五章 ――四――
ボートの行先は公衆浴場だ。タンの鎧を魔法で乾かしている間に話し合った際、大まかなルートを作っておいたのだ。
公衆浴場に居るであろうサロから話を聞き、次いでマツハムの家に寄る。最後に教会の裏に置かれた荷車をみるという流れだ。
ボートを降り、堤防を登る。川との高低差はなかなかあるが、舗装された道に降りるのはそう苦労はしない。段差を軽く、ヒョイッと飛び降りるようなものだ。
「各住宅の玄関は牧場に面していて、教会から帰宅した人たちは皆、この道を通ることはありません。マツハムの遺体がいつ打ち上がったかは分かりませんが、目撃されることはなかったでしょう」
戻っていく騎士からの情報に、何から何まで犯人の都合良くいっていることに少し感心してしまう。本当に、絶好のタイミングだった訳だ。それがシンプルな殺人であるなら。
公衆浴場に入るとサロが出迎えてくれた。丁度昼食を食べ終わったタイミングだったらしい。
「何か聞きたいことがあるのでしょう。特に答えられることはないと思いますがの」
謙遜なのか、拒絶なのか。その心の内は解りかねたが、勧められるがままに椅子に座り、出されたミルクがたっぷりと入ったコーヒーに口をつけた。
「それは多分、大丈夫だと思います。私は、昔話が聞きたいだけなので」
「昔話?」
サロは怪訝そうな顔で私を挟むように座る二人に視線を巡らせるが、二人は会話を私に一任しているので、我関せずと言ったように飲み物を飲んでいる。会話が終わった時に、二人の炭酸飲料の泡はどうなっているか。それを楽しみに待っていてもらおう。
「どういう経緯で、この村を作ったのか。私は町の生まれですから、ちょっと気になるのです」
「そうかい。……暮らしは、楽しかったかい?」
「はい。サロさんは、そうではなかった?」
「そうだね。子供の頃から偏屈だった。学校なんて嫌だったね。みんなで一緒のことをするんだ。多くの人が当たり前だと、気にすることもないだろうね。でも、あたしゃそれが嫌だった。当たり前の事を当たり前だと思えない自分にも嫌悪した」
そんな思いのまま大人になり、それでも当たり前の中で過ごしていかなければならなかった。
「十の歳までは本当に自由だったねぇ。その歳までは学校には行かなくてよかったんだ。野を駆けずり回って、気の合う仲間と町を探検。些細なことが楽しかった。その後、成人までの八年間。学校での学びと引き換えに、今のあたしが出来てしまった。この世界は、基本的に親の仕事を引き継ぐだろう? うちは牧場に卸す牧草を作っていたんだが、ずっと、なんで親と同じことをしなければならないんだろうと思っていた。それが、バイトンの誘いに乗った切欠だったんだろうね」
なんの不満も持っていなかった私には、いまいち掴めない感情であった。そうであるのなら、わざわざ突っつくこともないだろう。相手と違う考えを持っているのなら、下手にそれをアピールする必要もない。そこで、はっと気付く。だから、この町の人達は言いたいことを言い合っているのではないか。
この町には、このような考えの人たちが集まっているんだと、それをアピールして、違う考えの人たちを遠ざけているのだろう。みんなと同じ目標を持つと言うのは、どこの町でも同じ在り方だ。他の町にある、他者を受け入れるために人と合わせると言う行為を、この町は否定をしている。
村から町になるというのは、こういうことなのだろうか。やはり、当事者にしか分からない苦労があるはずだ。しかしそういった面を考えると、この町の在り方に対し疑問が強くなってくる。
何故、こうも人を呼び込もうとしているのか。町を率いる町長は、何を考えているのだろうか。
「バイトンさんに、一目惚れしちゃったとか?」
「はぁ? いったい何を言っているんだい?」
心外だ、と言った感情が見えた。彼に対する口が軽くなるのを祈ろう。
「そういう出会いも、ロマンティックだなぁって思ったんです。憧れませんか、そういうの。食パンを咥えて走っていたら、曲がり角で運命の人とぶつかるとか。私、そういう物語みたいなのに憧れちゃうんですよ」
「憧れないね。みんな望むようなものじゃないか。誰かと幸せな家庭を築くなんて当たり前、望んでないよあたしは。それに、バイトンには意中の人がいたからね」
「それはどんな人です?」
「カロサだよ。マツハムの母親の。あいつは幼い頃から身体が弱くてね。この町を、村をこの地に作ったのは、彼女を療養させるつもりだったとはよく言っていた。それがどう転んだのか、ヤニスと懇ろになるとはね」
いい話が聞けそうな流れになってきた。それはマツハムの父、ヤニスの事故の背景に繋がるのではないか。カノタの話の中でも、サロから訊いたという当時の情景があった。バイトンは、カロサの死に胸を痛めていた。その怨みを晴らしたのではないかと。
もしもそれが真実であるのなら、カロサの死についても不審な点が浮かんでくる。それに加えて、もし不審な点があるのなら、バイトンは如何にしてそれを感じ取ったのかも。
まだこれらは想像の範囲内だ。どこまで情報を引き出せるだろうか。
