二章 ――最後の晩餐――
宿に戻って着替えを済ませ、アイスクリームを食べながら一息つくようにベッドに腰掛け、その柔らかな感触を確かめている時だった。
――ゴーン、ゴーン。
聞こえてくる鐘の音に反応し、私はカーテンを開いて窓の外へと視線を移す。空は殆どが黒く染まり、山の姿はぼやけて微かに見えるほど。教会の屋根から突き出すように聳え立つ物見台からも、日が落ちたのを確認できたのだろう。日没を報せる音だった。
窓から見える通りは川沿いのもので、騎士が一人、松明に火を灯して回っている。川の向こうにはもう幾つもの火が浮かんているため、門をゴール地点としているのだろうか。それにしては進行方向が違うため、そのルートはいまいち分からない。大きな町では実験的に電気を使った灯りを設置しているところもあるが、それはまだ、実験の域を得ない。それはこの世界に生きる人に気質が関係しているのだろう。
十二の使徒によって齎された知識の中に、エネルギーや機械文明の話もあったそうだ。しかし当時の人は自然と共に生きることを望み、苦労して熾る火を愛し、それらの知識は糧としてか得ていなかった。参考にはすれど、模倣することもあれど、結局は、自分たちに都合のいいように用いるだけであった。夢の世界は、夢で見るだけでいい。そのような考えがあったのかもしれない。
神の帰還、そしてその座を受け継いだ新たな神の登場。それらを経ても大きな流れは変わらなかったことから、神は愛想を尽かして居なくなったのだ、という説を唱える歴史学者も少なからず居る。
物思いに老けている暇はないか。アイスクリームも食べ終わり、頭に浮かんだ感想すらも味わい尽くした。そろそろ試食会へ向かってもいい時間だろう。揺れる火の明かりをよく見てみようと開けていた窓を閉じ、軽く身支度を整えてから部屋を出る。帰ってきたときに灯されていたランプの明かりは、最大限に力を発揮していた。
「イノリ、タケシュさんが来ているわ――」
階段を上ってきたミユさんが、私の姿を見つけるやいなや声をかけてきた。言葉尻に笑い声が含まれており、目の前に広がる惨状に、思わず、と言ったところだろう。灯りが綺麗だなぁ、と思っていたら、ランプが置かれたチェストに足を引っ掛けて転んだのである。フローリングには魔法で加工がしてあったのだろう、仄かにクッション性があり、そこまで痛くなかったのは幸いだ。
木というものは魔力を通しやすく、魔法が馴染みやすい。それは元々魔力を生み出していたからに寄るのだろう。だから構造物に利用すれば、柔らかくも硬くも自由自在に加工することができ、金属などを利用する必要はなかった。その代わりに加工をする際には聖職者の力が必要となるため、かつて村だったというこここも、当初は大変だったのだろう。
勝手に木を切ればいずれは魔物と化すのだし、植物を食料にだって出来ない。旅の聖職者が来るのを待つか、頼み込んで出張してもらうするかのどちらかだ。この町の歴史は、何かと興味を抱かせる。
――と言うのは、恥ずかしさを紛らわすために繰り広げたマシンガントークの一部だ。
拗ねた私を励ます彼女の手をしっかりと握り、階段を下りたその先では、一人の男が入り口から出ていくのが見えた。あの後ろ姿はタケシュのものだろう。言い訳が長かった訳では無いが、それほど時間がかかる要件ではなかったらしい。
話を聞いていたタンによると、試食会に同席するはずだった町長が、所用により遅れることを伝えに来たそうだ。彼は教会で遺体の埋葬を手伝った後、祈りの会の準備を手伝っていたそうだが、祈りの際に墓に遺品を供えたいと思い家に帰り、戻って来る際に偶然、町長と遭遇して伝言を頼まれたそうだ。
祈りの会の開始が近いからと足早に戻っていた彼には、後で礼を言っておこう。
「町長が居ないとなると、なんだか普通の食事みたいね」
ミユの言葉に、なんだか気が楽になった気がすると答え、宿を後にした。
「二人は部屋に居なかったの?」
