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【諦められてる】

 ホントに井の中の蛙だよなあいつ。

 今いくつだよ?世間知らずもいいとこだよな。

 嵐の中で泳ぎ方なんか覚えられるかよ。普通、死ぬんだよ。そのまま溺れて死んじゃえよ。

 環境を変えるって、この会社の事?

 さぁ。

 お前のやる事じゃねぇし、お前にできる事でもねぇし。

 そんでまた勝手にビビってるし。何にそんなにビビってんだか。小心者が。くだらねぇ。


 朝礼後、制作課の課長が突然Mに話しかける。

「しかしよく一人で歓楽街の風俗とかキャバクラとか行けるよな。ぼったくりとか怖くないの?」と。周りのみんなに聞こえるような大声でだ。

「はい?」とMは素っ頓狂な声を返す。皆の目が二人に向けられる。

「いい度胸してるよ」と制作課の課長が続ける。Mは何と答えていいのか分からずに突っ立ったままでいた。

「そういうの度胸っていうのかね」Mの同期社員が口を挟む。

「小心者には行けないよ」

「そうかな」

「そうだよ」

 Mは固まった。再び薄気味の悪さに取り憑かれながら。話の脈絡は、分かった気がする。自分がビビリで小心者と揶揄されているのを聞いて、きっと制作課の課長は自分を庇ってくれたのだろう。そんな事はないと、Mはいい度胸をしている、と。みんなの前で、みんなに聞こえるように。みんなのヒソヒソ話の内容は、Mにも薄々分かっている。自分がみんなからどう言われているのか、どう思われているのか、Mはちゃんと理解しているつもりだ。そんな自分を、制作課の課長は庇ってくれたのだ。Mは決して小心者ではないと。いい度胸をしているのだと。それは嬉しい行為なのかも知れない。有り難い事なのかも知れない。ただ、なぜ自分が歓楽街に出て風俗やキャバクラに行っている事を制作課の課長が知っているのか。Mはそこに薄気味の悪さを感じていた。そんな事、誰にも話した覚えはない。もちろんホームページに書いた事もないはずだ。それをなぜ制作課の課長が知っているのか。そしてまるでMが風俗やキャバクラに行っているのが当然の事のように話が進んでいる事が、Mを更に不気味がらせた。Mが風俗やキャバクラに行っている事を知らない人がいれば、「Mって風俗とかキャバクラとか行くんだ?」というような質問が飛ぶはずだ。でもそんな事は誰も聞いてこない。まるでそれが周知の事実のような流れで会話が進んでいる事にMは戦慄を覚えた。

「今度いい風俗紹介してくれよな」と部長がMの背中をポンと叩く。「さあ仕事仕事」みんなが散っていく。Mはその様子を呆然と眺めていた。

「お前、風俗とかキャバクラとか行くんだな」Mの背後から声がする。

「え?」驚きながら後ろを振り返ると、そこにはヤッさんがいた。

「ちょっと意外だったが、まあ男として正常だ」そういいながら自分の席へと向かうヤッさん。状況を把握しきれないままMはその場から動けなかった。


 午前十時、オフィス。受話器を片手にチラシを広げ、そこに赤ペンを走らせているM。電話でスーパーマーケットのチラシの紙面の打ち合わせをしているところだ。主任から引き継いだチラシの仕事、自ら手にした仕事ではないが、相手は会社にとって、いや、自分にとっても大切なお客様だ。何もかもが初めての経験であり、元々電話や言葉のやり取りに苦手意識を持っているMは、簡単な打ち合わせにもどこか必死さを窺わせる。緊張気味に顔が強張り、時折言葉に詰まったり、どもったり、同じ事を何度も聞き返したりしている。

「かしこまりました。では紙面を修正しましたらまたファックスでお送りしますので、確認して…、ご確認いただければと思います。はい、ありがとうございます。し失礼します」そう言って電話を切り、ペンを入れた紙面を制作部屋に持ち込む。制作部屋では、制作課の社員たちが、それぞれの仕事をこなしている。縦にも横にも体の一番大きな社員に、Mが話しかける。チラシは主にその人が担当していた。

