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一章 ――あけすけの町――

 その声が周囲に響き渡ったとき、直ぐに行動を起こしたのはミユであった。彼女は背中に預けていた弓を手に取ると声の方向へと一目散に駆けていき、直後に人のものとは思えない咆哮が響き渡った。

 びくりと肩を揺らし周囲に向けキョロキョロ視線を這わせる私を、タンがそっと背に庇う。すると一際濃い藪の中から一人のの男が転がり込んでくる。木の根に足を取られ、その両腕から零れ落ちたのは、体の真ん中に大穴を拵えた女。誰が見ても明らかな状態であった。


「た、助けてくれ!」


 私達の姿を確認し、彼は叫ぶ。先ほどの声と同じものだった。自身のことではない。その手は明らかに倒れ伏す女を指し示しており、けれど女の体は既に、異形への変化を始めていた。

 長い髪がもつれた糸のようにグネグネと絡まり、よく見ると一部が、蛇の頭のようなものに変化している。魔物化は生前の怨みによって変化が生じ始めるスピードが変わるというが……。

 そっと、助けてくれと連呼する男を眺める。失礼ながら、腹の出た体型でそう長い距離を移動できるだろうか。それも人一人を抱えて。一体どれほどの怨みを、この女は抱えていたのだろう。そんな疑問がよぎりながらも、私は手を握り合わせ、祈りを捧げた。


 ――せめて、人としての死を。


 思わず飛び出た祈りの言葉とともに、その骸は人としての形を取り戻した。



「ま、魔物に襲われて、――妻の体が貫かれて!」


 私が祈りを捧げている最中、タンは男の話を聞いていた。森というフィールドであるなら、戦闘は弓使いに任せても大丈夫だと判断したのだろう。下手に飛び出して射線を塞いでしまったらもともこうもない。

 動揺しているのか、襲われた際の恐怖を必死に語ろうとする男を宥めるように、大丈夫、聖職者がいる、と声をかけている。耳に届く感覚に従うのなら、夫婦仲は険悪なものではなかったように思う。険悪なものであるならば、妻の身体を抱えて逃げるような真似はしないだろう。腕の中で魔物となれば、自分の死は明らかだ。

 ならば、一体何に怨みを抱えていたのだろう。男が知らない内に、怨みが積み重なっていたのだろうか。祈りを捧げ終えた私は、考えを振り切る様に頭を振った。直前まで推理小説を読んでいた影響だろうか。細かいことが気になって仕方がない。


「終わりました。――怪我はありませんか? ゆっくりと息を吸って、吐いて。木を背にして座ってください」


 その大きな身体を支えることは出来ないが、なるべく優しく声をかけて落ち着ける状態へと導いていく。追求したくなる気持ちを抑えるためでもある。呼吸を整えていく彼の身体をざっと見てみるに、ところどころに服が破れ、擦り傷があるのは確認できた。幸運なことに、一人が犠牲になるほど魔物に襲われながらも、命に別条なく逃げ果せたようだ。


「薬草を、薬草を取りに来たんです。必要だったから、どうしても直ぐに必要だったから。でもこんな、こんなことになるなんて!」

「落ち着いてください。話はちゃんと聞きますから」

「魔物がいるなんて知らなかった! 知っていたら来なかったのに、――いや、無理だった。来ないなんてことは無理だった!」


 言葉で落ち着かせるのは無理であろうと、私とタンは傍らで見守るしか無かった。ただ後悔を口にする男と、見守る二人。その光景は、弓使いが戻ってくるまで続いた。

 その後、気持ちを切り替えたのか、落ち着きを取り戻した彼と共に遺体を馬車に運び、乗れなくなった車体を追うように歩き出したのは、昼を過ぎた頃であった。昼食の前の一眠り、と思っていたらこの様な状況に遭遇してしまい、とてもではないが食欲は湧いてこない。彼――タケシュと名乗った――の住む町まで行けば落ち着くだろうと、会話をしながら気を紛らわせることにした。


「本当に、何から何までお世話になって」


 仕切りに頭を下げる彼は、体型とは裏腹に体力は有り余っているようだ。よく見れば確かに脂肪で腹は膨れているが、筋肉に裏打ちされた体格だとも分かる。どんな仕事をしているのだろう。訊いてみると、牧場によって成り立つ町で暮らしているそうだ。


「昨日、仲間の牧場の牛が病気になりまして、それを治す薬が切れていたのです。その病気は町の神父様の力では治すこともできず、尚且つなるべく早く治さなくてはならないだろうとの話になりまして……」


 神父とは、旅をせずに教会――組織の名前と同じだからややこしい――という施設に駐在する男性のことを指す。性別によって祈りや回復魔法に強弱が発生するため、比較的重い案件に出会い難い都市部での案件は、主に男性が担当することが多い。


「それで森へと入ったんですね」

「はい。妻はその薬草を知っていて、私は荷物持ちでした。植物を見分ける力に富んだ女でしてね、美味しいキノコがあるから、ついでに採って帰るんだと、嬉しそうに話していましたよ」


 やはり、夫婦仲は悪くなかったらしい。むしろ他愛ない話で盛り上がれるのなら、いいと断言するべきだろう。辛さを見せる表情を前にしては、深く聞くことを躊躇ってしまうけれど。

 シリアスな雰囲気に当てられて、顔が強張っていくのを感じる。側にいる人がこんな感じでは、落ち着けるものも落ち着かないだろう。ここは少しでも気分が上がることを考えてみようか。

 もしも私に恋人がいて、森に散策に来たとしたら。一体どんな会話をするだろう。


 ――森に来たんなら、やることは一つだよね、彼氏!

