【善意の中で】
その日、Mは頭を巡らせた。自分はテロを決行する。だが、その相手が見つからない。拳銃もない、爆弾もない。いや、たとえ拳銃や爆弾を持っていたとしても、それらを使う事はないだろう。興味もなけりゃ、必要性も感じない。もし、自分のプライバシーを侵害し、人生の邪魔をしている相手が国であれば、当然国を相手にする事となる。しかし、その場合の国とは、誰だ。少なくとも国民ではないはずだ。トップが指示を出しているなら、トップを直接狙う。もし大臣なら大臣だ。可能かどうかは別として、それが筋ってものだ、とMは思う。関係のない人間を巻き込むのは本意ではない。自分に危害を加える人間を恨みはしても、関係のない人間を恨んだりはできない。みんな懸命に生きている。自分だってそうだ。幸か、不幸かは別として、誰しも懸命に生きているのだ。その人生を踏み躙る事など自分にはできない。テロは大抵相手を選ばない。無差別に行われる。なぜ、何の罪もない人間を巻き込むのか。それで本当に何かが変わるのか。テロを起こした本人やその仲間たちは、それで幸福になれるのか。いや、そんな事はない、とMは思う。誰も幸福になれない蛮行に、大義名分もクソもない。ただの腹いせ、八つ当たりだ。そう思った。自分は違う、とMは思う。自分にも、大義名分などはない。それでも、敵を討たなければ自分に幸福は訪れない。だからそいつらを狙う。そいつらさえいなければ、自分にも幸福は訪れるかも知れない。そいつらがいる限り、自分に幸福は訪れない。だからそいつらを狙う。いや、それも奇麗事だ。そんな事をしてみたところで、幸福になんかなれるわけがない。どんな理由があれ、やってる事は犯罪であり、殺人だ。失うものはデカい。社会的には死んだも同然。それは経済的な死をも意味する。精神的なダメージは計り知れない。そんなもん、全てが終わったも同然だ。やりたい事など何もできない。そんな人生、生きる価値もない。だとしても、俺はそいつらを狙う。幸福うんぬんは関係ない。そんな連中のエゴと思い上がりで、自分の人生が犠牲になるってのが我慢ならない。クソ気に入らねぇし、クソ気に喰わねぇ。はらわた煮えくり返って仕方がねぇ。反吐しか出ねぇし、虫唾しか走らねぇ。だからそいつらを殺す。息の根を止める。それだけの話だ。絶対に殺す。それさえできりゃこんな命、今更いるか!だが、俺にとって何の罪もない、自分の不幸とは何の関係もない人間を狙う気など更々なかった。無差別テロなど論外だ。そう思った。なぜ、自分はそんなテロリストたちとは違うのか。なぜ、自分はそんなテロリストになり切れないのか。Mは考える。それは、俺が生まれついてのテロリストではなかった事、つまり、テロリストとしての教育は受けてこなかった事が一つ、そしてもう一つはきっと、俺が愛情を注がれて生きてきた人間だからだ、とMは思った。親なりの、精一杯の愛情を。俺は支配されて生きてきた。弾かれて生きてきた。虐げられて生きてきた。見下されて生きてきた。否定されて生きてきた。無視されて生きてきた。干渉されて生きてきた。束縛されて生きてきた。自分の考えを、自分の望みを、自分の意見や、その主張を、感情を、行動を、人格を、尊厳を、自由意志を。それは歪んでいるようにMには思えた。その愛はエゴであるとMには感じられた。甘えであると感じられた。依存であると感じられた。それが嫌でたまらなかった。その愛に追い込まれ、必死にもがきながらも、取り巻く全てに希望を失い、興味を失い、目的を失い、自信を失い、自分を失い、泥沼にハマるかのようにして俺は精神を病んだ。Mはそう自分を分析する。そのまま社会に出た。全てが同じに観えた。同じように感じられた。エゴ・甘え・依存、そこから生まれる、無責任。圧し掛かる、重圧。後はもう、訳が分からなかった。人として、完全に何かがぶっ飛んだ。タガが外れた。全てが狂った。完璧にイカれた。どこかへトンだ。何かが消えた。急激に膨れ上がり、急速に堕ちる。ぶち壊れて、ひしゃげて、ぶっ潰れて、消え失せた。もう、終わった後だ…。言葉では言い表しようもない、そんな感覚に囚われながら、恐怖の中で時を過ごした。