「この町の雰囲気からしたら、バイトンさんも色々と言ったんじゃないですか? 俺が先に目を付けていたんだぞ! とか」
「内心思っていただろうねぇ。でも、あいつは村のまとめ役であったし、収入源である調薬の作業に忙殺されておった。あいつと村とじゃ、進んでいる時間が、世界が違ったのかもしれないね」
「それは、村の人なら誰でも感じていたんですか?」
「バイトンとカロサの仲はみんな知っていたし、ヤニスとの仲が深まるのも感じていたさ。その行方を楽しんでいたりもしたね」
時間がないバイトンと、身体の弱さもあって時間が余るだろうカロサ。その間を埋めたのが、ヤニスだったのだろう。私の頭の中に、ある物語が浮かんだ。海の中の城に案内された男が、其処で優雅な接待を受ける。しかしそこから地上に戻ってみると、感じていたよりもはるかな時間が経っていたという。
村を纏めるため、彼女の助けになればと考えていながらも取り残されていった男の感情は、如何様だっただろう。
「それを怒っていたりしませんでした?」
「どうだろうね。だが、奴の評価を一言で言うのなら、優越感を味わうのが好きな奴だ。根っこの部分では、支配感に溺れていたんだろうよ」
……言葉に裏を感じた。それは、カロサのことを支配したいという欲があったのではないか。問いたいことができた。しかし、それは最後の質問にすべきだ。それを問い掛けてしまったら、きっとこの会談は断ち切られてしまう。
「バイトンさんの想い人と結ばれるのを見て、親友だというタケシュさんは、どんな目で見ていたんでしょう」
「祝福していたよ。特に、その時は深く考えていなかったと思う。当人同士が愛し合っていたからね。余計な茶々を入れるつもりもなかっただろう。あたしも、祝福したもんだ」
旅の聖職者の前で誓われた愛に、村人が総出で祝ったそうだ。その頃には畜産も形となってきて、祝い事の際には肉を焼いて食べるという形が出来上がった。
「みんなが、祝ったんですね」
「そうだね。みんなが祝った。村で初めての結婚だった。あたしたちが作り上げた幸せだった。二人の間に子供がやってきて、みんなで成長を見守った。それがあたしたちの、生きる楽しみだった。二人目が出来たとと聞いた時も、喜ばなかった者はいなかった」
「その子供が、養子に出されたときも?」
「……複雑な思いもあった。しかし、――タケシュのところには、子供がいなかったからね。少しでも慰めになれば、との思いもあった」
「養子に出されるのは決まっていたと聞いています」
「そうだな。決まっていた。タケシュも、ローサも納得していた」
「当人はどうだったのです? ヤニスは産むことに反対していたと聞いていますが、カロサの方は?」
「妊娠を喜んで、今か今かと出産を待ち構えていた」
「養子に出すことが、決められていたのにですか? 自分で育てたい、という気持ちはなかったのでしょうか」
「知らん、知らない。もう、その話はよしてくれ」
……やっぱりだ。この人の言葉には、確かな裏を感じる。そして、あからさまに隠したい事実がある。それでいて事件に対して、何かを察してほしい気持ちがあるのだ。けれどそこから生まれる確かな変化を望んでいるわけではない。
いや、そうではない。何かが変わることで変化のない暮らしが続くことを願っている。そんな複雑な心持ちが、今までの事情を鑑みて感じられた。
「マツハムさんは、その当時いくつくらいでした?」
「……さぁね。まぁ、十歳かそこらじゃなかろうか。学校をどうするかを考えていたところだったからね。どこかの町へ送り出し、寮に入れるのが一般的だったのだろう。ずるずると考えていると、完成した教会で神父様が勉強を教えてくださると提案してくれて、非常に助かった。子供の手でも、借りたいほど忙しかったからね」
「観光にも力を入れていこう、と言ったタイミングですね」
「そう。神父様がいるから、木材の確保は容易になった。魔法で乾燥させることも出来るから、すぐにでも建材として使える。人を受け入れるのなら、そこに家がなければならないからね。長屋だけでは、心許なかった」
「彼は、弟を養子に出すということにどう思っていたのでしょう」
「聡明な子供だったよ。きっと」
最後の質問に移ろう。
「二人目の子供は、バイトンさんの子供ではなかったのですか? 彼がカロサさんを支配するために、……彼女に手を出した」
だから、産んで手放してしまいたかった。
「それは、……誰にも分からないことだ。もう、誰も知りようがない」
明確な嘘だ。だからこそ、この考えは潔く捨てても良いだろう。
「――あたしからも、一ついいかい?」
「なんです?」
「この事件を解決したとき、この町は、あたしたちは変わらない日々を歩んでいけると思うかい? もしも思わないんだったら、出来ることならば。変わらない日々を保証してほしい」
「ふぅむ。あなたの証言でどうにかなりますかね?」
「言えない。何も言えないんじゃ。言ってしまえば今まで積み上げたものが、犠牲にしてきたものが浮かばれん。頼むから、誰も傷付けんでくれ」
「いま、傷付けられている人はいないのですか?」
「……」
なんとなく、解ってきた。誰のお陰でこの町が保ってこられたのかを。