屋敷へ向かう道すがら、雑談代わりに気になっていたことを訊いてみた。少し時間があった私は、部屋においてあったいくつかの冊子に目を通していたのだけど、その間の二人の行動が少し気になったのだ。三人別々の部屋だったので、それぞれどんな部屋に泊まることになったのか、部屋の中を見てみたかった。そんな小さな不満をぶつけるために。
「タンは警護の為に部屋に籠もっていられないって言っていたわよね。私は宿の店主に話を聞いていたの。村で牧場を開くというのは、リスクが高いと思うから」
それは、私も気になっていたことだった。
村を形成した場合、食い扶持となるのは冒険者や行商に向けた宿を営むことだ。行商を相手にすればいくらか取引にも恵まれる。冒険者を相手にすれば魔物の討伐を依頼できる。もしくは魔物化の影響が一切ない、金属製品や宝石細工などを生業にするか。魔物化のリスクを解除できない状況で、動物や植物の管理など出来ようものか。
その答えは、部屋にあった冊子にも書かれていた。
「野生の動物が食事をしても、植物は魔物化しない。そこに目を付けたんだよね」
知っていたの、と彼女は目を見開いた。
「部屋においてあった冊子にね、この町の歴史が少し書かれていたの。動物が植物を食べても、体内に入った植物は魔物化しない。だから人間の食い扶持さえ確保できれば牧場は出来る。家畜を育てれば食い扶持は出来る。幸い、川の水が良い効能を発揮し、生産に支障はなかったみたいだね」
動物が食べたものが魔物化しない理由は、よく分かっていない。食物連鎖という循環が鍵ではないかとの説が出てはいるが、死が関わることは研究の腰は重い。その忌避感がこの世界の在り方なのだろうか。感情に任せて人を、隣人を殺めることもあるのだ。循環から外れても仕方がないと訴える研究者も多い。
「その通り。あーあ、部屋でのんびりしていたほうがよかったかしらね」
「店主のおじさん、機嫌良かったんじゃない? そこんところどうなの、タン」
「朝食は豪華になるでしょうな」
それなら、部屋に居なくて正解だった。感謝してよと胸を張る彼女の美貌を褒めている内に、屋敷はもう目と鼻の先である。
「お待ちしておりました」
屋敷に着いた私達を出迎えてくれたのは、町に駐在する騎士の部隊長であるローラスと、タケシュの息子だというタケロスだった。話に聞いていたとおり、町長であるバイトンは用事があり、少し遅れてくるらしい。
町に住むものとして、祈りの会を外すことは出来ない。騎士であるローラスも、直ぐに教会へと向かうそうだ。この場の守りは護衛騎士に託される事となる。料理を担当してくれるタケロスの護衛も込みだ。私達がこの後祈りの会に顔を出すことは、織り込み済みだったらしい。
幸い魔物は縄張りを意識する傾向が強く、火を灯してこちらのテリトリーを伝えれば近寄ってくることは滅多にない。牧場に沿う町の外縁にも火を灯しているそうだから、ひとまずは安心といったところだろう。魔法によって身体強化がなされる騎士の歩みは速い。火が灯されているということは、それまでに異常はなく、僅かな夕暮れの間に忍び込むことは出来ないはずだ。
「自身の牧場に保管してある腸詰めを、教会へ差し入れしてくるのだそうです。町長として、祈りの会へ何か差し入れのようなものをしたかったのでしょう。試食会が終わってからでは、あちらの食事の開始に間に合わない。そう言った配慮です」
タケロスの案内で観音開きの大きなドアを潜り、高級そうな壷や絵画が置かれたエントランスを右に抜ける。そこが食堂であるらしい。
らしいと表現するのは、そこが私の知る食堂とはどうも雰囲気が違っていて、円形の大きなテーブルが置かれ、入り口から左手に厨房が見えること、更に前方と右側の壁がガラス張りになっていたところにあった。川のせせらぎも野鳥の声も聞こえず、防音性に優れていそうだ。
