二章 ――四――
遺体の埋葬を控える神父により、捜査の協力を依頼された私に対し、ボートで宿の前へ送ってもらう際、関係者への事情聴取は任せてほしいと騎士から提案があった。この町に赴任してから、騎士になってから初めて遭遇する事件だと張り切っている様子の彼には、少し不安もあった。けれど、私としても整理したい事柄があったため、その提案を受け入れることにした。
町で殺人事件が起きた際、基本的に騎士と聖職者が合同で捜査を行うことになっている。これには二つの理由があり、一つは連続して殺人が起こった場合、迅速に祈りを捧げられるようにするためである。これは主に、騎士側に都合がいい理由だろう。
もう一つは、犯行が魔物の仕業だった場合で、聖職者側に危害が加えられずに済むようにという配慮だ。
人に化ける魔物というのも、極稀に存在する。しかし彼らは言葉を扱うことはないので、検問をすれば炙り出せる可能性がある。そのため事件発生の際は町の出入りを封じ、最低でも一日は様子を見る決まりとなっている。
「マツハムが、死んだそうですね」
宿に戻って早々、主人が重苦しい表情で出迎えてくれた。聖職者御用達と言っても、殆どが観光客向けの商売をしている彼にとって、それを引っ張る彼の存在はとても頼りになる存在だったそうだ。そんな彼が亡くなり、これからどうすべきか先行きが不安だという。
今後のことを考えるためにも、なるべく早く事件を解決したい。神父からも同じ事を言われていたことから、この町におけるマツハムの存在の大きさが覗われた。――ならば殺されるはずがないのだから、おかしな事件もあったものだ。
「それにしても、ずいぶん情報が早いようですね。私はイノリを呼びに来ただけで、誰が亡くなったのかは言っていなかったと思うのですが」ミユがそう問い掛ける。
「どうやら、日時計の始まりを見ようと外へ出ていた観光客がいたそうです。その際、騎士の話し声が聞こえたそうですよ。直ぐに宿に戻って大騒ぎ。そこの店主が教えに来たんですよ。先程ね」
教会の方へ向かって、騎士の詰め所で話を聞いたか。この町では、おそらく初めての事態だ。他人の目を気にする余裕もなかったのだろう。
食事を用意します、とその場を離れた店主を見送り、私達は各々支度を整えてから、入り口の側に置かれた談話スペースへと移動する。二人掛けのソファーが一つと、一人掛けの物が丸テーブルをコの字型で囲んでいる。食事を摂ることを想定しているため、なかなか大きい。店主が食事を運んできたら訊きたいこともあったため、一人掛けのソファーを一つ残し、私はミユと共に二人掛けのものに座った。
「犯人は、タケシュなのでしょうか」
顎に手を当てて考えるタンは、心の内ではそう思ってはいないのだろう。見せる目つきは鋭いものだった。
「彼がマツハムをよく思っていなかったとは、書店の人が言ってたわね。イノリはどう思うの?」
「何とも言えないけれど、彼の存在は大きく関わっているのは分かる」
その意味を問うタンに、「私たちだから分かることだよ」と答える。
「――そうか、私達が居なかったら、彼はあの森で死んでいた」
私は視線を横に向けて頷き合う。彼女はこう言っていた。すばしっこくて仕留めるのに苦労したと。そんな魔物相手に逃げ切れ、おまけに私たちと出会ったのは運が良いとしか言いようがない。
となれば話は二者択一であり、全く関係ないか、関係あるかのどちらかだ。
「全く関係がないのか、あの一件が引き金となったのか。そこはまだ分からないけれど、彼等に怪しい動きがあったのは分かる」
「祈りの会の最中、彼とマツハムの姿が見えない時があったこと、ですね」
私は、その通りだと答える。
「マツハムさんは、祈りの会に姿を見せなかったよね。そういえば神父様も言っていたけど、仮に病気の牛に薬を与えていたとして、祈りの会をすっぽかしたりするのかな」
「その時なにかがあった。そう考えるのが妥当でしょうね」
頷きながら、その時教会に居なかったもう一人の事を考える。試食会に遅れてやって来たバイトンは、何かを目撃したりしなかっただろうか。その証言次第で、彼にも疑いの目を向けなければならないだろう。私達が怪しいと思っている時間に、何もなかったとも考えられる。
「……そもそも、自殺は、やはり考えられませんか?」
「そんな言い方をするってことは、タンはそう思っていないってことでしょう? 自殺には絶対に見られない反応があった」
栄誉を授かったタイミングで自ら生命を投げ出そうとするとは思えないのだけど、何らかの拍子に投げやりになってしまうこともあるかもしれない。けれど、自殺だけは絶対にないという証拠がある。
それは、自殺した人は魔物にならないという事実があるからだ。自ら選んだものに、怨みはない。その無情さを突きつけられ、祈るという行為の結果が現実に現れないそれは禁忌とされ、その道を選ぶ人も少ないだろうし、人をその方向に追い込む行為も、また重罪とされている。
「そうなのですが、一つ気になることがあるのです」
それは身体に巻き付けてあった鍬のことであった。
