六章 ――死者が遺したもの――
畑への道のりは、なかなかスリリングなものだった。馬車一台ほどの道幅で、右手には切り立った崖があり、左手には穏やかな流れとわいえ広大な川面が着いてくる。馬に引かせて進むとなれば、慎重に操る必要があるだろう。歩いているだけの私でさえ怖いと思うのだから。
……訂正しよう。移動時間短縮のために抱えられていたから、ちょっと寝てた。
畑までは一本道であり、最初に川とともに大きく曲がったあとは、大凡真っ直ぐな道のりだった。終点は生垣に遮られており、右手の方に崖と生垣の間に出来た道が延びている。馬車が曲がることの出来るギリギリの幅で、曲がって直ぐに崖をくり抜いて出来たようなスペースが続いていた。其処には小屋のようなものも建っており、馬車を置いたり、馬を休ませたり、作業の準備や休憩などをする場所なのだろう。
私達もその場所を使わせてもらうことにした。
「それで、あなたの中でどこまで話は組み上がっているのかしら? それを教えてくれると助かるのだけど」
「イノリ様は、知り得た事実について逐一考え、そこから事件の背景を想像するのが常ですよね。私は――、犯人はバイトンであり、町の人は彼に依存している。そこだけが妙に頭に残っていて、それまでに明らかになったこととどう繋がっているのか、いまいち解っていません」
ミユとは、川を眺めながら多少の話はしたけれど、その時タンは川の水は魔法を発動させるのか――という実験をしていたために話を聞いていなかった筈だ。しかし、今となっては聞いていてもいなくても関係ないだろう。今の段階でも、私なりにではあるが事件の背景は浮かび上がっている。ここからのことを考えると、事情を知っていたほうがスムーズに動けるだろう。話すなら良いタイミングか。
私が思うに、ここからが肝心要である。全ての出来事は、此処に繋がっていると思っている。謎はきっと、全て明らかとなって私達を待っているのだ。
「そうだね。……まぁ、全ては私の想像である。なんて注釈がつきそうだけど、おそらくこの話をしようと思う人は、あの町には居ないと思う。だから、ここに来る必要があったと判断したのだけどね。じゃあ、どこから話だもんか」
小屋の中は簡素なもので、道具類が収納された棚と、木製のテーブルと椅子が四脚あるくらい。壁に立て掛けられた頑丈そうな折りたたみ式の梯子は、生垣の手入れに使っているのだろうか。じっとそれを見つめる私に対し、思い思いに腰掛けた二人はその言葉の続きを待っている。
空いている椅子に腰を下ろし、テーブルに肘をついて顎を手に乗せる。ほっと一息ついて、今まで知りえた情報を一本の糸に縒り上げたストーリーを頭の中に映し出す。
「先ず言っておくけれど、まだ分かっていないこと、これから分かるだろうがあるから、そこはぼかしておくね。――それでは始めるけれど、先ず前提として、この町には三つの思惑が渦巻いていた。一つは町というものを支配したいバイトンさんね。続いて、彼のもとで自由な生活を送りたい古くからの町人。そして、マツハムさん率いる――ことになったといったほうが良いのかな――観光牧場」
二人を眺め、そこを押さえておくようにと念押しをする。
「バイトンの目的と、町の人の目的。これについては二人も何となく分かっていると思う。バイトンさんは、思い通りに動く町を運営したいと思い、人を集めて村を起こした。そして村での収入を自分に集約させることで、当時の村人の生命を握ったの」
「調薬による収入ね。牧場を営むという目的を持っている村人は、それが軌道に乗るまでは彼に頼らざるを得なかった」
「それが、依存に繋がったというわけですな」
その通りだと頷く。
協会のない場所で家畜を育てたとして、それを食肉に加工するにはどうしても聖職者の祈りが必要になる。調薬などは行商から材料を仕入れることができれば難はないが、畜産に限って言えば旅の聖職者が現れなければどうにもならない。それも、適度に生育した家畜がいるタイミングで、だ。時期を越してしまった家畜は、味が悪くなるかもしれないし、早くても駄目。まともな値段では売れなくなる。適切なタイミングで適宜に聖職者がやってくる。旅のルートの一部にしてくれるよう、彼等の意識に根付かせなくてはならないのだ。
それは一朝一夕のことではない。きちんと旅の目的になってもらわなければならない。そうなってくると、よりバイトンの仕事が重要となってくる。
「ここで重要となってくるのは、タケシュさんの存在だね。村を支えるにはバイトンさんの存在は欠かせなかったのだけど、村人の仕事となる牧場――というよりも、畜産に関して言えば彼の存在なくして今はないの」
「その知識は、マツハムも信頼するくらいだものね」
