五章 ――七――
マツハムが残した、今後の観光牧場における方針の書かれた紙束を流し読みさせて貰った後、私達は彼の家を後にして現場と目される場所へと向かった。
教会とそこに併設された墓地の陰にある、三角形のスペース。巨大な川が大きく折れ曲がり、馬車を三台ほど置いても充分野営が出来そうなほどの広さがある。
川が荒れでもしたら大変だろう。そう思ったのだが、そこで捜査を継続していたローラスに笑われてしまった。一度を除いて、荒れたことは一切ないのだそうだ。ある程度の地質調査をしたことがあるそうだが、その様な形跡は一切ない。そもそもこの川ができた経緯自体、全くもって謎だという。
その話の中で、よく知った名前が出てきた。アリスという女性が、謎だと断言したというものだ。そのアリス、私と同じ魔石取扱人の一級を保持する人物で、四十を超える齢を数える彼女は、何かと私を構って世話を焼いてくれる。環境を変えてしまうような魔法を得意とする彼女は、その力を応用して調査を試みたそうだ。
結果、この川は何らかの要因によって半円形くり抜かれた地形に、何らかの物が穿ったことによって出来た穴から溢れる水が流れ出したことによって形成されたもの、とのこと。こっそりやってきて、これまたこっそり調べて。まだ不確かだから公表はしたくないと、ローラスにだけボソリと零していったらしい。
知り合いだろうと、私との共通点から察したようで今回話してくれたのだ。
「たぶん、挑発されてるんだろうなぁ。あんたにこの謎が解けるかな、って」
それに挑みたい気もするが、今はそれどころではないのだから、頭の片隅に置いておくだけにしておこう。念の為、タンにも覚えておくように頼んだところで、本題へと入ることにした。
「これを見て、どう思います?」
自分は散々調べて、不審に思うところがありますよ。そう言いたげに、試すように問いかけられる。
「これ、軽量化された特別製らしいわね。カノタの報告にあったわ」
ミユがぐるぐると、荷車の周りを回っている。この場所に怪しいものはそれしかなく、自然と話はそれに何の意味があるのか、というものになるだろう。
「私には、二つ確かめたいことがあるのですけど」
「ほう、それは?」
「一つは車輪の跡。ここはあまり草も生えていない。畑へ続く道も同じですけど、ここは川の側であってなおかつ日陰。道よりもいくらかは水分を含んでいるようで、足跡もしっかりとついています」
片足を上げて、その跡をアピールする。タンの物がより分かりやすいだろう。
「この場にあるのは一つだけ、この荷車のものです。しかしそこの道には別の車輪の跡が残っていました。重いものを運んだのでしょうね。普段、マツハムの関係者しか利用しない道なのですから、かなり判りやすいものでした」
「特定はできます?」
「特別なものを使うのは、マツハムの関係者だけです。それ以外が使う荷車は、まぁ、皆一緒ですね。あ、一つ言うと、騎士団のものではありません」
単純に、町の人の誰かがここに来た。そこまでしか絞り込めないわけだ。
「もう一つ、指紋はどうです。指紋識別の魔石なら、記憶させた指紋を検出できる筈です。勿論、住民はみな、記憶させてきますよね」
「勿論。検出した指紋は三つ。マツハムものも、タケロスのもの、――そしてタケシュのもの」
「タケシュさんは普段、この荷車を使っているのですか?」
「聞いたとこがありません。勿論、自分の荷車を所持しているでしょうから」
この荷車は、彼がここに運んだもの。そう考えるのが一番楽なようだ。果たして、何のために運んだのやら。
「水面までの距離は近いのね」
荷車の周りを回っていたミユは、いつの間にか川緑に立って水面を眺めてきた。
「そうですね。ここから先、水面と地面の距離はそうそう離れることはありません。せいぜい、度胸試しに使えるくらいの高さですかね。地面とともに川も山を登っていくのです」
「川幅はどうなの?」
「徐々に狭まっていくのですが、途中で洞窟に消えるようです。その先を調べるのはなかなか大変なようで」
二人の会話を聞きながら、私はこっそりとほくそ笑んだ。アリスのやつ、人に挑戦するような言葉を残していきながら諦めやがった。いつも子供扱いしてくれるお礼に、今度は私がからかってやろう。いつか会うのが楽しみだ。
