【違和感】
何言ってんの?あいつ。
仕事量が多過ぎて俺たちの精神が歪んでるって事?
立場の弱い俺たちに精神的な負担の波が流れてるって事?
何気にその通りじゃん。
関わる全てのメカニズムって何?
全人類の精神的負担て何だよ。
喰い止めてくれよ。この流れ。
マジで負担がデカ過ぎるよ。
「あいつ、会社来なくなっちまったな」
車の助手席に座っているヤッさんが、咥え煙草でハンドルを操作するMに話しかける。
「そうだね」
「あいつ、手、震えてたからな。さすがに無理だろ」そう言いながら自分の手を震わせるヤッさん。
「病んでたからね。仕方がない」
「仕方がないって、もう少し選べないものかね。採用の段階で」
「俺だって病んでるし、生まれつき精神を病んでる奴はいない」
「まあ、それはそうだが」
「みんなそれなりの理由があって病んでるわけで、その原因が取り除かれれば治るものだと俺は思う。それには周囲の理解と協力が必要だ」
「周囲の理解?どう理解しろっていうんだ?」
「その人の背景を想像する事。その人が病むに値する人生を歩んでいる事を認める事。そしてそれを受け止めてやる事だ。心の病気なんだから、気持ちの問題だ。気持ちが安定すれば治る。その為には、偏見を持たずに、まずは在りのままのあいつを受け止めてやる事だと思う。そーゆー場所があいつにはないんじゃないかな。心の落ち着く場所、安らぎの場所だ」
「そーゆー場所があれば治るのか?」
「さあ。でもないよりマシだろ?心の病気なんて、気持ちの問題なんだから、安定すれば治るんだ。一生付き合う必要はないし、俺は付き合うつもりは一切ない」
「お前にもそーゆー場所がないということか?」
「ふふふ、ない」煙草を灰皿で揉み消しながら不敵に笑うM。
「そうか。でもそういう場所を職場に求められてもな」
「どこでもいいんだよ。家だろうが、友達の元だろうが、恋人の元だろうが。他にないなら、職場で居場所を作ってやらないと」
「そんなもんかね。でも手が震えてたんじゃ、かなりの重症だろ。いつもこんなんなってたぞ」そう言いながら自分の手を震わせるヤッさん。
「まあね、でも頑張った方だよ、あいつは」ハンドルを操作しながらそう口にするM。
「ホントか?」
「うん、あいつは一切手は抜いてなかった。全力で仕事に取り組んでたよ。自分のできる限りの範囲において。どう考えても仕事を与え過ぎだよ、最初から」
「でもそれは俺もお前も一緒だろ」
「うちは新人が育たない。未経験で入ってくる奴は特にね」
「何でだ?」
「そりゃあそうだよ。環境が悪過ぎる。うちの会社は働くには最悪の環境だ」
「環境?」
「そう、人が育つための環境。人にはそれぞれキャパシティてもんがあって、それを大きく上回るような質や量の仕事を任されても、パンクしちまうし、壊れちまうよ。見ろようちの連中を。みんないつもカリカリして、キャパシティオーバーで壊れかけてるだろ」
「壊れかけてるって言うのか?アレを」
「そうとしか見えないね、俺の目には」
「ふっ。連中に言ってやれよ」そう言って窓の外に目を向けるヤッさん。
「知ってる?噂によると編集長、この会社に入ってから家庭が崩壊したらしいよ」
「崩壊?」
「うん。忙し過ぎて家庭を顧みず、それが原因で離婚。子供は登校拒否に陥るし、仕事のストレスで子供から電話が来ても冷たく突き放すしね」
「ああ、よく見かける光景だな。編集長が電話で子供に怒鳴り散らしてるの」
「可哀想に、うちはトップダウンでストレスが下りてくるからな。それが家庭や子供にまで及んでるんだ」
「崩壊か。なるほど、壊れてやがるのかもな」
「編集長だけじゃない。うちは全員壊れてもおかしくない。社員が壊れるって事は、会社も壊れるって事だ。家庭と同じように、会社だって崩壊する。その内会社丸ごとパンクしちまうよ」
「まあ、有り得るな」
「しかもうちはミスをすれば嫌味を言われるし、いきなり結果を求められる。大概の奴はプレッシャーに耐えられないし、新人は育つ前に辞めちまうんだ」とMが話を戻す。