「そう。高い理想があったんだろうね。でも今は彼の存在を頭の片隅に入れておくくらいにしてもらって、後々重要なところで登場してもらおうか」
二人が頷いたところで、自ら脱線させた話を戻す。
「そして頑張った甲斐があって牧場の運営が軌道に乗ったわけだけど、バイトンはその更なる発展ではなく、観光牧場という新たな展開を見せた。それは何故なのか」
判るかと見回し、回答がないので話を続ける。
「思い通りにいかなかったからだよ。そもそもバイトンさんが収入を得ようと必死になっている中、村人たちの生活は不安で一杯だった。自分たちの行いが収入に全く繋がっていないのは、不安以外の何物でもないからね。そのケアを彼は一切しなかった。おまけに自分達に主導権がないというのも、町に馴染めなかった彼等にとっては非常にフラストレーションの溜まることだった。町を出る前と変わらないどころか、むしろ酷くなっているじゃないか、ってね。けれど、彼の話に乗ったからには、未来の成功を信じるしかない。じゃあ村人たちはどうするか。溜まりに溜まった鬱憤を、どう発散すればいいのか。――これは、サロさん話に出てきたよね」
「もしかしてマツハムの両親、ヤニスとカロサの話のことかしら?」
ミユに頷きを返す。
「待ってください、イノリ様。それがどう二人の話に繋がるのですか? そもそも、町に馴染めなかった人達が他人の恋愛を祝福するというのがあまりピンとこないのです。自分にとって関わりのないことなら、無頓着でいられる。それが村を形成するような人達なのです。彼らは自由で、無頼で、それでいて周りに配慮する人達なのです。自身が魔物となった時に、誰も傷つけないように、自ら一歩引いてしまう人達なのです」
「……タン、詳しいんだね」
「あなたと出会う前は、旅をしておりましたから。色々と見て廻りました。それでも、村で暮らす人たちは皆、陽気で、それ故に大雑把で、けれでも人を無理に寄せ付けず。どこか好感が持てる人たちが多かったのです」
「だから、この町の人が好き勝手言ってるのに、ちょっと気持ちが憂鬱になっちゃった?」
「私は、お二人よりも多くの言葉を耳に通しました」
そんな彼に、この話をするのは少し憚れるものがある。これはきっと、たった一人の男から生まれた悲劇なのだから。
「そんな人達が変わってしまうほど、嫌な状況なんだよ。生きるうえでは余裕があって、けれども生き物を相手にしているという忙しさがあって、でも自分達の行いによる結果が出ない。収入があっても、心はどんどん貧しくなる。
そんな時に人は娯楽を得たがる。遊びでは足りない。日々楽しめる娯楽が欲しいんだよ。町には色んな娯楽があふれているよ。本があって、音楽があって、演劇があって、人それぞれの趣味だって持てる。行商相手をするような一般的な村だったら、それらも商売として成り立つから生業にする人も多くて恩恵を受けやすいのだけど、ここの相手は家畜たち。それらを求めるのは自然なことだった。
けれど、生き物の世話というのは大変だ。なかなか他のことが出来たもんじゃない。餌を与えれば良いってもんじゃない。体調の管理だってしなくちゃならないし、生活の環境だって整えなきゃならない。動物だって気分があるから、言うことを聞いてくれないこともある。
ふとした瞬間、何が出来るだろう。酒は、もしかしたら得ることが出来たかもしれないね。バイトンさんも多少は考えて、切らさないようにしたかもしれない。でも、大人しく呑んだところで発散なんて出来るものか。肴が欲しいよね。それもみんなで共通して笑い合える話題が。――そんな時に、降って湧いたのさ」
ごくりと、喉仏が動くのが見えた。
「都合のいい演劇だよ、他人の恋愛は。それに茶々を入れて楽しんだんだ。当人たちは嫌がったかもしれない。けれど、反発して反感を買ってしまえば、それこそ本当に終わりだったんだよ。何度も言うけれど、この町は、――村は生き物を相手にしていたんだ。まともな世話をしなくなれば、何かがあったとき、一斉に牙が剥かれることになる。付き合ってられないと逃げ出されても同じだよ。
牧場と言うものに強い思い入れがあったのは、おそらくタケシュさんだけだ。彼と、彼と絆が深かったローサ、ヤニスを除いては、未来に希望が見いだせなければ、容易に逃げてしまう恐れがあった。そうなったら終わりだ。なにより、夢をかなえようと努力をしてきたタケシュさんに、申し訳が立たないと、そう、ヤニスは胸を痛めた」
「見世物になることを、……受け入れたというのですか」
「胸糞悪いわね」
これがただの想像であれば、それまでの話だ。答え合わせの時が来たとき、この部分だけは外れていてほしいと切に願う。けれど、この町の前提を考えると、どうしてもその想像に行き着いてしまう。