「一つ、よろしいですか?」
タンが話に加わった。
「この荷車に遺体を乗せた、と言うのは、やはりないのですね」
「そうですね……断言は出来ませんが、時系列がどうなるかが肝心かと」
ローラスの言葉に頷いた私は、その言葉を引き継いだ。
「タケシュさんがこの荷車をここに持ってきたとすると、それは、いつのことなのか。彼はバイトンさんに伝言をもらって、私たちに伝えに来たのだけど、その時はもう日が落ちていたわけ。それと同時に、私は松明に火を着けて歩く騎士を見てる。同時に、川の向こうにも揺れる明かりが見えた」
「その通りです。騎士もタケシュを目撃しており、勿論手ぶらでした。荷車を運ぶのなら、その前後ではあると思うのですが――」
「灯りをつけて回っていた騎士は、ここで荷車を見ていませんね」
「見ていません。だとすると運んだのはそれ以降となり、バイトンはマツハムの家の前でこの荷車を目撃している。それに嘘がなければ、さらにそれ以降」
「果たして、何がきっかけとなって荷車を運ぼうと思ったのか」
ここで、不自然なところが出てくる。それはマツハムの所在だ。
彼はタケシュを慕い、その妻であるローサのことも気にかけていたのは、彼と会った時の会話からも窺える。そんな彼が、祈りの会に出席しないことはあり得ない。大事な会よりも優先しようとする事柄があるとすれば――。
「タンは気付いてる? マツハムさんが祈りの会よりも優先することがあるとすれば、それは何なのか」
「それは……、薬、です?」
「その通り。バイトンさんから薬を受け取り、それを牛に与えることだね。タケシュさんが命からがら持ち帰ったもの。ローサさんの命を奪うきっかけになったもの。なんとしてもその悲願は果たさなくてはならない。――ここで問題です。この時の彼の気持ちを答えなさい」
「へ? えっと、早く薬を与えたい、ですよね」
「そうだね。でも、それだけかな? 慕っている人の奥様が死んで、その祈りの会が執り行われるんだよ」
「そちらにも出席したい、ですね」
「でも、マツハムさんは足が悪くて走ったりすることは出来ない。もしも家で薬の到着を待ち構えていたら、薬を与えるのも、祈りの会への出席も遅くなってしまう。さて、ここで二つの選択肢があります。これは分かる?」
「二つ、ですか。……そうですね。予め牛のもとへ、教会へ近いそこの牛舎で待ち構えていれば、直ぐに次の行動へ移ることができます。もう一つは、――誰かの荷車で運んでもらう、とか?」
そこまで思い付くのなら、答えは一つしかない。犯人を特定するだけなら、とても簡単なことなのだ。
「その両方が可能となる人は、薬を届けるから、どこかしらで待っていてくれ、と。そう頼むことの出来る人だけ。タケシュさんは、殆どの時間を教会で過ごしてきたから、マツハムさんと接触する機会は皆無。となると、真相は驚くほどシンプルだよね」
犯行が可能な時間は、限られる。祈りの会が始まり、人々が表に出なくなってから、なおかつオルガンの音色が響き、他の音をかき消してくれるタイミングがベストだ。それ以降となると、試食会が終わり私達が――、タケロスが教会へ足を運ぶタイミングが重なり川に落とすという行為が難しくなる。それ以降にアリバイがないというのは、どうにも座りが悪いだろう。だからこそ祈りの会には出席せざるを得ない。
その事情と、先に私が言ったことを照らし合わせれば。自ずと答えは見えてくる。
「犯行が可能なのは、一人しかいない」
重々しく、タンが呟いた。ここに荷車があるのも、何らかの理由によってタケシュが捜査を撹乱しようと画策したからであろう。しかし犯人が分かっているのなら、そんな画策も無用のもの。ならば一刻も早く犯人を、――バイトンを捕まえればいい。
「なら、なんで彼を捕まえないの?」
ミユの問いに、私はローラスと顔を見合わせて同時にため息を吐いた。彼もまた、この荷車を調べてその事実に行き当たっていたのだろう。私よりもこの町の事情を知っているのだから、それは当然のことだ。彼は今、私もだが頭を悩ませている。物事は、そう簡単には終わらない。
ここに荷車が存在することが、その証明なのだ。




