三章 ――三――
教会か延びる道からは、マツハムの家の玄関を見ることは出来ない。彼の家は逆向きのL字型になっていて、玄関は背を向けた格好となっている。玄関の前が主に荷車や馬車を停めるスペースになっているため、それらが置かれているかどうかは近寄ってみるか、逆側から来なくては解らなかった。
「荷車はなし。あそこに移動させられた、と見て良いのか。はたまたその時にまだタケロスがいて、バイトンが消えた後に出てきた――のは無理か。タケロスは試食会で料理を担当している。バイトンが、ここを通った時、屋敷にいなくてはおかしいことになる」
そんな独り言に、相槌を打つ者が現れた。
「おい、何か調べごとか? ご苦労さん。生憎、奥様はいま教会だ。こちらも、邪魔にならない程度に家の中を調べさせてもらおうと思ったんだが、な。それは迷惑だったかもしれん」
独り言が大きかったのか、玄関から一人の騎士が現れた。ローラスに可能なら家の中を調べるように、と命じられて訪ねたそうだ。先ほどのノーハの言葉から考えると、迷惑というよりも家を空ける良い切欠になったのかもしれない。
調査に来た騎士にとっても都合がいいので、軽く間取りを教えてもらいざっと見て回ったそうだが、特段怪しいものは見つからなかったそうだ。
「ここで殺害された可能性は消えない、って感じですか?」
「どちらとも言えんな。薬のことは通信で聞いているが、此処では見つかっていない。だから、まだ判断しようがない。まぁ、ここで見つかったとしても、別の場所で見つかったとしても。それは犯人次第としか言えんだろう。だが、ここまで手が込んでいれば魔物の線はないだろうな。魔物なら爪や牙でブスリ。もしくは自身の毒を使う。それで逃げればお仕舞いだ」
「分からないですよ? この町には行方知らずの魔物が二体いるそうじゃないですか」
「それは彼の両親だろう。考えられんな」
かつて川による事故で死んだと言われる二人は、未だに変貌した姿を晒してはいない。今も近辺に隠れているという噂は度々流れているが、騎士団としては既に別の場所に縄張りを作っているのではないか、というのが有力だ。怨みがあったのなら、直ぐに晴らさない理由がない。特段怨みはなく、むしろこの町とは関わりたくない思いが強かったのではないかと推察される。
魔物は本能に従って動き、死んだ時に抱える思いによって行動が変わる節がある。怨みがない魔物は幾分冷静に動くものだ。縄張りを構えてしまえば別だが。
「そもそも俺、その話に詳しくないんですよ。聞きにくい話のような気がしたんで。でも、流石に聖職者様に報告はしたほうがいいと思うんです」
「関係あるかは判らんが、したほうが良いだろうな。軽く話しておこう」
しかし、と騎士は言葉を区切る。当時の事故はまだ騎士団がこの町に駐在する前のことであり、人伝に聞いたものであると釘を刺す。
切欠はおそらく、マツハムの母、カロサの出産であった。その子供をタケシュの下へ養子に出すのはすでに決まっていたことであったが、その頃から夫婦仲があまり良くなく、言い争う姿を多くの人が目撃していた。
その頃、既に教会の誘致には成功し、後は教会を建てるだけであった。神父も既に村に滞在しており、優秀な過去を持つ彼に期待をして、建材となる木は立派なものを使おうと、山に生える木の調査をすることとなった。
特殊な川がどの様な影響を与えているのか、その川自体の調査を含めてのことだった。
任されたのはカロサと夫のヤニス。ヤニスはタケシュの幼馴染であり、かつて騎士団に所属していた。村の用心棒のようなものをしてくれないか、と誘われて退団をした経緯があったため、危険を孕む調査にはうってつけだと判断されてのことだった。
「戻ってきたのは、ヤニス一人だったそうだ。事故で谷に転落したとの話をしていたため、直ぐに神父が数人の住人を連れて小舟を使って現場に向かったそうだが、遺体はおろか魔物の姿さえも見えなかったらしい」
「仲が悪かった、と言うことは、彼が疑われたりはしなかったんですか?」
「されたそうだが、特に証拠は出なかったらしいな。そもそも二人っきりの調査隊だ。何があったとしても、外部には何も分からない」
