五章 ――六――
テーブルの上に置かれた一台のカメラを、私は手にとって眺める。古いものではあるのだけれど、魔石の大きさが限られる以上、写真を撮るという機能を持つカメラの進化の幅はあまりない。撮影に関する機能と印刷するためのものくらいの、比較的シンプルなものだった。
たしか騎士団では、退団するものに対してカメラを贈る習慣があるという。それは退団しても犯罪に対して目を光らせるように、というメッセージが込められているのだとか。それを律儀に守る人が多いという話なのだから、その入団試験における人の見極めというのは、なかなか計り知れないものがある。
「あらかた調べさせてもらいましたが、イノリ様が知りたい情報はこれくらいでしょうか」
戻ってきたタンがそう告げる。マツハムの部屋の押し入れの上部に保管されていたため、頭を打ったと頭頂部を撫でている。恋バナに夢中で、その様な音には気が付かなかった。
「カメラはあったのだけど、肝心の写真は一枚も見つからなかったわ。奥様、その行方を知らないかしら?」
優雅にハーブティーを口に含み、一息ついたミユが問い掛ける。猫の椅子が良いと注文を入れた彼女に椅子を譲り、兎の椅子に腰掛けた私も、その質問の答えを待つ。立っていたタンも、馬の椅子に腰掛けた。
「全て処分したそうです。そのカメラはお養父様が使っていらしたものだそうで、騎士団を離れる際に選別として頂いたものだと言っていました」
「父の形見、ですね」
そう問い掛けるとともに、そのカメラがマツハムの手に渡った時期も問うてみる。亡くなってから得た訳ではなく、仕事を手伝い始めた頃、撮影係だと言って渡されたのだとか。
「タケロスくんが生まれる前のことだったそうなので、十にも満たない頃でしょうか。この町にある唯一のカメラだったそうなので、大層喜んだと、懐かしむように言っていたのを憶えています」
「どのようなものを撮影していたのかは、聞いていましたか?」
「真面目に、仕事の風景を撮影していたそうですよ。幾つもの紙を抱えて、撮影しては紙に当てて印刷をする。カメラの背部を当てるんです。拡大して印刷をする機能もないですから、カメラ以上のサイズのものはなかったそうです」
「いつ頃処分したんでしょう」
「……タケロスくんが、物心つく頃、でしょうか」
はっきりと言い淀んだのが判る。何か隠したい事実があるのか、はたまた誰かが何か隠したがっていたことを察していたのか。こちらも一度、察すると言った以上は深く追及するのは止めておこう。
一つだけ解ることがあるのなら、写真をタケロスに見せたくなかったということなのだろう。
「元の持ち主であるヤニスさんは、どんな写真を撮っていたんでしょう」
「家族の写真を撮っていたそうです」
「それも処分されている?」
「はい。彼も、マツハムも一切写真を撮らなくなってしまっていて、――私のことも、私たちのことも撮ってくれていたらと、どうしても思ってしまいます」
何か、写真を撮りたくなくなるような出来事でもあったのだろうか。それとも、カメラがあることを隠したかった。本当は壊してしまいたかったが、形見であることからそれも出来ずに。村に、町に一つだけあって、作業風景を主に撮っていた。その存在を知らない者がいてもおかしくない。
「では、ノーハさんはマツハムさんのご両親の顔を知らないのですね」
「はい。写真が残っていれば良かったのですが。お養父様と言いつつ、顔も知らないので実感がないのです。どんな人だったのかも、あまり話してはくれなかったので」
一番知りたかったことが、闇の中へ消えていこうとしている。この件に関しても、誰かが口を開かなくては明るみにならないのだろうか、という不安も湧いてくる。
「では、二人の事件のことも?」
「はい。ほとんど話してくれませんでした。町の人達の噂で知ったようなものですね」
「成程。リナルさんはマツハムさんと仕事をしていたとき、何か聞いたりはしませんでした?」
「私も同じようなものです。――でも、一つだけわたしの問い掛けに答えてくれたことがありました」
「それは、なんと?」
「ご両親のことを知りたいと言っても教えてくれなくて。噂はどこまで本当なのかを教えて欲しいと訊いたら、――真相は、この裏に隠してある。と」
「それは、胸の裡という意味でしょうか」
「判りません。けれど、当分は自分以外の誰も知らない事で良いんだ。とも言っていました」
あの二人の死に関して、マツハムだけが知る事実がある。この事実は大きな進展と言えるだろう。念の為、タンスの裏などに何かなかったかを尋ねると、捜索を担当した二人は首を振った。
続けてリナルが、そう言えばと口を開く。
「関係ないことですけど……タケロス君、たまに手伝いに来てくれることがあったんです。そのふとした時にペンダントを眺めていることがあって。ロケットペンダントだったみたいでした。そのカメラを見て、なんだか思い出したみたい。もしかしたら、って」
手に持っていたカメラの背部を開き、中に収められた魔石を確認する。……あった。印刷する際の機能に拡大はない。けれど、縮尺はあったのだ。つまり小さい紙に、小さいサイズで印刷することが出来る。
「タケロスさんは、ヤニス夫妻からタケシュさんの元へ養子に出された。だとしたら、そのロケットペンダントに実の親の写真が収められているのかもしれない。そんな可能性があるんですね?」
「あの、確かなことは言えません。でも、それを眺めている表情がとても切ないものだったので、何かあるのだろうとは思っていました」
しかしそのペンダントは畑に落としてしまったと、カノタからの報告でも聞いている。町が封鎖されている現状では畑へ向かうことは出来ないため、真相を訊くにはタケロスの下へ行くか、もしくは封鎖を乗り越えて活動できる理由を用意するか。
そのペンダントが事件の解決に繋がる確かな証拠だとすれば、それを捜索するためだと言えば封鎖を乗り越えるのには充分な理由になる。……しかし、それはタケロスが犯人であるならば、という状況でしか成し得ないことだろう。もう一つ方法があるとすれば、魔物による犯行ではないと証明することか。
「そっか。……他には何かあった?」
ハーブティーで喉を潤す。頭を働かせるには、この刺激は丁度いいかもしれない。後は、と言ってタンが差し出したのは、紙の束だった。
「観光牧場の今後の方針を纏めたもののようです。彼が殺された原因に繋がるのではないか、と思い持ってきました」
受け取ろうとすると、リナルが声を上げる。
「それ、私が探そうとしていたものです。自分にもしものことがあったら、それを頼りにするようにと言っていたので」
「もしものことって、もしかしてマツハムさんは自分が殺されるかもしれないと思っていたのですか?」
「いえ、そこまでは分からないのですけど、試食会の日、きっと何かが変わるだろうとは、よく言っていました」
試食会の日に、何かが変わる。確かに大きな変化があったわけだけど、マツハムはどのようなつもりでそのようなことを言っていたのだろう。その変化は、誰が切欠となって起こるものだったのか。
試食会という大事な日。大きな節目となるのなら、それは栄誉を授けられるマツハムにとってとても大きな日であるのには間違いない。その日、彼は何かをしようとしていた?