「あれは巻き付けてあっただけでした。死体を隠す意図があった、引いては何者かによって細工されたものであるなら、縛ったりしないものでしょうか」
そこは、私も気になっていたところだ。
川の流れによって鍬が動き、ロープが外れてしまったら元もこうもない。だったらしっかりと縛って固定するべきなのだろうが、見たところその様な形跡はなかった。自分で巻き付け、しっかりと握っていた。そう言われたほうが信じられるくらいに。
けれど、魔物化の反応があった以上、それは完全に否定される。
暗い話題を振り払うように、食欲を唆る食事が目の前に運ばれてくる。
「お待たせいたしました、トーストとスクランブルエッグでございます。シンプルなものなのですが、どちらの素材もこの町で採れたもので、その味わいを堪能してほしく、朝はこの様なメニューになっております」
美味しそうではあるが、少々思っていたものとは違っていた。そんな空気が隣から漂ってきた。素材の良さは昨日の試食会でも解っていたため、私としてはこのシンプルさでも期待が持てる。
こんがりとキツネ色をしたトーストに、バターを塗って馴染ませていく。匂いが違うなと思った。どちらとも言えないが。一口食べれば味も違う。これはどちらもだ。ミルク感が強く残る濃厚なバターに、それにも負けない小麦の風味。サクサクとした焼き目のアクセントが楽しませてくれる。
スクランブルエッグにも豊かなミルクの風味が感じられ、まろやかな風味がスイーツのようにも思わせる。酸味を求めて添えられていた小さなトマトを口に運ぶ。強い甘さに驚いた。小麦の風味が恋しくなってトーストを咥える。
隣の皿が瞬く間に空いていくのも納得であった。
「一つ、良いでしょうか」
食事も終わり、解説を交えながら座っていた待っていてもらった店主、――トマンに質問を投げつける。
「マツハムさんは、恨まれていたりしましたか?」
「タケシュは、正直どうかは分かりません。キツイ言葉を投げ掛けていたのは事実ですから。他は、まぁ、思い付きませんね。妬み嫉みはあったでしょう。――マツハムは、殺されたのですか?」
「殺されたのは間違いないです」
「そうですか。……しかし、困ったことになりました。朝食に使ったトマトも、パンの小麦も、すべてマツハム主だって栽培したものです。作物の栽培は教会を誘致したことで始まったのですが、主導していたのはマツハムの父。彼はその後を継いだのです。タケロスが手伝いをしていたようですが、今後どうなるか。小麦粉など、もともと少量の生産だったので残りも僅か、といったばかりで」
「跡を継いだ、――と言うことは、お父様は亡くなっているんですか?」
「ええ、川での事故で。そうだ、母親も川で亡くなったんでした。当時は呪いだなんだと騒がれたものでしたが、今度は息子が……」
どうにも話がきな臭くなってきた。
このまま話を聞くのもいいだろうが、少し気持ちを落ち着かせたい。お腹も満足であまり頭が働かない。トマンには仕事に戻ってもらい、騎士が戻ってくるまで少し休むべきだろうか。そう悩んでいると、立ち上がった彼からある依頼が持ちかけられた。
「そうだ、牛乳をお持ちするのを忘れておりました。私も動揺していたのでしょう。それで、聖職者様にお願いがあるのですが……」
「なんです?」
「その牛乳も、トーストやスクランブルエッグに使ったバターもなのですが、観光牧場で生産されたものなのです。マツハムが観光の目玉になればと試行錯誤したものなのですが、その甲斐あって今、この牛乳は観光牧場の目玉となっております。そこで今、どうやら魔石の不具合があるようで。神父様や詳しいものに見てもらったところ原因がよく解らず、とのことで。新しいものを買うべきか、はたまた直る見込みはあるのか。聖職者様、もしお時間があるようでしたら――」
「解りました。マツハムさんの事を伺いがてら、見てみたいと思います」
「おお、ありがとうございます。リナルも喜びます」
魔法を発動させる魔石は、炎や風などを操る場合もあり、事故の可能性も考慮されて扱いは教会の管轄になっている。資格によって扱う能力は区分されており、存分に自慢したい事柄だが、私は最高ランクである一級を持っている。世界の総人口は正確には測られて居ないが、全ての町を合わせたら十億人程と言われている。その中で資格――魔石取扱人のそれを持っているものは十万人程で、さらにその中に一級を持っているのは十人だ。これを自慢せずにいられるだろうか。製造するにもその資格が必要で、高性能の魔法を刻印するにはランクによる制限もあるのだから鼻が高い。
などと、高らかに言っていられる身分でないのは分かっている。もともと運動能力のハンデをカバーするために必死で勉強したのだが、ここまでのランクに至るとは到底思っておらず、能力と合わせて図らずとも世界にとって重要な存在となってしまい……。
護衛騎士にもそれなりの立場の人を充てがったと、教会のトップである聖王は仰っていたが、その素性は未だに明かされていない。
特異な聖職者と謎を抱える護衛騎士と冒険者の謎解きは、こうして始まった。




