かってろって言ってんだ!!‘$(#&“)&”%#$&*>+$」
しまったぁと思いつつ、次の言葉が切れるタイミングを窺う。ワケの分からない怒鳴り声は延々と続く。受話器を持つ腕が痺れてきた。受話器を耳から外したいところだが、タイミングを逃すわけにはいかないので延々と耳を傾ける。
「分かったか!!!!!!」
来た!ようやく聞き取れるその単語。今度こそ、落ち着いて言葉を発しよう、そう思いつつ、「か、かしこまりました」と言ってみる。
一瞬間をおいて、平静を取り戻した相手の声がする。
「そうだ。それだ。かしこまりましただろ?分かりましたじゃねぇんだよ。頭で勝手に分かってりゃいいんだよ。口ではちゃんとかしこまれ。分かったらいいんだ。こっちは客なんだからよ、口の利き方に気を付けろ。俺だってこんな事は言いたかねぇよ。でもお前、こんなもん、常識だからな」
「はい、すみません」
「じゃあ今から来い」
「分かり…かしこまりました」
ホッとして受話器を置くMの姿にオフィス中の目が注がれていた。
何?あいつ何怒られてんの?
三十分くらい怒られてたけど何?
時間の無駄だよ。何やってんだよあいつ。
バカだよ絶対。




