【お礼】
へぇ、社長って凄いんだ。
しつこいのと粘るのとじゃ違うのか。
おほざきになるって何?社長に対して。
道に迷うのはいつもだろ。いい加減道覚えろよ。
あいつ、ホームページばっか更新して、ちゃんと睡眠取ってんのか?
終電間際、ようやく仕事を終えたMとヤッさんが駅へ向かう道を歩く。
「M、お前の言う通りかも知れないぜ」ヤッさんが口を開く。
「何が?」
「お前は誰かに付け狙われてる。お前の行動は誰かに監視されている。俺もそんな気がしてきたよ」
「何で、そう思うんだい?」
「オフィスの雰囲気だ。お前の書くホームページについて、良くも悪くも社員の連中が噂をしているのは知っているが、ホームページだけじゃなく、お前の言葉や行動自体が把握されている雰囲気がある」
「でしょ?」
「一体どうなってやがんだ。誰が何の為にそんな真似をしやがる」
「分からない」
「気味が悪いな。色々筒抜けってのは」
「気味が悪いの次元が違うよ」
「よく平気でいられるな」
「平気じゃないさ。俺が普段何をしているのかも、部屋で何をやってるのかも全て筒抜けなんだ。内心気味が悪くて仕方がないし、ハラワタ煮え繰り返ってるぜ」
「部屋の中まで?それは確かなのか?」
「分からないけど。でも、そんな気がする」
「マジかよ」
「俺は犯罪ってのは大まかに分けて二種類あると思っている」突然Mがそう切り出す。
「二種類?」
「うん、二種類だ。精神的に追い詰められた人間が、苦しんだ挙句に身勝手な行為に走るケースの犯罪と、人の気持ちも考えない何様気取りのカスが、自分都合、面白半分、興味本位でクソ行為に及ぶケースの犯罪だ」
「ほぅ」
「どちらも犯罪には変わりはねぇが、情状ってもんが変わってくる。前者には同情の余地がないワケじゃあない。だが後者は別だ、クソ過ぎる。今回俺にかましてくれてる奴らは、明らかに後者だ。興味本位で楽しんで腐る。遊んで腐る。虫唾しか走らねぇよ」
「確かに、虫唾が走るってのは確かだな」
「犯罪ってのは大抵の場合、自分より立場や力の弱い者に向かう。社会的弱者だ。今の俺なんかまさにその典型だけど、どんな理由があれ、自分より弱い者を標的にするなんてのが、どんだけカスでクソのやる事か、思い知らせてやらねぇと気が済まねぇよ」
Mは時折熱くなる。それはどんな時なのかという事にヤッさんは思いを巡らせていた。
「いつか必ずぶっ潰してやる。俺が奴らのいいようにされると思ったら大間違いだ」Mがいきり立つ。
と、路地裏から大きな物音がする。何かが倒れる音、ぶつかる音。そして、人の呻き声、歓声。
「何だ?」そう言いながら路地裏の方へ足を向け、覗き込むヤッさんとM。
数人の若者に囲まれて、人が倒れているのが見える。倒れているのはどうやら浮浪者らしき格好の男だが、その浮浪者を若者たちがいたぶって遊んでいるようだ。馬乗りになりパンチを喰らわす者、頭をサッカーボールのように蹴り上げる者、それを見て笑い声をあげる者。頭を抱えて必死に体を丸める浮浪者。その背中を若者が踏み付ける。いわゆる狩りのようなもの、そんなニュースを見たことがある、とヤッさんは思った。
「酷ぇ事しやがる」そう言いながら路地裏へと入っていくヤッさん。Mが無言で後に続く。
「おい、何やってんだガキども」ドスの利いた声を掛けるヤッさん。
若者たちが二人に気付き、一瞬、突然の目撃者に意表を突かれた顔をした後、敵意剥き出しの表情を向ける。
「何だ?おっさん」若者の一人が凄む。そして二人を取り囲もうと、全員で近付いてくる。
