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【ゲッチュー】

 何でオールオアナッシングなんだよ。

 生きた歯車って何?

 この会社が狂ってるって事が言いたいわけ?

 それは言えてる。崩壊するよ、マジで。


 社長が連れてきたお客さん――今度この会社の本部長に据えたいと社長は言う――が、社員一人一人に挨拶をして回っている。しかし、社員の反応は相変わらずだ。誰も歓迎していない、誰も期待していない、冷ややかな目付き、そんな態度が見て取れるが、みんな儀礼的に頭を下げ、挨拶を交わす。お客さんは気付いている。その雰囲気から、手強い会社である事を。しかし、程よい緊張感を保ちながら、自信に満ち溢れた表情でオフィス内を練り歩く。「よっ」と片手をあげて挨拶した先にはMが立っている。

「あ、ど、どうも。先日はありがとうございました」

 Mは覚えている。この人が、先日社長に同行させてもらった先のお客さんだったという事を。商談の後、社長と飲み屋で場外戦を繰り広げた相手だという事を。次の日、社長がまるで友達と喋っているかのように、電話で話していた相手だという事を。大手ディベロッパーの、偉い立場にいた人物だという事を。社長にも、この会社にも、この会社の商品にも、何の興味も持っていなかった相手だという事を。

 そんな相手から、社長はどれだけの興味を引き出したというのか。その話に、この人はどれだけの魅力を感じたというのか。その地位にいればこの先も安泰、一生喰うには困らない、そんな立場の人間が、こんな吹けば飛ぶような小さなベンチャー企業に移ってくるという。一流企業からの引き抜き、あの後飲み屋で、一体どんなやり取りがあったというのか。Mは俄かに興奮していた。


 その日の午後、商談でモデルルームを訪れたMは興奮していた。社長の営業力、交渉術、商談の凄まじさ、自分もあんな商談がしたい、契約を取りたい、そんな気持ちにはやり、意気込んでいた。だから、というべきか、モデルルームの受付で、商談相手が不在だと聞いた時、Mはめげる事もなければ落胆の様子も見せず、すぐさまこう訊ねた。

「担当者の方は、今どちらにいるんですか?」

 受付の女性はその場で担当者に連絡し、本社にいるそうだ、とMに告げた。Mは女性に本社の番号を訊ねると、モデルルームの外へ出、その場で携帯電話を取り出して担当者に連絡した。

「今から本社にお伺いしても大丈夫ですか?」その勢いに気圧(けお)されたように、相手はその申し出を承諾した。そしてそのまま本社へと出向き、今までにない集中力を持って臨んだ商談の最後に、相手の担当者はこう言った。

「君はまだ新人かい?」

 入社して既に五ヶ月が経っていた。まだ新人といえるのだろうか、Mはそんな事を考えながら、「はい」とだけ答えた。ダメか、相手が新人だと思うほど、自分の商談は拙かったか、Mは自分の未熟さに歯痒さを覚えた。しかし、商談相手は微笑を浮かべながら口を開いた。

「私は三ヵ所のモデルルームを担当していまして、どこへ広告を出せば集客できるのか、ちょうど迷っているところだったんですよ。もう少し詳しい話を聞きたいのですが、日を改めて上司の方か誰かを連れてきてもらえるかな」

 ゲッチュー。Mは内心でガッツポーズを決めた。自力での契約には至らなかった。しかし、相手は明らかに興味を示した。ページが全く埋まらない。廃刊の危機に直面していた。三ヵ所すべての広告が掲載となれば、デカイ、そう思った。

「かしこまりました。次はいつがご都合よろしいですか?」

 手帳をめくりながら、来週月曜日の午後一時からなら空いている、今日待ち合わせをしていたモデルルームの方へ来てください、と相手は答え、じゃあ一時にお伺いします、とMは頭を下げた。


 あいつ、どこ行ってたの?

