【Mの書き込み十六】
恐らくだが、人は経験から物事を理解する。想像する。
理解できない部分、想像できない部分、無知と偏見が闇を招く。
人の発する同じ言葉も、人によって解釈が異なる。
どんな言葉も、やがて意味を変えていく。
その人の持つ経験や知識、教養、置かれている立場や状況、そしてそこから生まれる理解や、想像の幅によって。
という事は、全ての解釈は誤解であり、全ての解釈が誤解となる。
なぜなら、全く同じ経験、同じ知識、同じ教養、同じ立場、同じ状況でもって生きる人間などこの世には存在しないからであり、生まれ持った能力も人それぞれ、という事は、同じ言葉に対して、全く同じ理解、同じ想像をする人間なんてこの世には一人もいないという事になり、ズバリ目に見えもしない、この世で唯一存在するその人間の内面を、言葉や行動、振る舞い、雰囲気だけで判断するあたり、想像のみで完璧に理解する事など、絶対に不可能だからである。
つまり、偏見は永遠になくならない。
が、それをどう受け止めるかは人それぞれなので、結局のところ、重要なのは善し悪しだ。
物は言いよう捉えよう。
確実に言える事は、物事を理解し、想像するにあたって、経験不足は致命的になるという事。経験なき者に、人間的、能力的成長は有り得ない。
言論の自由だか何だか知らないが、無秩序に繰り出される色んな人の、色んな言葉の中からも、それらの事が観て取れる。推察される。
物事に対する理解の度合い、想像の度合い、つまり、その人の経験値、知識の幅、教養の程度、懐の深さ、理解力、想像力、人間の大きさ、器、可能性。
それらが増せば世界は広がる。
景色が変わる。
言葉なんて、ガンガン意味を変えていく。
それは成長を意味するのである。
世の中には神様を信じる奇特な人がいる。
神はなぜあなたに苦しみを与えるのか。
人の苦しみが分からない人間に、人の苦しみを救済する事などできないからだ。
あなたの神は、人類の救済を望んでいるのかも知れない。
などという事を考えてみる。
あなたはなぜ人に苦しみを与えるのか。
神様にでもなったつもりか。
もちろん僕にも経験はあるが、
もしそれが故意であるとするならば、思い上がりも甚だしい。
そんな権利は誰にもない。
と僕は思う。
この世の中のあらゆる問題を解決する為には、全知全能である事が求められる。
のか?
あらゆる経験はポテンシャルに変わる。
その経験からしか学べない事がある。
その経験を積んだ者にしか分からない事がある。
想像できない事がある。
蛇の道は蛇。
君にしか分かり得ない君だけの真実。
君にしか感じ得ない君だけの感性。
そこからしか観る事のできない君だけの景色。
それら全てをプラスの力に変える時、可能性は開かれる。
世界が広がる。
君だからこそできる、何かに気付く。
その力を、必要とする人がいる。
打破する力、打開する力、想像する力、構想する力、破壊する力、創造する力、構築する力、開拓する力、見出す力、育む力、育てる力、導く力、生み出す力、励ます力、癒す力、助ける力、受容力、包容力、洞察力、思考力、判断力、理解力、発想力、発信力、読解力、表現力、折衝力、交渉力、説得力、決断力、行動力、実行力、求心力、全世界の総合力。全人類の人間力。
人類の経験、知識、想像、理解、教養、知恵、構想、決断、行動、能力、成長、実行は、神を超えるか。
全知全能に取って代われるか。
想像 実践実践実践実践 その、繰り返し。
愛他主義の氾濫。
犠牲精神の乱逆。
理想国家の爆心。
フリーダムの逆鱗。