Mがヤッさんより一歩前に出る。リーダー格のような男が射程圏内に入った瞬間、持っていたカバンを手から離し、いきなり男の顔面に右フックを叩き込むM。そして返しの左ボディブロー、間髪入れずに再び右のフックを顔面にぶち込む。もんどり打って地べたに転がる男。驚いて足を止める他の若者たち。Mがその男たちに近付きながら口を開く。
「おいクソども、知ってるか?」一瞬の出来事に若者たちは言葉を失っている。
「クソってのはな、殺してもいいんだ。クソってのはな、殺すと喜ぶ人間がいるんだよ。人が喜ぶ事をするってのはいい事だから、俺はやるよ」
そして一番近くに立ち止まっていた若者にいきなり右のストレートをぶち込むM。アゴの先端に喰らった若者が膝から崩れ落ちる。
「何だこいつ」「やべぇ」それを見て他の若者たちが散ってゆく。追いかけもせず倒れた若者の腹に蹴りを喰らわすM。呻き声をあげ、体を丸めてのた打ち回る若者。
「お前らみたいなクソ殺すのに、躊躇はねぇよ」そう言いながら若者の顔面を踏み付けようと右足を大きく振り上げるM。亀のように頭を庇い、必死に丸まる若者。Mの肩を掴み、止めるヤッさん。
「おい、そこまでだ」
上げた足をゆっくりと下ろすM。その目に宿っているものは何か。正義感からくる単なる怒りか、それとも、この世に対する憎悪に近い感情か、ヤッさんは読み取ろうとするが、分からない。
「前も思ったけど、お前、結構強いんだな。ただのイジメられっ子かと思ってたよ」冗談めかしてMの背中に手を回し、誘導するように若者から遠ざけるヤッさん。
多少息切れ気味のMがそれに答える。
「ん?イジメなんてな、やられてる本人がイジメだと思わなけりゃイジメじゃないし、俺は周り中から嫌われた事はあっても、イジメられた事なんか人生で一度もないね」
興奮はもう収まっているようだ。
「なるほどね」
浮浪者に目を向けるM。その目からは何の感情も見受けられない。同情も、嫌悪も、憐れみも。純粋に人を見る時の目だとヤッさんは思った。
「あのパンチはボクシングだな。経験があるのか?」浮浪者に近付きながらMに訊ねるヤッさん。
「囓った程度だよ。根性がないから三分間戦えるだけの体力も身に付かなかったし、煙草の吸い過ぎでマウスピースを口に含むだけでウェッてなったけどね」そう言いながら嘔吐いてみせるM。
「ボクサーじゃねぇな、それ」ヤッさんが笑う。
「ボクサーなんて言った覚えはない。俺はすぐ殴っちゃうし、何もかもが失格だ」とMは真顔だ。
浮浪者が壁を背に座り込んでいる。近付いてくるヤッさんとMに虚ろな目を向ける。四十代にも五十代にも六十代にも見える、そう思いながら助け起こそうとするヤッさん。臭いが少し気になるが、顔には出さない。
「す、すまない」そう言って起き上がる浮浪者。服に付いた汚れを払いながらあちこちに手をやり、自分の体を確かめている。
「大丈夫かい?」
「あ、ああ。怪我は大した事なさそうだ」
「そりゃあよかった」そう言いながら服の汚れを一緒に払ってやるヤッさん。
「じゃ」そう言って立ち去ろうとするヤッさんを、浮浪者が呼び止める。
「何か、お礼をしたいのだが…」ヤッさんが浮浪者に目を向ける。
「いらないよ、そんなもん」
壁に背をもたれ、ズルズルと座り込む浮浪者。
「おい、大丈夫か?」心配そうに浮浪者の顔を覗き込むヤッさん。
「ああ、思ったより大した事はない。そんな事より」
「そんな事より?」
「何かお礼を」
「いらないって言ってるだろ。早く寝床へ帰れ。今日はもう帰って寝ろ」
その言葉に、何かを思いついたような表情を浮かべる浮浪者。
「そうだ、寝床に帰れば酒がある」
「酒?」
「ああ、あまりいい酒ではないが…」
「酒が飲みたけりゃ自分で買うよ。大丈夫だ」そう言って再度立ち去ろうとするヤッさんに、腕時計を見ていたMが声を掛ける。