 帰りが遅いと思ったら、商談の約束すっぽかされて本社まで追い掛けたらしいよ。

 凄ぇな。大丈夫なのか?そんな真似して。


「どうやってかは知らないが、お前の行動は把握されている。どうもそんな気がする」

 会議室。地図を広げるMにヤッさんが話し掛ける。会議室にいるのはMと闇医、そしてヤッさんの三人だ。

「やっぱりそう思う?」地図から顔を上げ、ヤッさんへと向き直るM。

「車にも何か仕掛けられてるんじゃないか?」手に持っている営業車のキーをクルクルと回しながらヤッさんがそう言い放つ。

「もう至る所に何かが仕掛けられてる気がするよ」とM。

「一体誰が何の目的でこんな真似するんだろうな。何か心当たりはないのか?」ヤッさんがテーブルに両手を突き、Mの顔を覗き込む。

「さあ、頭のイカれた連中が俺に興味を抱いて、生態を観察してるとか、そんな事くらいしか思い浮かばないけど」とMは首を捻る。そこで闇医がMに訊ねる。

「Mはこの会社に入る前からホームページを公開していたんですよね」

「うん」

「どういう内容の物を書いていたんですか?今みたいな内容?」

 少し考え、「いや、当時は自分の過去を書き出していたというか、気持ちを整理していたというか、吐き出していたというか、分析していたというか、言ってみれば心の掃溜めみたいな代物だよ」とMは答える。

「心の掃溜め?何だいそりゃ」ヤッさんが疑問を口にする。

「如何にも精神を病んだ人間が気持ちをぶちまける為に書いているような内容だったって事」

「なるほどね」

「そのホームページの内容に興味を持った人間が、ホームページを辿ってMの所在を割り出した。またはMのパソコンをハッキングした。そして個人情報を割り出し、それをきっかけに今、ストーキング行為を働いているって事はないかな」と闇医が思った事を口にする。

「……」しばし考えを巡らせるM。

「物好きと言うか何と言うか、気味が悪いな、そんな奴がいるとしたら」身体の向きを変え、テーブルに腰をかけるヤッさん。

「それだけ興味を持たれる内容だったって事かも知れませんよ」と闇医。

「心の掃溜めが?」Mが驚きを口にする。

「心の掃溜めか…まあ、いい意味か悪い意味かは別として、物好きな人間にとっちゃ相当興味をそそられる内容だったのかも知れないな。それが事実だとしたらだが」とヤッさん。

「でも、僕は思うんですが、物好きな個人が一人でやってるにしては、やけに手が込んでると思いませんか?」と闇医が疑問を投げかける。ヤッさんは少し考え、「確かに、ここまで一人の人間を包囲するってのは、かなり手間がかかるぜ」と同意する。

「ただの物好きとは思えない。これは随分と知識や技術のいる事ですよ。結構な手間と時間、そしてお金もかかってるんじゃないですか?」と闇医。

「ただの物好きじゃないとしたら何?どういう人がやっているワケ?」Mが不安そうな声を出す。

「さあ、それなりに技術を持った…、誰だろう…、一人でやるにしても手が込み過ぎているし…、仲間がいるとか…、もしくは何かの組織?」と闇医。

「組織?一体何の組織がMを付け狙うんだ?」とヤッさんが疑問を投げかける。

「それは分かりませんが…」と闇医が口籠もる。

「警察かな」とMが思い付いた事を口にする。

「警察?」

「うん、俺、犯罪者予備軍と思われているとか…」と不安そうな口調のM。

「犯罪者予備軍と思われるような事書いていたのか?」とヤッさんが訊ねる。

「いや、書き込みだけじゃなくて…」とMが言い淀むと、

「ああ、お前しょっちゅう人殴るし、クソは殺してもいいとかいう危ねぇ思想も持ってるし、危険っちゃあ危険人物なのかも知れないな」とヤッさんが少し笑いながら得心顔をする。

「うん…」

「しかし、警察って事はないだろう。警察だったら直接来るんじゃないのか?こんな手の込んだ技術を使って監視なんかするかな。犯罪だろ、この行為自体が」

「初めは誰かが興味本位でMの事を観察していたのかも知れない。でも、面白くなってきてそのまま仲間や、何かの組織を巻き込んだのかも知れない」と闇医。

「いやだから組織だとしたらその目的が分からない。金にならない事に大抵の組織は動かないだろ」とヤッさんが尤もな事を口にする。

「目的があるとしたら監視だよ。俺が犯罪に走らないかどうか。テレビで見た事がある。国や警察が衛星やら色んな技術を用いて前科者を監視するんだ」とMが思い出したように口にする。