 ――なんだい、彼女?

 ――サバイバル。

 ――ははっ! サバが威張ってどうするっていうんだい?


 こんな彼氏は嫌だった。


「本当に、あの場に聖職者様がおられて幸運でした。おまけに亡骸まで運んでいただいて」


 馬車に積み込んだ亡骸は、氷と共に毛布でくるみ、特殊な鉱石――魔力を流すことにより刻印させた魔法を発動させる物――を使い、氷が溶けないように保冷をしてある。もしも一人だけで逃げ果せたとしても、もしも妻の魔物化がしばらく始まらなかったにしても、その亡骸を抱えて一人で町まで戻るのは不可能だっただろう。町まで今から向かっても着くのは夕方になるという。その間、新たな魔物に襲われないという保証はない。


「お役に立てたのなら幸いです」

「本当に、感謝してもしきれません。町に着いたら真っ先に教会へ向かい、祈りを捧げるつもりです」


 歩き始めて幾ばくか経つが、出てくるのは感謝の言葉ばかりなので、さすがにそろそろ背中が痒くなってきた。どうにか話題を変えようと思案していると、見兼ねた弓使いが助け舟を出してくれた。


「しかし、よく助かったものですね。ネズミのようにすばしっこい魔物で、仕留めるのに苦労しました。攻撃も執拗だったのでは?」

「さぁ、どうなのでしょう。妻が倒れてからは本当に無我夢中で……あぁ、薬草はどうなったのだろう。それすらも分からないままでした」

「薬草なら、奥様が握ったままでしたよ。よほど持って帰りたかったのでしょう。大事なものだと思い、回収しておきました」


 亡骸を運んだタンの言葉に、安堵した様子だった。


「そうでしたか。重ね重ねお礼を申し上げます。本当に、感謝してもしきれません」


 また振り出しだと、御者台で馬を操る男を睨む。鳴き声を上げる馬は、私に同意してくれているかのようだった。


 私の実家のすぐ近くに住むお爺ちゃんは、人にする話は短ければ短いほど良いと言っていた。簡潔にものを話せば、興味を引き立てて質問などがしやすいのだという。しかし堪忍袋の紐と話は短いほうが良いとも言っていたから、眉唾な説に思えてしまう。

 堪忍袋の紐が短いって、どういう事? そもそも堪忍袋って何? 子供心に悩みに悩んで、思考も短いほうが良いと笑われたことも憶えている。そこから私は、言葉を短く、思考も短くを心掛けている。――まぁ、心掛けているだけなのだが。気持ちというのは裏腹なものだ。


 例えば今晩の夕食は何にしようかと悩んだとする。健康のためには野菜を多く食べたほうが良いとよく聞くけれど、でもストレスを溜め込んでは逆に身体を悪くしそうだから、味の濃い肉たっぷりの丼ものなんかをかき込みたい。けれど合間にさっぱりしたものを切れたい思いもあるから、サラダはマストである。サラダと言えば、食感の違いを出すためにクルトンとか入れるのがいいと思う。あのサクサクとした食感は病みつきになるし、コーンスープに入れてもとても美味しい。デザートに焼きとうもろこしなどもいいだろう。


 などと、心掛けなど無視してしまうのが私なのだ。無駄な思考って良いものだよね。長いかと思われた話がとても短く感じてしまう。適当に相槌を打っておくのも忘れない。主導権を握ろうとするのも忘れない。


「それより、牛のために朝早くから薬草を取りに向かうなんて、とても愛情を込めて育てているんですね。さぞ質の高いものになっているのでしょう。町に行けば食べられるのですか?」

「ええ、食べられますよ。――あぁ、聖職者なのでしたら、もしかしたら、とびきりなものが頂けるかもしれません」

「とびきり……特別なものです?」

「ええ、特別なものです。まぁ、どのようになるかはまだ分からないので、ここは秘密としておきましょう」


 ようやく、そのふくよかな顔に笑顔が戻ったようだった。


「楽しみです。タケシュさんが言うなら間違いなさそうですから。とても良いものを食べていそうです。運動を忘れて食事を楽しんでしまいそう」

「そうでしょう、そうでしょう。……え、そこまで太って見えます?」


 ……しまった。

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