二章 ――三――
それは、まだ日も昇りきっていない時間だった。妙な胸騒ぎを覚えたために微かに目が覚め、気になる気持ちとまだ寝ていたい気持ちのせめぎ合い布団から出ることができなかった時だ。
「イノリ、起きて! 死体が発見されたの」
ドアを叩く音と廊下から響く声にはっきりと覚醒を果たした私は、カーテンを開けて外を見回す。胸騒ぎの原因はこれか、とはっきりした。川岸にボートが停まっていたのだ。後部に推進用の魔石が備わっており、それが起こす風と、進む際の飛沫の音を敏感に感じ取っていたのだろう。私はろくに着替える暇もなく、ローブを羽織ったまま、よろけながら部屋を飛び出した。
待ち構えていたタンに抱えられると、直ぐに階段を下りてそのまま宿の入り口をくぐり抜ける。状況の説明はその間にも終わっていた。
同じようにして目が覚めたミユは、昨夜の食べ過ぎが影響したのか、期待していた朝ご飯は食べられそうになかった。しかしそれでは勿体ないからと、腹ごなしの為に散歩に出たら、ボートから降りてきた騎士を目撃したのだという。
死体の発見場所は町の外れ、住宅地が途切れる辺りの川縁だった。早朝の見回りに出ていた騎士が発見し、詰め所へと報告。川を渡ったほうが速いだろうと、門の側で保管していたボートを使って確認しに行っていたらしい。そしてそれが魔物化が始まっている死体だと確認し、教会よりも宿の方が近かったために私の元へ現れたという。
「魔物化は、どれくらい進んでいるの?」
「頭が変化しているくらいだそうよ。進行はゆっくりみたいね」
川へと続く斜面をバランス良く滑り落ちていくのは、寝起きには些かスリリングであった。目を瞑り、鎧の擦れ合う音を合図に目を開ける。今更ではあるが、ミユからの報告を受け、直ぐに着替えたのだろう。着脱しやすい簡易的なものであるが、その強度は計り知れない。転んだとしても平気だっただろう。
あえて言うとすれば、近くに階段があったのだからそれを使ってくれたらよかったのに。
そこではと気付く。教会付近の川は位置も低く、馬でも川縁へ近付いていける程だった。けれど門に近づけば近づくほど面は斜面は高くなっており、町の中である程度の高低差があるのか、川の流れも速いようだった。
ボートの傍で待機していた騎士とともに乗り込んだ。彼は後部に設置された魔石に触れると、直ぐに魔法が起動して船が動き出す。船首は既に、目的地に向いていた。
「酷い有様ね」
切り込み隊長の弓使いは、そう呟いて私に安全を告げてくれる。魔物化の反応は見えているものの、報告にあったように進行は遅く、襲いかかってくることはないという。騎士と護衛騎士に囲まれながら近寄ると、ギロリとした視線が向けられた。
顔の片側が、羊のようになっていた。頭から反応が起こるのは、よくあることだ。上半身にまで及べば這って動くことが出来るため、危険度が増すことになる。口から炎や毒などを吐く魔物であれば、頭だけでも相応の危険があるが、今回はまだ、頭頂部から左目にかけての部分だけであった。
顔のみならず、体中に擦り傷や切り傷があるのを確認できる。川底を流されたのだろうか。そう推察するのは、ちゃんとした理由があった。
「身体に、鍬、ですね。柄の部分はないですけど、何個も巻きつけられていますね」
騎士が剣でつついたのだろう。金属音を聞きながら祈りを捧げる。
「重しのつもりかしら。遺体を隠そうとしたけど、何の因果か打ち上げられてしまった。この鍬って、町では当たり前に使われているもの?」ミユが問い掛ける。
「その筈です。この町では牧場を広げるために拡張工事をしているのですが、土に多く石が含まれるため、消耗品扱いなんですよ。雑草の発生を防ぐ為に芝を植えなきゃならないので、耕す必要があって。だからこんな形で仕入れているんです」
頭が元に戻ったのを確認し、私もその会話に加わった。
「ロープを鍬の――頭って言えば良いんだっけ? 金属部分があって、柄を差し込む穴に通してる。そこで結び目を作って固定して、と言うのを繰り返してる。これって、魔法が使えるやつ?」
「はい。この町では軽くなるものと重くなるものを用途に合わせて使い分けています。共用倉庫にまとめて保管されていて、必要な分をそれぞれ持って行く感じです。勿論、自分たちでストックすることもしています」
先読みが素晴らしい。この町に住む人なら、誰でも用意できた訳だ。そしてこの鍬は――、軽く手に持って調べてみると、穴を取り囲むように刻印が彫られていた。魔鉱石――魔力に反応する鉱石――を鉄と混ぜて加工したもので、純粋な魔石ではないため効果は劣るが、ちゃんと魔法は発動する。戦闘に使うわけではないのだから、その程度で充分なのだ。
木製の柄を伝った魔力が反応して魔法が発動する仕組みなのだが、今回はその機能を果たすことはなかっただろう。しかし、その魔法発動までのプロセスを考えると、少し疑問点が浮かび上がってくる。
「保管はどのように?」
「どのようにと言うと、――あぁ、このロープですね。植物性のものを使っているから、そこを通った魔力が全ての鍬に通じ、連鎖的に発動する恐れがある。それが危険ではないかと」
「そう。コンテナなんかに纏めて入れておいたほうが安全だと思うけど」