「確かに、入社しても誰にも歓迎されないしな」
「頑張ってたのにな、あいつ。頑張る奴は褒めなきゃダメだよ。結果なんか、やってりゃ後から付いてくる」
「あいつでもか?」
「あいつでもだ。そいつのキャパにちゃんと合った仕事を与えて、頑張りをちゃんと評価する。まずはそいつを認めてやらないと。最初はミスや失敗をするのは当たり前なんだから、それをいちいち怒られたり嫌味を言われてたんじゃ、すぐに嫌になっちゃうよ。ミスや失敗を恐れるようになる。そんなものを恐れて挑戦もできない人間に何ができる。何もできない人間を育ててどーすんだ、と思っちゃう。そんなもん、教育でも何でもない。注意はするが怒らずにフォローしてやって、結果を出す為の指導やアドバイスを惜しみなく与えてやるんだ。まずは仕事に対する安心感を与えてやらないと、ビビりながら仕事してたんじゃいい仕事なんかできないよ。それがうちの会社にはない。時間はかかるかも知れないけど、そうやって少しずつ結果を出させて、成功体験が増えていけば、人間なんて勝手に成長していくものだと俺は思うんだけどね。キャパだって広がる。そして焦れったいと感じるかも知れないけど、それが一番速度の早い、効率的な育て方なんじゃないかと俺は思う」
「ふ~ん。そんなもんかね」
「勘違いされちゃ困るのは、やる気がない奴と能力が低い奴は違うという事だ。やる気なんてあったって能力が低い奴もいれば、やる気なんかなくたってそこそこの結果を出す奴もいる。ホントに怒るべきなのは、甘え腐ってる奴と、手を抜いて仕事をしている奴だ。仕事を舐め腐ってるとしか思えない。そんな奴に支払う給料はねぇよ。逆に能力なんか低くたって、頑張ってる奴は褒めるべきだ。まずはその頑張りを認めてやるべきだ。頑張る奴は伸びる。頑張ってる奴が伸びないなんて、そんなもん、指導する側の責任だと俺は思うね。お前の人を指導する能力が低いんだ、だから下が育たない。お前が伸びろ!と俺は思う。伸びればいずれは戦力になるし、従業員をそうやって導いてやる事が会社側の責任であって、その責任を放棄して自分の能力不足を棚に上げた挙句、どんどん社員を辞めさせちゃうなんて、優秀な人間のやる事とはとても思えないよ」
「まあ、そうかも知れねぇな。しかし、お前は前に、うちのように度量の大きな会社が増えれば人手不足は解消できる、みたいな事を言っていたが、うちほど人手不足の会社も珍しいんじゃないか?」
「教育通信社のくせに、教育のやり方がおかしいからな。放任主義というよりも無責任だ。仕事を任せているというより、ただの丸投げ、押し付けだ。採用してもみんなどんどん辞めていく」
「まったくだ」
「採用の仕方は今のままでいいと思う。問題はその後だ。人が育てば会社も育つ。そこにいる人間の戦力がそのまま会社の戦闘力に繋がるんだからな。戦力が上がればいくらでも戦略は生まれるし、戦い方だって増える。逆に言えば人が育たなかったら会社も育たない。何の戦力も武器も持てないままだ。そんな会社は戦えない。社長はその辺が分かってないんだ。人なんて勝手に育つ、もしくは代わりなんかいくらでもいると思ってる」
「いねぇけどな、代わりなんか。今いるベテランの社員がいなくなったら、ホントに会社傾くぜ」
「今のままじゃ遅かれ早かれ傾くだろうな」
「社長は人も足りてねぇのに次々に事業を展開しようとして、何をそんなに生き急いでるんだい?焦ってるとしか思えねぇな」
「さあね、早く伸し上がりたくて仕方がないんじゃないの?」
「伸し上がりたい?」
「そう、名を上げたいというか何というか。野心家だからね、社長は。ハングリーなんだ」
「ハングリーね。それにしてもワンマンが過ぎやしねぇか?誰の言う事も聞きゃあしねぇ」
「確かに。会社に滅多にいないから現場の事が分かってないのか、それとも分かっていてワザとやっているのか」
「分かってないって事はないと思うがな」
「俺もそう思う。何とかしないとな」
「何とかって、どうするんだ?」