町での生き方に馴染めなかった人達が、その生き方をしなくてはならなくなったとき。求めるものはきっと、そうしたものなのだ。自分より強いものが存在するのだから、自分より弱い存在を求めてしまう。その環境は、作ってはならないものだった。
「そうだね。けれど、全てはバイトンさんの見通しが甘かった、と言うことに尽きるだろうね。あぁ、もう。敬称をつけるのも馬鹿らしいな。畜産という、牧場という生き物を介して人々を支配しようというのは、この世界のルールには適さない。だから、村を起こすような人達は無機物をもって人と対するんだよ」
この世界では、生きているものはいずれ、無慈悲な敵となる。多くの場合はそうだ。だからこそ、安全が大前提になければならないのだ。聖職者の存在。それがなければ、生き物なんて相手にしちゃいけないんだ。
「そうして、村はバイトンの思惑から外れていく。タケシュもまた、その知識を持っていた責任から牧場の経営を軌道に乗せなくてはならないと決意した。だから、周りの熱狂に、次第に過熱するストーリーに身を任せるように、……息子をヤニスとカロサに差し出した」
「息子って、まさか」
「マツハム、なのですか?」
こくりと頷きた。
「サロさんは、やって来たと表現したよね。そしてマツハムさんの歳を曖昧にしようとしていた。正直に話したくはないけれど、察してほしかったんだよ。タケシュ夫妻には子供がいなかった、とも言っていたからね。そう考えたほうが、タケシュさんがこの町に強い思い入れを持つことも頷ける」
責任感が強い人なのだ。家畜が魔物となってのに放たれるのを防ぐために、道化の一人として立つことを選び、息子を差し出し、親友の息子を受け入れた。今はもう、その呪縛から解き放たれても良いだろうに、バカ正直に町を守ろうとしている。
あぁ、本当に胸糞悪い。けれど彼らは、その時、その選択しか選べなかった。一度始めてしまったら、もう立ち止まることは出来ないのだから。
「ヤニス夫妻は、カロサは特に苦しんだだろうね。他人の子どもを、自分のものとして育てなければならない。その上、未来に生まれる子を他人に預けるという美談も作らなければならなかった。それでも、期待したんじゃないかな。自分が我が子を生むときには、この村はまともになっている。我が子を自分の手で育てられるんじゃないかって」
「……叶わぬ願い、だったわね」
「ヤニスは気が付いていたのかもね。バイトンの恩恵がある限り、村に生きるものの気持ちは変わることがないって。だから、子どもを作ることには反対だった。けれど、彼女の望みもかなえてやりたい。どっちも、苦しんだんだ」
「そして結局――」
握った拳をじっと見つめるタンは、それを振り下ろすことはしなかった。
「そう。そしてタケロスさんは産まれ、事件が起きた。それはバイトンさんにとっても、大きな傷となってしまうことになる」
「……あの人は、カロサの事が好きだったのよね」
「そうだね。好きと言うより、やっぱり支配したいって想いが強かったのかもしれない。でも、それが叶わなくなってしまった」
思い悩んだのだろうね。当然、村に渦巻くムーブメントと言うものに、気付いてはいたのだろう。けれどそこでカロサを奪い返してしまえば、人々に宿ったモチベーションというか、活力というものがなくなってしまうかもしれない。だから、川という境界線を利用して、自分の思い通りになる新たな場所を作ろうと考えたのだ。
「牧場が軌道に乗って、教会も誘致して。たぶん、それで義理は通してやった、という感じだったんじゃないかな。自分の家を川の対岸に新たに造って、そこで自分の思い通りになる新たなものを作ろうとした。新たな人々を集めてね。最初こそ村人、――というよりその時には元村人だけど、その人達に手伝ってもらっていたけれど、それを脱却するために専任の人を、管理する人を求めた」
「それがノーハだったり、リナルだったりね」
「そう。けれど人を集めるために奔走し、その受け皿を作るための仕事に没頭するがあまり、ここでも、町で暮らす人々を疎かにしてしまった。気が付けば観光牧場も自分の思うように行っていないようだぞ、と」
「……リナル殿も言っていましたね。彼は、此処までの規模になっていると思わなかった、と」
「だから、敢えて町を不便な状態にしていると思うの。自分を求めてもらえるようにね。さぁ、これで私の組み立てたストーリーは現在に辿り着いた。ここでマツハムさんに登場してもらおうと思うのだけど、――彼の存在が、この事件において一番の謎であるんだよ」
話を区切り、喉が渇いたと、タンに水筒を要求する。彼の鎧に取り付けたホルダーには、人数分の水筒が揺れていた。
