三章 ――四――
なだらかな斜面から段々と傾斜が上がり、一部には岩が剥き出しとなっているタケシュの牧場では、数人の従業員が牛の数を数えている最中であった。
「何かあったのですか?」
カノタはその中の一人に声をかけ、その行動の意味を問い掛けた。
「何かあった、という訳ではありません。一晩無事に越せたのかの確認ですよ。普段もやるのですが、今回はマツハムが亡くなって、それは魔物の仕業かもしれない。そうなると牛も犠牲になってはいないか不安になるものです」
岩を登ろうとするアクティブな牛に、声をあげて心配そうにする仕草は、本当に牛を大事にしているのだろうと感心するばかりであった。この優しさが質の良さに繋がるのかと、それはタケシュから教えを請うたマツハムも同じだったのだろうと。改めて与えられた栄誉を嬉しく思った。
駐在騎士であり、任務によっては別の町へ赴任することもあるだろう。それでもこの町で暮らしていた事実は残るのだから、今回の栄誉に触れることが出来たのは一生の思い出であろう。――その栄誉も、風前の灯と言ったような状況になりつつあるのだが。
「タケシュも此処へ来ておりますか?」
「さっきまで居ましたけど、今はマツハムの牧場へ行っています。奥さんは今、仕事も手につかないだろうからと」
今は教会に居る筈であるから、その心配は当たっていた。
「しかし、余所の牧場の世話の仕方など分かるのですか?」
「マツハムの牛は元々あの人が育てていたものですからね。子牛を分けて、世話の仕方を教えたりして。どうすればよく育つか二人で話したりもしていました」
「なる程。しかし、彼とマツハムは仲が悪かったとの話もありますが、そこはどうなんでしょう」
ついでだとばかりに、つい質問が口から出ていく。
「まぁ、嫌っていたと思いますよ。マツハムの悪口を言わせたら天下一品ですからね。というより、マツハムの方が良い牛を育てるようになってから、悪口を言うようになったのかも。追い越されて嫉妬していたのかもしれませんね。まぁ、悪く言いながらも、良い牛を育てれば町の評価にも繋がる。そう言っていましたから、相談はちゃんと受けていたんでしょう」
だからこそ、マツハムがどのようにして牛を育てていたのかが判り、代わりに世話をすることも出来るのだ。しかしそれは同時に、マツハムがいなくなっても問題ない状況を作り出していたとも言える。
牧場を乗っ取り、栄誉を掠め取る目的があったのではないか。実現可能かはさておき、殺人を犯す動機としては判り易いだろう。
増やした質問を燃料と考え、登りきった傾斜を下って元の道へ出て、ローラスが調べているであろう牛舎へと向かう。
「そろそろ話を聞かせてもらえませんか?」
「話すことなど、何もない」
丁度、タケシュとローラスが話をしている最中であった。最も、拒否をされているようであったが。
袋を抱えたタケシュが、それを傾けて受け皿に餌を入れている。それを行儀よく待っている牛は、その行動にとても慣れているようだ。特に囲いに入れられて行動を制限されているわけでもないのに、暴れる様子は一切ない。
雨を避けるためだけの東屋と言った牛舎は、生産性を考えたものとは全く違うように思えてならなかった。
「結構自由にさせてますよね、ここの牛。あなたのところもそうでしたけど、暴れたりしないんですか?」
他愛もない会話が切欠になればと、カノタは二人の間に踏み込んでいった。
「こいつら、鼻輪を付けているだろう? これは魔石を組み込んで作ったもので、魔力を通せば牛の気持ちを落ち着かせることができるんだ。だから牛を扱うときは必ず前に立つ。木の棒を持っていれば、遠隔で作動できるからな。牛がそっぽを向いたときは警戒する。――下手に触るんじゃないぞ」
なら撫でられるのでは、と差し出した手をそっと引っ込めた。まさにそっぽを向いたその時であった。
タケシュは遠隔で作動できると言ったが、それは木の棒の範囲に限るものだ。木は魔力を通す性質を持っているため、掴んだ棒を鼻輪に触れさせることで、魔力を通して魔法を起動させると言うだけで、触れ合っていなければ意味がないのである。
「観光牧場の方もそうなっているんですかね」
「似たようなものだな。だが見知らぬ人に触られたりもするんだ。怪我人がでないように少し強力なものを使っている。使いすぎると逆にストレスになるから、扱いは難しいがな」