「何のテレビだよ。現実に国や警察がやっている話なのか?」

「いや、分からないけど…」

「しかもお前は前科者でも何でもないだろ。それとも何かやらかしちまってるのか?」とヤッさんがMに訊ねる。

「いや、まだ…、ない」

「まだって言うな」ツッコむヤッさん。

「Mを使って金儲けを考えている奴らがいるとか」と闇医。

「俺を付け狙ったって金になんかならないよ。どうやって金を儲けるつもり?」とMが疑問を口にする。

「さあ…、それは分かりませんが。ただ何かの目的がなければここまで手の込んだストーキング行為は働かないんじゃないかと僕は思うんです」

「まあな」腕を組んで考え込むヤッさん。「目的か…。考えれば考えるほど謎だな」

「まさか、国家の陰謀?」突拍子もない事を口走るM。

「おいおい、その発想はヤバイぜ。何かで見た事がある。そう言って精神病院にぶち込まれる哀れな精神異常者をな」

「…もちろん冗談だけどさ。もしこれが国家の陰謀だったら、こんな行為はテロリストしか生み出さないよ。ストレスを与えて敵愾心を煽ってるようなもんだ」Mは真顔だ。

「初めはただの興味本位で始めたのかも知れない。でも途中で何かの目的ができてエスカレートしてきたのかも知れない」と闇医が考えを巡らせる。

「目的か…。Mを付け狙う目的。一体何があるんだろうな」瞑目するヤッさん。

「Mにストーキングを働いていた人間がたまたまマスコミの人間だったとか。もしくはそれに近しい人間で、そしてMに興味を抱いたマスコミが、スキャンダルを狙ってMを付け狙っている、っていうのはどうでしょう」と思い付きを述べる闇医。

「マスコミが?有名人が相手ならともかく、犯罪まで犯して一般人のスキャンダルなんか狙うかな」ヤッさんが疑問を投げかける。

「俺が犯罪者予備軍と思われているとしたら、有り得るかも知れない」とMの口調はなおも不安げだ。

「もしくは誰かが興信所を使ってMの事を調べ上げているとか」次々と自分の推理を展開する闇医。

「興信所か。まさかうちの連中がやってるって事はないだろうな」とヤッさんが疑いの目を社内に向ける。

「それはないと思う。俺がおかしいと感じ始めたのはこの会社に入社する前からだから」とMが否定する。

「でもお前の言葉や行動を把握している節があるのは明らかにうちの社員どもだ」ヤッさんの口調が強くなる。

「確かに。その物好きなストーカーが、会社のみんなを巻き込んだとか」と闇医もヤッさんに同調する。

「でもみんなこのクソ忙しいのにこんな手の込んだストーキング行為に加担するかな。時間も金もないじゃないか、うちの会社」Mは希望を込めてそれを否定する。そんな事はあって欲しくなかった。

「でも、少なくともMの言動を社員にリークする人間がいなければ、我々が感じている今の状況は説明が付きません」と闇医。

「興信所を雇ったのがうちの会社で、だから興信所はMの情報を会社の連中にリークしている、それだったら辻褄が合うんじゃないか?」とヤッさん。

「会社が何の為に俺の事を興信所に調べさせてるワケ?」Mの不安が増幅する。

「自分で精神異常なんて嘯くから、お前は完全に疑われている。しかも世界平和なんか謳っている得体の知れない人物だ。それで会社はお前の事を調べ上げているのかも知れない。うちは教育通信社だしな。どうしたらお前のような人間が育つのか、興味を持たれたっておかしくないだろ」とヤッさんが考えを述べる。

「だとしたら酷いですね。会社がMの人権を侵害している事になる」と闇医。

「指示を出す立場にあるとしたら社長だ。もしうちの会社が犯人だとしたら、首謀者は社長って事になるな」とヤッさん。

「でも、興信所って高いんでしょ?わざわざそんなお金を払ってまで俺の事を調べる程、うちの会社に余裕があるかな」とMはあくまでも懐疑的な意見を述べる。

「まあ…、確かにな」

 しばし沈黙が訪れる。青ざめた表情で地図に目を落としているM。心ここにあらず、といった感じだ。見かねたヤッさんが、「まあ、お前がストーキングをされているという決定的な証拠はないがな。あるのは状況証拠とも言えないような感覚的なものだけだ。気のせいという可能性もなくはない」と気休めを口にする。

「気のせいなのかなぁ。とてもそうとは思えないんだけど…」Mは深刻な表情で今までの出来事に思いを巡らせていた。

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