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三章 ――五――

「では、奥様に暴力を振るっていたというのは事実なのですか?」


 公衆浴場を営む女性、サロ。町民には女将やらサロ婆やらと呼ばれ親しまれている彼女は、ボヤくようにタケシュのことを語った。

 朗らかな性格に見えて芯が強く、これだと決めたら向こう見ず。人の話を聞くこともあるが、結局は自分ですべて決めてしまい、それを人に話すことはない。思ったことを直ぐに口にしてしまう人が多いこの町にあって、住むものですら奇特に思ってしまうようだ。

 そんな性格だから、些細な諍いからローサに暴力を振るったのではないか。そうため息を吐く彼女に、カノタは問い掛けた。


「痣があったのは確かだよ。隠すつもりだったのか、いつも閉めるギリギリにやってきてね。たまたま見ちまったのさ。誰がそんなものをつけたのか。自ずと考えちまうだろう」

「問い詰めたりはしなかったのですか?」

「どちらにだい? あたしも確かに歳だよ。タケシュなんて子供みたいなもんさ。それにこんな性格だからバイトンに誘われるがままこの地へ来たんだけどね、老婆心まで出そうって気にはならないよ。今までの生活が気に入っていたんだ。みんなで一つのことに励む一体感。育っていく町に対する期待感。みんな満足していたんだ。水を差すは憚れるってもんさ」

「深刻な状況に陥るとは考えなかったんですか?」

「噂は兎も角、あたしが見たのはそれ一度だけ。もう終わったことだと思ったよ。それをみんなも気が付いていたから、好き放題言っていたのさ」


 噂を流したところで笑い話になるだけ、そう考えてのことだったのだろう。事実二人は不仲になるようなことはなく、仲睦まじく過ごす様子が見られていたという。


「その時は、夫婦仲も悪く映ったのですか?」

「さぁね。憶えてないさね」

「すみません、肝心なことを訊いていませんでした。その暴力があったのは、いつの頃なんでしょう」

「さぁ、憶えてないね」


 長くなるなら店に入りなと、彼女は入り口を開けてロビーへ入ることを勧めてくれる。繋ぎ場に馬を着けた際に、ばったりと会ったために立ち話になったことを思い出し、詫びを入れてから玄関をくぐる。

 正面に会計所があり、右手の扉を進めば女湯、左手が男湯となっている。マツハムのことを聞くのは忘れないようにしようと、心に決めながら話の続きを促した。


「細かいことは憶えてないんだよ。みんなそうさ。一生懸命だったからね。仕事も発展も順調にいっていた。けど、逃げてきたあたしらの心にはね、いつ転落するかっていう危機感がずっとあったんだ。その気持ちからも逃げるように、必死に走ってきた。時間の感覚なんて、これっぽっちもないのかもね。そうさ、……みんな必死だったのさ」

「では、マツハムの両親の事はどうでしょう。カロサが亡くなったとき、ヤニスが亡くなったときのことをお訊きしたいのですが」

「カロサについては、全く分からん。夫婦仲は悪かっただろう。どうやらヤニスは子供を望んではいなかったようで、マツハムを育てるのに手一杯だったように思う。あの子は生まれつき足が悪くてね。走ると関節が痛むのか、歩くのだって遅かった。この町――村で生きていけるのかと、不安がっていた。子どもを望んでいたカロサは、落ち込んでいたようだよ」


 その対立により、妻を手に掛けたのではないか。ヤニスが一人きりで戻り、遺体も魔物も見つからなかったことから、その様な噂が流れるようになった。噂が聞かれなくなったのは、彼の死が切欠であった。


「だからヤニスが死んだとき、呪いだの祟りだのと噂になったよ。もっとも、多くの者はその時のことを見てはいない。馬が暴れて、あいつが乗った荷馬車が川へ転落したと言ったのは、バイトンとマツハムだけだった。二人が同じことを言っているのならそうなのだろうと、当時町にいた騎士達は判断したんだがね。――みんな思ったよ。あの馬は、ヤニスが育てた馬は優秀で外にも聞こえるほど評判だった。それが急に暴れるものかと。あの時の荷馬車には、確か魔石も搭載されていたね。安定感はあったはずだから、馬が嫌がる動きはしないだろうし」

「誰かの仕業、ということですか?」

「そう考えたとき、死んだカロサのことを思い出すのさ。魔物に堕ちた彼女が、忍び寄ってきたんじゃないかってね。穏やかだった筈の川が大きく荒れて流されていったんだ。何かの力が働いたとしか思えん」

「魔物が突き落とし、川を荒れさせてしまったと?」

「人に化ける魔物も、魔法を使う魔物もいるんだろう? ならそんな事があってもおかしくない。あとは周りが、呪いだの祟りだのと騒ぐだけさ」


 飲み物が欲しいね、とサロ婆は席を立ってロビーに置かれた冷蔵庫から牛乳を二つ持ってきた。この町の観光牧場で採れたもので、さっぱりとした味わいながらも濃厚な風味は、風呂上がりには丁度いいと、観光客にも人気なものだ。


「目撃していたバイトンとマツハムは、なんと言っていたんですか?」


 牛乳で喉を潤し、話を再開させる。


「馬が暴れて落ちたとしか」

「二人は何処から見ていたんでしょう」

「マツハムは、対岸の屋敷から。当時はまだ建築途中でね、ヤニスもそこで使う木材を切り出して、神父の元へ運んできたタイミングだった。他にも作業をしていた者はおったが、タイミングが悪かったのか良かったのか、見たのは奴だけだったそうだ。それでバイトンだが、奴は教会横の墓地から見ていたそうだ」