堅い話し方は、拒絶の証しだろうか。マツハムと対峙する際は、この様な様子を見せることはあったが、普段はもう少し柔らかい印象を持っていた。噂とのギャップを感じる人も多いだろう。しかしそのギャップがまた、裏の顔を連想させてしまうのだ。
「餌も良いものを使っているんですか?」
ローラスが話に乗ってきた。
「一般的なものに、畑で採れたものを加工して混ぜている。川の水で育てた野菜は人が食べても格別に美味いと感じるからな。牛も喜んでくれるよ」
そんな御馳走を入れられた受け皿を奪い合うように、牛が顔を寄せ合っていた。次々に埋められていく受け皿に、彼らの満足度が窺える。
「あの川は、なんでそんな力を持っているんだろうな」
ぽつりと呟かれたその言葉には、呪いに関する思いも込められているのだろうか。カノタは少し踏み込んでみることにした。
「マツハムの両親が亡くなったのも、その力あってのものでしょうかね」
「知らんな」
拒絶は早かった。
急ぎすぎだとローラスに肘で小突かれるが、先に急いだのはそちらだろう、と内心で思い苦笑を浮かべた。訊きたいことは色々とあるが、それを答えてくれる気はあちらにはないだろうと、諦めの心もある。
「魔力を含んだ川の水は、家畜の生育にも作物の生育にもいい効果を発揮する。それが村の発展の要でしたね。王家に認知されたのも大きかったとか」
「教会を誘致できたのは、王家との取引ができたのが大きかったと、バイトンも言っていたな。試食した家臣が絶賛してくれたと」
「そんな家畜を生み出す牧場を牛耳れたら、なんて思いません?」
「さぁな」
どの様な会話なら交わすことができるのか、手数で攻めてラインを探っていく。
「栄誉には興味はない?」
「ないな。牛を育てていられれば、それでいい。いずれ別れが来る付き合いだとしても、育てることに意味があるんだ」
「自身が育てた牛を美味しく召し上がってくれたらそれでいい、みたいな感じですか?」
「そう受け取ってくれてもいい。例えばペットを飼うとするだろう? その別れはただ悲しいものだ。けれど家畜との別れは意味がある。意味が残る。ペットとの生活を否定するつもりはない。ペットは家族だと、ちゃんと理解している。大切な家族なんだと、家族と別れるのはつらいと、ちゃんと理解している。だからこそ、私は、そこに、確かに残る意味が欲しいと思ってしまった。何かを残していきたかった」
その目は、どこか遠くの方を向いていた。言葉にはあまり意味はないのだろう。ただ、胸にある何かを表現しようと、当てもなく言葉を探しているだけ。
「その様に感じていらっしゃるのですね。では、病気の牛はどうなっていましたか? 昨日、マツハムが薬を与えていたと聞いていますが」
「元気に歩いているよ。お前が撫でようとした牛がそうだ」
どの牛かは、既に見分けがつけられない。それほどまでに集まっていた。
「あなたが聖職者様へ伝言を届けに行っている間、誰かと会ったりはしませんでしたか」
「さぁな。――もういいだろう。こっちは忙しいんだ、後にしてくれ。餌を与えている間に芝の管理をしとかなきゃならん。……あぁ、神父は忙しいか。なら馬の方の世話に手を付けねばならん。空いた穴を埋めなきゃあな。俺が、やらなきゃな。ちゃんとやらにゃ、マツハムに悪いだろうが」
その場を去ろうとする背中を、追おうとするカナタをローラスは制した。静かに首を振り、今はそっとしておこうという。悪い噂はあるものの、マツハムを買っていたのは事実なのだろう。言葉の裏にそんな感情の色が見えた気がした。
「牛が元気になっていた、というのは本当だろうな。餌の時間なら全ての牛は集まっているだろうが、不自然な個体はいない。隔離してるなら餌を持ってそちらに向かうだろうが、タケシュは餌を持っていかなかった。給餌はこれで終わりだった、と考えていいだろう。それが判っただけでも充分だ」
「しかし、肝心な部分ははぐらかされてしまいましたね。あれでは何か知っていると言っているようなものなんじゃないですかね」
「知らないけれど、敢えて曖昧な返事をしている。なんて考えも出来るのだから、下手な詮索は今は止めておけ。それより、聞き込みの方はどうだ」
「そうですね、後は公衆浴場の女将さん――サロ婆に話を聞いてみようかと」
「――お前、だったら此処にくる前に寄っておけばよかっただろうに。また戻るつもりか? それなら馬を連れて行け。その方がたぶん速い。何より楽だ」
自身の効率の悪さに、笑うしか無かった。