天井から吊されたシャンデリアも巨大なもので、幾つもの蝋燭の火が揺れている。壁際に置かれた照明のガラスも凝った作りであり、権威を示すために豪華に造ったのではないかと想像させる。
「改めてご挨拶をさせていただきます。今回料理を作らせていただきます、タケロスというものです。この町自慢の調理法を楽しんでいただけたら幸いです」
厨房へ向かう動きを止めた彼が、私の方を向きお辞儀をしてくれる。硬い言葉遣いが少したどたどしく、本来はもっと砕けた言葉を使うのだろうと感じさせた。
黒い髪はお洒落のつもりなのだろうか。ちらりと見える生え際が明るくなっていることから、元の髪色は黒ではないはずだ。私の育った町では年頃になるとお洒落に目覚め、髪色を明るくする人も多かった。此処に着いてから見て回った限り、髪の黒い人が多いようだったから、憧れか、もしくはコンプレックスのようなものがあるのかもしれない。
白く清潔な服から覗く首筋の無骨なチェーンからして、華美なものが好みではないのだろうか。ネックレスか、私はあまりそう言った類いを身に付けないから、それがお洒落なのかどうかは分からない。
けれどそうした内面、外見からも感じられるフランクさは好ましいと思うし、ありのままで接してくれたら、と思ってしまう。けれどこの場は一応、畏まった場なのだから仕方がない。普段は鎧姿のタンも、黒を基調とした畏まったものを着ているし、ミユも私と旅をする上で必要だからと、鮮やかな紫色のドレスを身に纏っている。
私は普段と変わらない格好だが、それは白いワンピースと全身を覆うような黒いローブが、聖職者としての制服だからである。何者にも染まる白を、何者にも染まらない黒で包み隠す。そんな意味が込められているらしい。――私には、いまいちピンとこない理由だ。お偉さんはこういった事を意識したいのだろう。
胸元に教会のシンボルである猫をモチーフとした紋章が刺繍されているため、寝るとき以外はこの格好でいること基本であり、身分を明らかにする上でも必要なものだ。
厨房へ向かったタケロスは、さほど時間をかけずにお皿を持って戻ってきた。既に席へと座っていた私達は、それを見て感嘆の声を漏らす。
「東の島国に伝わる料理、寿司をアレンジした肉寿司です」
東の島国、たしか魚が豊富に捕れることが有名で、この町がある大陸とは主食が異なると聞いている。肉の下にある白い粒上のもの、米がそうだ。歴史的にも重要な土地であるらしく、最初の神が降り立った場所、という伝承があるのだとか。その他の知識は、残念ながら私にはない。行ったことはあるのだが、聖職者としての研修のために行った意味合いが強かった為に、あまり観光は出来なかったのだ。当時の神官が食べていた精進料理というものを食べたのだけど……。
「寿司というのは、たしか一口大の長方形の魚の切り身を、酢で和えた米の上に載せたものよね? それを牛肉で作ったの?」
ミユの問い掛けに、タケロスは「はい、よくご存じで」と笑って答えた。説明が省けたことを喜んでいるのだろう。それは私も同じであり、早く食べたいとお腹が返事をしてしまいそうだ。子供はこういったものを喜ぶものだ。もしも後進を育てる立場になったときのために、胸に刻んで残しておこう。この味とともに。
三人の前に運ばれてきた皿の上に、ちょこんと載った二つの肉寿司。香ばしさを感じられる焼き目からして、軽く火を通すように焼いた後に炭でさっと炙ったのだろう。出て来るのが早かったのにも納得だ。
彩りのためだろうか、鮮やかな黄色いものがその上に載っている。
「上に載っておりますのが、川の上流で栽培しているワサビと呼ばれる薬味です。ツンとする刺激があるので、苦手であるなら除けてくださっても構いません」
その目は私に向けられていたが、二人のお付が平気で食べているのだから、私が引いては格好が付かないだろう。
私は旅の経験を活かして見事に箸を操り、それを口へと運んだ。
「うっ――」
胸に刻む事柄が、また一つ増えたのだった。