「今度はマツハムさんを軸にしたストーリーを披露するね。両親を亡くしたときは、おそらく十歳は越えていた。充分物事を考えられる年齢だったと思う。先ずは母親であるカロサが亡くなり、その遺体はおろか魔物化したのかも分かっていない。そして、その後に父親であるヤニスが事故によって行方不明。状況的には、生きているとは思えないけどね」
「ヤニスの件は、川の水が魔法を発動させるのか、という謎にも繋がるわね」
「タンにも調べてもらったやつね。そう、私たちも通ってきたあの道を、馬に引かれた荷車で町へと戻っていた彼は、教会手前の曲がり角で川へと、馬や荷車ごと川へ転落した。その直後に川は大きく荒れてしまい、彼を飲み込んでしまう。それを見ていたのは、息子であるマツハムさんと、バイトンだけだった」
「バイトン殿――バイトンは教会の横にある墓地で、カロサ殿の墓参りをしていたそうですな。そして、マツハム殿は川を挟んで屋敷の建設作業をしていた」
「ヤニスはその建設素材を運んでいたそうだから、マツハムさんはそれを待っていて、たまたまその光景を見たのかもしれないね」
さて、此処が一番肝心な部分であったのだけど、合いの手が入らないから話を先に進めておこう。
「そんな不幸が続くマツハムさんは、バイトンの観光業の邁進に感化されて、観光牧場を引っ張っていくことになる。それに加えて、タケシュさんから教えを請うて自身の牧場で牛を育てるようにもなり、現在、結果を残した訳だけど、ね。うん、やっぱり、あのことをスルーした状態だとあっさりしたものになってしまうよ」
二人は素っ頓狂な声を上げて、あのこととはなんだと問うてくる。散々あの川を往復しておいて、今の話に何の違和感も感じないのかと、ちょっと呆れてもしまうけれど。
「あのこと、っていうのは、まさにヤニスさんの事故の話。ほら、明らかに謎な部分があるでしょ?」
「それは、バイトンが何かをしたって言いたいの?」
「うーん、ミユさん惜しいなぁ。それを証明できたら嬉しいよね」
「では、それを証明できる何かが、今の話の中にあったのですか?」
「そうだよ、タン。話は単純で、あの川を思い返せば判ることだよ。あの川は、とても広いよね」
二人は、うんうんと頷いている。
「対岸からは、向こうにいる人なんて米粒ほどにしか見えないでしょ?」
「……待って、じゃあ、マツハムの証言はどういう事? あの距離で、父親が川に落ちる様をはっきりと目撃したってこと?」
うん、ようやく謎に足を踏み込んでくれた。
「そもそもだけどさ、米粒みたいにしか見えない対岸を、丁度、父親が通るタイミングで見ていたというのもおかしい。言い換えれば、父親が通るのを待っていた、と考えられる」
「それを、目を凝らしてみていたのですか? 子供心に、父親の勇姿を見たかったとか」
「タン。マツハムさんが父親に、何を託されたのか忘れちゃったの?」
「……写真、ね」
ぱちぱちと、ミユに拍手を贈呈した。彼の家にはカメラがあった。カメラはマツハムに託されていた。――撮影係として。そして、カメラを使えば風景を拡大して覗き込むことが出来たのだ。そういう機能があることは、カメラを見た時に確認してある。彼は事前に父親が戻ってくるであろう時間を聞いていて、日時計をしきりに確認していた。そしてタイミングよしとカメラを構え……。
もしくは、ヤニスは自身の命が狙われているのに気が付きていたのかもしれない。だから前もってカメラを息子に持たせておき、何か怪しさを感じたその日に、自身が通るであろうタイミングを伝え、構えさせた。その考えの方が、通りが良いだろうか。しかしその考えを採用するには、狙われているのを察知できるような要因が必要となる。
まぁ、それについてはカノタの報告を楽しみに待ってみよう。私の想像通りであるのなら、それはあからさまに怪しい行動であったはずだから。
「その時、きっと何かを撮影してしまったんだよ。それをきっと、畑の何処かに隠したんだと思う」
「畑に、け。そう思う根拠はなんなの? 何かヒントでもあったかしら」
「リナルさんから聞いた、『真相は、この裏に隠してある』って言葉かな。歩いてみて改めて解ったのだけど、この畑、町から見て山の裏側にあるのだもの」
それが、彼の家に写真の類が一切残されていなかったことと関係しているのかは分からない。けれど、その写真というものが存在しているのなら、彼が殺される原因には十分になり得ると思うのだ。
そして、殺されるのが予期できたからこそ、それに合わせた行動をしてきたのではないか。
「あの日、マツハムさんは試食会の打ち合わせで、その事を話したんじゃないかな。自分は栄誉をつかみ取った。あんたがいなくてもこの町を引っ張っていける。罪を償うべきだ、証拠はある。ってね。もしくは、黙っていてやるから大人しく身を引け、か」
彼の行動は全て、復讐のためだったのではないか。だとしたら、まだそれは終わっていない。