「ヤッさん、終電なくなった。お言葉に甘えて酒をいただこう」Mの方に顔を向け、「マジか?」と言って自分の腕時計を確認するヤッさん。
「うん」
ヤッさんが溜息をつく。
「どうする?」
「この人のねぐらへ行こう」迷いもなく、瞬時にそう答えるM。
「行ってどうするんだよ。酒でもいただくのか?」
「酒はともかく、送っていこうよ。怪我も心配だし」
そのやり取りに浮浪者が割って入る。
「是非、そうしてくれ。仲間も何人かやられてるんだ。あんたらがブチのめしてくれたと言えば、きっと喜ぶ」そう言いながらゆっくりと立ち上がる。
「仲間がいるのかい?」とヤッさん。
「顔見知りだ。この辺をねぐらにしている。みんなもう寝ていると思うが、付いてきてくれ」壁に手を突き、ヨロヨロと歩き出す浮浪者。
「お礼なんて、律儀なルンペンだな」顔を見合わせ、浮浪者の後に続くヤッさんとM。
沈黙が流れる。三人の足音、そしてどこかから聞こえる車の音だけが響く。気まずくなったヤッさんがMの顔を見る。本当に付いていくのか?と、その目が言っている。Mが先を行く浮浪者の横に並び、口を開く。
「この生活は長いんですか?」
少し考えを巡らせ、ゆっくりと歩を進めながら浮浪者が答える。
「そんなに長くはない。私はまだ新参者でね。半年経つか経たないか、そのくらいだと思う」
「もう、慣れました?」遠慮がちにMが訊ねる。
「少しずつだが、要領を掴んできたよ」
「要領か、どんな世界にも要領ってものがあるんですね。僕は四ヶ月経ってもまだ仕事の要領が掴めない」そう打ち明けるM。それには答えず、ゆっくりと歩を進めていく浮浪者。その後ろにヤッさんが続く。Mが再び遠慮がちに口を開く。
「けっこう孤独じゃないですか?」
一度Mの顔を見る浮浪者。そしてすぐにまた下を向いてしばらく考える。何かに思いを巡らしている様子だ。そして歩みに合わせたゆっくりとした口調で答える。
「別にこういう暮らしをしているから孤独というわけではない。どんな暮らしをしていたって、孤独な人間は孤独なものだと私は思うが」
今度はMが黙る。会話を続けるには深く質問を重ねたい。しかし、人には触れられたくない事もあれば、触れられたくない過去もある。特にこのような暮らしを選択する人間には、その種の事も多いのではないだろうか。それとも、そう考える事がそもそも偏見なのだろうか、とMは考える。すると今度は浮浪者が先に口を開く。
「君は、孤独を感じる事はないのかい?」意表を突かれた思いで、しかしMはすぐに答える。
「めちゃくちゃ孤独ですよ、俺なんて」ぎこちない笑顔でそう答えるMの顔を、浮浪者が見つめる。
「そうだろう。どんな生活をしていたところで、それは変わらない。家庭を持とうが、仕事に励もうが、どうせ孤独であるならば、いっそこんな暮らしも悪くないと思ってね」
そこで言葉を切る浮浪者。続きの言葉を待つが、それ以上の言葉は出てこない。しかし、つまりそれがこの浮浪者がこの生活を選んだ理由らしい。
「ご家族がいるんですね」
「ああ、いるよ」
「心配は、されてないんですか?」いらない質問を口にしたような気になって、浮浪者の顔色を窺うM。しかし浮浪者は気にした様子もなく話し始める。
「妻はもうこの世にはいない。随分前に死んだ。一人息子は海外を飛び回って、夢中で仕事をしているよ。私なんかいなくても、何も困らない」
「息子さんは何の仕事を?」
「戦場カメラマン。世界中の戦地を飛び回って写真を撮っているよ」
「マジですか?凄いじゃないですか、戦場カメラマンて。ねぇ」本気で驚いたような表情を浮かべ、後ろを歩いているヤッさんに顔を向けるM。
