四章 ――二――
自動農耕車の荷台は人が乗れるように座席が取り付けられてあったが、宿屋の主人――トマンから連絡が入っていたため、慌てて準備をしてきていたらしい。受付からの連絡も近くにある小屋からの通信、トマンからも通信と魔石を使った通信手段が至る所に完備されているのは、町の発展度合いを測る一つの要素だろう。
魔石による通信は、一つの魔鉱石を幾つかに分けた際、一つが発揮した魔法が全てのものに作用するという特性を利用している。よって多人数が同時に会話をする際には相応のサイズをした魔鉱石が必要となるため、基本的には大都市と呼ばれる大きな町にしか存在しない。
この町は牧場や住居部分や観光エリアが広範囲に散らばっているため、多人数通信も必要な気がするが、さすがに値も張るため用意できなかったそうだ。
そんな会話をしていたら、あっという間に問題の魔石が置かれた牛舎に辿り着いた。さすが、馬車とは違ってスムーズだ。憧れる気持ちもあるが、旅のお供の愛馬を裏切ることは出来ない。馬を乗せて走る車の開発、真剣に考えてみるべきか……。
そんな野望はさておき、件の牛舎である。此処では主に乳牛の乳を搾る作業が行われており、牛の住まいではないのだが、問題の物は正にそれであった。
「自動搾乳機の調子が悪くて、少し前から人力で行っているんです。時間がかかるせいか牛もストレスを感じているようで、なるべく早く直したかったのですが……」
牛舎内に続く出入り口には牛が見事に整列しており、順番を大人しく待っている。内部では従業員が慌ただしく動き回り、空が徐々に明るくなっている時間だというのに、既に疲労の色が見えていた。
宿や飲食施設へ卸す分を確保しなくてはならないため、もともと作業の開始は早いそうだが――安易な表現だが、大変そうだ。
「ここの教会の人では直せなかったんですね?」
「ええ。資格を持っている人も此処にはいるのですけど、どちらも不調の原因がよく分からないそうです」
なるほど、と頷きながら、問題の搾乳機を調べてみる。乳頭を収める器具からチューブが延び、魔石が搭載された箱状のものへと繋がっている。この箱状の物が、搾り、運び、殺菌をする魔法の要であるようだ。魔石もそこにあった。親指ほどのサイズにびっしりと刻印が詰まっていた。
カバーを外し、収められた魔石の刻印を、特殊な眼鏡をかけて観察する。込める魔力によって倍率が変わるそれを操作し、刻印の溝を深く観察をする。
「うん、異常はないよ」
その言葉に、リナルは驚いたように声を上げる。
「ええ!? で、でも上手く作動しないんですよ? 購入してしばらくはちゃんと動いていましたし、どこかで不具合が起きたとしか」
「そうだね。刻印自体には確かに、問題はないんだけど――これはちょっと、ないなぁ。搾る、運ぶ、殺菌の刻印の繋ぎが雑すぎる。魔法というのは刻印上に魔力が流れることで発動するから、魔力が上手く流れないと魔法に変換できない魔力が余剰となって、魔鉱石に負担をかけてしまうの。だから正常に機能していない感じかな。でもこれは、一見すると判りにくいなぁ。わざと仕組んで、後々高額な修理費用を取ってやろう、って魂胆かも。これを造った業者、念の為に騎士団へ通報したほうがいいよ」
がっかりと肩を落とす彼女を他所に、私はタンを側に呼び寄せる。
「ピックと刷毛をちょうだい。余剰な魔力を逃がすパイパスを作ってみる。うまく循環できるように出来れば、何とかなるんじゃないかな」
一転して喜びを顕にする彼女に、まだ判らないけど、と付け加えて作業を開始する。
魔石の刻印は、基本的には漢字を崩したような形をしている。搾る作業を発揮するならその漢字で、運ぶもそれ。連動して魔法を発動させるにはそれぞれの文字を繋がないといけないのだけど、文字を見てわかる通り、どの線から繋げるかが問題になってくる。