生活の中に、現実味など欠片もなかった。誰か俺を殺しに来い!夜の歓楽街を練り歩いたりした。世の中には違和感しかなかったが、感じるところは何もない。そのくせ得体の知れない恐怖と孤独、絶望だけが心を満たした。そこはもう、地獄だった。頭なんか、何を考えてるのかすら分からない。勝手に色々考えているような気もするが、そこに自分の意志など感じられない。もう自分では、何を考えればいいのかすら分からない。体は動いているが、どうやって動いているのか。生き伸びようとする人間の本能か、それとも、剥き出しのエゴみたいなものか。魂のない人間の動力なんて、たぶん、そんなものだ。今思えば、そんなに不思議な事でもない。希望もない、興味もない、目的もない、自信もない、自分もない、そんな抜け殻のような人間の中に、意志など存在するわけがない。在るのは、恐怖、孤独、絶望。それでも死ななかったのは、それに対する怒りとか、殺意とか、憎悪とか、敢えて言葉にするならば、そんなドロドロとしたエネルギーの塊みたいなものだけが、どこかに内在していたからだ。それらは全てエネルギーだ。善いも悪いもない。それがなけりゃ死んでいた。当然だ。そんな人間が、生きられるはずもない。命なんか在ったところで、屍同然。いっそ命なんか絶った方が、楽になれる。苦しみから逃れられる。そんな自分が、なぜまた意志を持ち、動き始める事ができたのか。必死に頭を巡らせ、何かを考えながら、行動を起こす事ができたのか。恐らくだが、自分が観ているその光景、リアリティの欠片もない、違和感だらけの現実と、そんな地獄の中で生活している自分の心の状態、その関係性に興味が湧いたからだ。外界と自分に対する、純粋な興味と欲望。なぜ?どうして?全ては疑問から始まる。何?これ。どういう事?どうなってるの?好奇心はそこから生まれる。そいつがあれば、人は自分で考える。その答えが知りたいからだ。純粋な欲望はこうして生まれる。そして勝手に動き出す。そいつを追求する為に。考えて、動いてみる。その結果、そいつが自分の望むものであるならば、純粋な欲望は夢へと変わる。そいつを手にする為に、人は更に考えて、動く。そして出会う。何?それ。凄ぇ。カッコええ。自分もやってみたい。自分もそうなりたい。そんな憧れが、夢を後押しする。加速させる。考えて、動く。考えながら、動く。動きながら考えて、判断し、決断を下して、実行する。自分の考え得る全ての事を実践し始める。何度でも、失敗しても、結果に結び付かなくても、それで傷付く事があったとしても、打ちのめされる事になったとしても、その興味が尽きるまで、自分の中で、その可能性が消えるまで、人はそれを繰り返す。そんな事を繰り返す事で少しずつ、俺は人間らしさを取り戻し、徐々に機能し始めた。全てが再生し始めた。脳も、体も、意識も、心も。現状は恐らく、そんなところだ。善意が人を追い込む事もあるのだと、Mは経験から学んでいた。それでも、そこには間違いなく、愛があったのだと、自分は愛情を注がれて生きてきたのだと、Mは認める。その愛に嘘偽りはなかった。今なら、確信できる。自分が望んだ愛ではなかったにせよ、その愛は、確かに俺の為を思ってそこに存在したのだ。それが俺の為であると、彼らは信じていた。それが俺の幸福の為であると。ただ、知らなかっただけだ。分からなかっただけだ。それを与える為の、手段、方法、言葉。自分にだって、そんな事はいくらでもある。この先、どんなに経験を積んでみたところで、それによってどれだけ成長できたとしても、そんなものは一生なくならないと思う。そんな事を、今更責める気持ちなどはなかった。俺は善意の中で生きてきた。だから俺は人の優しさが好きだ。優しい人間になりたいと願う。他人の幸福を願うような、そんな人間になりたいと願う。そして何よりも、それを守ってあげられるような強い人間になりたい、そう願って生きてきた。なのに、一つもうまくいかなかった。何も手にできなかった。強さだの、優しさだの、そんなものがあるのなら、俺にも分けて欲しいと願った。自分にも与えて欲しいと願った。