「ああ、凄いな。誰にでもできる仕事じゃない」とヤッさんも同意する。
「そうだよねぇ」とMが念を押して敬意を表す。
「とても勇気のいる仕事だ。むしろあんたの方が心配なんじゃないのか?息子さんの事。常に死と隣り合わせの仕事だ」とヤッさんが浮浪者に訊ねる。
俯きながら微笑を浮かべ、穏やかな口調で答える浮浪者。
「心配しても始まらないさ。息子の選んだ道だ。自分の人生の責任は自分で負うしかない。どう生きて、どう死のうが、自分で責任を負うのであれば、それは本人の自由だ。心配だからといって、口出しする方が無責任てものだ」
「ほう」
浮浪者の後姿を見守りながら、感心したように息を漏らすヤッさん。ただただ歩を進める浮浪者。Mが興味津々の目でその横顔を見つめている。
「もし良かったらうちの会社で働きませんか?うちは教育通信社だから、誰でも面倒見ちゃうんだ」誘いの言葉、Mなら口にするんじゃないかと、ヤッさんは少しだけ予感していた。
「冗談はやめてください。私はこんな生活も悪くないと思っている」その言葉も予感していた。Mもそこまで本気で口にしたワケじゃない、ヤッさんはそう思った。
「要は世捨て人なんだ。おじさんは世の中を捨ててやったわけだな。親としての役割を立派に果たし、そして世を捨てた。尊敬に値するよ。もったいないけど仕方がない。捨てられるような世の中が悪いんだ」とよく意味の分からない言葉を口にするM。それには取り合わず、前方を指さす浮浪者。大きな公園がある。
「あそこが私のねぐらだよ」
その後、浮浪者の差し出す酒を飲むためのコップを、Mがコンビニまで買いに行き、三人で酒を酌み交わし、しかし、会話は少なく、小一時間ほどしたところで浮浪者に別れを告げ、二人はカプセルホテルに泊まった。
あいつ強いんだな。
いきなり殴りかかるタイプだ。
あんまりバカにしてるとぶっ飛ばされるぞ。
朝礼で二十歳の社員が会社を辞める事を宣告したという話を、朝、商談に直行した為会社にいなかったMは、人づてに聞いた。部長が儀礼的に理由を聞いたが、理由は明白だった為、誰もが無関心を装い、他にやりたい事がある、という若者の嘘の言葉に対して更に質問をぶつける人間はいなかったという。
夜、Mが自席に座っていると、二十歳の社員が近付いてくる。もう帰り支度は済んでいるらしく、右手に鞄をぶら下げ、小声でMに話しかける。
「俺、この会社辞める事になりました」
二十歳の社員に顔を向けるM。驚いた顔も見せず、「何で?」と訊ねる。
「だってヤバイですよこの会社」と二十歳の社員は本音を口にする。
「そっか」そう言ってまた机に視線を落とすM。机の上に散らばった書類の整理を始める。
「それだけですか?」と笑って二十歳の社員がMに訊ねる。再び二十歳の社員に顔を向けるM。
「それだけって?」
「そんな事はないって会社を庇うとか、俺を引き止めるとか、労いの言葉とか、何かないんすか?」
「ああ、そっか、ごめん」と鼻の頭を掻くM。
「今までお疲れ様でした。まあ自分の人生なんだから、自分で決めればいいんだよ。引き止めたって無駄だろうしね」
「まあ、そうですけど」苦笑いを見せる二十歳の社員。
「Mさんも体に気を付けてくださいね。どう考えてもヤバイですよ、この会社」
「うん」とだけ答えるM。それ以上言葉が出てこない事を確認し、Mの背中をポンと叩く二十歳の社員。
「ありがとうございました。楽しかったですよ」そう言ってそそくさとオフィスを後にする。それを不思議そうな顔で見送るM。俺にお礼?そんな顔だ。何が楽しかったのかはさっぱり分からない。