そう話しながら体を傾け、ずっとサイドミラーに目を向けているヤッさん。パー!パー!後ろからクラクションが鳴り響く。
「煽られてるぞ、さっきから」
バックミラーに目をやり、呑気に答えるM。「知ってる。だからスピード上げてやらない」そう言いながら制限速度で車を走らせる。しばらく道なりが続き、その間も立て続けにクラクションが鳴らされる。車を右折車線へと移行させるM。後ろの車も右折車線へと付いてくる。対向車線に目をやるが、なかなか車が途切れない。パー!パー!クラクションを鳴らす後ろの車。ようやく対向車線の車が途切れ、車を右折させるM。すぐさま後ろの車も後に続く。そしてガンガン煽ってくる。わざとゆっくり車を走らせるM。パー!パー!とクラクションを鳴らして物凄い勢いで後ろの車が追い抜いていく。その運転手が追い抜き際にMの顔を睨みつけ、Mが目を合わせるとそのまま加速して営業車の前に躍り出る。そしてブレーキを踏み、急停車する。
「あぶねっ」慌てて急ブレーキを踏むM。前の車と衝突する寸前に止まる営業車。傾げるMとヤッさんの体。
「あぶねぇな。何だコイツ。急いでるんじゃなかったのかよ」ヤッさんが驚いたように声を上げる。Mが目を細めて前の車の様子を窺う。ボサボサ頭の男が車から降りてくるのが見える。もういい歳こいたおっさんだ。
「降りてきたよクソが」そう呟きながらMも運転席のドアを開け、車から降りる。
「おい」ヤッさんも慌てて後を追う。ボサボサ頭のおっさんが怒声をあげながら近付いてくる。
「ちんたらちんたら眠てぇ運転してんじゃねぇぞコラァ」
次の瞬間、いきなりおっさんの顔面を殴りつけるM。驚くヤッさん。自分の車のトランクに寄り掛かるようにして倒れ込むおっさん。そのボサボサの髪を鷲掴みにして、おっさんの顔面をそのままトランクに叩き付けるM。鈍い音が響き渡る。呻き声を上げて両手で顔面を押さえるおっさん。もう一度叩き付けようとしたところでヤッさんが慌てて止めに入る。「おいっ」後ろからMを羽交い締めにする。おっさんのボサボサ頭から手を離すM。おっさんはそのまま地面に崩れ落ち、両手で顔面を覆いながら悶絶している。何事もなかったかのように営業車の運転席に乗り込むM。おっさんの様子を眺めながらMの後を追うヤッさん。ヤッさんが助手席に乗り込むのを待ってから車をバックさせ、倒れているおっさんとおっさんの車をよけて前進させるM。
「まったく、どいつもこいつも心のキャパが狭ぇ」Mがアクセルを踏み込みながら呟くように口を開く。
「心のキャパ?何だいそりゃ」とヤッさんが訊ねる。
「心が狭いというか、度量が小さいというか、何かあるとすぐに怒る、苛立つ、キレる。何もなくたってイライラ、カリカリ、何がそんなに気に喰わないんだか。もっと心にゆとりを持てないもんかね、と思ってさ」
「お前だよ!」驚いたようにツッコミを入れるヤッさん。
「俺は別に怒ってもいなければキレてもないよ」と、心外そうな顔をヤッさんに向けるM。
「嘘つけ。何なんださっきのは」
「あれは自分の身を守っただけだ。明らかにこちらに危害を加えようとしていたからな、あのおっさん。あんなおっさん、話をするだけ時間の無駄だし、俺は冷静にそれを考え、判断した上で、心にゆとりを持ってぶっ飛ばしただけだ」
「ゆとりを持って?いきなり殴るのか?」
「ああゆう輩は大好物だ。遠慮なくぶっ飛ばせるからな。あの男もこれで二度とあんなバカげた事はしなくなるだろ。世界も平和に近づくってもんだ」
「何が世界平和だ!聞いて呆れるよ」ヤッさんの声が大きくなる。
「何のストレスだか知らないが、あーゆー連中はあーゆー行為でストレスを発散してやがるんだ。だから俺も遠慮なくあーゆー連中でストレスを発散させてもらう。目には目を、歯には歯を作戦だ。最高の発散方法だね」
「最高の発散方法ね。とても健全とは思えないが…」ふっ、と笑いの息を漏らすヤッさん。「怖いもんなしだな、お前」と呆れ顔をする。
「怖いものだらけさ」とM。その顔は真面目腐っている。
前方にモデルルームが見える。ハンドルを切り、「さあ着いた」そう言いながらモデルルームの駐車場に車を停車させるM。