しかし、どんなに強く願っても、どんなに強く求めても、そんなもの、どこにもない。あるのかも知れないけど、それが一体何の役に立つというのか。何一つ、守れない。使い方すら分からない。誰も分かってなんかいないんじゃないか。だから、それを教える事も、与える事もできないんだ。人間なんて、無力だ。そう感じずにはいられなかった。うまくいっていたんだ。人生が変わり始めていた。人生が開きかけていた。俺は変わった。少しずつ、変わり始めていた。周りのみんなも、少しずつ変化を見せた。それは、成長という名の変化だ。それを観せたかった。それを知って欲しかった。こんな人間でも、成長できるという事を。どんな人間にも、可能性があるという事を。誰もが成長するその様を、その過程を、楽しみたかった。でも、このストーキング行為が、俺の全ての邪魔をする。俺の全てを破壊する。煩わしくて仕方がない。誰が、何の目的で行っているのかは分からない。そこにはひょっとしたら、そいつらなりの大義名分があるのかも知れない。それでも、自分がこんな事をされなければならない謂われはない。ぶち殺してやりてぇよ、Mは呟く。しかし、誰を?どうやって?相手も分からない、その術すら見つからない。そんな自分の無力さ、非力さを痛感し、ちっぽけな自分を意識しながら、こんな時、仲間が欲しいとMは思った。全てを共有し、共に成長し合えるような、共に戦い、信頼し合えるような。俺の弱点は、仲間がいない事、いつも一人でいる事だ。Mはそう考える。どんなに優秀な人間だって、海千山千の賢者だって、百戦錬磨の戦士だって、人が一人でできる事なんて、タカが知れている。俺が一人でできる事なんて、こんなパソコンを使いながら、ギャーギャー喚き散らすくらいが関の山だ。俺は認められつつある。会社のみんなに、周囲の人々に、俺は少しずつ認められつつある。でも、仲間と呼ぶには程遠い。そこまでの信頼関係は築けていない。なぜか。それは俺が人に対して心を開けない人間だからだ。自分を打ち明ける事のできない人間だからだ。Mは人間関係を構築する事が苦手だ。もし、会社のみんなに心を開けていたら、少しでも人間関係を築けていたら、もっと違う筋道を辿る事ができたかも知れない。もっとうまく事を運ぶ事ができたかも知れない。みんなだって、もっと心を開いたかも知れない。こんな時、本当ならば、人に助けを求めればいいのかも知れない。誰かに相談し、人を頼ればいいのかも知れない。でも、誰に?どうやって?何を、どう話せばいい。この気持ち、この感情、この感覚を、どう表現すればいい。この状況を、この感覚を、自分でさえ理解できずにいるこんな現実を、誰に、何て説明したらいい。どんな言葉を使って話をすれば、分かってもらえるのか。理解が得られるのか。そんな事すら分からない。結局、俺は誰にも心を開けない。誰とも関係を築けない。共存する、その方法が、分からない。それが、俺の弱点。これが、現実。これが、結果だ。誰に何を言われようが、どう思われようが、これが、俺が今まで生きてきた人生の中で、経験してきた事の中から、自分に対して思う事であり、世の中に対して感じる事であり、考えてきた事であり、理解してきた事であり、想像してきた事であり、観えていた景色であり、そしてそこから考えられる事の全てであり、理解できる事の全てであり、想像できる事の全てであり、観る事のできる世界の全てであり、形であり、そこから導き出した、自分なりの答えの一つであり、現時点で、俺の人生に関わってきた全ての人間たちと、その全ての人間たちが関わるこの社会とが、生み出して、育て上げてきた、俺という人間の姿であり、そんな社会や人間たちが、故意にせよ、無意識にせよ、どんなつもりであったにせよ、俺に与えてきたものと、それによって俺の中に育まれてきたものの、全てだ。それを使って、何をする?俺に、何ができる?これが、現実。これが、結果。そしてこれが現時点での、最終結論だ。人は独りでは生きられない。今の俺が、正にそれだ。限界だ。独りで生きる事の、正に限界だ。限界だ…。そんな事を思いながら、Mはノートパソコンの電源を入れる。




