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【やる事やってる】

 土曜日の夜、仕事終わりにMは営業車で歓楽街へ乗り付けた。そこには女の子が待っていた。待ち合わせをしていたのだ。女の子が助手席に乗り込んで、車の中を見渡す。後部座席に雑誌の束が積まれているのを見て、女の子が訊ねる。

「何の雑誌?」

「ああ、うちの会社で発行してるタウン誌。読む?」

「ふ~ん」女の子は雑誌に手を伸ばしかけてから、「別にいい」と興味を失ったように前を向く。その横顔を見ながらMは車を発進させる。

「ホントに美味しいの?そのハマグリ定食」Mの顔に目を向けながら女の子が質問する。

「うん、今まで食べた定食の中で一番美味しかったよ。まあ今から行っても開いてないと思うけどね、お店。こんな時間だし」とMが笑う。

「いいよ別に。海に行きたいから」と女の子が返す。

 女の子はMがよく行く風俗店の風俗嬢だ。Mはキャバクラや風俗店へ行くと必ず女の子を店外デートに誘う。海沿いにある定食屋のハマグリ定食が美味しいから一緒に食べに行こうと。馬鹿の一つ覚えみたいに、いつも同じ文句だった。Mは毎回本気だったが、そんな誘いに乗る女の子はいなかった。もう何人にそんな声をかけただろう。なぜ、そんな事をするのかといえば、孤独を紛らわす為だ、と思う。Mは寂しかった。いつも一人でいる事が。心を開ける人間もいない。心を許せる友人もいない。キャバクラ嬢や風俗嬢に、そんな心の癒やしを求めていたのかも知れないし、それ以上の期待もあったかも知れない。孤独を紛らわせてくれるのなら、相手は別に誰でも良かった。そしてついに誘いに乗る女の子が現れて、今一緒に海へ向かっているというワケだ。

「明日はお休み?」女の子が訊ねる。

「うん、でも夕方には帰ってワイシャツをクリーニングに出さないと」ハンドルを切りながらMが答える。

「私も夕方から仕事だから丁度いいね」

「そうだね」Mは何を話していいのか分からなかった。女の子を楽しませる話術など自分にはない事は分かっている。それを悟らせまいとして平静を装う事も面倒くさかったし、でもわざわざその事を打ち明けようとも思わなかった。

「一人暮らししてるの?」と女の子が聞いてくる。

「うん」とだけMは答える。会話は続かない。少ししてから、「私はお店の寮にいるんだ」と女の子が自分の住処を打ち明ける。

「へぇ、寮があるんだ?」とM。

「うん」そこでまた沈黙が流れる。気まずいような、申し訳ないような気持ちになり、Mは会話を探すが何も思い浮かばない。

「海に着くまで、寝てもいい?」と女の子がMの顔に目を向ける。

「ああ、いいよ。仕事で疲れてるもんね」Mはそう言いながら、ホッとしたような、残念なような気持ちになる。

「着いたら起こすよ」

「うん。ありがとう」女の子はシートを倒し、横になる。この女の子が、自分の好みなのかどうか、Mには分からなかった。ただいつもの習慣のように風俗へ行き、出てきた女の子に声をかけただけだ。プライベートで話をする人間は、大抵風俗嬢か、キャバクラ嬢だった。Mは会話が苦手だ。できれば誰とも話したくない。気持ちは完全に引き籠もっていた。それでも誰かと話したくて街へ出た。ジッとなんかしていられなかった。結局孤独に耐えられないのだ。会話の練習も兼ねていた。今のままではダメになる。もっと人と接しなければ、もっと人と話さなければ、もっと人に慣れなければ、自分の人生は益々ダメになっていく。そう感じていた。それでもカルチャースクールや何か習い事をする気にはなれなかった。ただただ賑やかな歓楽街に吸い寄せられるようにして足を運び、テキトーな店を探してそこへ入る、そんな生活を送っていた。暗い人生だ。何とか抜け出さなければ自分の人生に未来はない。そう思っていた。必ず切り開く、そう決意したのはいつの事だったか。

 海を女の子と二人で歩いた。でもすぐに飽きたらしく、女の子はMをホテルに誘った。Mにも下心はあった。が、余りにも自然な成り行きに、うまくいく時っていうのはこんなもんかと、Mはまったくうまくいかない自分の人生を思いつつ、その流れに身を任せた。ベッドの中、口数の少ないMに対して、女の子は自分の事を話し始めた。十六歳の時に子供を産み、それに激怒した両親に子供を取り上げられ、勘当されたのだという。子供の父親、つまり相手の男には捨てられ、失意の中、別の男と暮らし始めるが、その男の暴力が酷くて一人逃げてきたのだという。今の街で暮らし始めて半年、未だにその男が追ってくるんじゃないかと怯えながら暮らしているという。女の子が話をしている間、Mは口を挟まなかった。ただ女の子の髪を触っていただけだ。女の子は次第に目に涙を浮かべながら話を続けた。

「今の目標はね、三十歳になるまでに一千万円貯金する事なんだ」と最後に女の子が笑う。Mも笑い返す。が、何がおかしいのか、Mには分からなかった。ただMが感じたのは、その人生の暗さだ。今のままでは壊れてしまいそうな、あまりにも脆く、明るい未来など想像もできない、その人生の行く末と、言い知れぬ孤独だった。孤独、だからこの子は自分の誘いに乗ったのかも知れない。この子も、自分と何も変わらない。このまま行けばダメになる。この子の人生はきっと暗いままだ。それでも明るく振舞おうとする女の子が切なくて、Mは女の子を抱きしめた。女の子も抵抗はしなかった。女の子を抱きしめながら、Mはこの世の闇を思い、そして決意を新たにする。


 月曜日。Mの横を通る際に主任が発した言葉で、Mの顔面は蒼白になる。

「Mさんも何気にやる事はシッカリやってるんですね」

 一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし数秒後、薄気味の悪さがMの全身を貫く。歩き去る主任の後ろ姿をMは凝視した。一体何の事を言っているのか。心当たりは何もなかった。思い当たる節があるとすれば、風俗嬢との一件だけだ。やる事は、シッカリやった。誰も知らないはずの、夜の出来事。


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