 カノタは「墓地?」と訊き返した。教会の北側から東側を囲うようにある墓地には、生垣でさらに囲われていた筈だ。そこから外が見えたのだろうか、という疑問だった。


「まぁ、身内が眠っているわけではない墓地に、騎士が行く用事もないか。埋葬も墓石を建てるのも全部教会の仕事だものな。――あの生け垣はね、当時流行った仕掛けをしているのさ。普通だったら切れ目を作って通路とするんだけどね、あそこは二列の生け垣の間にスペースを設けて、互い違いに植えて視界を遮っているんだよ。ちょっとした迷路だね。あそこの神父、そういうのが好きらしい」


 あぁ、とカノタは自身の生まれた町のことを思い出した。その町の墓地には鍵括弧のような生け垣を植えて、外からの出入りを簡単にしていた。この町の墓地にはその様なものがないなと思っていたら、その様な仕掛けがあったのだ。先ほどあの場に行ったのに、意識していなかったからか全く気が付かなかった。


「なるほど、しかしバイトンは何故墓地にいたのでしょう」

「カロサに祈りを捧げてたんだろうな。あの二人は幼馴染でね、とても仲が良かったんだ。彼女の死の知らせには、大層落ち込んでいたよ。……あぁ、勿論、中身はないがね。それでも、ね。一応、二人分あるよ」

「彼が墓地にいたというのは、確かなのですね?」

「本人がそう言っていたからね。『しばらく墓地で、一人で彼女に祈りを捧げたい。誰も近寄らないでくれ』ってね。そう言われちゃあ、誰も近づけないから、見たものはいない。でも、居たんじゃないか? 物音を聞いて駆け付けた神父がその姿を見たっていうんだから、近くに居たのは確実さ」

「――では、バイトンが不審な彼女の死を恨んでヤニスを手に掛けた、とは考えられなかったのですか?」

「どうだろうね。いや、考えないことはなかったが、ヤニスが、死んだらどうなるかを考えたら、町長という立場であるあいつは考えてしまうだろう。馬は命を刈らずに出荷出来るからね。売るのは簡単で真っ先に村の発展に貢献した家畜だった。売り上げも安定していたから、そんな馬の生産が途絶える事態となったら、折角舵を切ろうとしていた観光事業にも影響が出かねない、とね。投資するには元手がいるし、収入源は大事だろう」

「しかし結果的にヤニスが、亡くなっ――行方不明となっています。町にとって痛手だったのでは?」

「そこはタケシュがなんとかしたのさ。馬の育て方を教えたのは奴だ。後を引き継いてマツハムに教えることなんざ造作もないよ」


 それでは、まるで今と似たような状況ではないか。カノタの胸に、ある疑いが浮かんだ。


「タケシュはマツハムの牧場が欲しかった、なんて野望を持っていたりはしなかったのでしょうか」

「それたらヤニスがいなくなった時点で奪っているよ。タケシュはね、家畜によって生産者を分けることを望んでいたんだよ。だから乗っ取るなんて気持ちはサラサラなかった。まぁ、その点でマツハムと反りが合わなかったようだがね」


 マツハムに対して当たりが強かったのは、それが原因か。


「では、マツハムのことを尋ねます。彼は昨日この浴場を訪れたそうですが、この後どこどこへ行く、などの話をしているのを聞いていませんか?」

「さぁね。あの時は確か、聖職者様達と来たんだったか。歩いて乗合所へ行くという彼女らを見送ったマツハムは、お抱えの御者と共に帰っていったよ。確か、馬車に差し入れを積んで教会に行って、そのまま準備を手伝ってくれと、命じていたと思うよ」


 つまり、その後の動向を知るのなら、御者に聞くしかないということか。


「その御者の家は、長屋ですか?」

「いや、奥の住宅地だよ。妻子を持ったらそちらに行くのが決まりだからね。長屋だと子供がいたら声が響くと苦情がでる」

 

 馬を持ってきて良かったと、心の底からローラスに感謝をした。


「だか、のう。なぁ、若い騎士よ。この事件は、解決しなければならないもんかね」

「は? ――いえ、人が亡くなっているのです。殺されているのです。騎士として、解決しなければならないものと思っています。いえ、してみせます」

「誰かが殺したと、証拠はあるのかい?」

「いえ。それは――」

「重大な問題だというのは解っておるよ。それが起因となって、確かに悪い噂は流れるだろう。だが、それはいつものことなんじゃなかろうか。この町に住んでいれば、村だった頃からも、好きに言い合っていたんだ。今更どんな噂が流れようと、この町の在り方は変わらないんじゃないかねぇ。いつか消えればいいと、のうのうと日々を過ごしていくだけ。それじゃ、いかんのかね? マツハムももう時期、棺に入るだろう。そうして埋められる。語るものは、もういない。不自然なものはすべて魔物に押し付けて、それで終わり。なぁ、これでは、いかんのか?」


 いかん、とカノタは言い切ってしまいたかった。けれど、話を聞いている最中で度々垣間見えるあからさまなはぐらかしに、その背景が滲み出ているような、真実を滲ませているような光景を目の当たりにして、はっきりと解決させる道筋が見えなくなっていた。

 せめて、話をしっかりと聞こう。報告できる内容を充実させておこう。自分にできることは、もしかしたらそれだけなのかもしれない。けれど、それだけはしっかりと行おうと、心に固く誓った。彼女なら、ここからどんな道筋を建て、犯人を、犯行を明らかにするのだろう。自分にもどうにかそれが出来ないものかと、藻掻きながら。

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