「あの…」

「ん?」

 体の大きな社員は、顔だけを傾け、仕事の手を止めるのがめんどくさいとでもいうように返事をする。忙しいのだ。

「チラシの修正入りました。夕方くらいまでにお願いします」

「夕方くらいってどのくらい?五時くらいでいい?」

「はい、そのくらいで」

「わかった」チラシを受け取り、仕事を再開する体の大きな社員。

「じゃあ、行ってきます」とその場を立ち去ろうとするMに、「どこ行くの?」と言葉を返す。

「いや、テレアポさんが取ったアポを急遽回してくれたので、というより行ける営業マンが誰もいないみたいで、急遽僕が行く事になりました」

「部長も主任もさっきまでいたけどな」仕事の手を休めずに、大きな体でそう呟く。

「今もいますよ」

「へぇ…、行ってらっしゃい」自分から聞いてきたくせに、興味など欠片もなさそうだ。

「はい、行ってきます」小さく頭を下げ、その場を後にするM。


 Mの商談は五分で終わった。いきなり値段を聞かれ、説明したところ、一番小さい枠の最安値でさえ高過ぎると言われたのだ。しかもモデルルームの広告ばかり掲載されている雑誌に、こんな小さな食堂の広告を載せても効果は期待できないと指摘された。それに対して何の返し文句も思い付かず、撤退してきたのだった。こんなんだからロクなアポを回してもらえないのだ、と帰りの車の中でMは思った。契約になりそうなアポは、全部主任か、部長か、時には社長、編集長が営業としてお伺いしていた。自分には、契約に結び付けるにはとても困難な、可能性の低い内容のアポばかり回されている事に、Mは入社して早々に気付いていた。要は期待されていない、戦力として考えてもらえていないという事だ。まあ、そういうアポで商談を重ねさせて、少しでも経験を積ませようという狙いがあるのかも知れない。それは仕方のない事だと思う。自分が上司でもきっとそうするだろう。取れる契約は確実に取っておくべきだ。でも、いつまでもこのままではいられない。自力で何とかしなければ。アポは自分の力で取ってやる。自分が契約を上げるにはそれしかない。今に見てろよ、必ず戦力になって、全員見返してやる。そう意気込んでいた。

 商談は五分で終わったにもかかわらず、Mの帰りは遅かった。入社して一ヶ月、まだ道が覚えられないのだ。出かけるたびに迷子になった。お陰でお昼を食べ損ねた。夕方前にオフィスに戻ると、制作部屋から言い争いが聞こえる。

「何でやってくれないんだよ!やってくれよ!」

「無理だよ。できないよ」

「何でできないんだよ!」

「やってる時間ない」

「何で!」

「今の人数じゃ無理だよ。体制に無理がある」

「じゃあ人増やそうよ」

「社長に言ってよ」

「何だよ!もう!あったまくるなホント」そう言いながら制作部屋から飛び出してきて、Mの隣の席に座るのは企画課の新人・Mの同期社員だ。Mを見るなり攻撃的な視線を投げかけ、いい腹いせの相手が見つかったと言わんばかりに口を開く。

「あ、Mッチー、どこ行ってたんだよ」

「商談です」

「お前、今日社長の営業に同行する予定だっただろ。二時に社長と行く商談すっぽかしただろ」

「あっ…」そう言われ、一瞬でそうであった事を思い出すM。

「お前、社長カンカンだったからな。連絡しても連絡取れないし、お前が準備していく予定だったから資料も何も持たずにお客さんのところに行って、何もない状態で営業するはめになったって言ってたぞ」

「そう…すか」Mは商談の時から今の今まで、携帯の電源が切りっ放しになっている事も思い出した。

「そうすかじゃねぇよ!何やってんだよMッチー。シッカリしろよ!」そう言われ、軽く首だけで会釈をしてパソコンを立ち上げるMに同期社員の小言はやまない。

「まったく反省してねぇだろお前。せっかく社長が同行させてくれるって言ってんのに。他の人の営業見て少しは勉強しろよ。営業の事何も分かってないんだから。だから契約取れねぇんだよ」

 無言のまま何度も首だけで頷いてみせるM。

「社長呆れて、まあMだからしょうがないか、て言ってたけどな。Mだからしょうがないか、って、もう諦められてんじゃないの?まあ契約にはなったらしいけどね。良かったな。ただでさえなかなかページ埋まらないんだからさ、あんまり会社の足引っ張んなよな」同期の一言一言に、ただただ無言で頷いているだけのM。資料も何も持たずに営業して、契約って取れるもんなんだ、凄ぇな。そんな事を考えながら。

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