「私もそう思いました。気になって聞いたことがあるのですが、品質テストを楽にするためだそうです。魔法が発動中のものは色が変わるのですが、一つ一つ調べていては時間がかかる。だからロープで纏めておいて、というわけです。それと、新品のものは刃が鋭くなっていますから、下手に触ると危険があるためでもあるそうです」
なるほど。受け渡しの際に確認をし、そして定期的に確認もする。そして安全性にも配慮して、その作業を楽にするために、この状態のまま保管している訳か。
「ふぅむ。なんでそんなに刃を鋭くしているの?」
「丘に生えている草の根をしっかりと切るためだそうです。川の影響が広いのか、なかなか強い根だそうで。その分、芝やらなんやらを植えれば強く育つみたいです」
「納得。なら、鍬自体に不自然なところはなく、それが持つ意味もシンプルなもの。この町の人だったら、この死体を隠したいと思うだろうね。だって――」
このタイミングでマツハムが殺された。その事実は、この町を窮地に立たすのに充分な事実であった。
身体に鍬を巻き付けられた遺体なんて、殺人でしかないだろう。それはこの場に居た誰しもが思うことで、それを前提として話を進めていく。
見たところ死因に至るような外傷はなく、頭部に殴られたような後も、首を絞められたような跡もない。抵抗した跡、と言うのは傷が多く直ぐには分からないが、なんにせよ抵抗できない状態のところに鍬を括り付けられ、川に捨てられたと見るのが自然か。
溺死かはたまた毒殺か。どちらにせよ何らかの薬品を使わなければ、鍬を巻き付けられる状態には出来ないだろう。
「それにしても、何というタイミングでマツハムが」
苦悶の表情を浮かべる遺体を見て、騎士が項垂れるように肩を落とした。
献肉の儀に使用される牛を生産した人物の死、それも殺人となれば世間は黙っていないだろう。と言うよりも、この世界において重大な違反行為に抵触していると言える。
年男年女に危害を加えることは、神への冒涜とみなされどんなに軽いものでも重罪とされる。この世界において罪を償う方法は、隔離された島で与えられた刑期の分を過ごすことであり、この件に関しては最高刑である生涯においての隔離となる。
人に対する怨みが形となってしまう以上、隔離するほかないのだ。
だからこそ、彼の死は隠さなければならなかった。
「問題は、川に死体を隠す効果があったかどうか、かな」
遺体をボートに運び、教会へと向かう最中に私はそう呟いた。それを耳聡く拾ったミユは、どういうことかと問い掛けてくる。
「死体が発見されたとなると、隠す効果はなかったってことでしょう? だったら、そこに投げ捨てるなんてことはしないでしょ。捨てたってことは、隠す効果が保証されていたってことなんじゃないかな。断言は出来ないけど」
「じゃあ、隠すつもりはなかったってこと?」
「そもそも年男にこんな事をしたら大変な目に合うのは、この世界では常識だよ。だから彼らには常識が求められるのだし、畜産をやる以上、それは肝に銘じておくこと。恨みを買うような人物とは思えない。そう考えると、殺害に至るにはかなり個人的な感情があったんじゃないかな。かと言って、カッとなってやった。困ってしまって川に投げた。そうなったとき、鍬を巻き付けるなんて発想になるかな?」
「見つからないようにしたい、って意識の表れのように思えるね。鍬を準備していたのなら、計画的とも取れる」
「……彼は、恨まれていたのでしょうか」
共に風呂に入った際、どんな会話をしていたのだろう。タンの表情からは、複雑なそれが垣間見えた。
「もしかして昨日、何か殺される可能性を匂わせる様な発言でもあった? タンは一緒にお風呂に入ってたし、そこで妙な話題になったとか」
「いえ、それはありません。浮かべられた薬草を取って、バイトンの凄さを語っていましたし、未来への希望も。そのことでも、他のことでも、他の客と言い争うこともありませんでした。ただ、観光牧場の強化の話に移った時、少し陰口が聞こえたのは憶えています」
「強化?」
いまいち具体的には思えなかった為、「もしかして動物園にでもする気?」と案をあげてみた。
「それです。今の観光牧場は、乳搾りや羊の毛刈りなど、アクテビティを売りにしています。しかしそれら時期や時間が限られるため、いつでも客を受け入れられるよう、様々な動物を間近で見られる施設を作りたいと。今も段階的に進められていて、知名度が上がれば動物を取引してくれる業者がもっと見つかるのではと期待していました」
それを嫌がる何者かが、殺害した可能性があるというわけか。だとしても、問題がある。
ボートの進みは速く、既に教会は目の前だった。通信魔石で連絡が入っていたのか、川緑には複数の教会関係者がたむろしており、岸にボートを停めるやいなや、テキパキと遺体を降ろし教会内に運んでいった。教会は死に触れる場所であるため、医療を司る場も兼ね備えている。直ぐに医者による死因の診断が始まるだろう。見上げた教会が、まさに問題の場所であった。
もしも川に死体を投げ捨てたのなら、それなりの音がしただろう。カッとなって殺してしまった場合でも、その処理は当然気を使う。マツハムがいつ殺されたのかは分からない。けれど、殺めるのに絶好の機会はしっかりとあったのだ。全ての町民が一箇所に集まり、観光客は宿に閉じ込められ、私達も閉鎖された場所に居た。
何かが起こったのなら、――あの時しかない。あの時でしかない。その時にアリバイがない人が居たのなら、明確に怪しいとしか言えないだろう。