文字を書くように彫って、書き順に通じる様にしても、無駄に線が長くなって上手く魔法が発動しない場合も出てしまう。殺菌は二文字使っているからさらに難しく――二つの漢字で一つの機能を発揮するから繋げ方は慎重に――、複雑な魔法は文章のようになるから難易度は跳ね上がる。
はんこ職人が転職するケースがあるのも、なんだか頷ける作業だ。
今回の例で一番問題なのは、意外にも運ぶという文字。搾るから繋げる場合、横線の一番下からしんにょうの下部分に繋げるのが理想なのだけど、この刻印は上の点部分に繋げてしまっている。書き順的には繋げやすいものなのだけど、実は一番難易度が高いのだ。
その理由は、この点は下に伸びる線にも繋がないといけないうえ、文字が詰まると隣のわかんむりの部分に触れてしまうことにある。例えば、あみだくじを二人でやってみたらどうなるか。当然、二つの結果が表れるだろう。例えた割に説明がややこしいけれど、運ぶのところで効果が強く表れてしまっているというのが、今回の問題のポイントと思ってもらえればいい。
そこから殺菌に移るときに、線を増やして流れすぎた魔力を一気に送り込めばすべては解決するのだけど、これはその作業を怠っている、というか、意図的にやらなかったという感じだろうか。殺という字も難しいのだ。四つの文字の組み合わせのようなものだから。あまり繋げすぎると元の文字から変化しすぎて魔法そのものが発動しなくなるし、なるべく手を付けたくない部分である。
ならばどうするか。――単純に、運ぶの文字から菌の部分に繋げてしまえばいい。殺と菌は二つで一つだから、どちらから流そうが、両方いっぺんに流れようと、それは問題にはならないのだ。あぁ、なんて簡単な解決法なんだろうか。なんて思うのだけど、それにも少し問題があって……。
「あぁ、くそ。なんでこのサイズの魔石にこんなでっかく刻印するかなぁ。それにどんな道具を使って掘ってんのさ、線が太すぎだっての。もう、これじゃあ迂回する線も掘りにくい」
愚痴を言いながら、少しずつ彫っては刷毛で払い、出来た線が他の部分に触れ合っていないかを逐一確認していく。此処で失敗したら全てが台無しになるかもしれない。なにせ問題は『殺』の字なのだ。この文字だけに魔力が集中し、その効果だけが強く発揮されてしまえば、器具に繋がった牛はただでは済まないだろう。
だから作業は慎重に。根気よく掘り進めていく。側で待機するタンの息遣いがよく聞こえる。ミユの長い髪がさらさらと揺れている。集中し、すべてを感じてしまうようなこの感覚が、私は好きだった。
「終わったー!」
繋ぎ終えた時、既に日は昇りきっていた。たったこれだけの線を掘るのにどれだけの時間がかかったんだと、自分でも思ってしまうくらい難しかった。温かいタオルで目を押さえたいと思えば、丁度いいタイミングで護衛騎士が手渡してくれる。鎧に仕込んだ魔石によって、いつでもホカホカで良いものだ。やはりこの人は執事なのだろう。
作業の邪魔にならないようにと、羊と戯れていたミユとリナルがやって来た。
「出来ましたか? ありがとうございます!」
「一応動作を確認してください。絞ってない牛、まだいますかね?」
「まだまだ列は終わってないですよ。直ぐに確認しますね」
彼女に場所を譲り、作業を眺めながら伸びをする。
「時間がかかったわね。お疲れ様」
「ありがとミユさん。いやー、やっぱ殺の字は神経使うよ。物騒なんだもん。もっと気軽な文字にできないのかな」
「滅菌はどう?」
「それもっと酷い」
あははと笑って、タンに道具を渡し道具箱へ仕舞ってもらう。喜びの声が聞こえたのは、その直後のことだった。