事故は疑惑のまま幕を閉じ、翌年、もしかしたら発生しているかもしれない魔物に備える意味も込めて、教会の建設は急ピッチで勧められ、完成した。シェルターの役割も果たせるからだ。それを機に町に騎士も駐在するようになったが、その間にも町の発展は凄まじく、神父は教会の建立を待たずに長屋の一室を借りて仕事をするほどであった。
当時駐在していた騎士の数では足りないほどに町――というよりも牧場――は拡大の一途を見せ、増員を受け入れるために新たに詰め所を建てることが計画される。それに伴い、町長としての職を全うするための屋敷を兼ねる案も浮上し、直ぐにその建設に動き出した。
山から切り出した木々を運搬する役目は、村に来てから馬の飼育を始めていたヤニスに任されることとなり、運ばれてきた木々は教会に集められて祈りを捧げる手筈であった。
「山に向かう道の途中、大きく山に向かって曲がるところがあるだろう? 彼が乗った馬車――荷運び用で屋根がないものだな。それがバランスを崩して川へ転落したそうだ」
「それで、亡くなったのですか?」
「それが分からないんだ。直後に川が荒れ始めたそうでな。木や馬車、馬ごと彼を流していったらしい」
よって、彼の所在は不明であり、死んでいるとも生きているとも分からないが、それを見ていた町の人からして、生きていることはまずないだろう、とのことだった。
「両親を失った悲しみを紛らわせるように、マツハムは必死に勉強に励んだそうだ。そして今回の栄誉に繋がったというのに――」
呪いと言われる所以が、カノタにもはっきりと伝わった。疑惑の夫が、妻の死に関わる川で生死不明となった。それだけでも呪いだと噂するのが、この町の人の性であろう。それだけでは留まらず、今度は息子までその犠牲となった。
犯人は、呪いを隠れ蓑にするつもりだったのだろうか。町の人が呪いだと信じれば、殺人を犯す要因を消してくれるのではないかと、そう期待をして川を利用したのではないか。
「彼の死は、両親の事故に関わっているのでしょうか」
「判らんが、そう考えてしまう者も多いだろうな。少なくとも、当時を知る町の者は何か感じるものがあるだろう」
「ノーハは、そのことを承知しているのでしょうか」
「彼女は後発組――観光農場の発足でこの町に来た人たちの一人だ。当時のことは知らなかっただろうな。当時のことを聞くなら、神父に御三家のバイトンとタケシュ、公衆浴場の女将さんに聞くのが良いだろう。他の者に訊いたとしても、呪いがどうのと言うだけだ。当時の事故について調べようとしたこともあってな、実際訊いてもこの話を聞かせてくれたのは彼らだけだった」
不自然さだけが残るものだが、と騎士は呟き、カノタもそれに同意した。そもそも、カロサとヤニスの仲が悪くなった理由もいまいち分からない。敢えてぼかしているのではないかと、人伝の情報ながら感じてしまうほどだ。
「判りました。これからタケシュの元へ話を訊きに行くつもりなので、詳しく聞いてみます。それで、この家からは証拠のようなものは出なさそうと見て良いんですかね?」
「そこが一番関心を寄せるところだろうな。目撃者が期待できないような状況だからこそ、証拠の有無が犯人を特定する重要なものになる。今回の場合は、薬と鍬、そして殺害現場――と言うのは少し違うか。川を流されたときには、まだ生きていた可能性もあると聞いている。薬と鍬、それらがどこにあったもので、誰が使ったのかが証明できれば手っ取り早い。この家にも鍬のストックが幾つかあったが、減っているかどうかを誰が証言できるのか、だな」
「共有の保管庫も調べないといけませんね。あれは確か、長屋の方にありましたっけ」
「ああ。教会から見て、長屋の終わりにある空き地の向こうだ。変なところにあるよな。長屋でも増やすつもりなのか。まぁ、それはいいとしてだ。ここで薬を飲ませて運んだのなら、途中で鍬を持っていくこともできるな。そこは後で調べておくから、お前は聞き込みに集中してろ」
了解、と返事をして、カノタは家を出た。訊きたいことが多く、質問をまとめる時間も必要であったが、タケシュの下へ行くまでの移動は坂も多く、頭を使う余裕はなかった。
いくら身体能力を強化できると言っても、移動の多さには気が滅入る。馬を連れてくれば良かったかと、自身の勇み足を悔いるのだった。




