歪な矛盾
元より過去などなく、
“過去”そのものが消えたかのように、
前後の脈絡もなく、私は古びた日本旅館に居た。
何故だかはわからないが、私はここから出ることも難しく、仮に出ることが出来たとしても、道中何度も殺されるだろうと理解していた。
周りを見回すと、黒い霧が充満しているかのように酷く朧げで、他に誰もおらず、気配も感じなかった。
私は、当たり前だと言わんばかりに、この旅館から出るために歩き出した瞬間
「ここ…どこなんだろう。」
自分ではない年若く、高い、聞き覚えのない女性特有の声が聞こえた。
なんだ幼馴染か、と思い暗く姿がよく見えない中、私は声をかけた。
「さあな、とりあえずここから出るとしよう。」
私は彼女にそう言うと進み出し、歪な形をしている気がする障子を開けた。
障子を開けた先に広がっているのは、何も置いておらず、先が見えないほど縦に長い宴会部屋のような部屋だった。
私が“目の前”にあったタンスを開けると
髪が有るような、無いような
人のような、人じゃないような
酷く朧げな存在に抱きつかれたかと思えば
視界が真っ暗になり
意識が暗転した。
私が意識を取り戻すと、最初に居た部屋の布団の上でうつ伏せになっていた。
「くそ、めんどくさいな。」
私は殺されたのだと気付き、不貞腐れつつも起き上がる。
私は再び宴会部屋まで進む、すると見慣れた女性の後ろ姿が見えた。
「母さん!」
母だ、そう気付き声をかけると母親は振り向いた。
しかしその母親には顔がなく、のっぺらぼうだった。
「うわっ!」
私は驚き、たたらを踏み、再度顔を見ると、のっぺらぼうなどでなく、確かに母親だった。
「早く帰ろう。」
母はそう言いながら、手を差し出す。私はその手を取り、母について行く。
扉の前まで進むと、1枚の貼り紙があった。
『絶対に注意!出口!気をつけて!深呼吸忘れずに!忘れないで!』
文字は滲み、読みにくく、何を言いたいのかわからなかったが、再度母に声をかけられ、すぐに貼り紙は意識の外へと行った。
「もうすぐ出口だよ。」
母はそう言い微笑む。
私はそれに安堵し、手を繋いだまま廊下を進む。
気付くと母などおらず、繋いでいたはずの手は先の見えない廊下から伸びた延長コードで縛り付けられている。
すると、延長コードに引っ張られるように滑り出した。
止まろうといくら踏ん張っていても、それを意に介さないかの如く引っ張られる。
どんどん進みが速くなる。
どんどんどんどん進みが速くなる。
どんどんどんどんどんどんどんどん速くなる。
とても人が出せる速度などではない。
それに恐怖し、体は硬直してしまった。
しかし速度は緩まない。
必死に止めようとした体勢のまま、摩擦など存在せず、かかとだけを床につけ、滑るように進み続ける。
次の瞬間、視界が真っ暗になったかと思えば、体全体が延長コードで乱雑に縛り上げられ、
足から天井に吊られている“自分”を見ていた。
自分の顔は、穴という穴から透明な液体が溢れ出し、歯をガチガチと鳴らしながら笑みを浮かべていた。
いや、見ていると同時にそんな”感覚“があるのが分かる。
そんな状態の自分に唖然としていると、周りから音が聞こえて来る。
硬くも中は空洞のような何かをノコギリでギコギコと削る音、女の甲高い悲鳴、それとは別の女の笑い声。
一体何が起きているのかと思う一方、吊られている自分は笑い声まで上げ出し、止まりそうにないのが分かる。
そして次には自分の首の辺りからも音が聞こえる。
ブチブチと何かを引きちぎる音、ボキボキと固い何かを無理矢理折る音
すると、自分の首が徐々に回転しだし、ボトンと首が落ちた。
それを見届けると、
すぐさま視界が暗転し、
全身の感覚が鋭利になり、
ベッドから飛び起きた。
「夢か…」
そこは見覚えのある、いつもの部屋だった。
しかし、顔も見えないあの幼馴染は誰だったのだろうか。私には幼馴染など存在しないというのに。