「今日の商談はよろしくね」とMがヤッさんに告げる。
「はいよ」
「後から入ってきたヤッさんに同行をお願いするとは情けない」そう言いながら後部座席に手を伸ばし、鞄を引き寄せるM。
「別にお前が喋ったっていいんだぜ」シートベルトを外しながらMに顔を向けるヤッさん。
「だったら一人で来るよ。主任命令なんだから仕方がない。ヤッさんが商談をして、俺がそれを勉強する。何としても契約取らないと、ページやばいもんな」
「俺が喋ったところで取れるかなんて分からないぜ」
「でもヤッさんの方が確率が高い、そういう判断だろ?」
「お前、商談の時いつも何喋ってるんだ?」ふと疑問に思った事を口にするヤッさん。
「ん?自分でもよく分からない。ひと通りの説明はするけど」
「説明だけか?最初にヒアリングとかしないのか?」
「ヒアリング?」
「そう、ヒアリング。相手の状況なんかを質問して色々聞き出すんだよ」
「何?それ」
「おいおい、相手の状況も分からずに何を提案するってんだ?」
「提案?したことない、提案」
「マジか。いいか、交渉ってのはな、まずは相手の状況を把握するところから始めるんだ。相手の望み、要望、困ってる事、悩んでる事、心配事、弱み、全てを掌握するところから始めるんだ。そしてそれに対して何ができるのか、こっちのできる事を考える。弱みがあるならそこに付け込む、困っているなら如何にもあなたの為を思っています、みたいな顔して相談に乗りながら、そこに付け入るんだ。交渉の常套手段だぜ」
「付け入ってどーすんだ。それじゃあ完全にヤクザじゃんか」
「まあ、それは冗談だが、相手の状況を把握した上で、それに沿った提案をしていく、てのはヤクザだろうが営業だろうが変わらねぇ。それに付け込むか、お役に立つかはともかくとして、まずはそこから始めなけりゃ何ができるのかも分からねぇよ。当然この会社の事は調べてきたんだろうな」
「うん。調べてはきた」
「よし。情報は武器だ」
「なるほど。さすがヤッさん、勉強になるなぁ」
「常識だぜ。誰も教えてくれねぇのか、この会社は」
「うん、聞いた事もない」
「そうか、じゃ、見せてやる。交渉術ってものをな」助手席のドアを開け、車を降りるヤッさん。頼もしそうにそれに続くM。
何で俺たちが病んでる奴を理解しなけりゃならないんだよ。
理解したくてもできねぇしな。
何だよ人生の背景ってよ。興味ねぇよそんなもん。
職場に居場所なんか求めるなよな。
壊れてて悪かったな、俺たち。お前にだけは言われたくねぇよ。
でもホントにパンクするよ、この会社。
確かに。
今のままじゃヤバイって事だけは確かだ。
ヤッさんも冗談が怖いよね。
ヤクザの交渉術か。
でもホントに契約取っちゃうところはさすがだよな。
商談を終え、オフィスに戻るMとヤッさん。その社内の雰囲気に違和感を覚える。もう定時を過ぎているのにほとんどの社員がオフィスにいる。が、それはいつもの事だ。
「どうでした?」主任が商談結果を二人に訊ねる。その台詞がどこか白々しく感じられた。
「契約になりました」Mが答える。
「そう、さすがヤッさんですね」
その言葉にヤッさんが反応する。
「なぜ、俺がさすがなんだい?」
きょとん、としてヤッさんを見つめる主任。
「なぜ?」
「契約を取ったのが俺だと、どうして分かったのかなと」
笑いながら答える主任。
「だって、その為に一緒に行ったんでしょ?」
その笑顔に違和感は感じられない。しかし、自分の仕事に集中しているはずの他の社員たちが、妙に自分たちに注目している、自分たちの様子を窺っている、そんな気がしてならない。
「まあ、そうだが」
「原稿の打ち合わせはいつですか?」
「明日また訪ねる事になっている」
「分かりました。主婦レポーターには僕から連絡しておきますので、明日一緒に行ってください」そう言って電話のジェスチャーを見せる主任。
「分かった」解せない表情で自分の席へと向かうヤッさん。Mは何にも気付かない素振りでそれに続く。




